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パソコン物語

第3章 難問続出、メールは花盛り

1996.12.30. 掲載
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我がパソコン音痴中高年医師たちが、パソコン購入1ヶ月以内で全員インターネットに接続し、2ヶ月目に入ると大部分の者がEメールを発信するようになったことは前章に書いた通りである。このまま進めば順風満帆、言うことはない。しかし、パソコンもインターネットもそんなに甘いものではなかった。

名誉毀損の訴えは取り下げる

10月28日にパソコン物語の第2章をホームページに登録し、同時に物語に登場する医師たちのプロフィールも加えたが、翌29日尼子からメールが届いた『...診察を終わって一寸パートー2を見ようとして居たら、女房におかずが冷たくなると怒られ、飯も早々にゆっくりと30分もかけて読ませていただきました。よくもこれだけ書けましたな。今回は名誉棄損は取り下げることにします...』 どうやら第2章で尼子は名誉挽回ができたようだが、どの部分でそうなったのか良く分からない。しかし訴えられないということはありがたいことである。

交野市民からメールが届いた

10月31日の朝、交野市星田にお住まいのS.A.様からメールが届いた。『...本日、市広報に掲載されておりましたホームページを拝見させていただきました。わが家には、1歳と4歳の娘がおりまして、市内のお医者さんには、あちこち(特に夜間と休日)お世話になっておりますので、どんなホームページかと思い、拝見させていただいた次第です。

すると、たいへん盛りだくさんの内容で、医師会のみなさんのご尽力がよくわかりました。わたしもインターネットは最近なので、よくわかりませんが、星の数ほどあるホームページのなかで交野市の方が開いているものは、先生方のものと岩船神社のものしか知りません。何かワクワクします。診療などでお忙しいと存じますが今後も楽しいホームページを作っていってください。』

広報に載せてもらった効果が早速出た。市民からメールのメールだ! バンザーイ! 喜び勇んで早速会員の何人かにこのメールを転送した。

明石へのメール

そのうちの一人、明石への転送メールに添付した文面を紹介する。『メール魔さん、ホームページ改訂版をもうお読みいただいたようで、ありがとうございます。尼子、松吉、福森、交野市民、その次がメール魔さんの順で、読んだとの報告をいただきました。メール魔さんよりも、もっともっと送りつけてくれる人が一人います。お分かりでしょう、尼子メール大魔王です。もう20回近く(数えてみたら17回)届いています。...』 この<メール魔>というのは明石が付けたハンドルネームである。

第4回例会の報告

11月2日第4回例会出席:池田、尼子、野村、福森、明石、三宅、寺嶋幸、寺嶋秀、寳田、山添の10名

この日の予定はプリンターのセットアップの実際のデモである。しかし、尼子を除いて全員がメールのQ&Aや実際のテクニックを希望したので、急きょこれに変更した。尼子は普段は融通の利く柔軟な頭を示すのだが、この時ばかりは頑強に予定実行を主張した。それでも如何せん多勢に無勢、押し切られてしまってご立腹である。

実際に行ったのはメールの設定が中心で、1)不明メールの処理法、2)メール送信の基本、3)送信配信の違い、4)アドレス帳への登録の仕方、5)アドレス帳の利用法、6)配信バーの設定などを実習し、そのほかには、全角半角漢字変換と確定の使い分け、ショートカットの作り方、カット&ペーストの実際などを勉強した。また例会に間に合わせて作った<パソコン同好会会員名簿>を出席者に配布した。

人為的故障のはじまり

10月末に医師会事務所のパソコンがインターネットに接続できなくなったとのクレームがあり、出かけてみるとかなり触った形跡がある。予防注射などでこちらに出てきて医師会事務所に立ち寄った会員連中がいじくりまわすらしい。その首謀者は噂によるとかの<メール魔>明石のようだ。野村は「しようがないな」とぼやいて修理をしながら、内心喜んでいる。皆がパソコンを怖がらなくなり、まるで少年のようにこれに戯れているのが愉快なのである。

代診医の診たて違い

例会の後で明石から、三宅のメールがうまく行かないので往診をしてやってくれと依頼された。よく聞いてみると、先日明石が代診で往診して手当てをしたが、それ以来メールだけでなくインターネットまで接続できなくなったという。ここは大先生の出番だと野村は代診明石を従えて三宅医院に往診した。これで往診9回目。

診察してみるが、なかなか簡単ではない。そこでいそがば回れと、最初から全部設定をし直してみるのだが、2時間近く経過しているのにうまく行かない。大先生の額に脂汗、腹の虫は鳴き騒ぐ。しかし代診医明石は悠然としており「こういうことをしていると楽しいね」とのたまう。おまけに、勝手知ったる三宅のうち、とばかり「冷蔵庫に飲み物があるやろ、つまむものもあるはずや」と言い出す始末。それらを口にした野村は「下手な考え休むに似たり」今日はこれで中止しよう、と成果なく引き上げた。

帰宅した野村は夕食もそこそこに、自分のパソコンでもう一度確認をしてみると、1個所見落としがあったことに気付き、三宅に電話をしてその部分の修正を依頼した。暫くしてやはり駄目だとの電話に万事休す。しかし、念のために尋ねてみると<:>を<..>と入力しているようだ。それを知った瞬間、野村は車のキーを持って飛び出していた。三宅医院に着くと三宅が外に出て待ち構えていて「全部うまくいった」とニコニコ顔。よかった! これで往診10回目、しかも深夜の同日再診である。

帰宅して明石にメールで報告をした『...この問題の原因となったのは、代診先生が触った部分の機能障害であると診断して間違いないと思われます(^_^)。自分のエクスプローラーのプロパティーでは、代理サーバーが http://proxy.asahi-net.or.jp:8080となっています。ここは、最初 asahi.or.jp になっていて、asahi-net.or.jp に変え、更にpro.asahi-net.or.jp に変えましたね。ここが間違いだったのです。...これでまた一つ賢くなれました。...今日も話のネタが沢山収穫できて、編集子はいたってご満悦です。では、では』

これに対する明石の返事は『三宅Drへの度重なる往診は、小生の往診の見立て違いも一因と知り、とても申し訳ありません。でも、...パソコン物語のネタ作りに協力したと思ってください...』

どうぞご安心して、ワインをお飲みください

1件落着を祝うかのように寺嶋幸江から吉報が届いた。『E-mail成功、二カ所に、間違いがありました。最初のインタ−ネットセットアップウイザ−ドの設定時に、E−mail addressをいれていませんでした。Exchangeの設定時、自分のmail addressの代わりに、先生の所のaddressが入っていたわけです。おさわがせいたしました。どうぞご安心して、ワインをお飲みください。』

このワインとは、インターネットでワインを購入した話を<パソコン物語>に紹介したお礼として、例会の席で寺嶋幸より野村がもらったワインのことである。それを目撃した会員連中にその場で開けることを迫られ、ワインオープナーが無かったために略奪を免れた代物である。後日フルーティーなこのフランスワインを心地よく賞味させてもらったが、もちろんワイロ性は0%である。

交野市民からメールが届いた、これで2人目

11月3日には、交野市郡津にお住まいの、G.I.様からメールが届いた。『2日前に待ちに待ったIDナンバーが届き、念願のインターネットが正式にできるようになりました。...私のパソコンを例えますと、女子マラソンのアトランタオリンピック選考会の阿部友恵選手のようです。スタート直後で転倒し、「こんなはずでは・・・」と思いながら走ってはいるのですが、先頭集団とは離れるばっかりで体が動かない そんな心境です。...宛て先のスペルを間違えて届いていなかったり、ひらがな入力がうまくいかなかったり、七転び七起き状態です。またすぐに転んでしまいそうです....交野医師会の先生方のパソコンへの悪戦苦闘ぶりを楽しく読ませて頂いております。』

パソコン通信から来たインターネットメールの特徴

この交野市民からのメールは送信者IDが ID@j.asahi−net.or.jp とj.が付いているので、気になって調べてみると、アサヒネットのパソコン通信から送信されたインターネットメールには全てこのj.が付くことを発見した。返信についても、パソコン通信からは<Re:>、インターネットからは<RE:>となっていることも分かった。どうでも良いようなことだが、画像などをメールに添付して送信する場合には、パソコン通信で受信している場合に取り出せない可能性があり、知っていて損のない知識ではある。

近隣病院のドクターからもEメール

11月3日には交野市民に続いて、隣接する枚方市にある星カ丘厚生年金病院皮膚科の加藤晴久先生からもメールが届いた。『交野市医師会のホームページを拝見しました。...当科には交野市から来られる患者さんも多く、開業の先生方から紹介されてくる方もおられます。面識はなくともパソコン同好会の先生方の名前にはなじみがあります。A会員の半数がインターネットに接続され、電子メールのやり取りもされていることは素晴らしいことだと思います。しかし、いずれこれが当たり前の時代になりそうです。...ホームページを開設されて1か月余りのようですが、反響はいかがでしょうか? 身内の医師会会員からではなく、一般の方の反応はどんなものか興味があります。...』

突然WWWもE−Mailも不能になった

11月4日は振り替え休日である。この日、野村のマシーンは突然インターネットのWWW接続もE−Mailも受け付けてくれなくなった。これらの何処もいじっていないので、サーバーの故障によるものではないかと推測してサーバーに電話をするのだが、何回掛けても留守番電話である。頭に来た野村はパソコン通信のASAHIネットの事務局にメールで抗議をした。オンラインで書いたので記録は残っていないが、かなりカッカした状態だったので、過激な内容であったと思う。それに対する返事がまことに丁重で、理に適っており、野村はこの担当者にすっかり惚れ込んでしまった。以下はASAHIネット滝口 彰様からのメールの概略である。

メール1『標記の件の症状はネームサーバが正しく引けない場合に起きるものと考えられます。しかし、現在までのところ、ネームサーバ自身は正常に動作しています。そこで、野村様の症状は、野村様のパソコンの問題か、あるいは野村さんがご利用になっているアクセスポイントからネームサーバまでの問題か、どちらかということになります。問題がおきたときにご利用になっていたアクセスポイントはどちらでしょうか。お知らせいただければ幸いです。ご不便をおかけして申し訳ございませんが、問題識別のためにご協力くださいますようお願い申し上げます。』

メール2『枚方からWin95で入ってみましたが、特に問題を発見できませんでした。ネームサーバの設定に関係する可能性がありますので、お手元のパソコンの<ダイヤルアップ ネットワーク>の中のご利用中の接続アイコンを右クリックして、<プロパティ』を見て下さい。<サーバの種類>をクリックしたあと、<TCP/IP設定>をクリックしてダイヤログを表示させます。

ここでは<サーバが割り当てたIPアドレス><サーバが割り当てたネームサーバアドレス><IPヘッダ圧縮を使用><リモートネットワークでデフォルトのゲートウェイを使用>がチェックしてあることを確認してください。<ネームサーバアドレスを指定>をチェックしてもかまいませんが、その場合、プライマリDNS、セカンダリDNSは、それぞれ202.224.32.1、202.224.32.2となります。WINSは指定しないで(0.0.0.0)ください。

ここが正しく設定されている場合、何らかのWin95の障害が予想されます。まず、<ダイヤルアップ ネットワーク>で<新しい接続>を選んで、接続を作り直してみてください。これでだめな場合は、またご連絡をいただきますようお願い申し上げます。』

<ダイヤルアップ ネットワーク>を一旦削除し、再設定で解決

ASAHIネットの滝口様から、設定済みの<ダイヤルアップ ネットワーク>を一旦削除し再設定するという思いも付かなかった指示を頂き野村は喜んだ。それは、自分で触った訳ではなくても設定が壊れてしまっている可能性があることを教えてくれたからである。これまで設定済みのものに対してチェックを繰り返し、異常がないのに動かないのでいらいらしていた。しかしそれでも駄目なわけが分かると、野村は喜び勇んで設定を一旦削除し設定をし直したが、その結果は正解だった。WWWもE−Mailも回復したのである。

すぐさま、ASAHIネットの滝口様に『...新しく設定し直しましたら、インターネットもメールもうまく行きました。ありがとうございました。大変勉強になりました。一旦削除して新しい接続で設定するとよいのですね。...』とお礼のメールを送信したが、その返信も以下の通りの気持ちの良いものでいたく感動した。

『...ご辛抱いただき、ありがとうございました。インタ−ネット関係のソフトウェアは、まだ未整備な部分が多く、バグも少なくありません。今回はたまたまうまくいったので救われましたが、結局OSを入れなおしたなどという話もあります。

もちろん、われわれホスト側の問題という場合も、残念なことではありますが、まれというわけでもありません。またおかしなことがありましたら、いろいろお手元でお試しになる前に、ご一報入れていただけると幸いです。』

人為的故障ばかりではない、構造的故障もある

今まで順調に動いていたインターネット関連のソフトが突然動かなくなった時の対処法を野村はこのトラブルを通じて学んだ。その第1はともかくWin95を再起動してみる、その2は、人為的に手を加えたことによるものではないかのチェックしてみる、その3は、先のチェックで問題がなければ、そのソフト自体が傷ついていると考えて、一旦削除し、もう一度設定をし直す、それでも駄目なら、その4は、Win95自体が傷ついたと考えて、Win95の再設定を行う。

DOSのパソコン暦は長いが、このようなOSまで傷めてしまうことを未だ経験したことのない野村にとって、衝撃的だがよい勉強になったトラブルであった。

何が<ダイヤルアップ ネットワーク>を傷めたのか?

構造的故障の対処法も大切だが、それを起させないことがより重要である。そこで何が<ダイヤルアップ ネットワーク>を傷めたのかを考えてみた。11月4日に行ったことでいつもと違ったことは、健康福祉フェスティバルで交野市医師会のホームページのデモを行うため、テロップを流す準備などをしたことである。この時プログラムをマルチタスクで同時に5つも6つも、あるいはそれ以上立ち上げていた記憶がある。それも<最小化>にすることなく、マルチウインドウズの状態でいろいろテストを繰り返していた気がする。

思い当たることといえばこれくらいなので、このようにメモリ一杯に行儀悪く多数のソフトを広げると、何かの拍子でソフト間に干渉が起きて、どれかを傷めることがあるのではないかと推量した。そこで、1)必要以上にマルチタスクを使わない、2)マルチタスクを行う場合もアクティブでないウインドウは最小化してタスクバーに置く、3)Win95終了時には、出ているファイルを閉じてから正規の方法で行い、リセットボタンはできるだけ使わない、の方針でこれから臨むことにした。

NECAIIME95も犯人の可能性がある!

野村は書くことが多い。大部分はMIFESというエディターで書き、必要ならこれをDOSのWordPerfectというワープロで読み込み、印刷している。しかしメールの場合はExchangeに直接書き込むことが多い。CanBeはNECのマシーンだから、日本語変換のIMEはNECのNECAIIME95が初期設定されている。これを使ってみると変換効率も悪くないので、Win95純正のMIMEに変えることもないと思ってきた。

しかし、日本語変換の途中で突然強制終了のメッセージが出ることが多い。<このプログラムは不正な処理を行ったので強制終了されます。問題が解決しない場合は、プログラムの製造元に連絡して下さい>と突然一方的に宣言し、それまでのこちらの努力を水泡に帰させてしまう。まことに腹立たしい。「 ワシがどんな不正をしたというねん。ちゃんと説明してみたらんかい!」と怒鳴っていた男を知っているが、その気持ちは良く分かる。

この強制終了は、Exchangeを使ってEメールを書いている途中に起こることが多いことから、これも先の構造的故障に手を貸しているのではないかと思った。そこでこのメッセージが出た時に横に付いている[詳細]ボタンを押してみると、<...のページ違反です。モジュール:NECAICNG.DLL アドレス...>と説明があった。こうなると、このNECAIIME95も構造的故障に1枚かんでいた可能性がある。Win95のIMEは製造元のMIMEを使うのが安全だ、いまいましいが背に腹は変えられぬ、マイクロソフトの戦略に従おうと考えた。

MIMEに変更し、Win95の行儀作法を忠実に守っているせいか、それ以来トラブルが皆無に近いのはありがたいことである。パソコン同好会の会員にも報告する値打ちがありそうだ。

池田医院3回目の往診

11月2日の例会の席で池田から「パソコンは死んでいる」と聞かされた野村はショックを受けた。第2章で報告した「奥方がメモをしながら野村の誤入力を指摘し、池田本人がコーヒーを運んで来てくれた」あの池田医院である。もうインターネットを駆使しているとばかり思っていたのが「思うように使えない、メールもインターネットも駄目だ」という。ああ、何ということか! 構造的故障を経験したばかりの野村は気が重かった。まさかWin95の再セットアップをしなければならないほど傷めつけたのではあるまいとは思いつつ11月5日に往診してみると、これは単純な人為的故障であった。

つまり、あちこち触り回った後それを始末しておかないで終了するから、何回再起動しても同じ状態が再現されるということが原因で、何ら構造的に故障をしていなかった。マウスの使い方、インターネットとEメールの復習をした。これで往診は全部で11回目。この日、ホームページのパソコン同好会関係の記事を更新し、会員のインターネットメールIDを掲示した。

若い会員からのヴァージン・メールが続々舞い込む

11月6日には池田の最初のメールが届いた『往診御礼申し上げます。死にかかっていたのに野村先生のお陰で立ち上がる事が出来そうです。でもまたいつ死にかけるかわかりません。よろしくお願いします。...』

11月7日には同好会会員最年少者の山添からのメール『例会に出席できなかった時もあり遅れてしまいました。本を見ながらやって見ましたが、届いていますか?プリンターや年賀状のことなど、また教えてください。よろしくお願いいたします。』

続いて3番目に若い寳田から『E-mailを初めて発信いたします。なかなかパソコンの前に座る時間がなく、腕前も上がりませんが、今後ともよろしくご指導ください。ついでに、これから知人のほうにもE-mailをおくってみようと思います。』とのメールが届いた。

2番目に若い宮宗からもメールが来た『本日名簿をいただきました。お忙しい診療の合間をぬってお作りになった事と思いますが、見事な表紙カバーまでついていて、保存するのに最適です。本当にありがとうございました。』 宮宗はMacの達人で、これまでも何回となくメールをもらっているが、名簿を喜んでもらい野村は嬉しかった。

健康フェスティバルでホームページのデモ

11月9日の理事会で承認を受け、翌10日の健康福祉フェスティバルでは当会のホームページのデモを行ったが、その日野村は燃えに燃え、インターネットの伝道師よろしく熱弁を奮い、終わった後では口も利けない有り様だった。その詳細はホームページのドキュメントの項の<平成8年度交野市健康福祉フェスティバル>にスナップ集としてまとめてある。

無欲の後藤に欲が出た

パソコンのセットアップの講習の際に、パソコンに対して余りに弱気で無欲なため、明石に「しまった、早く買い過ぎた、もう少し待てば後藤のパソコンを新古品で買えたのに!」と言わせた後藤であるが、ここに来て俄然欲が出てきたようで、囲碁のCD−ROMを購入してきてセットアップをしてくれと言い、次には往診を依頼してきた。自分もメールを送りたいと言うものだから野村は嬉しくなって二つ返事で11月11日に往診をした。これで往診回数12回。

後藤医院でも、池田医院と同様に女子職員の方が熱心で、メモを取り盛んに質問をしてくる。ASAHIネットのパソコン通信の設定とExchangeでインターネットメールの設定を行い、メールの送信、受信、配信を実際に行いながら説明するとと、納得してくれた。ここでも、女子職員の方が後藤より伸びそうだと野村は推測した。

後藤医院の女子職員からのメール

翌11月12日に、後藤医院の女子職員から『往診有り難うございました。お忙しい中、本当に有り難うございました。無事お届けできるか不安ですが、祈りつつ送信してみます。職員』という最初のメールが届いた。野村の推測はよく当たるのである。ここは一つ後藤にも発憤してもらわねばなるまい。

松吉のEメール復活

パソコン同好会ではじめてインターネットメールでホームページの感想を送信し、それがきっかけで会員間にEメール熱が燃え上がることになった松吉から、11月12日に、久しぶりでメールが届いた。松吉は先進のMacユーザーで、ISDNでインターネットに接続をしている。

野村は最初の頃会員に対して、EメールはASAHIネットのパソコン通信で行う方が確実性があって良いと推奨していた。しかし松吉からの最初のインターネットメールを受けてから、むしろこちらを推奨するように方針を変えたのだが、松吉は律義にパソコン通信でのメールを試み続けたらしい。

ところが、ASAHIネットのパソコン通信はISDNに対応していないため、色々苦労をしたが、徒労に終わりインターネットメールに戻ってきたと言う。まことに申し訳ないことをしたと平謝り。ISDNを使ったための苦労は、ほかに松木と明石もしているのでまとめて書くことにする。

池田医院4回目の往診

『あちこち押しているうちにまた立ち上がれなく成りました。往診をお待ちします。』とのメールをもらい、4回目の池田医院往診である。今度も人為的故障で、単にマウスのクリックの仕方が乱暴すぎたり、ダブルクリックの間隔が開きすぎている、せっかち過ぎるために正しくソフトが立ち上がらない、という技術的なな問題であった。それにしても、パソコン同好会最高齢者の池田とその奥方の熱心さには頭が下がる。前回往診のあとで早速質問のメールを送信してくるは、今度の往診中も質問攻めだから、嬉しくなる。サービスの積もりでスクリーンセイバーも設定しておいた。これで13回目の往診。

帰宅後、かの奥方から最初のメールが届いたが、その見事さに脱帽。以下はそのメールの全文である。『再々の往診有り難うございました。本日は往診して下さり、感謝、感謝です。LOWレベルの質問ばかりで、さぞかしご迷惑だった事とお詫び申し上げます。いただきました20年史のご本を感心しながら、読みました。奥様の書かれた文章を読み、私と同じ生活をなさっておられた様に思えて何となく懐かしい思いが致しました。...池田寿子  11/12』

後藤本人からもメールが届いた!

『今度こそ正真正銘の後藤が送ってみます。この文章を作るのに明石先生と職員の力を借りて約1時間、我ながらよく頑張ってやったものだとほめてやりたい、ところだが、本当は情けない。亀はゆっつくりゆっくり歩むのだ。乞うご期待! パソコン音痴亀』というメールが13日に『本当に届きましたか』の題名で届いた。あの無欲だった後藤がこのように変身したのである、これを喜ばずにおられようか、早速返信を送った。

『後藤先生 この返信メールでお分かりのように、本当に、本当に届きました。亀は必ず最後には兎を追い抜くことになっています。お手伝いをしてくれたメール魔兎さんも、そうなるかも知れません。夢ゆめ、ご油断召されるなと、メール魔兎さんに伝言下さい。では、では 11/13 BOW』 それにしても、自称メール魔、他称師範代は、まめに救援活動をしてくれるので野村は感謝、感謝。

三宅からも最初のEメール

『今しているメールのウインドウがどのようにして出したのかわかりません。触っているうちに勝手に出て来ました。その間ずいぶん時間がかかりました。ローマ字、カタカナ変換も大変で、無茶苦茶キ−を押しまくってなんとか字を出しました、と言うより出てきました。どうしてRひ漢拡?赤三角ふたつを右下に出したのかわかりません。これを出すのにものすごく苦労しました。どうして出したか覚えていないので、次回も悪戦苦闘することでしょう。また後で前出のRひ漢の間に空白をひとつずつ入れようと思ったがコンピュ−タの調子が良くないのでやめました。』 フレー!フレー!三宅!

歯科医師からもEメール

以前尼子から紹介されていた交野市星田で開業されている呉本先生にメールを差し上げたところ、返信のメールをいただいた。『...<パソコン奮戦記>楽しく拝見させていただきました。顔写真入りなので、人物構成がたいへんわかりやすくてよかったです(^_^)。続きを楽しみにしています。(しかし、松木先生は何時も怒って居るんですね・・・(^_^))...』

師範代宅へ2回目の往診

『わが家では、パソコンは小生の他に3匹の娘が入れ代わり立ち代わり使うのですが、2日程前からインターネットに接続不能となりまして、丁寧に始めからcheckしても判りません。ホームページも開けないのです。三宅先生と同じ症状ですが、E−メールは送受信できています。パソコン本体を持って外来受診も考えましたが回線がISDNなので、モデムの設定などで面倒かなとも考え直して再びの時間外往診をお願い出来ませんでしょうか?...』とのメールが師範代から舞い込んだ。何時も代診をして助けてくれているメール魔のご恩に報いるのはこの時とばかり、野村はすぐさま駆けつけた。

ここで無事修理を終え、師範としての威厳を保つことができたら良かったのであるが、現実は厳しく、Win95の再セットアップを勧告するだけに終わった。しかし、人間のできている明石は『...再セットアップしなくては駄目という事で、簡単なミスや勘違いでなくて笑われずに済んだかなと変な安堵をした次第です。...』とメールで気遣いをしてくれた。以上11月17日のことである。これで往診14回目。

再セットアップの前にバックアップ

第1章で松木がWin95の再セットアップを自力で行った話を書いたが、今回の明石の場合は、自称メール魔というだけに送信受信のメールが沢山あるはずだから、このメールのバックアップを取って置かなければ後で泣きを見ることになる。そう考えた野村は、再セットアップの前に行っておく<レジストリ>の保存と再セットアップ終了後の<レジストリ>内容の復旧方法をメールで送信した。

明石にメールのバックアップの方法を送信しながら、野村は自分もメールのバックアップを取っていないことを思うと急に不安になってきた。数えてみると、この時すでに受信75通、送信75通、合計150通にもなっている。明石に教えた方法ではFD1枚にに収まりきらない量である上、これはExchangeを起動させた場合にだけ読める形式のファイルなので、後々のことを考えるとテキストファイルで保存しておく方が便利である。そこでデスクトップに<メール>という名のフォルダを作り、そこに送信ファイルと受信ファイルを保存することにした。メール以外の自分が書いたファイルはDOSマシーンに移してあるが、メールには手を付けていなかった。明石のトラブルがその危険を教えてくれた訳で、まさに、メール魔様様である。

一夜明ければ大ベテラン

11月の例会で、出席者の希望によりテーマをプリンターのセットアップを取りやめ、メールのQ&Aに変更したら、尼子が『講義を受けるまで絶対プリンターには触らんぞ』と腹を立てた話を先に書いた。予定を変更したのは確かに悪かったので、11月18日の月曜日に、改めてプリンターのセットアップの仕方を実習することにした。

ところがである、当日やって来た尼子は『昨日自分でセットアップをしてきた、簡単だ』と言うので、二の句が告げられなかった。その上、野村をさしおき講義を始める始末、しかしまだまだ上がいる。何時もは真剣なまなざしの聴講生である、かの最高齢者の池田が尼子の講義に異議を唱え、解説を加えるのだ。げに<開業医は一国一城のあるじ>である。

触らぬ神にたたりなし(これは尼子の台詞)

その尼子であるが「昨日、明石が家に来た時にたまたまインターネットが繋がらないのを見て、これは自分と同じ状態だとパソコンをいじってくれてから、インターネットもメールも駄目になった。一晩かかって設定をし直してみたが、メールがうまく行かない」というので、メールの設定について説明をしておいた。

その後『今日はどうも有り難うございました。万事上手く行き、このメイルも無事届くと思います。今後は師範代には触らせない事にします。若し差出人不明になっていましたら教えて下さい』というメールが届いたが、気の毒にも差出人は<不明>になっている。

これは再設定が正しくできていないためだと考えた野村は、メールの再設定の手順をまとめて、メールで送ると同時にFAXでも送信した。FAXでも送信したのは、明石はメールのバックアップの手順のメールをプリントアウトして作業を行ったようだが、昨日はじめてプリンターを触った尼子には無理だろうと判断したからである。その結果は以下の往復メールの通り。

尼子『これが上手くとどかなったらgive−upです。往診をおねがいします』 野村『ちゃーんと正しく届いています。おめでとうございます。11/18 BOW』 尼子『全てもとどうりに戻りました。アドレス帳をまたやりなおします。一時はどうしようかと途方にくれ明石先生を恨みました。これで安心して眠れます。DANNKE』

以上の話は師範代が懲りない面々の立派な一員であることの証明でもある。ここでメール魔に、またの名を進呈する→『さわり魔君』

尼子が明石を気遣う

明石を一時は恨んだ尼子であるが、翌日には明石のことを心配している『...後藤先生からメイルがとどきました。嬉しいもんですね。メイル魔からは便りがさっぱり有りません、まだSETに苦闘して居るのかと心配しています。...』

明石Win95リセット成功

その明石から、翌19日に『昨日診療が終わってから、夕食もそこそこに早速開始して、Re−setをなんとか成功させたのですが、ISDN回路のMN128の設定も消失していてNTTのお世話にならざるを得ないのですが、一応はインターネットとメールだけは取り戻しました。[内蔵FAXモデムを使って]今日は午後、大阪へ出かけましたのでNTTは明日ISDN再設定に来てもらう事にしました。日記などバックアップせずに消えてしまいました。あくびばかり出てきます。メール魔 明石 』

パソコン画面はピンク色

池田は、18日のプリンターセットアップの際に、モニターのデスクトップがピンク色に変わってしまい困っていると言い、皆を大爆笑させた。ご夫婦でまたいろいろ触ったようだが、修正の方法を説明する時間がなく、野村はその夜メールで修正の方法を送信しておいた。

20日になって、ご夫婦連名のメールが届いたが、どうやら野村のメールを知らずに二人で解決したらしい『デスクトップの色の件に付きまして、御指導有り難うございました。お陰さまで七転八倒の末ようやくうまく行きました。二人でああでもない、こうでも ない、と試行錯誤の末やっと思った色になって、思わずバンザイ!でした。早くからメールを頂いていましたのに開くのが遅れて申し訳ございません。何時も適切なアドバイスを頂き大助かりしております。...』

このメールに感激した野村は以下の返信をした。『池田先生、奥様 <七転八倒の末ようやくうまく行きました。二人でああでもない、こうでもない、と試行錯誤の末やっと思った色になって、思わずバンザイ!でした。>とのこと、その情景が目に浮かび、幸せな気持ちになります。FAXで修復のステップをお送りすれば良かったのではないかと、少し悔いてはいますが、自分で解決しようとできるだけ粘るのが、パソコン上達の極意だと、私は思っていますので、この方がよかったとも思ったりしています。....それにしても、先生ご夫妻はすごいですね。感服し尊敬します。パソコン同好会のお世話をさせていただき、つくづく良かったと思っています。 11/20 BOW 』

悪戦苦闘の松木からEメールが来た

ISDNでインターネットに接続しているため、松吉や明石と同様に悪戦苦闘している松木から最初のEメールが届いた。ブラボー!である。しかし何時もの威勢のよい啖呵と、この謙虚な文章との乖離に誰もが驚くのではなかろうか?『いつもお世話になっています。パソコンの練習を始めて二カ月たって漸くメールを送れるようになりました。これもひとえに先生のご親切なご指導の賜物と感謝しております。今後とも宜しくお願い申し上げます。』

このメールにも感動した野村は以下のメールを送った『ブラボー! 松木先生 おめでとうございます。ISDNという厄介な代物と格闘され、見事に自力でメール送信に到達されたことに対して感動しました。返信スタイルのメールに書きましたように、ISDNはまだまだ世間一般には普及していないため、サ―ビスも悪いようで、皆さん苦労されておられるようです。これからは、どんどんメールを送られ、メール魔、書き魔になって下さい。まずは、お礼とお喜びまで  11/21 BOW 』

<松木る>はパソコン同好会の新造語

あのにぎやかな松木がこの第3章になって登場しなかったのをいぶかる人もいるかも知れないが、松木節は健在である。突然電話がかかり、難しい質問をしてくるし、野村があやふやなことを言うと、「こちらで解決してみます」と言って、さっと電話を切ってしまう。ある時は今本屋からかけていると言い、ある時は調べるために一旦電話を切ってかけ直したら別の電話をかけていた(その間1分も過ぎていない)。30分も過ぎた頃、松木から電話があり「あれからJ&Pに電話をして教えてもらってたんや」と言うのだから松木節は衰えていない。

例会の席で<松木る>という動詞が作られたが、<待ちきれないでいらいらする>という意味で、<そんなに松木るな>などと活用されている。しかし同時に人一倍熱心なことも確かで、やりはじめたらとことん自分が納得するまで頑張るのに敬服する。ただし、いろいろなことに手を広げ、すぐに解決できないといらだち、腹を立てるので、話がややこしくなる。

世話役野村の責任

松木もまた先端技術の ISDNを使ったがために、他の人が知らない苦労を味わう羽目になった一人である。ASAHIネットのパソコン通信がISDNに対応していないことを知らず、これに接続しようと悪戦苦闘を続けたのだった。悪いことにテキストとして野村が推薦して一括購入した<ASAHIネット オフィシャルガイド インターネット接続キット>には、ASAHIネットのパソコン通信がISDNに対応していないことが書かれていない。野村も自分がISDNを使っていないので、そのことを確かめることを怠り、ISDNユーザーに迷惑を掛けてしまった。

ようやく、この頃になってASAHIネットが ISDNでは接続できないことを知った野村は、インターネットの<telnet>を使えば、ISDNでもパソコン通信に接続できることを見つけてきて、その具体的な手順を松木にFAXで送信した。それによって松木はEメールを送ることに成功したのである。松吉や松木に無駄な時間を費やさせてしまい、まことに申し訳ない。これはパソコン同好会のお世話をしてきて犯した最大の失敗であると思っている。

NTTさん、ちょっとひど過ぎるんじゃない?!

松木は以前からISDNを使って囲碁の通信を行ってきたが、インターネットに接続するためにNTTに来てもらったところ、10名以上が入れ替わり立ち替わりやってきても接続ができず、使っていたモデムを壊してしまったりで、2〜3日かけてようやくインターネットに接続できるようになったと話していた。松木はその後Win95の再セットアップ2回することになるのだが、その時に必要なな<MN128用設定ファイル>用のフロッピーディスクを受け取っていなかったために ISDNの設定ができなかったと腹を立てていた。

明石も ISDNの接続に、NTTの職員が入れ代わりたちかわりやって来て、結局 ISDNの接続に1ケ月かかったと言う。キャッチホン機能を設定するのはパソコンでコマンドを入力する必要が有るが、これをできる人がNTTには少ないようで、その設定で色々とボードを触ってくれたために、メールやインターネットも一旦駄目になったらしい。また、先に報告したケースでWin95の再セットアップした際には、大阪のNTTでは埒が明かず、東京のNTTに電話をして解決したが、そこへは1時間以上も繋がらないので、いらいらしたと怒っていた。

もう一つ、医師会事務所にNTTが ISDNの宣伝にやってきて各医療機関に設置を薦めるので、事務長が「交野は ISDNに切り替えると電話番号が変わるのではないか』と尋ねると『そんなことはない」と答えたと言う。野村がパンフレットに書いてあるNTTの寝屋川支店に直接電話で問い合わせると、電話番号は変わるという。これでは詐欺的宣伝と言われても仕方がないではないか!

さらにもう一つ、野村医院を訪れた製薬会社のMRの一人が、ISDNでインターネット接続を試みているのだがうまく行かないという。メカに強く、最新のスキャナーを使いこなしている男であるが、自分の能力が劣るためにうまく接続できないのだと思い込み、恥じていた。そこで松木、明石の実例を話すとそうだったのかといたく喜んだ。

宣伝しているNTTの職員が ISDNもパソコンも良く分かっていないし、インターネットに接続できることは宣伝しても、パソコン通信でこれに対応しているのが少ないことをほとんど知らせないというのは、NTTさん、ちょっとひど過ぎるのではないか! それとも最先端の技術を享受しようとする者は、そのくらいの犠牲を払わなければならないと言うのか?

福森医院2回目の往診


福森のEメールが不調とのことで、11月21日に往診をしたが修理できなかった。これで往診15回目。ASAHIネットの事務局に質問をしたら、Exchangeのような不安定なメールソフトではなく、他のソフトを使うことを薦められた。しかし、インターネットエクスプローラーも3.0にバージョンアップしたところであるし、将来これに乗り換えることにすると、福森だけ他の会員と違うソフトを使うのは問題がある。とりあえずパソコン通信でEメールの送受信をしてもらうことにした。

交野市民からのメール これで3人目

11月22日に、交野市青山にお住まいのN.K.様からメールが届いた。非常に優れたメールなので、ほぼ全文を転載する。もちろんN.K.様の了解済みである。

『交野市医師会と野村医院のホームページを拝見しました。休日夜間急病診療や訪問看護などあるいは何時かお世話になるかも知れずありがたい情報です。また野村先生の薬のデータも貴重です。今までは、電子ブックの<薬の事典 ピルブック>を時々見ていました。

パソコン物語−中高年医師たちの挑戦の記録−は大変おもしろく、また参考になります。野村先生、松木先生、白井先生などお世話になっている方々で親近感があり、特に松木先生には、家内ともども大笑いです。

この集団を率いて、短期間にインターネットへアクセスに成功し、さらにホームページを2つも開設され、何回かバージョンアップされているのには感心致します。私などは、Windows3.1でインターネットへ挑戦したせいか、悪戦苦闘しました。Windows95はこの面では救世主でした。それでも文字化け(結局AL-MAILに切り替え)パスワードの保存(Win95のアップデートで解決)、オフラインでキャッシュが見えず(オートパイロット ソフトを導入)などいくつかトラブルはありましたが。プロバイダは行きがかり上で、先生が見捨てられたmeshです、最近はアクセスポイントも増えてきました。枚方はどうしてかISDNはありますが、28.8は未だです。

WWW,E-MAIL,MAILING LIST,FTP,NET NEWS などを楽しんでいます。これら全て米国製とは情けないですが。野村医院、交野市医師会、それぞれのホームページの益々のご発展を祈願致します。とりとめもない感想で失礼しました。』

N.K.様からのメールに感動した野村の返礼

『メールありがとうございました。私どものホームページを丹念にお読みいただき、私どもが一番知っていただきたく思う個所をすべてチェックされ、感想を頂戴し、感激いたしております。

パソコンを知り、ウィンドウで泣き、インターネットメールで苦労をされたN.K.様だから、わたしどものことをよくお分かりいただけるのだと思いました。図らずも交野市医師会の平均年齢約60歳の老年医師たちに、パソコン、インターネット、電子メールなどのお世話をさせていただくことになり、夏よりばたばたと泥縄式に問題解決に追われていますが、楽しんでやらせてもらっています。

パソコン物語をお読みいただきお分かりのように、交野の医師たちは非常にアクティブで、目を輝かせてパソコンに取り組んでいます。それは少年が新しい玩具の虜になって夢中にになっている姿を彷彿させます。このパソコンを通して私は交野の医師たち、あるいは私たち世代を見直し、嬉しくなりました。デジタルおじんなどと馬鹿にしている若者たちに<私たちも捨てたものではないんだぞ>とアピールをしたい気持ちになります。

この交野市医師会パソコン同好会の連中の、頑張りぶりがすごいと思うのは、私が昨年まで大阪府医師会のパソコンクラブに所属していて、パソコンを趣味とする医師の状態を知っていたからでもあります。約10年前、私どものパソコンクラブでBBSを始め、実験局を私も含めて数局持ったことがあります。モデムもカプラーの300bpsから1200bpsに移行しようとしていた時期でした。その時会員20名ほどの中で、これについてこれたのは僅か4〜5名でした。

もちろん当時はハードもソフトも貧弱でしたし、自分で難儀な設定をしなければならなかったのですが、仮にもパソコンクラブに入り、府下の北から南から集まっている連中がこの始末でした。だから、交野市医師会パソコン同好会の連中のあくなき好奇心、粘り強さ、要領のよさにただただ感心しています。

始めた時期も良かった、Win95に変わり、それに対応するハードが出そろい、そして世の中がWin95、インターネット、ホームページの話で満ち溢れ、最後に止めを刺したのが例のO−157事件でした。これでインターネットに接続しようという気運が一気に高まったのです。

最初インターネット接続マシーンにすることが目標だったのが、電子メールの交換、画像を伴うメール交換で診療所間の連携を図ろう、など次々目標は拡大して行きつつあります。

パソコン物語の第3章には今月末までの経過を載せようと思っていますが、問題は次々出てまいりました。素人が触りまわるためのWin95の破損、突然のプログラムの不調の発生、など当初予想もしていなかったトラブルがあちこちで出はじめました。再セットアップを余儀なくされた者も何人かいます。それに、ISDNがトラブルを作ってくれます。予想通り行かないのが面白いところで、カッカしては一つ賢くなったと喜んでいます。

同好会を作って1ヶ月目で、インターネット接続はハードを持っている者のほぼ全員が可能でした、2ヶ月目ではほぼ全員がメール交換を行っています。メール魔、メール大魔王、パソコン音痴亀などのハンドルネームでメールが飛び交っています。

開業医というのは一国一城の主だから、前の日に習得した技術をまるでベテランのような態度で、人に教えようとする者が多く、それは面白い光景が絶えず見られます。お節介を焼き、教えたがるのは私も含めた開業医の習性ではないかと思わざるを得ないことがあります。

このような連中の作るホームページを何とぞよろしくお見守り下さり、ご助言などを頂戴できれば嬉しく存じます。 本日は貴重なメールをありがとうございました。取り急ぎお礼申し上げます。           11/22 野村 望(BOW)』

このN.K.様への返礼の中に、ここまでのパソコン同好会の活動が要約されているので、これで以って第3章を終えることにする。


<1996.12.30.>

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