平成4年に掲載された投稿 |
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札幌の姉妹都市ポートランドを知っていますか。アメリカのオレゴン州にある緑多い美しい街です。姉妹都市交流で大勢の札幌市民が訪問し、ポートランド市は心の古里と思う人も多いことでしょう。私も親善のための少年婦人派遣団の一員として、火のように燃えたひと夏を体験してから、はや十年の歳月が流れました。 先日、十周年を記念して懐かしい仲間達がススキノに集まり、龍宮から戻った浦島太郎の心境で久しぶりの再開を喜び合いました。当時、中学や高校の生徒だった少年少女は、立派な社会人に成長し見違えるほどです。私たち婦人は十年前の記念誌をめくり、昔のかわいい顔を探して大笑いしたり、年ころのハッピーな話題に拍手でわいたり、楽しいひとときでした。 十年前、微力ながら国際親善に燃え、民泊を通して得難い体験を仲間と共有できたことの幸せに感謝し、次の時代をになう若者たちに「大志を抱いて羽ばたいてほしい」と心から願って帰路につきました。
近くの郵便局の現金自動預払機を操作する際、私はそっと目をつぶる。点字が付いているからだ。もし、自分が目の不自由な立場だったらと思い、静かに一から十までの点字を指先で触れてみるが、難しすぎて判読できない。やっぱり勉強しなければ読めないと、点字奉仕を続けている文友から頂いた点字一覧表を見る。 「点字は、縦三点、横二点の六つの点の組み合わせからなる表音文字で、紙の表面から裏へつき出して書き、右から左への横書きである。その凸面を触読する」とある。そのほかに濁音、拗(よう)音、特殊音、アルファベットに英文記号などもあり、ドイツ文字、ギリシャ文字、数字記号もあるから驚く。あの小さなブツブツに重要な意味が秘められている。 私たちが本を楽しめるありがたさを思うと、光のない方々にも好きな本が自由に読めるように、さまざまな分野の点字本があったなら、そしてそれが自分の本として読めるなら、どんなに素晴らしいことだろう。
夫が詩人になった。古女房の私は内心驚いている。彼はペンを持つというタイプじゃなかったから。家でも商売上の難しい書類は見ただけで頭が痛くなると冗談をいい、手紙などは「読んでくれ」と、いつも聞くだけで返事も書きたがらない。そんな夫がペンと仲良しになり、いくつかの詩を作ったのだから晴天のへきれきだ。 夫が急性呼吸不全で入院したのは冷たい雪が舞う三月のことだった。元気になって好きな釣りに行ける日を夢見て検査や治療に励み、私は家業のかたわら病院への通い妻となり多忙な数ヶ月が過ぎた。 ある日、苫小牧から見舞いにきていただいた私の文友Tさんが「何か楽しいことに没頭していたら、その間は病苦を忘れられる」と詩を作るよう勧めてくれた。それ以来、頑張り屋の彼は作詩に挑戦に意欲をみせ、私の病床に運んだ紙片は少しずつ彼の字で埋まった。 「俺は・・・今トンネルの眞ん中、もうすぐ出口。美しい紅葉や青い海が見える・・・」。一作目で、退院の日を待ちこがれている胸中が熱いほど伝わってきた。少しずつ増えたわが家の詩人の作品。Tさんが次々とワープロで打って活字にしてくれた。毎年発行の「ふれあい詩集」に載せていただけるというので大きな励みになった。 トンネルの詩は、落ち込んでいた病友を励まし、力づける天使になって病室を回った。私は思った。誰でも皆、すてきな詩人になれるんだ、と。夫のように頑張って一人でも多くトンネルを抜けてほしいと、心から祈っている。
「百人に聞きました」とまではいかないが、外国人の友達数人に聞いてみた。「あなたが日本に来て驚いたことは何ですか」と。インドやシンガポールから来た友は「雪の多いのと寒さにびっくり・・・」と言い、中国留学生は「真冬に薄いストッキング一枚で街を行く女性の姿に驚いた」と話してくれた。中国では皆無の光景だそうだ。 札幌の姉妹都市ポートランドの人は「混んでいるパチンコ屋と受験地獄に驚いた」と答え、また「横断歩道を渡るときの音楽が珍しかった」と教えてくれた。話は飛躍するが、札幌に長く滞在しているアメリカ人夫妻は「日本の民話や昔話には、なぜ悲しい結末が多いの。私の国では全部がハッピーエンドよ」と、驚きの内容もさまざまだ。カナダのペンパルは「日本庭園の美しさ」と書いてくれた。 日本も、一歩外側から見ると驚きの種がいっぱいだ。小さな質問から異文化や習慣の違いを知って、大きな勉強になった。
今朝も、新聞を広げて大笑いした。原因は堀田かつひこの「主婦コー座」である。女性じゃないのに、よくもこれだけち密に主婦の心理や行動を知っているものだと、おかしいやら感心するやらで、思いっ切り笑ってしまった。 新しい朝を迎えてまず最初に笑うのは「うそクラブ」だ。先日は、大相撲で初めて賜杯を手にした水戸泉が「波の花」と改名することにした、というもので、最高におかしかった。時事川柳の欄も楽しくて結構笑ってしまうことが多い。短い一行に込めた表現の巧みさに「ウマイッ」と拍手したり、自分の身に覚えがあるような句に出合うと、ほおがゆるむ。 今年は私にとって悲しいこと、つらいことが多かった。ともすれば悲しみに流されそうになったとき、ひとり新聞を広げて行間から生まれる笑いに大いに救われた。悲しみを消してくれた笑いのありがたさ。さあ、明日はどんな笑いが運ばれてくるであろうか。元気を出して、また新聞を広げよう。
先日の当欄にトイレットぺーパーについての投書が載り、先端が三角に折られているのは「清掃が終わりましたから、どうぞお使い下さいとのことなのでしょう」とありましたが、それは少し違うように思います。あれは紙の先端を教える無言のサインだと思うのです。 ペーパーを回転させながら、切り口を探しても見つかりづらい場合「ここが端ですよ」と教えてくれているのでしょう。目の不自由な方や小さな子供にとってこの思いやりはどんなにありがたいかもしれません。 私は三十年以上も家庭紙関係の卸売業に携わっておりますが、消費者から一番多い苦情はホルダーにはめてから先端が見つかりにくいということでした。解決法はペーパーを回しながら二、三本そろえた指の腹で中心から左右にパッパッと払うように強くこすれば、たやすく切り口が密着から離れます。お試しください。
「また手紙がきた!」「私にも!」−ひとみをキラキラ輝かせてペンパルからの手紙を私に見せにくるのは、六年生のMちゃんとAちゃんです。「どれどれ、何て書いてきたかな。うれしいね」。胸を弾ませ、二人の前で英語の手紙を広げます。 Mちゃんのペンパルは、同じ年のアデルとアインジョイ、Aちゃんの方はメリサとパメラ。それぞれアメリカとニュージーランドのかわいい女の子です。 米国郵便公社の協力で、郵政省が中学生以下を対象に同年代の文通相手を紹介するサービスを始めたとき早速申し込み、あれから、はや六ヶ月。すてきな外国の友と写真の交換も家族の紹介も済み、子供らしい豊かな発想で楽しい手紙が海を越えて往来しています。 小学生のしなやかな吸収力に感心しながら、私は小さな国際人の芽にせっせと水と栄養をやっています。いつの日か、ホームステイを夢見ている二人。英語の勉強は、やり方次第で楽しいことがいっぱいです。
「昭和ひとけたは、英語をしゃべれない」という言葉をよく聞く。しかし、私の身辺には六十歳前後で英語を話せる男女が結構いる。「素晴らしいなあ」と尊敬の念でいっぱいになり、どのような努力で英語の山を征服したのか体験談やアドバイスを聞き、見習って登って行きたいと意欲を燃やしている。 辞書に並ぶ横文字に、どんな意味が潜んでいるのか調べるのは非常に興味深く、勉強を通して世界が二倍に広がり、人生が楽しくなる。ありがたいことに、今の時代は学ぶ機会がたくさんある。テレビやラジオの英語会話を始め、本屋には参考書があふれ、街中を行けば横文字の看板が数多く目に入る。 今日も地下鉄で電車を待ちながら、表示板の「出発」や「到着」の英語のスペルを頭にたたきこんできた。英語の勉強は、お金をかければ上手くなるというものではない。努力を惜しまず英語の山を登り続けてこそ、実りがあるのだと思う。
道新のDIY講座を毎週楽しみにしている。その道のプロが、暮らしに役立つ知恵を伝授してくれるので、大いに参考にしている。最初はDIYの意味が分からなかったが、自分自身でする「DO IT YOURSELF」の略と道新別冊で知り納得、すべてがDIYの暮らしだった昔を思い出した。 手作り棚や郵便箱にペンキを塗ったり、古着を生かして子供服を作ったり、自分たちでふすままで張り替えた。失敗を重ねながらも完成したときの喜びは大きく、「やればできる」という自身もついた。貧しくても心は豊かだった。 昨年は和室の壁の塗り替えに挑戦、夫と材料を買い込み、休日返上で奮闘したが、素人の悲しさで少々ムラになった。でも、それがまたユニークでよいと褒められ、毎日眺めては一人悦に入っている。年末に東京から帰省した息子は、正月休みの五日間をDIYで頑張り、居間の天井を真っ白に張り替えて帰った。上を見るたび胸を熱くしている。
さっぽろ雪まつりが近づいてくると胸が躍る。私のひそかな楽しみ、一人ぼっちのボランティアが始まるからだ。日曜日の大通り会場は毎年人の波。雪像を写していると、あちこちから「すみませんが・・・」と声がかかり、シャッターの押し役を頼まれる。喜んでその役を引き受け、最高の笑顔を撮ってあげる。 困っているらしい外国の人を見つけると声を掛ける。英語は下手でも心をこめて話すと通じるものだ。昨年は道を教えてあげた。スウェーデンの若者から「札幌大好き」と言われてとてもうれしかった。香港からの夫妻には「近くに和食の店は?」と聞かれ、必死で案内したら、食事をともにと誘われ友達になった。 未知の人々との小さなふれあいの中から、さまざまな人生を垣間見る楽しいひとときである。思い出の写真を送り、喜ぶ顔を想像するのも楽しい。これからも年を忘れて、自分だけのボランティアを続けていきたいと思う。「だれかに会える!」そんな夢とロマンを胸に雪まつりを待っている。
夕食の支度を終えて、テレビのスイッチを入れると、豪華なごちそうの山がテーブル狭しと並んでいた。「料理天国」という番組で、四人の男性歌手がさまざまな料理を口に運んでいた。「こんなにぜいたくをしなくても・・・。世の中には食べられない人もいるというのにね」と、思わず嘆きの声が出てしまった。 その少し後だ。ショッキングなニュースを見たのは−。食糧難で苦しんでいるソ連の人々が、商店に行列を作っている様子が映ったのだ。若い女性が血相を変えて「二時間並んでも、牛乳一本買えないなんて!」と叫んでいた。 白いご飯のおにぎりを夢見た戦後の食糧難時代のひもじかった思い出が脳裏をよぎり、胸が痛んだ。日本のテレビでは豪華なごちそうがあふれ、他国では飢えに苦しむ人々がいる。世界の平和はまだ遠い。年賀状には迷わず”平和への祈り”の言葉を入れた。「今年の願い」として−。 ご覧いただき、ありがとうございました。
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