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美しい台中・台南

 2012.5.2.〜5.4.

2012.05.09. 掲載
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目次
はじめに
台湾の歴史
台湾の地理
台中
日月潭
台南
高雄
新幹線
まとめ


はじめに

今年(2012年)の5月の連休に、医師会家族旅行で台中・台南へ出かけた。

台湾へは、7年前にも同じ医師会家族旅行で台北を訪れ、これまであまり知らなかったアジアの世界を楽しんだ。その旅行記を、Webサイトに台北への旅のタイトルで載せている。戦前、日本に属していたもう一つの国である韓国へは、2000年にソウルを訪れた。その韓国と違って、台湾は親日的なムードが強く、良い印象だった。

それなのに、旅行記を載せたあとも、気持ちの重い日が続く。その理由を探すため、台北旅行後のゆううつという文章を書き、これでメランコリーな気持ちが続いた理由が分かり、ゆううつから解放されると思った。

ところが、今回の台中・台南旅行に参加することになっても、あまり気乗りがしない。それは、あのカビの街のイメージが残っていて、汚い、嫌だと思ってしまうからのようだ。2年前、香港へ旅行した。都会には摩天楼が林立し立派だったが、大衆の街は極端に汚く、台北の悪いイメージが重なって浮かんだ。

今回は、関西国際空港から台北の台湾桃園国際空港に着き、台湾高速鉄道の「桃園駅」から「台中駅」まで移動、ここから台中・台南旅行が始まった。それは、美しい景色を観る素晴らしい旅のはじまりであった。その時の幸せな気分はいまも残っている。



台湾の歴史

台北旅行後のゆううつの中で、台湾の簡単な歴史を書いたが、今回の旅行には不十分であることが分かり、まとめ直した。

 ・14世紀に、元による領有が始まる
 ・16世紀まで、マレー・ポリネシア系先住民族が住む
 ・17世紀に、福建省より移民が始まる
 ・1624年に、オランダの東インド会社が南部を制圧し、1642年に全土を制圧
 ・1661年に、鄭成功がオランダを追放し、台湾の英雄となる
 ・1683年に、清の支配下に入る
 ・1895年に、日清戦争に勝った日本に割譲され、日本の植民地となる
 ・1945年に、日本の敗戦で中華民国に返還される
 ・1949年に、中国共産党軍に敗れた中国国民党軍が、台湾を中華民国の臨時首都とする
 ・1971年に、国連総会で中国の代表権を失う
 ・1972年に、日本との国交がなくなる



台湾の地理

台湾島はユーラシアプレートとフィリピン海プレートが交差する地点にあり、地層の隆起活動により山脈が形成された。台湾島を南北に縦断している中央山脈があり、平野の大部分はその山脈の西側にある。

全島面積は36,000平方kmで、日本の九州ほどの大きさであり、人口は23,200,000人、人口密度は世界第2位である。平野の面積が全体の1/3であるため、都市部の人口密度は極めて高い。

中央を通る北回帰線を挟んで、北が亜熱帯、南が熱帯で、台中の気温は台北より約2度高く、台南は約4度高い。


図1.台湾の地図 平野の大部分は中央山脈の西側にある。緑の線は交通網 by Google Map



台中

台中市

台湾第3の都市で、年間を通して温暖な気候で、雨も少なく、緑も多いことから、最も住みやすい都市という評価を受けている。

台中公園

「地球の歩き方」では紹介されていないが、台北の梅園駅から新幹線に乗り、台中駅で下車して、最初に訪れた台中公園に魅せられてしまった。日本統治時代に整備された公園で、台中市といえば台湾人の誰もが思い浮かべる名所だという。公園内には、日月湖という池があり、この中央に湖心亭というハイカラな建物が池に浮かんでいる。



図2.オフィス街の中にある緑豊かな公園。面積約12ヘクタール。大きな樹が公園の周辺に茂っている。


図3.樹の上から飛び降りてきて、自由奔放に動き回る栗鼠に見とれ、微笑む。


図4.日月湖という池に架かった中山橋。目が覚めるような赤と緑と樹の幹の黒の組み合わせが素晴らしい。


図5.モダンな曲線、小豆色と白で構成された中正橋は、周りのさまざまな緑の中にあって、斬新である。


図6.湖上に浮かぶ瀟洒な湖心亭。1908年、縦貫鉄道全線開通の式典の際に建てられた台中市のシンボル。


図7.湖心亭に渡るための橋。100年以上を過ぎた歳月を感じさせない。

宝覚寺


図8.1928年に建立された宝覚寺には、台湾中部で亡くなった14,000人の日本人の遺骨が奉納されている。


図9.宝覚寺を有名にしている弥勒大仏像。高さが30mあり、優しく微笑んでいる。おへそが可愛い。


図10.境内には、このような弥勒仏像もある。頭をなでるとご利益があるとか?


日月潭

日月潭

日月潭は、図11でみるとおり、台中市の南東40km、台湾中央部山中の標高748mにある台湾最大の淡水湖。1935年に東洋最大級の水力発電所が完成した際の、流水が流れ込む水瓶として選ばれた。その結果、湖の広さは4.55平方kmから、7.73平方km に拡大した。

図12.日月潭の地形図でみるとおり、光華島(拉魯島)は、湖の西側にあり、この島を境として西側と東側に分けられている。東側は四角形に近いが、これを太陽に見立て「日」潭と呼び、西側は細長い三日月型ので月に見立てて「月」潭とした。これが「日月潭」のいわれである。なお、辞書で調べると、「潭」とは、深い水、ふち(淵)を指す、とある。

光華島(拉魯島)は、日月潭のシンボルで、原住民サオ族の精霊が宿る土地である。これを眺めて、すぐ摩周湖のカムイシュ島を連想した。1999年の台湾中部大震災で島は低くなり、現在わずか山頂部が残るだけになっている。

宿泊したホテル「日月潭雲品酒店」は湖の北側にあり、部屋から観る日月潭の眺望は素晴らしかった。



図11.日月潭は台中市の南東、台湾の真ん中にあり、湖面は海抜727m、台湾最大の淡水湖。by Google Map


図12.光華島より東側は丸いので「日」潭、西側は細長く、三日月に見立て「月」潭とした。
by Google Map


図13.北側から眺めた夕刻の日月潭


図14.湖の北側にあるホテルの部屋から眺めた早朝の日月潭。中央やや右よりに、ごく小さな拉魯島が見える。


図15.日月潭北東部(月潭の北部)


図16.朝霧が美しい。


図17.文武廟の下から眺めた日月潭

文武廟

文武廟は日月潭の湖畔北部、宿泊したホテルのすぐ近くにあり、廟としては台湾で最大級のものといわれている。廟は1938年に建立され、1975年に再建された。廟は前殿、中殿、後殿の三殿様式になっており、前殿は開基元祖および文昌帝君を祀る。中殿武聖殿は関聖帝君および岳武穆王を祀る。後殿大成殿は至聖先師孔子を祀る。

大成殿には青銅の孔子坐像があり、台湾で唯一聖像を祀る孔子廟となっている。孔子のほかに孟子および子思という三尊神像があるが、これらはもともと中国大陸にあって、義和団事件の際に、日本の狭山不動寺に運ばれ、その複製が文武廟に奉じられたものである。

文廟の孔子像、武聖殿に登る階段脇のレリーフ、大成殿前の9頭の龍のレリーフを美しいと思った。



図18.文廟から見た文武廟の廟門、その向こうに日月潭が拡がる。


図19.文武廟の廟門を通り抜けると前殿が現れる。ここには開基元祖および文昌帝君を祀られている。


図20.前殿へ登る階段の両脇には2頭の赤い獅子の像がある。


図21.精巧かつ勇壮な三英戦呂布(三英雄が呂布と戦う)のレリーフは、武聖殿に登る階段脇にある。


図22.大成殿前にある、色鮮やかな、9頭の龍のレリーフ


図23.大成殿に祀られた魅力ある青銅の孔子像。台湾で唯一聖像を祀る孔子廟となっている。



台南

新高山

日月潭から台南へ向かう途中のバスの中から、左手に玉山が見えた。日本が台湾領有時には、新高山(にいたかやま)と呼ばれ、標高3,952mは日本一の高い山として知られた。真珠湾攻撃に使われた「ニイタカヤマノボレ1208」という暗号電文の「ニイタカヤマ」は、この山を指す。

台南市

台南市は台湾第4の都市で、台湾発祥の地であり、台湾で最も長い歴史がある。かつて、オランダの植民地であった時代に、首都であったのがこの台南で、その後200年以上、ここで政権が執り行われた。

赤嵌楼

オランダ植民地時代の1653年に、防衛用の陣地として建てられた城で、台南の中心部にある。 1661年に鄭成功がオランダを追い払った後は、首府として使われたが、1862年の地震で全壊し、今の建物は再建されたものである。

鄭成功は台湾独自の政権を打ち立てて台湾開発を促進する基礎を築いた。父 鄭芝竜と日本人の母 田川松との間に生まれ、7歳まで平戸で過ごした鄭成功は、今日では台湾人の開発始祖として尊敬されている。



図24.台湾全土の地形図  by Google Map


図25.赤嵌楼 中央の銅像は鄭成功。


図26.赤嵌楼 どこか洋風の雰囲気がある。


図27.赤嵌楼 この石碑の配置などは明らかに洋風である。


図28.赤嵌楼 この塀と丸い通用門の曲線と配色を美しいと思う。


高雄

高雄市

台湾第2の都市で、コンテナ取扱量が世界第6位の高雄港を持ち、台湾でのコンテナ全取扱量の3分の2を占めている。南に平野が広がり、郊外に市街地が続々と延びている。道路幅が広く、交通渋滞はあまり多くはない。その上、大工場や町工場も多数集まる台湾一の工業都市でもある。

台湾で2番目の地下鉄も開通し、台北と結ぶ台湾高速鉄道(新幹線)の始発駅でもある。ビルディングは新しいが、重厚感があり、調和がとれている。

台北のいたるところで見られたカビの汚れを、ここではほとんど目にすることがなかった。また、台北のアパートで100%近く見られた鉄格子入りの窓を、ここではほとんど見ることはなかった。ここは、美しい大都会、明るく、開放的な街で、すっかり気に入ってしまった。友人への土産には、ためらうことなく、高雄名産「カラスミ」を購入した。



図29.台湾全土の地形図。緑の線は交通網  by Google Map

六合二路夜市

高雄駅の南1km、駅から南に延びる中山路を西に入った「六合二路」という名の通りは、昼間は普通の大通りだが、夕方からは行き交う人でごった返すにぎやかなマーケットに変貌する。100以上の屋台のほとんどは「小吃」と呼ばれる飲食屋台で、海鮮、ステーキ、スナック、氷菓など種類もバラエティに富む。

小吃(シャオチー)とは、店や屋台で食べる中華の一品料理のこと。「小」は軽い、「吃」は食べるという意味から日本語に直訳すれば「軽食」になるが、中華文化圏では、麺類や、餃子・焼売・饅頭などの包子、肉料理、炒飯やどんぶり料理までを含む一品料理である。



図30.にぎやかな六合二路夜市


図31.夜市の飲食屋台

高雄港

世界でも有数の規模を持つコンテナ積み出し港。港湾の水域面積は 26.66ha で、埠頭の総延長は 18km である。古くから天然の良港として知られていたが、日本統治時代の築港工事で東洋一の港となった。現在は台湾の一大工業地帯となっている。

宿泊したホテルは高雄金典酒店で、高雄85大楼という超高層ビルの中にあり、この高雄港が眺望できた。高雄に着いて、まず驚嘆したのは、この壮大な高雄港であった。私は港町神戸で生まれ育ったが、神戸港とはスケールがまるで違う。ここへは、戦艦大和も入港したと、現地ガイドの説明があった。

高雄85大楼

1997年に完成した台湾第2位の超高層ビル。台北101ビルが完成するまでは、台湾で最も高い建物であった。地上378m、地上85階で、現在世界で12番目の高さである。



図32.高雄85大楼 by Wikipedia


図33.ホテル高雄金典酒店から眺めた高雄港 南東部


図34.ホテル高雄金典酒店から眺めた高雄港 南部


図35.ホテル高雄金典酒店から眺めた高雄港 南西部

忠烈祠

国のために命を落とした人々を祀る忠烈祠は、衛兵交代で有名な台北の忠烈祠の他にも、台湾各地にある。高雄の忠烈祠はもとは高雄神社であった。

忠烈祠の特徴は、まず豪華絢爛な宮殿様式であること。これは国に命をささげた人々への尊敬と、感謝の気持ちの表れだという。もう一つの特徴は、風光明媚な場所にあることだという。

高雄の忠烈祠は市内や海を見渡す山の上にあり、眺めは抜群。これは風水的な意味から、風通しが良く、見晴らしの良い場所が選ばれているのだという。忠烈祠からは、高雄市内や港が一望に見渡される。



図36.高雄85大楼が遠くに見える。ここからの高雄港や高雄市内の眺めは素晴らしい。


図37.現地ガイドが、椰子の実をつけた椰子の樹を教えてくれた。右はズームアップ像。


図38.忠烈祠の門を通り、ふりかえると、高雄港が見える。


図39.台北の、豪華絢爛壮大な忠烈祠と比べて、両側に廻廊を持つこちらの忠烈祠は優しく、こころが温まる。

龍虎塔

高雄市の北部、台湾高速鉄道(新幹線)の左営駅の近くに、蓮池潭という淡水湖がある。付近には寺廟が集まっており、湖畔には極彩色の拝殿や塔が並んでいる。

その一つに龍虎塔がある。龍の口が入口、虎の口が出口になった龍虎塔は、1976年に建てられ、塔内には龍塔の方に中国人が親孝行の模範と認める「二十四孝子」や悪人が地獄で受ける「閻魔大王審罰刑図」などの絵が、虎塔の方に「十二賢士」や天国の世界を描いた「十殿玉皇大帝三十六宮将図」などの絵が飾られている。



図40.龍虎塔


図41.龍虎塔の龍の口から中に入る。


図42.龍虎塔の虎の口から出る。

春秋閣・五里亭・啓明堂

龍虎塔より700mほど離れたところに、春秋閣がある。春閣、秋閣、同じ大きさのふたつの塔からなる春秋閣は、1951年、武聖関羽を祭って建てられた。

春閣と秋閣の間には、騎龍観音像が立てられた。騎龍観音像には、観音菩薩が雲の間から龍に乗って現れ、信者にその姿の像を現在の位置に立てるよう命じたという伝説がある。

春秋閣の奥の方にある長い橋を進んでいくと、1978年に建てられた3層建て中国式あずまやの「五里亭」がある。反り返るような屋根が特徴のこの建物もまた、色とりどりにあでやかである。

春秋閣の向かいには啓明堂という寺廟がある。主祀は太上老君(老子)と関聖帝君。他に、民族の英雄とされる、岳武穆王(岳飛)と延平郡王(鄭成功)も、合祀されている。

訪れた時に信者と思われる集団が合唱をしていたが、そのメロディーは「マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ」の安里屋ユンタによく似ている。琉球音階であるニロ抜き音階のようだ。台湾も琉球のすぐそばに位置するのだから、同じ音階であって不思議はない。



図43.右側の春閣と秋閣の間には、騎龍観音像が立ち、左側の橋を渡って湖中に進むと五里亭がある。


図44.五里亭に上ると、通ってきた橋の向こうに春秋閣と騎龍観音像が見え、その奧に啓明堂の寺廟が見える。


図45.中央が啓明堂と騎龍観音像、両脇は春秋閣


図46.中央が騎龍観音像、両脇は春秋閣


図47.湖畔から見た蓮池潭管理所。高雄北部のビル群の中にあって、堂々と存在感を発している。


新幹線

台湾高速鉄道(新幹線)は2007年1月5日に開業した。新幹線の駅は、1.台北駅、2.板橋駅、3.桃園駅、4.新竹駅、5.台中駅、6.嘉義駅、7.台南駅、8.左営駅の8駅。日本として新幹線の車両技術を輸出・現地導入した初めての事例である。分岐器はドイツ製、列車無線はフランス製、車輌などは日本製という、日欧混在システムとなっている。

台湾高速鉄道の旅から、昨年10月、新幹線で九州旅行をしたコースと非常に似ていることに気がついた。台湾と九州はほぼ同じ面積で、その西側を新幹線が縦断しているところが同じなのだ。



図48.台湾高速鉄道 高雄市・左営駅→台北市・桃園駅まで乗車


図49.高雄市・左営駅の外観


図50.高雄市・左営駅の構内


図51.台湾高速鉄道(新幹線)の車両


まとめ

1.ソウル、台北、香港を旅行したことがあるが、今回の台中、台南は、それらの都市と比べられないほど美しく、もっとも親日的で、明るく、楽天的であった。この旅行を経験できたことを幸せに思う。

2.日本が統治していた時代に、日本人は、スケールの大きな事業を台湾で行ったことを知った。それは、台湾のためというより日本のためだったのだろうが、結果的に非常に大きな財産を台湾に残した。

3.台湾人は、当時アジア最大の烏山頭ダムと16,000km におよぶ灌漑用水路を建設した日本人土木技師 八田與一氏をこよなく愛し、感謝と尊敬を持ち続けているという。

3.そのような大きな仕事を行うことができた人たちを羨ましく思う。

4.今回の旅行で、現地ガイドの呂さんの説明は情熱的で論理的、東京に留学されたことがあり、現在の日本の事情にも詳しく、非常に親日的でありがたかった。


<2012.5.9.>

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