平成3年に掲載された投稿

 

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このページでは、平成3年
(1991年)に北海道新聞などに掲載された Yoko Amakata の
投稿記事を紹介します。各タイトルの一覧に引き続き、その内容全体をご覧いただけます。
文責:Yoko Amakata、 代筆:Kazuki Amakata

●平成3年(1991年)の新聞投稿から、15件の掲載例を紹介いたします●

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タイトル一覧(全15編/平成3年度の新聞投稿記事より)

夫と初めて異国の列車に(平成3年1月10日 北海道新聞「旅のメモリー」より)
平和だからこそできる国際交流(平成3年2月4日 北海道新聞「読者の声」より)
手縫いオムツに母と娘の思い出(平成3年3月18日 北海道新聞「読者の声」より)
留学生が直伝の外国料理に挑戦(平成3年4月27日 北海道新聞「読者の声」テーマ:連休と私より)
1枚の魚拓に心を込める(平成3年5月 広報「さっぽろ」5月号 「ひがしのいきいき名人」より)
観光客を道案内喜ぶ姿さわやか(平成3年6月9日 北海道新聞「読者の声」より)
思い出尽きない蚊帳のあった夏(平成3年7月20日 北海道新聞「読者の声」より)
窓付き封筒利用して/即席アルバム(平成3年8月25日 北海道新聞「玉手箱」より)
幸せの種まいた小さな親善使節(平成3年8月27日 北海道新聞「読者の声」より)
私の大発見(平成3年8月30日 道新ONTONA「なんでもトーク」より)
面白い家族の応援(平成3年9月12日 北海道新聞「放送みてきいて」より)
分かち合いたい点字詩集の感動(平成3年9月30日 北海道新聞「読者の声」より)
少女の夢開いたグッドニュース(平成3年10月11日 北海道新聞 読者の声 テーマ特集:「新聞と私」より)
亭主元気で・・・(平成3年10月24日 北海道新聞「いずみ」より)
温かく懐かしい童謡は心の栄養(平成3年11月25日 北海道新聞「読者の声」より)

夫と初めて異国の列車に(平成3年1月10日 北海道新聞「旅のメモリー」より)

娘の結婚式に出席するため初秋のオーストラリアに飛んだ。シドニーで感激の挙式を終え、翌日には札幌に住む友人のオーストラリア人、Wさんの両親を訪ねるため、夫と二人異国の列車に初めて乗った。親子をつなぐ特別リポーターの役を引き受けてきたのだ。

驚いたことにこの列車、発着を知らせる車内アナウンスが全くない。各駅ホームの表示板に点滅するランプだけがたよりで心細い。がら空き列車の窓から二人して、地図を片手に通過駅の名前を読み取ること一時間、シドニー郊外のキャリンバー駅にやっと到着した。

出迎えてくれたご夫婦と感激の対面後、すてきなお宅で過ごしたランチタイムのだんらんが今も忘れられな
い。心のこもった温かいもてなしを受け、日本からのお土産話に時のたつのも忘れた。いつの日かまた会いたい。写真は挙式後の屋外ランチパーティーのひとコマ。ハーバーブリッジを背に日豪両通訳に挟まれているのが私です。

平和だからこそできる国際交流(平成3年2月4日 北海道新聞「読者の声」より)

「ビューティフル!」と思わず上がる感嘆の声。絵の具を塗った魚にかぶせた用紙を静かにめくると、鮮やかに魚体が浮かぶ。かたずをのむ一瞬に生徒のひとみが輝く。ここは国際魚拓教室。いいえ、実を言うとわが家のお茶の間だ。諸外国から来て、近くのセンターで日本語を学んでいる生徒さんたちの「日本の伝統や文化に触れる機会を!」との希望を知り、何かお役に立てることはないかと考えた。

そうだ、私たち夫婦の共通の趣味である魚拓作りを実演し、実際に体験してもらえたなら、日本を知る一端にもなるのでは、と夫と相談して教室を開くことを決めた。この日は近くの友人も交えて十数人、経験豊富な夫を先生役に私が助手とカメラマンを勤め、教室は和気あいあいのうちに始まった。

みんな熱心に初めての魚拓作りに挑戦し、各自がすてきな作品を仕上げて大感激した。全員で作品を胸に記念撮影したが、カメラのレンズを通して喜びが伝わってきてうれしかった。小さな小さな国際交流に、趣味を通して二人でお手伝いさせていただいたことは感謝感激であった。「思い出よ、永遠に!」との願いを込めて手作りした写真集を見るたび、この幸せも喜びも平和があればこそ、と強く思った。

手縫いオムツに母と娘の思い出(平成3年3月18日 北海道新聞「読者の声」より)

目を閉じると、子育てで忙しかった昔が浮かんでくる。冷たい井戸水をくみ上げ、わが子のオムツ洗いに明け暮れたのも今は懐かしい思い出だ。空き地に思い切り張りめぐらしたロープ、青空の下にはたはたとひるがえるオムツ、まるで万国旗のようにカラフルだった。花柄のは母の浴衣のお古で、シマのと格子のは丹前下だったが、真っ白のサラシのは外出用にと友からお祝いに頂いたものだった。

晴れた日のオムツはパリッと乾き、まるで直立不動の形だ。風の日は吹かれてしなやかに乾き、曇りの日はだらりと生乾きになる。その日の天気次第で乾き具合が変わることを知った。心地良いようにと一枚ずつ手でもんで柔らかくして一組ずつ畳む。寒い日は寝るとき布団に入れて体温で温めて使い、冬の夜は湯たんぽで熱過ぎないようにと心掛け、毎日がオムツとの戦いだ。

当時はコンブ巻き式だったが、その後は乾きやすい輪形になり、足の運動がしやすいようによ三角オムツに変わったが、母と二人で手縫いで仕上げた長方形のオムツが一番使いやすかった。母と娘の喜びの会話をいっぱい聞いて出来上がったオムツは2代働き、最後はぞうきんになって役目を終えた。新米母さんとともに子供たちを育ててくれた働き者のオムツたちを、紙オムツを見るたびに思い出す。

留学生が直伝の外国料理に挑戦(平成3年4月27日 北海道新聞「読者の声」テーマ:連休と私 より)

五月の連休は、どこかへ旅をしたい。心の隅でいつもそう思うのだが、結局は実現しないで終わる。今年も足を痛めて治療中だから、残念ながらあきらめた。せめて家に居ながら海外旅行のムードを楽しみたいと、インドと中国の料理を作ることに決めた。

連休前半は留学生のH君から教わったカレーに挑戦しよう。インドから来た彼は、週に二〜三度はカレーを食べないと落ち着かないそうだ。どこの国の人も、母国の食物は最高なのだと思った。玉ネギ、ニンニク、ショウガをスパイスとともにミキサーでドロドロにするのが秘けつで、それをいためてからトリ肉、イモと水を加えて弱火で約三十分煮つめると本場インドカレーの出来上がり。

連休後半は肉マンとギョーザに挑戦する。中国留学生のSさんから手とり足とりで皮の作り方を習ったが、一回目はお化けギョーザができて家族に笑われた。今度は失敗しないように頑張ろう。おいしさの秘けつは、エビを頭から尾までカラごと刻んで、ひき肉に混ぜることにある。

さあ、今年の連休はインドと中国の楽しい食べ歩き旅行だ。おいしさの秘けつを愛情をたっぷり加えて、H君とSさんに感謝しながら出発だ。

1枚の魚拓に心を込める(平成3年5月 広報「さっぽろ」5月号 「ひがしのいきいき名人」より)

「妹が贈ってくれた新築祝いの魚拓を見たのがきっかけで、夫婦で共通の趣味を持とうと始めたんですよ」とにこやかに話してくれた天方慧(さとし)さん。葉子(ようこ)婦人とともに魚拓を始めて、十六年になります。天方夫妻の魚拓は、観賞用の美術魚拓。生き生きとした自然の姿をいかに写し取るかが腕の見せどころです。

魚に直接絵の具を塗る重ね、注意深く紙を押しあて、写しとると、独特の色合いの美しい魚の形が現れます。最後に細かい筆で目を入れると、見事な魚拓のでき上がりです。「魚拓はウロコが命なんです。新鮮な魚ほどウロコが立っていて、立体感が出てきます」と葉子夫人。魚の生きが下がらないように、冬でも暖房のない部屋で、作業を続けることもあるそうです。

天方夫妻が今、特に興味を持っているのが魚拓による国際交流です。去年の十一月に、近所にある日本語学校の生徒たちを招いて、魚拓の講習会を開きました。「私たちの趣味が国際交流に役立つなんてうれしいですね。これからもぜひ機会をつくりたいですね」と天方夫妻。お二人のおおらかな人柄に触れ、魚拓ファンとなる外国の人たちが、ますます増えそうですね。

観光客を道案内喜ぶ姿さわやか(平成3年6月9日 北海道新聞「読者の声」より)

夫が笑顔で帰宅した。見ると大きな菓子袋を持っている。「それ、どうしたの?」と聞くと、観光客らしい二人連れの女性から頂いたという。話によると、北大の近くで配達の荷を降ろしている時、道庁に行く道を尋ねられ、知らない土地を歩くのは大変だろうと思って「よかったら私の車にどうぞ。説明より送った方が早いから」と乗せた。

京都からという二人は「やぁー、北海道の人は親切だと話には聞いていたが本当だねぇ」と驚き喜んで、降りるときどうしても差し出した心付けを「とんでもない」と受け取らなかった夫に、「せめて、これだけでも!」と無理やりに持っていた菓子袋を置いていったそうだ。

何度も頭を下げ、手を振り続けていった話を聞き、その喜びが見えるようで私もうれしくなった。お茶を入れ、好意の菓子を夫と頂きながら、どうぞ無事に楽しい旅を終えられますようにと祈り、小さなことでも人に喜んでいただけてよかったと幸せに思った。

思い出尽きない蚊帳のあった夏(平成3年7月20日 北海道新聞「読者の声」より)

夏がくると懐かしく思い出すのは、子供のころ家族みんなと入って寝た緑色の蚊帳だ。天井の四隅に、次々とつり輪を引っかけていくと、テント村のように別世界が浮かび上がる。蚊が入らぬように蚊帳のすそをそっとめくって素早くすべりこむ。スリルがあって楽しい。

母のふとんの横で遠い昔話を聞かせてもらったり、学校で習った唱歌を姉妹で歌ったりしているうちに、いつしか夢の国へ行った。朝になると、母に畳み方を教わりながら、子供たちで協力して大きな蚊帳を畳むのが日課だった。

過日、「友の家」主催の暮らしの工夫展を見た時、会員の手作りによるリフォーム・ファッション・ショーの中で、あの懐かしい蚊帳が涼しそうな半コートに生まれ変わっているのを見て感動した。古い物を大切に生かした知恵とユニークさにも感心した。

網戸の普及で姿を消したあの緑色の蚊帳。さわさわと心地よい麻の感触の夏の風情ー。遠い夏の日の思い出は尽きない。

窓付き封筒利用して/即席アルバム(平成3年8月25日 北海道新聞「玉手箱」より)

最近は窓付き封筒で届く郵便物が増えました。窓から中身が見えるのを利用して即席アルバムを作ったところ、とても便利で重宝しております。使用済みの封筒を写真の大きさに合わせて切り、一枚ずつ入れて二通りの方法で整理しています。

一つは写真を取り出しやすいように封をせず、端に穴を開けリボンを通して四、五枚ずつまとめる。もう一つはノートのように見開きにして、四枚一組でまとめる。テープで封筒の裏側を張り合わせ、ホチキスで補強すれば簡
単に出来ます。六枚、八枚と増やすことも可能です。

私は写真を撮るのが趣味で、カメラを手にシャッターチャンスを探して友人と出掛けることがあります。後日、友人の写っている写真をプレゼントするのも楽しみの一つですが、大勢の場面では焼き増し枚数が多く毎回の整理が
大変でした。しかしこの即席アルバムで友人別にまとめておけば、写真も汚れず手間も減ります。廃物利用ですから、材料費ゼロというのが何といってもうれしいです。

幸せの種まいた小さな親善使節(平成3年8月27日 北海道新聞「読者の声」より)

「さよなら!」と手を振ったら、「グッバイ」とS君もかわいい手を振った。たった一晩のホームステイなのに、胸がキュンとなる。どうしてだろう。

函館に住む外国人の友が、一家でわが家を訪問した。積もった話に花を咲かせ、共に夕食を楽しんだ。「泊まっていかないの?」との私の誘いに、三兄弟の一番上のおとなしいS君が「OK」と言ったので、このハプニングに皆驚いた。日本人の家庭に一人で泊まる十歳の子の勇気に感心し、この貴重な夜を有意義にと夫と一緒に習字を教えた。初体験に目を輝かせ、半紙に「日本 さくら」と立派に書いた。

言われなくても、朝起きるとシーツやふとんを畳み、さりげなく皆の食後の皿を台所に運んだ。両親のしつけの良さが至る所に自然な形で現れ、大人の私たちがいろいろ教えられた。「さよなら、また来てね!」小さな親善大使のようなS君から、この夏一番の幸せをもらったような気がして、胸が熱くなった。

私の大発見(平成3年8月30日 道新ONTONA「なんでもトーク」より)

皆さん、聞いて下さい。これが書かずにいられるでしょうか。大発見をしたのです。驚きです。表紙のオントナという横文字をジーッと見ているうちに逆から読むと「あなたの」となる事に気がついたのです。正確に読むと「あのとの」と少々なまっていますが、そのくらいはお許し願って右から左へ「あなたの」と読み、すぐ左から「オントナ」と戻ると・・・。何と、「あなたのオントナ」になるのです。何とすてきな事でしょう!。

こんなくだらない事を大発見などと騒ぐ私ですから、私の頭の程度は知れたものです。でも私は、この発見を気に入っていますので、これからも「あなたのオントナ」からいろいろな知識を吸収し、勉強させていただき、もっと素晴らしい大発見につなげるつもりです。聞いてくださって、イヤ、読んでくださってありがとうございました。

面白い家族の応援(平成3年9月12日 北海道新聞「放送みてきいて」より)

月−金午前の「一〇〇万円クイズハンター」(HTB)を見ているが、クイズよりも家族ぐるみの応援団が面白い。スタジオに出場者の配偶者や子供たちが来ているので、その家族の様子が伝わってくる。その夜の家族の会話は弾むのだろうなと思うと、見ているこちらの方まで楽しくなる。

分かち合いたい点字詩集の感動(平成3年9月30日 北海道新聞「読者の声」より)

皆さんは点字の本を見たことがありますか。私は今、文友のTさんが心を込めて手作りし、記念にと送ってくれた点字の詩集を初めて見て、感動で胸がいっぱいです。道新の「いずみ」を通して知り合った点訳者のTさんから、目の不自由な方々が、心の目で触読する点字について教わりました。

詩集は、紙上で心のふれ合いをとの彼女の呼びかけがきっかけで、さまざまな立場で生きている人々が詩集に初挑戦、夢とロマンの詩集「君に逢える日」が完成したのです。もとはと言えば、彼女が作った一編の詩。それが歌になり、外国の友と歌えるようにと英訳が生まれ、朗読奉仕団員のもとで素晴らしい朗読テープにも変身しました。

光のない人々の明かりにと数多くダビングされ、次々と広がるふれ合いの輪には胸が熱くなります。温かい心と感動がいっぱいのこの点訳本を、希望者にお貸しし、一人でも多くの方に読んでいただき、本の命をフルに生かせたらと願っています。

少女の夢開いたグッドニュース(平成3年10月11日 北海道新聞 読者の声 テーマ特集:「新聞と私」より)

うれしくて「ヤッホー」と跳び上がりたい気持ちだ。新聞のおかげで、アメリカが身近になった。七月末の道新で見つけた小さな記事「ハロー!USAペンパル・サービス」。米国郵便公社の協力で郵政省が、中学生以下の青少年に同年代の文通相手を紹介するサービスを始めたことを知った。

グッドニュースと、英語を勉強中の小さな友達MちゃんとAちゃんに話したところ、海外文通を夢見ていた二人は意欲満々で、早速挑戦となった。申込書を送って待つこと一ヶ月余り、アメリカから相手の住所が届いた。これから夢いっぱいの文通が始まる。

二人の少女の希望に明かりがともった記念すべき日に、火付け役の私は、この出あいが過去の自分の体験と同じように、末永く楽しく有意義に続くようにと祈り、世界の広さと海を超えた友情の素晴らしさも実感してほしいと願っている。

亭主元気で・・・(平成3年10月24日 北海道新聞「いずみ」より)

好きになれない言葉に「亭主元気で留守がいい」というのがある。何年か前に趣味のサークルで、このCMについての話題が出た。同感といった人が多かったが、「そんなの嫌いです」と私は思わず口走ってしまった。皆びっくりして私を見た。「私は夫をたくさん好きだから・・・」と正直に言った。別にノロケでも何でもない。嫌いだったら一緒に暮らして行けないだろう。

縁あって結婚して三十年以上も共に暮らしている。自営業だから普通の人より一緒にいる時間が多い。私は一日の出来事を夫に話し、胸の中をカラッポにしてから安心して眠るし、彼も配達から戻り、外で触れ合った人々のことを外出できない私にいろいろ話してくれる。喜びは二倍に、悲しみは半分になるそんな時間を、とても幸せに思う。

どんな夫婦にもいつか別れの時がくる。何年か前に未亡人になった美しい友の胸中を時々思うことがある。あの時、慰めの手紙を出したら「彼を思い出してまた泣いてたの・・・」と電話がきた。もらい泣きしてしまった。「亭主元気で留守がいい」なんて、やっぱり嫌いだ。大切な人が永久に留守になったらどうするの? 気がきかないとしかられても、オッチョコチョイだなぁと笑われても、それでもいい。「亭主元気でそばがいい。いついつまでも仲良く暮らしたい」とつくづく思う。

温かく懐かしい童謡は心の栄養(平成3年11月25日 北海道新聞「読者の声」より)

童謡は温かい心のふるさとだ。子供のころに大きな夢とロマンを与えてくれた童謡の数々。今も懐かしく思い出して時々歌っている。これといった娯楽のない戦後の物資不足の時代に、ラジオから流れてくる童謡は人々のすさんだ心を温かく優しく包んでくれた。

思い出の扉をそっと開けると、真っ先に浮かぶのは「みかんの花咲く丘」と「里の秋」。「お猿のかごや」に「夕焼け小焼け」。大好きな「月の砂漠」は、今にもすてきな王子様が迎えに来てくれそうで胸がときめいた。「母さんの歌」は、いつ聞いても温かく胸にしみこんで、慈しんでくれた母のふところが懐かしかった。

あこがれの童謡歌手川田正子・孝子さん姉妹、古賀さと子さんなどの皆さんから、あのころたくさんの心の栄養をいただけたことを感謝している。情緒がいっぱいの心に残る童謡を、今の子供たちにたっぷり聞かせてあげたい。夢とロマンの花が心のふるさとに咲き続けるように・・・。

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