平成2年に掲載された投稿

 

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ご来訪ありがとうございます。

このページでは、平成2年
(1990年)に北海道新聞などに掲載された Yoko Amakata の
投稿記事を紹介します。各タイトルの一覧に引き続き、その内容全体をご覧いただけます。
文責:Yoko Amakata、 代筆:Kazuki Amakata

●平成2年(1990年)の投稿は、計15件が新聞に採用・掲載されました●

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忘れられぬ母の手作りの口取り (平成2年12月30日 北海道新聞「読者の声」より)
形見の歌               (平成2年11月28日 北海道新聞「読者の声」より)
ワープロ似合う巻き紙風の手紙 (平成2年10月19日 北海道新聞「読者の声」より)
新婚時の思い出赤い買い物かご(平成2年9月29日 北海道新聞「読者の声」より)
海外公演実現を祈る        (平成2年9月22日 北海道新聞「放送みてきいて」より)
とってもかわいいお話なんです  (平成2年9月21日 北海道新聞「はいはい道新」より)
がんの英国坊や励ますカードを (平成2年8月24日 北海道新聞「読者の声」より)
時計台で楽しい観光の思い出を (平成2年7月23日 北海道新聞「読者の声」より)
ウェディングドレス          (平成2年6月28日 北海道新聞「いずみ」より)
我が子の優しさ思い出す父の日 (平成2年6月19日 北海道新聞「読者の声」より)
学校英語嫌いも会話は楽しそう  (平成2年5月10日 北海道新聞「読者の声」より)
懐かしい思い出姉妹都市の訪問 (平成2年4月14日 北海道新聞「読者の声」より)
小さくとも貴重 一円玉を大切に (平成2年3月10日 北海道新聞「読者の声」より)
新筆者も加わり楽しい「朝の食卓」(平成2年2月12日 北海道新聞「読者の声」より)
合理的で静かな選挙運動を望む (平成2年1月14日 北海道新聞「読者の声」より)

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忘れられぬ母の手作りの口取り (平成2年12月30日 北海道新聞「読者の声」より)

年末になった。毎日広げる新聞に、あふれるほどのちらしが入ってくる。一番目につくのが、色とりどりのおせち料理だ。思わずつばをのみこんで見とれる。とてもおいしそう、とホテル製のおせちの盛り付けに感心する。

でもやっぱり、昔かあさんが作ってくれた口取りが一番だと、このごろしみじみ思う。戦後のあの食糧難のころも、母は乏しい材料をやりくりして、大みそかの年取りの席に夢のある楽しい口取りを作ってくれた。

放射状に切り目を入れて、皮を内側に折り込んだ菊の花のようなミカン。子供たちが交代であん練りを手伝った手作りヨウカン、クリに似せて作ったサツマイモのきんとん、切り込みを段々にずらした真っ赤なリンゴ、だて巻き卵に赤白のカマボコを並べて、母のアイデアいっぱいの口取りが西皿に一人分ずつ盛られる。見ているだけで胸がワクワク躍ったっけ。

この年末には本州にいる息子を訪問することになったが、いろいろ考えた結果、お土産は「母さんの手作りおせち」に決めた。いつの日か母を思い出すときのために、下手でもいい。心を込めて母さんにしかできない正月のおせちを作って持って行くことにした。

形見の歌                  (平成2年11月28日 北海道新聞「読者の声」より)

「小包みです」郵便屋さんの大声に玄関に出てみると、何と遠い中国からはるばる届いた小包みだったのでびっくりした。水玉模様の布袋の中で、カサカサと小さい音がする。「まるで慰問袋のようだね」と遊びに来ていた娘が感心して言った。そっと開けると夫の好物のキクラゲがびっしり詰まっていたので、送り主の温かい好意に思わず胸が熱くなった。

思えば中国留学生のSさんと初めて出会ったのは数年前。ある国際交流のパーティーの席だった。私は偶然隣り合わせた彼女の耳元で、幼いころ父から教わった中国の童謡をそっと歌った。それは私の心の中で何十年も生き続けている父の形見のような大切な歌であった。

遠い昔、仕事で中国に行っていた父は、帰国のたびに幼い私や妹に中国の人々のさまざまな生活の様子やいくつかの歌を、それは熱心に教えたくれた。父から聞く見知らぬ国の話は楽しかったが、お土産の中国服を着るのが恥ずかしかった。歌が取り持つ縁で留学生のSさんが、我が家の娘同様になるのには時間はかからなかった。

「あんたは今日からうちの娘だ。いつでも遊びにおいで」と夫は歓迎し、彼女は「日本のお父さん、お母さん」と慕ってくれ、困りごとも相談にきてくれ、人さまの娘と思えなくなった。みんな父のお陰だ。Sさんのご両親が送ってくれた小包みは、早くに逝った父からの贈り物のような気もする。歌は生きていると、しみじみ思った。

ワープロ似合う巻き紙風の手紙 (平成2年10月19日 北海道新聞「読者の声」より)

とにかく、ワープロで作成した賀状や手紙は不評の的になっているが、私が時々いただく便りの中には、同じワープロでもすてきなのがある。

道新を通して知り合った苫小牧のTさんからの便りは、昔懐かしい奉書紙(巻き紙)に打ってある。初めて届いた時は、古典的な巻き紙と現代的なワープロの組み合わせが何ともアンバランスで不思議な気がしたが、するすると手紙を左に回転しながら読み進んでいくと、味気
ないと思われるワープロの文字は、巻き紙の持つ日本的な柔らかさに包まれて、私を優雅な気持ちにさせてくれる。

まるで、百人一首の絵札にあるような長い髪の十二単(ひとえ)の女性が、候文に筆をすべらせている姿が浮かんできて、楽しい気持ちで手紙を読む。巻き紙は文章の長さに合わせ、好きなところで自由に切れるから便利でもある。長年、点訳奉仕のため点字を打ち、ボランティアの会報誌作りのためにワープロを打つ毎日のTさんの、この素晴らしい発想に温かい人柄がしのばれて私は感心している。

新婚時の思い出赤い買い物かご (平成2年9月29日 北海道新聞「読者の声」より)

真っ白なエプロン姿、片手に買い物かごを掲げ、いそいそと市場に向かった自分の新婚時代を私は時々思い出すのです。新聞紙に包んだ魚や野菜が、赤い買い物かごの中で弾んで、若妻の幸せ感がこみ上げてきます。

当時、主婦の間で流行した籐(とう)細工の買い物かごは、真ん中にソロバンの玉のような飾りが付いて、とてもかわいくておしゃれなものでした。金物屋さんの店頭に赤、青、緑とカラフルなかごがつるされているのをみると、主婦の小さな夢があふれているようで、楽しく優しい気持ちになり、思わず立ち止まって見とれたものです。

つつましい生活の中から、やっと買ったときのうれしさ。あこがれの赤い買い物かごは幸せのシンボルのように思えて、大切に使いました。時代はいつしか移り変わり、大勢の主婦たちはスーパーのビニール袋を重そうに掲げて買い物から帰ってきます。魚も野菜も、昔のように弾んでいるようには見えません。

私は、ささやかな夢が感じられる買い物かごと一緒に、またスーパーを歩きたいな、と思います。若妻のころの幸せ感がよみがえってくるかもしれません。

海外公演実現を祈る         (平成2年9月22日 北海道新聞「放送みてきいて」より)

十九日午後「徹子の部屋」(HTB)で「二代目反省猿は天才」を見た。猿回しは日本でも一千年の歴史があると知ってびっくりしたが、五人兄弟全員が猿回しという村崎太郎さんにも驚いた。先代反省猿が十二年かかって覚えた芸を、二代目は三ヶ月で覚えた天才で、猿回しの海外公演を実現したいという村崎さんの夢が、かなえられるようにと祈っている。

とってもかわいいお話なんです  (平成2年9月21日 北海道新聞「はいはい道新」より)

代筆者 注: この「はいはい道新」のみ、電話での口頭取材による新聞記事、となります。

とってもかわいいお話なんです。最近のことなんですが、教会に行ったとき、隣に座っていた四、五歳の女の子が、私の顔をチラチラって見るの。私もニコッと笑いかえすと、その子は「おばさん、金歯いつはえたの」と、真顔で聞くの。実は私、前歯二本に金冠をはめています。幼い子にとっては、とても不思議で、珍しいと思ったのでしょうね。そのことを思い出しては笑い続けていますの。

がんの英国坊や励ますカードを (平成2年8月24日 北海道新聞「読者の声」より)

十八日の夕刊「まど」欄で読んだ記事に胸が痛みました。がんと闘う七歳のクレイグ君の命が風前のともしびだなんて・・・。

考えてみると今の私には、カードを買うことも、切手代を支払うことも無理なことではありません。新聞に印刷されている英語の住所も書けるし、励ましの言葉だって辞書を引けば見つけることができます。手が届かないからとあきらめる要素は何ひとつありません。

世界中の人が励ましのカードを送って、ギネスの記録をプレゼントしようとしているこの子にとって、今カード一枚の励ましが輸血の一滴にも等しいのだと思うと、私はためらわずにペンを握りました。世界中の見も知らぬ人々からの励ましは、親の身にとってどれほどうれしいことでしょう。

私は小さな祈りと願いをこめて、一通のカードを早速、ロンドンのクレイグ君あてに発送したのです。一生懸命書いたカードを、ポストにぽとんと落とすと、「大丈夫」と言っているように聞こえて、ほっとしました。「人を励まし、助け合う気持ちを大切にしたい」−そんな祈るような気持ちを、クレイグ君だけに限らず、すべての病む人々にも伝えたいものです。

時計台で楽しい観光の思い出を (平成2年7月23日 北海道新聞「読者の声」より)

先日の夕方、人に会う約束があって、久しぶりに時計台の前にきました。大勢の観光客がカメラを構え、夕暮れの時計台を背景に「はい、ポーズ」と写しまくっています。和やかな光景につい足を止めたら、シャッターの押し役を頼まれ、喜んで引き受けました。

それが終わると「あの、北大の時計台はどっちですか?」と中年のご夫妻に声をかけられ、札幌の時計台はここ一つだけと説明すると「岐阜から初めての北海道旅行で知らなかった」と喜ばれました。帰りかけると、今度はすぐ横の地下階段から数人の若者が「無い、無い」と駆け上がってきて、上で待っていたらしい連れの二人と「やっぱり食堂か喫茶店に入らないと駄目か」と何やら慌ただしいのです。

トイレ探しでした。私はふとすぐ横向かいの道新ホールの中にトイレがあるのに気付き、「二、三分の所ですが、我慢できますか?」「まだ余裕はあります」と笑う若者たちを案内して、小走りに今来た道を戻りました。

一人ひとりから丁寧にお礼を言われ、小さなことでも人の役に立ってよかったと、心からうれしくなりました。「どうぞ、楽しい旅行を」と別れましたが、ビルの谷間の札幌時計台は、毎日さまざまな人間模様を見ているのですね。観光客の皆さんには良い思い出をたくさんお土産にしてほしいものです。

ウェディングドレス            (平成2年6月28日 北海道新聞「いずみ」より)

一度は純白のウェディングドレスを着てみたい。私は少女のように時々そんな夢みたいなことを考える。思いがつのって、夫に話したら、「そんな子供みたいなことを言って。年を考えろ」と笑われた。七年前の銀婚式の時がチャンスだったが、果たせなかった。この女心は男に分かるはずはないと思った。

娘に恥ずかしながら、とこの夢を話すと、「いつの日か私が結婚する時、脱いだドレスを必ず着させてあげるからね」と優しいことを言ってくれた。私はそれだけで満足だった。

思えば昔の花嫁さんは、黒地のすそ模様に角隠しというスタイルが多かった。私も、そんな花嫁姿で三十数年前に夫のもとへ嫁いだ。いつしか時代は移り変わり、今は打ち掛けもウェディングドレスも目を見張るほどの豪華さで種類も多い。式場で、花嫁さんの美しい純白のドレス姿を見るたびに、私の胸に白いドレスの夢が広がっていった。

今年の三月、娘に本番がやってきた。式は新婚旅行を兼ね、オーストラリアのシドニーで挙げた。式が終わり、着替えの時、二人きりになった一室で、娘は「さあ、お母さん、早く、早く」といった。白いドレスの娘と電光石火の早業で入れ替わった。サイズもぴったりで、娘にせかされて中年の”花嫁”が出来上がった。

大笑いで写真まで写してくれる娘に笑顔を見せながら、私は泣けてきそうだった。娘はあの時の約束を忘れてはいなかったのだ。写真を見る度に娘の思いやりと優しさに胸が詰まってくる。

我が子の優しさ思い出す父の日 (平成2年6月19日 北海道新聞「読者の声」より)

夫と二人暮らしになった今、ふと懐かしく思い出すのは、子供たちが幼かったころの父の日だ。毎年のように子供たちは趣向を凝らして各種のサービス券を作ってくれた。肩たたき券とお使い券は十分に使えるようにと三枚ずつあった。仕事で疲れて帰宅した夫が、肩たたき券を大事そうに一枚出すと、小さな手が父親の肩をたたき、おまけだと言って足の先までもんでくれた。

家の商売で忙しい日は、配達の助手券や車のそうじ券は子供の手でもありがたくて、感謝感激だったし、学校の出来事をいっぱい聞かせてもらいながらのふろの背中流し券は、夫がもっとも楽しく使わせてもらった券だった。

子供たちは成長するにつれ、父の日でなくても、サービス券なんか無くても、一生懸命に手伝ってくれるようになり、そんな毎日の中から、人の役に立つ喜びを学びとってくれた。社会人となり、遠くに離れて暮らしていても毎年、父の日や母の日には必ず電話をかけてくれ、温かい言葉で元気な声を聞かせてくれるし、いたわってくれる。

親に心配をかけないことが一番の親孝行だと知ってくれた娘や息子の優しさに、私たちは幸せ者だと感謝しながら、過ぎし日の父の日を懐かしく思い出している。今年も各家庭にさまざまな父の日が訪れたことだろう。

学校英語嫌いも会話は楽しそう  (平成2年5月10日 北海道新聞「読者の声」より)

四日のこの欄の「筆記試験偏重で実用英語を軽視」を読み、ふと札幌雪まつりのことを思い出した。国際広場で雪像見物をしていた数人の外国人に、二人の男子高校生がたどたどしい英語で話しかけていた。和やかな光景に私は思わず足を止めた。

二人は、質問が一つ通じるたびに、飛び上がらんばかりの喜びようで、見ている私までうれしくなった。「英語好き?」と聞くと、「学校の英語の授業は大きらいだ。文法が難しくて嫌になる。だけど本物の外人との会話は楽しくて大好き」と言った。私は二人を励まして別れたが、「学校の英語なんか大きらい!」と言い切っていながら、外人との会話は大好きという言葉に複雑な思いがした。

英検の問題集を見ても、新テストの出題を新聞で眺めても、決まりきったパターンで実におもしろくない。みんなが「学校の英語の授業は楽しい」といえる英語教育に変わったなら、そして文法も大切だけれど、受験英語ばかりでなく、役に立つ実用英語も楽しく勉強できたなら、日本の外国語のレベルも大きく進歩するのではないかな、と思った。

懐かしい思い出姉妹都市の訪問 (平成2年4月14日 北海道新聞「読者の声」より)

八日の道新札幌版で、「ポートランド派遣団員募集」という小さなお知らせの記事を見つけ、あまりの懐かしさに胸がふるえました。あれから何年になるでしょうか。思えば、札幌市の姉妹都市の米国ポートランド市への派遣団の一員として、得難い体験をこの小さな体にいっぱい詰め込んで帰国してから、はや八年目の夏を迎えようとしています。

不安と期待の入り交じった高鳴る胸で、夢にまで見た同市に第一歩をしるしたあの感激の日。民泊先のホストファミリーに温かく迎えられ、家族として共に過ごしたあの興奮の日々。見るもの聞くものすべてが初体験の驚きの日々。あふれる涙で抱き合った別れの時。ポ市は大切な第二の故郷となりました。

長い事前研修の苦労も、今では懐かしい思い出。今はただ、人生の貴重な体験の機会を与えてくださった市や関係者の皆さまに感謝の念でいっぱいです。

当時の婦人体験談の募集は年齢が五十五歳までの七人でしたが、最近はぐっと間口が広がり六十四歳までの婦人十人です。市内在住五年以上で団体活動歴三年以上、来年度に逆にポ市からの派遣者を受け入れ(民泊)可能などの条件がありますが、一度きりの人生を実り多いものにするため、この機会に試験に挑戦してみてはいかがでしょうか。

小さくとも貴重 一円玉を大切に (平成2年3月10日 北海道新聞「読者の声」より)

市場の帰りに一円玉を拾った。シャーベットのように解けかかった雪の上に、「寒いよー、冷たいよー」と、まるで泣いているかのように丸い顔を見せていた。急いで拾い上げ、ハンカチで丁寧にふきとると、何と平成元年生まれだというのに傷だらけだ。おまけにひどくつぶれて、半死半生の姿に驚いてしまった。

この一円玉は、ほんの一年ほどの間にどんな運命をたどったのだろうか。かわいそうな気がして、しっかりにぎりしめて帰宅した。「一円を笑うものは一円に泣く」と、小さいころから親に教わり、「ちりも積もれば山となる」との信念で、一円玉も大切に扱ってきた。たとえ一円でも貴重な財産だから、後光が見えるような気がする。

しかし最近は、一円を拾わない人が多いと聞いて仰天し、「信じられないね」と夫と話した。強い団結力で百万円にも一億円にもなってたくましく、世の中の役に立つ日もあるのだ。私は居間の小さな空き瓶に、拾ってきたコインをぽとんと入れた。もう少し仲間が増えたら、助け合いの募金箱に入れよう。空き瓶の中のコインたちが、がっちりスクラムを組んで、チャンスを待っている。雪の上で泣いていたあの一円玉も・・・。一円を大切にしよう。

新筆者も加わり楽しい「朝の食卓」(平成2年2月12日 北海道新聞「読者の声」より)

平成二年の幕開けとともに、楽しみにしていた「朝の食卓」の新しい筆者が次々と紙上にお目見えした。昨年は新メンバーの顔写真を全部切り抜き、毎回お顔と文章を照らし合わせて読んだので、次第に親しみがわき、読後にはもう次の朝刊が待ち遠しいくらいであった。毎日さまざまな分野の方々の作品にふれ、「文は人なり」との感を強めている。

今年は西ドイツのミュンヘンで生まれ、北大生のアニヤ・ダーメさん(二六)が初登場しているので、彼女からどんな話が聞けるか期待でいっぱいだ。外国の人が他国の新聞に母国語以外で書くなんて、何と素晴らしい事だろうと感心している。

私は中国留学生の裴崢(ペイ・ジュン)さんの文が好きで、時折目にする彼女の日本語表現の巧みさに、感嘆の声を上げているが、きっとそれなりに大変な努力があるに違いない。私にも中国留学生の友達がいるので、彼らの流暢な日本語を聞くたびに、川嶋紀子さんが中国語を学んでいるのを裴崢さんが喜んでいるのと同じようにうれしくなる。

中国語を習うことで、英語や日本語への理解が深まり、言語表現の類似と相違を知るにつれて視野も広くなり、人間も大きくなるはずだ、と最近の文で彼女が書いていた。願わくば、私も彼女の中国語講座で学び、もっと中国についての理解を深めたいと、平成二年の夢をはせている。

合理的で静かな選挙運動を望む (平成2年1月14日 北海道新聞「読者の声」より)

年頭に掲載された「'90私の願い」を読み、さまざまな考え方を学ばせて頂いた。その中で、「名前だけ連呼の選挙運動見直せ」のご意見は騒音問題、選挙資金問題などで同感の意を強くした。

数年前、病に倒れた外国人の友のため、花を買って、そのお宅に見舞いに行ったことがある。その日は選挙戦の真っただ中で、早朝からボリュームをいっぱいに上げた車が町中をがなりたてて走っていた。その車が、何と友人宅の窓の下に止まり、演説を始めたからたまったものではない。

ベッドに横たわる友の部屋は、たちまち狂ったような騒音に包まれ、あまりの近さに耳はつぶれそうだった。友人夫妻は悲しそうに目を合わせ顔をしかめたが、慌てて笑顔をつくり直し力なく言った。「投票日までひたすら耐えることです」私は日本の恥部を見られたような恥ずかしさと申し訳なさに、ただわびていた。

外国の人は日本の選挙運動をどんな思いで見ているのだろうか。以来、病院の前を選挙カーが通るのを見るたびに、病む人々を思い、今までより以上に胸が痛んでならない。もっと合理的な選挙方法のための「良いアイディア」を、市民から募って改善に役立たせるのも、一案ではないだろうか。「昔は名前だけをがなりたてる騒々しい選挙だった」と笑い話になるような、静かな温かい選挙を夢みている。

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