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ソウルは活気があふれてた(改訂版)

 2000.5.3.〜5.5.


2000.05.16. 掲載
2009.09.01. 改訂
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改訂版の説明

2000年5月に医師会旅行でソウルに行った。この時の映像記録はすべてビデオで行い、そのまま放置してきた。今回9年ぶりにビデオから静止画像を取り出し、旅行記に載せた。文章には手を加えていないが、まったく画像がなかったものに、21枚の写真を加えたので、改訂版とした。

この韓国旅行を楽しまれた交野市医師会の初代会長小菓照三先生は、翌6月に突然逝去された。動画から取り出した画像の画質はあまり良くはないが、これによって、旅行を楽しんでおられたあの時の先生のご様子が、懐かしく思い出される。

文中敬称と敬語はできるだけ使わないようにしたことを、あらかじめお断りしておきます。



医師会会員親睦旅行

交野市医師会も他の医師会と同じように、一昨年から会員親睦旅行を行っている。今年も連休を選び、会員から参加者を募ったが、星田南病院の南Drが珍しく参加されるとのこと。それなら行く先はこの先生に決めてもらおうという意見も出たが、結局、参加は取り止めとなった。そして、何故か韓国に行くことに決まった。

メンバーを紹介すると、医師会長の尼子、前医師会長の小菓、星田南病院の新院長田中雅子、唯一ご夫婦で参加の寶田夫妻、幹事の宮宗、交野病院の栗本、それに野村の8名である。

パスポートとVISA

連休間近になってスケジュールが決まると、パスポートの期限切れが少し心配になり、調べてみたが2007年まで有効だった。ところが、世の中には大した御仁もいるもので、ぎりぎりになって旅券の期限切れに気づき、死に物狂いで230kmの道のりを、愛車に鞭打ち続け、何とかセーフにこぎつけた。しかし、その結果この車は悲鳴を上げ、途中もうもうと白煙を吹き出し、長期入院してしまったそうだ。

本人の名誉のため、この話は公開しないつもりだったが、なんとご本人が、交野市医師会のメーリングリスト「doc-katano」に、堂々と書き込んでおられる。すんでのところで、無駄な情けをかけるところであった! このサムライこそ、交野病院を代表する独身貴族、栗本修次先生その人である。

この時Dr栗本は尼子Drから「ビザも要るぞ!」とからかわれたようだが、さすがはベテラン、「VISAカードは持ってますよ」と受け流したらしい。

「はるか」に乗り遅れたらどうしよう

出発当日、尼子、宮宗Drと私は、河内磐船駅からJRに乗り、京橋で降りた。ところが、同じ電車に乗っているはずの小菓Drが見つからない。それを心配していた尼子Drも見えなくなった。と思ったら、大阪駅方面行きのエスカレータを上って行く後姿はまさしく尼子Dr。大声で呼び止め、急いで天王寺行きのホームに駆け上がったら、無情にも電車は出て行った。そして、プラット・ホームには、件の小菓Drのほか、寶田Dr夫妻もお待ちだったのである。

ホームさえ間違えなければ、先の電車に乗れたのに!「はるか」に乗り損ねたらどうしよう! 天王寺駅に着くまで、Dr尼子は不安一杯のように見受けられた。

栗本Dr怒る

関空に到着すると、旅行会社の男が二人待っていて、いろいろの手続きを済ませてくれたが、その後、なぜか下の階へ誘導してくれる。こちらは出発までに時間がなく、いらいらしているというのに、連れて行かれたのは免税店だった。「今ここで注文しておくと、帰国した時に免税で持ち帰ることができる、チャンスは今しかない」と言うのである。それを聞いて、注文シートに記入したのは尼子Drだけ。腹を立てて飛び出して行った栗本Drの後を追って、他の者も出国ロビーへ駆け上った。

栗本Drが出国ロビーの免税店に足早に入り、タバコ1カートン購入した後、美味そうに吸っている姿を見て、あの異常な立腹の原因はここにあったことが分った。若い身空でニコチン中毒とは、カ・ワ・イ・ソ・ウ!

機内食が出た!

飛行機が大韓航空だと知った時、妻は猛烈に嫌がった。「韓国にはJALや全日空は行かへんの!」「墜落したらどうするの!」、それをなだめすかして出てきたのだが、2時間足らずの旅でまさか食事が出るとは思っていなかった。しかし、機内食は出たのである。それも、普通並みの幕の内弁当が...

家を出る前にしっかり食べては来ているが、この幕の内も食べてみると不味くない。だから、いつも通り、きれいに平らげてしまった。周りの同行者もみんな同じように見えたが、Dr栗本は、昼食のカルピを沢山食べられるようにと、機内食に手をつけなかったらしい。このもくろみが見事外れたことを、例の「doc-katano」への書き込みで知った次第。聡明な栗本Drといえども、中高年の先輩医者の習性を見抜くには、もう少し年齢と経験を重ねなければならないということだろう。

現地ガイドは新婚ホヤホヤ美人

金浦空港に到着すると、すらりとした愛くるしい美人が、「交野市医師会様」の小さなプラカードを手にして、にこやかに迎えてくれた。空は快晴、幸先良し! この現地ガイドさんが新婚ホヤホヤであることは間もなく分った。2泊3日の韓国旅行は、いつもこの人が案内してくれたが、言葉の端々に新婚の嬉しさがこぼれてくる。おのろけも出る。それが少しも嫌な感じを与えず、韓国の夫婦、家族、風習、そのほかたくさんのことを気持ちよく教えてくれるのだ。今回の韓国旅行の成功の一つの要因が、彼女にあったことを認めない者はいないだろう。

彼女の名前は朴珍淑、28歳の子年生まれ、ソウル出身、父は軍人、母は5歳の頃日本から戻って来た。二人の兄も軍人、ソウルの名門大学を卒業し官庁に勤めていたが、若い間に資産を蓄えて家を持とうと官庁を辞め、現在のガイドの仕事に転職したばかりという。新婚早々の夫は釜山出身の人、公務員で超堅物らしい。

流暢に日本語を話し、頭の回転も良く、知的で、微笑みを絶やさず、チャーミングな女性だった。しかし、韓国について私たちが低い評価をした時には、憤然と否定し訂正することも何回かあった。私はそれを面白く聞きながら、韓国の人たちが、祖国に強い誇りを抱いていることを感じた。


1.金浦空港で現地ガイドと一緒に(スキャナーで取り込み)

スモーカー、ノンスモーカーで部屋変え

宿泊先のホテル・ロッテに到着したところで、メンバー・チェンジがあった。シングルの田中、尼子、ツインの寶田夫妻は変わず、残りのツインの組合せが小菓・野村組、宮宗・栗本組から、小菓・栗本組、野村・宮宗組に変ったのだが、そのただ一つの理由は TABACO。結果的に、この組合せは正解だった。眠れない人は一人部屋で、吸いたい人は遠慮なく、いびきが強い人も安心して、ソウルの夜を過ごせたのである。

まずはホテル新羅の免税店へ

ホテル・ロッテの部屋に荷物を置いた後、カルピ定食を食べる前に免税店に行くことに衆議一決した時、既に正午をかなり過ぎていた。しかし、機内で食べた幕の内弁当で、誰もお腹は空いていない。栗本Drはその時、予定を狂わされて、内心怒り狂っていたのだとは知るよしもなかった。新羅ホテルの免税店の中を、ふてくされたように、のそのそと歩き、拗ねているのか?とからかわれていた本当の原因はこれだったのである。かわいそうに!

ホテル新羅(シーラ)は、日本のホテル・オークラ系の迎賓用ホテルで、マイケル・ジャクソンは、来韓すると必ずここに泊まり、特別メニューの食事をするのだと、ガイドさんが教えてくれた。ここにある新羅免税店の2階は、阪急デパートのインターナショナル・ブティックのような構えの有名ブランド店ばかり。妻から渡されたメモを手に、書いてある、Hermes、Cartier、Gucci、Chanel の4店だけを見て歩き、2点を購入した。服飾品の買い物は嫌いで、一人でこのような買い物をしたのは生まれて初めてである。

1階に降りると、そこは韓国物産店になっている。ガイドさんは、この店の海苔が一番美味しいと教えてくれたので、お土産用に10個買ったら、1個おまけが付いた。ガイドさんを信じて、この海苔を買ったのは私だけ。かさだけ、ばかでかくなった土産物をバスに持ち込むと、好奇の目が光っていたような気がする。この海苔は、そのほかは空港の免税店にしか置いていなくて、出発直前に追加分をここで購入した。

カルピと水キムチ

買い物を済ませたら、いよいよ期待のカルピの昼食である。日本で食べる焼肉と違って、たれを付けずに焼き、肋骨と肉を鋏で切り離してくれる。それをキムチなどと一緒に、チシャの葉(パオ)に包んで食べるのだが、あっさりしているので、いくらでも食べられる。向かいは寶田Drだが、食べる速さは私とほぼ同じなので、みるみる他の組と差がついて行った。辛さはそれほどきつくはない。水キムチというものも初めて食べたが、これも淡白な塩味で美味かった。韓国のお嬢さん二人が向かいの席で食べていたので、日本人専用の店ではなさそうだが、辛さとニンニクの量は予想以下だった。

コピー専門店

食事が終わって次に案内してくれたのが、コピー商品専門店だったのには驚いた。外観は目立たない普通の家のようで、入り口も貧相、表に見張り番の怪しげな男が立っている。階段を昇って部屋に入ると、一転して明るい照明のもと、そこにはおびただしい数量の有名ブランドのコピー品が展示されていた。コピー品といえども精巧にできていて、本物との違いは分らないのではないかと思うが、結局誰も買わなかったようだ。シンガポールなどでは、場末の小さな店で、こそこそとコピー商品を売っているが、ここのように大規模な店で売っていると安心感があるとは旅慣れた宮宗先生の言。

ホテル・ロッテで作戦会議

ホテル・ロッテに戻ってからの一番の相談ごとは、夕食をどうするかであった。と言うのは、韓国旅行のスケジュールに組み込まれた夕食を、出発の直前にキャンセルしてしまっていたからである。尼子Drが「古典舞踊鑑賞付きの韓定食が、一人あたり6000円では、ろくなものしか食べられない」と言われるのを聞いて「せっかく、何も見るものもない韓国に行くのだから、高くなっても良い、美味しいものを食べたい!」と私が漏らしたの原因らしい。

さて、ホテル・ロッテに話を戻すと、韓国通の尼子、栗本Drの二人が「韓定食はテーブル一杯に料理が並べられ、不味いものばかりで、食べられたものではない」と暗にこれを止めるように言う。私は「不味いかも知れないけれど、食べてみないことには納得できない、このホテルで一番上等の韓定食を食べよう!」と反論した。これには小菓Drも同調。それを聞いていたガイドさんが「私にまかせて下さい、明日の夕食には、普通の観光コースに入っていない美味しい韓定食のお店を紹介します」と言ってくれてこの件は解決。

食事の他にも、小菓Drはスケジュールに入っていた「古典舞踊鑑賞」のなくなったことが不満そうだった。そこで「今夜はシェラトンホテルで行われる民族公演とマジック・ショーを見ながら夕食にしてはいかがですか」というガイドさんのアドバイスを喜んで受け入れた。一国一城の主たちの集団は、ことほどさように一筋縄ではいかないのである。尼子、宮宗Dr、ややこしいことを言って、ごめんなさい!


2.ホテル・ロッテのロビーで小菓、尼子Dr


3.ホテル・ロッテのロビーで小菓Drとカニポーズの野村

シェラトン・ウォーカーヒル・ホテルでカジノとショー ここは朝鮮戦争の頃、戦場で疲れた米兵の心身を癒すために作られた米軍の施設が元になってできたホテルで、韓国一のカジノがある。ここにある免税店を覗いてから、カジノに入ろうとしたら、呼び止められ、ビデオカメラを預けさせられた。何となく印象が悪い!Dr栗本がルーレットを始め、宮宗Drはスロット・マシーンの方に向かったが、私は性に合わないので、賭博場の中を一巡しただけで早々に出てしまった。

ホテルの外に出ると、眼下に見下ろす広大な漢江の流れが美しく、また、この場所がソウルの東のはずれにあるにもかかわらず、対岸には高層建築が建ち並び、韓国が想像をはるかに越えた巨大な近代都市に変わりつつあることを知った。


4.漢江の向こうに巨大な近代都市が見える

ショーは韓国のウォーカーヒル民族公演團による音楽と踊りから始まった。それは、今まで時おり見たり聞いて知っている韓国の音楽や踊りと全く異質な感じで、明るくバイタリティーに満ち溢れ、圧倒されてすぐに引き込まれてしまった。栗本Drは、このショーにはストーリーがある、それを知っている方が良く鑑賞できると言って、途中から熱心にパンフレットを読んでいた。


5.ウォーカーヒル民族公演團による音楽と踊り

そのDr栗本の「doc-katano」への韓国旅行のレポートにあるように、私と小菓Drがここでビデオ撮影をしようとして注意を受け、撮影を続けられなかったのは残念だった。しかし「連行されなくて良かった」というコメントはちょっとオーバーだと思う。

その後行われたラスベガス・マジック・エクスプレスというショーは、いかにもアメリカといった、超グラマーなダンサーの踊りとマジック・ショーで、これも面白かった。正直言って、私はマジックよりも、ダンスを楽しんでいたような気がする。後で、Dr栗本は田中雅子Drから、「これで、もやもやは発散できたでしょう?」とからかわれていたようだ。

LAWSONでショッピング

観劇を終えて、ホテルに戻る前にLAWSONに立ち寄った。韓国のホテルには、歯ブラシや歯磨き、使い捨て安全かみそりは置いていないし、部屋の冷蔵庫のミネラル・ウォーターやビールはかなり割高なので、コンビニで買うようにとガイドさんが案内してくれた。このコンビニは、ホテル・ロッテの裏通りにあり、10ウオンが1円なので計算は超簡単で助かる。至れり尽せりのガイドさんである。

ホテル・ロッテのバー

ホテル・ロッテに戻ると、そのまま地下1階にある英国風のバー・ウインザーでスコッチを飲んで駄弁りこんだ。ここはリーガ・ロイヤルのセラ・バーに似た感じ、生演奏の歌もうまい。翌日ガイドさんから聞いたところでは、このバーは韓国のエリート・サラリーマンが行くところで、自分も結婚する前に夫と一度行ったことがあると言っていた。

この時のメンバーは小菓、尼子、宮宗、栗本、私の5名。12時を過ぎた頃、ここを出る直前に、Dr尼子がレンドルミンを2錠、皆の目の前で服用したのには驚いた。翌日、それでも1時間くらいぐっすり寝られただけだったと聞いて、呆れるばかり。信じられない! 本当に、人さまざまである。

「部屋に戻って風呂に入る」というと「酒を飲んで風呂に入るな!」と小菓、尼子両先輩に忠告された。「いや、入る」と頑張ると、同室の宮宗Drに「風呂の中で死んでるかも分らんから、野村が出てくるまでは眠らんように!」とご親切に頼んでくれた。ありがたいことだ!

NHKニュースでカー・ジャックを知る

部屋に戻ってTVをつけると、NHKから、カー・ジャックのニュースが飛び込んできた! 何ということかと思いながら見続けても、同じ情報のくり返しばかり。そこで年長の特権を行使して、先にバスを使わせてもらった。出てきた時には宮宗Drは半眠り、シャワーを浴びると言っていたが、すぐにいびきに変わった。私もまた、カージャックのニュースが何時まで待っても進展しないので、そのまま寝てしまった。

翌朝、6時45分に「太陽に吠えろ」のメロディーが鳴り響いた。これはDr宮宗が携帯電話にセットした目覚ましコールだった。楽しいDrである。彼は夜中にシャワーを浴びることもせず、朝まで熟睡したとのこと。ニコチン中毒の小菓、栗本組もバタン・キュー熟睡のパターンのようで、こうなると尼子Drの不眠が際立ってくる。

NHKテレビは、明け方に犯人の17才の少年が逮捕され、乗客が一人殺されたことなどを報じていた。それを知って、何とも言えない嫌な気持になり、暫く憂鬱が離れなかった。韓国で私たちがリアルタイムにNHKテレビを見ているはずがないと思って「連休を海外でお過ごしの方々は、帰りの機内で、日本の新聞を奪い合うようにして、この大見出しの記事を読みはったことでしょう」という日本人の書き込みを帰国して読んだ。

そんなことはないのだ! 韓国は進んでいるのだぞ! 韓国をあなどってはいけない!

景福宮と国立民俗博物館

2日目の朝は景福宮と国立民俗博物館の見学から始まった。景福宮は李朝時代に建てられ、ソウルで一番古くて大きい宮殿だという。この宮殿にもオンドルが付けられていたのが興味深かった。建物では水の上に浮んだ大宴会場の建物「慶会楼」の48本の石柱を美しいと思った。シンプルにして豪華、背景にある山は日本では見ることのない禿山で、これもまた風情があった。この山の麓に大統領官邸(青瓦台)が遠く眺められる。


6.景福宮にある、水の上に浮んだ大宴会場の建物「慶会楼」


7.「康寧殿」


8.「康寧殿」の屋根の飾り


9.景福宮を鑑賞する宮宗、尼子Dr、ビデオに納める小菓Dr

景福宮の敷地内に国立民俗博物館があり、ここで韓民族の歴史、生活、文化、風習などを見学した。十二支の説明のところで尼子Drは、ガイドさんの干支が子年であることを聞き出し、そこから28歳を割り出したのである。まさか16歳ではあるまい。


10.干支が子の像とその解説


11.子の干支の解説文

この宮殿の敷地の中で、何組かのカップルが、タキシードとウェディング・ドレスに身を包み、記念撮影している光景を目にした。ガイドさんの説明では、これは結婚前の記念撮影で、韓国ではごく一般的に行われている風習のようだが、ちょっと驚いた。

この宮殿が秀吉の出兵の際に全焼したほか、日韓併合時代には宮殿のほとんどが取り壊されて、宮殿の南側には朝鮮総督府の庁舎が建てられ、景福宮の素晴らしい景観が台無しになったという歴史を帰国して知った。日本人として何か申し訳ないような複雑な気持だ。

大統領官邸(青瓦台)のそばを通る

観光を終えて、予定の石焼ビビンパ昼食の場所へ行くのに、大統領官邸(青瓦台)のそばの道を走った。この付近は以前は立ち入り禁止であったが、韓国の民主化の一環として自由に行くことができるようになったという。写真撮影をするとカメラは没収されると聞かされたので、この時ばかりはビデオカメラが見つからないようにしっかり隠しておいた。車のスピードは時速20kmぐらいに制限され、夜間は点灯しないで走行しなければならないらしい。その割には検問は簡単だった。韓国に来てみると、街のいたるところで、少年のような兵士を見かけ、この国が臨戦体制にあることを実感した。

石焼ビビンパと日本人

青瓦台のそばを通り抜けて、昼食の店に入ると、沢山の団体客が食事をしていた。その顔かたち、服装などから、この人たちはてっきり韓国の人だと思った。尼子Drにそのことを告げると、即座に「違う、あれは広島の人間や、ことばで分る」と否定された。そう言われてみると、日本人のようでもある。

石焼ビビンパが運ばれてくる前に、アサリの味噌汁風スープが運ばれてきた。私はアサリの味噌汁が好物なので、直にうまいうまいと飲み干してしまった。しばらくして「石焼きビビンパ」が運ばれてきた。これは真っ黒な石でできたどんぶりを熱く焼いて、その中にご飯、その上にかやくが載せてある。これを目の当たりにしてビックリ仰天。どんぶりが焼けているので、ジュージュー、バリバリと音がして、香ばしいにおいがするのだ。

このどんぶりに、さきほど飲み干したアサリの味噌汁様スープを注いで混ぜるらしい。しかし、私にはスープは残っていない! 隣の尼子Drが「あのスープは、これにかけるためのもんや、あんたが先に飲んでしまうから悪いんや」と冷たく言い放つ。「そんなこと知らんかった。そやったら、教えてくれたらええのに」と私はつぶやく。仕方なく、スープなしで、ジュージュー音を立てながら、かき混ぜているところへ、お代わりのスープがたっぷり届いた。

「ああ良かった!」と、このスープを注ぐと「もう一杯いれても良いぞ」とDr尼子が教えてくれる。ちょっとためらいはあったが、気が付いたらもう一杯加えていた。すると、まるで水気たっぷりの雑炊に変わってしまったのである。もちろんこれでも不味くはなかった。しかし、軽く一杯にしておけば、もっと美味しかったのではないかという疑問が残る。いや、むしろスープなどは全く加えなかった方が美味かったのではないかという気がしてならない!

Dr小菓 南大門市場で鹿皮のジャンパーを値切り購入

食事を済ませたら、次は韓国一活気のある南大門市場の見学。ここは、昔の三宮の闇市を何倍も大規模にしたようなバイタリティー溢れる猥雑な市場である。午前2時から3時頃が一番賑わっているというのだから呆れてしまう。豚の頭を並べて売っているのに一番驚いたが、これをグロテスクではなく、ユーモラスに感じるのはどうしてだろう?

皮ジャン類を軒先のてっぺんまで吊るしている店に、ガイドさんや、現地カメラマンと一緒に小菓Drは入って行った。他の者は外で待っているのだが、中々出てこない。様子を見るため店のなかへ入ってみると、この店の主と値段交渉の真最中だった。値段は8万5千円から始まって、何回かのやりとりの後、6万5千円までになった。交渉は電卓の数字だけで行われ、声には出さない。他の客に値段を聞かれないためだろう。

結局、この6万5千円で手を打つことになった。その時Dr小菓が出したのは何と6万円だけ。店の主は首を横に振るが、周りの者は小菓Drを応援する。かくしてDr小菓は、この化け物のようにジャイアント・マーケットで、値切りに値切って、黒い鹿皮のジャンパーを購入したのである。余程この鹿皮ジャンパーが気に入ったのか、同室の栗本Drに、ファッション・ショーまでして見せたらしい。ついでに書き加えておくと、韓国で自分の服飾品を購入したのは、小菓Drだけだったのではなかろうか? 高価な靴、高価なネクタイを購入しているところも目撃されている。


12.南大門市場


13.小菓Drが鹿皮のジャンパーを買った店の入口

自由時間は「垢すり」、免税店、Eメールで 南大門市場の見学から、夜の食事までの間は、この旅行唯一の自由時間。韓国では「垢すり」というエステサロンが有名だそうで、この国の人は月に何回か、ここで皮膚をツルツル、ピカピカにするのだそうだ。ガイドさんが、これに行きたい人を募ったところ、小菓、尼子Dr、寶田夫人が手を上げたが、結局小菓Drと寶田夫人だけが、ガイドさんの案内で「垢すり」を体験した。聞くところでは、非常に気持が良くて、肌もきれいになった由、心なしかお二人ともお顔が光り輝いていたようである。

私はまず、ロッテ免税店に立ち寄った。ロッテ・デパートの10階全部が免税店になっていて、韓国では一番規模が大きい。ここで、妻から渡されていたメモを手に、1点だけ購入してショッピングを終了、あとは周辺を散策した。このあたりはソウル一番の繁華街らしく、大都会であることを実感する。


14.ロッテ免税店にて


15.美人の現地ガイド


16.ソウルにはこのような高層ビルが林立している

同室の宮宗Drはホテル・ロッテのビジネス・ルームで、Windowsマシーンを使ってE-Mailを試みていた。韓国のパソコンにもMSIMEは標準装備されていて、日本語変換は全く同じだったようだ。

独身先生は単独行動

この日の朝から、彼の独身貴族Dr栗本は、単独行動をとると宣言した。歴史的な遺産の観光などは嫌いだ、独りでソウルを探検してみる、ついでに散髪もしてくると言うのである。前の日が免税店などのショッピング続きで、彼がつまらなさそうにしていたのを知っているため、誰も引きとめはしなかった。

あとで尋ねてみると、散髪は言葉が通じそうにないので止め、ひたすら周辺を歩き回っていたと言う。彼がいないと、ツアーは極端に静かになり、笑いが減るのを誰もが感じたようだ。医師会旅行には欠かせない人物である。

高級韓定食

韓国旅行最後の晩餐は、ガイドさん推薦の高級料亭での韓定食である。ここは一般観光コースに入っていない、高級官僚などが利用する料亭だと聞かされていたので、大いに期待して行ったが、間違っていなかった。建物は有形文化財に指定されている本格的な李朝時代の雰囲気の離れと、本館があり、私たちは本館の10人用くらいの部屋で座って宮廷料理を楽しんだ。


17.料亭「石坡廊」の離れ


18.料亭「石坡廊」の本館

ここで食べた伝統宮廷料理は上品で、彩りも鮮やか、味もあっさりしていて、いくらでも美味しく食べられる。辛さの点は、ここも予想していたほどの激辛の料理はなく、韮キムチだけが少し辛かった程度だった。私の向かいの寶田、宮宗Drなども、平気でどんどん食事を進めていたが、尼子、栗本Drは「辛い!」と口を大きく開け、竜が火を吹く様な顔になっていたのを思い出す。

この二人に、韓定食の不味さをさんざん聞かされていただけに、韓定食にもピンからキリまであることが良く分った。とにかく、旅行のフィナーレにまことふさわしい晩餐となり、皆ご機嫌だった。


19.美味で上品な伝統宮廷料理(スキャナーで取り込み)

料亭の名は「石坡廊」、住所は鍾路区弘智洞125(景福宮からタクシーで10分位)、電話は02-395-2500である。

韓国舞踏

食事が終わって、民俗舞踊の鑑賞に向かった。最初に旅行社からもらったスケジュールでは、この踊りを鑑賞する前に同じ場所で韓定食を食べることになっていたが、両方あわせて6000円では、不味いものに違いないと言うことで、キャンセルしたことをはじめに書いた。そのお陰で「石坡廊」の美味しい宮廷料理を食べることができたのである。ラッキーだった。

韓国民俗舞踊の鑑賞は、小菓Drの希望で復活したもので、こちらはシェラトン・ウォーカーヒルで鑑賞した現代風の民俗舞踊と違って、古典的な感じのためか、かなりの人が子守歌にしていたようである。独り小菓Drのみ、ビデオ撮影を続けていた。


20.韓国民俗舞踊を鑑賞した演舞場


21.韓国民俗舞踊の鑑賞を終えて、ホテル・ロッテのロビーに戻る小菓Dr

深夜のソウル

ホテルに戻ると栗本Drから、街に出てラーメンを食べようとのお誘いがかかった。昼間しっかり探検しておいたから案内するというのである。宮宗Drと3人で夜のソウルの街に出かけてはみたが、多くの店は閉店しているし「目に入れても痛くない可愛いい女の子がいるよ」などと、ポン引きに声をかけられると、気持が悪くなって、結局ホテルに戻り、前の晩と同じバーで飲むことになった。

帰国前にキムチ専門店へ

空港に向かう途中でキムチ専門店に案内された。ガイドさんから、キムチは時間が経つと匂いが漏れてくるので、旅の最後に買うようにとアドバイスを受けていたが、正解だったようである。ここでキムチを買う人はかなりいたが、私は日本のキムチの方が辛くて美味しいので買う気はなく、尼子Drは一番最初のホテル新羅の免税店でキムチを既に買ってあったので、二人で店内をブラブラしていた。

それを見ていた店員が「この高麗人参のエキスを飲めば、若かった頃の元気が戻るよ」と盛んに購入を勧めてくるのだ。「馬鹿にすな、まだまだ若いんや、そんなもん要るか!」と思ったが、客観的に見れば、しょぼくれたお爺ちゃん二人なのだろうと顔を見合わせ、苦笑い。

美人ガイドとの別れ

金浦空港に向かうバスの中でガイドさんが、結婚披露のために作ったテレフォン・カードを私たち全員にプレゼンとしてくれた。カードには韓国の民族衣装で盛装した二人の結婚写真が印刷されている。まだ誰にも配っていない、そして、200部しか作っていない品だが、私たちへの感謝の気持を伝えるために、これをプレゼンとしようと昨夜決めたのだと言う。

私たちは感動してこれを受け取った。今度の韓国旅行が、予想を遥かに越えた素晴らしいものとなった最大の功績が彼女にあったことを、誰もが認めるだろう。私たちは素直に彼女に感謝し、それを言葉で、また態度で表してきた。そして、それに彼女が応えて良循環が成立したような気がする。

かくして、交野市医師会の韓国弥次喜多道中は、皆に快い印象を残して無事終了した。

(2000.5.16.) (2009.9.1.)改訂版



韓国旅行記の補足と修正

上記の韓国旅行記を読まれた方が、コメントをメールで送って下さったので、この旅行記の正確性を高めんがため、その方の許可を得て、その一部をここに転載する。

本日(2000年5月22日)Eメールが届いた。差出人は、高校時代の友人 MM君である。彼は大学卒業後、安宅産業に入社したが、ご存知の通りの崩壊に遭遇し、山一証券に転職(ここも定年退職後に崩壊)潰れる大会社を2つも経験した類稀なる人物である。ソウルには山一時代に89年から94年までの5年間駐在した。

1.ビザとVisaカード

「ビザが必要だ」と脅かされた先生が、「Visaカードは持ってるよ」と受け流したオハナシは面白かった。

2.コピー商品

コピー商品のハナシは懐かしいです。私の息子がソウルへ遊びにきたときに購入した時計は、直ぐに故障したのですが、何と針が逆周りしはじめ、一日に二度だけ正しい時刻を表示するという、珍しい作品でした。また、売り子に「こんなオメガ時計は見たことないぞ」と言ったら、「本物は遅れています。コピー商品のほうが先に売り出されるのです」という答えが返ってきたこともありました。

3.韓定食

テーブル一杯に皿が並ぶ韓国式定食で思い出しました。韓国では、家庭に招かれて食事をよばれるときに、日本なら「こんなに沢山出して戴いては食べきれません」とでも言うのでしょうが、韓国では、食卓の脚を眺めながら、「テーブルは大丈夫でしょうか、重さで壊れないでしょうか」という言いまわしがあるそうです。

4.石焼ビビンパとあさりスープ

私たちもよく石焼ビビンパを食べました。鉢がいつまでも暖かいので最後まで食事が冷めず、美味しく戴けます。野村先生がスープを先に飲んでしまったということですが、私たちの経験では、石焼ビビンパにスープをぶっかけるというのは初耳です。せいぜい、最後に鉢にくっついたオコゲを、スープを流し込むことによって綺麗に平らげるということなら分りますが、それ以外はちょっと未体験のことです。

韓国では、キムチやスープは食事につき物というか、それらは別の値段を取るものではないという認識があります。実際、韓国人が日本で焼き肉ハウスでとまどうのは、キムチなどを別料金で払わされることのようです。そんなことですから、新羅ホテルの和食「有明」で食事をする韓国人は、味噌汁を何度もお代りしていました。

5.アカスリ

私も一度だけ、ロッテホテルの14階にあるサウナでアカスリを体験しました。最初に先ずからだに湯をかける。それから石鹸を使わずにこすり始めます。それだけで随分アカがでます。それを湯で流して、それから石鹸を使って、まるでリンスするように簡単に洗ってくれました。アカスリは、石鹸をつけると滑ってしまうので、基本的には石鹸を使わないのでしょう。

尚、アカスリを一度でもやると、1−2週間のうちにもう一度やらないとむずがゆくなってしまうそうです。つまり、身体全体がそういうことに慣れてしまうのです。ですから、韓国へ来たからといって、そういうアカスリをやるのは帰国後にストレスを起こすかも知れず、体験されなかったのは正解であろうと思います。

6.石坡廊

石坡廊という韓式定食のお店は知りませんでした。住所、電話番号をメモさせて戴きました。

以上が韓国駐在5年の経験のある友人のコメントであり、知らなかったことを多く教えていただいた。しかし、何故私が、このメールをもらうと直ちに転載の許可を求め、それが得られるや否やここに掲載したのか、聡明なる諸兄姉は察知されたことであろう。ご賢察通り、例の石焼ビビンパと日本人のところで、アサリの味噌汁を2杯も注ぎ、雑炊を作るように仕向けた尼子医師会長への怨念を、ここで存分に晴らしたかったのである。あの時の私の直感は間違っていなかったのだ! 残念なことをした、ああ!


<2000.5.16.>
<2009.9.1.>写真を加えた改訂版

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