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パソコン物語

第2章 次はEメールに挑戦だ

1996.10.07. 掲載
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第1章では、パソコンを導入したばかりのドタバタ場面が続出したが、それから3週間が過ぎた今、沈静化の兆しは見られるだろうか? 答えは「 まだまだ 」である。

広報<かたの>でホームページをPRしよう

当医師会のホームページには、交野市民の皆様へというコーナーがある。そこには、全医療機関の診療時間、夜間休日急病の診療機関、訪問看護ステーション<かたの>を掲載している。そこで、広報<かたの>に当ホームページ開設の記事を載せてもらえば、インターネット接続可能な市民に役立つであろう。また、平成7年度の医師会事業の内で市民一般に関心のありそうな20項目をまとめた報告は、当医師会の存在のPRにもなると思われる。そこで野村は会長小菓の許可を得て、広報<かたの>にホームページ開設案内文を投稿した。

理事会で活動状況を報告

10月5日の交野市医師会の定例理事会で、野村はパソコン同好会の活動、特に当医師会のホームページ開設について報告したが、小菓は、広報<かたの>に投稿したのが抜けていると補足説明をし、府医ニュースにも投稿するようにと指示をするなど、だいぶ張り切っている。そこで、過去の府医ニュースに載っている<地区医だより>を参考に、文字数を調べて800字のPR文を書き上げ、小菓の承諾を得て、テキストファイルのフロッピーを付けて10月8日に、府医に届けた。

府医ニュース <地区医だより>の原稿

インターネットにホームページを開設  交野市医師会
当医師会は平成六年四月に枚方市医師会から分離独立し、同年九月より社団法人に組織変更を行った府下では一番新しい医師会である。本年八月の定例理事会でパソコン同好会を作ろうということになり、八月二十四日に最初の例会を持った。パソコン同好会の会員は十月三日現在で十八名であるが、A会員が三十五名の小さな医師会なので、その過半数を占める。そのうちの十四名は全くパソコンを触ったこともなく、平均年令は六十歳に近い。しかし、誰もが呆れるほど熱心で、視力の衰えてきた目を凝らし、慣れないマウスとキーボードで格闘をしている。

その成果もあって、最初の例会を持ってからちょうど一カ月目の九月二十四日に、当医師会のホームページを開設することができた。府下の医師会の中では、五番目の開設となるようだ。内容を簡単にご紹介すると、医師会のあらましのほか、交野市民に有用と思われる情報にかなりの比重をかけ、市内にある全医療機関の診療時間、休日夜間急病に当たる医療機関、当会が開設している訪問看護ステーション「かたの」などを紹介している。また、医師会の存在価値を市民にPRする目的で、平成七年度に当会が行った事業のうち、市民に関係のある二十種の事業の概略も掲載している。

もう一つのユニークな記事は、「パソコン物語」の連載である。これは、パソコン音痴である中高年の医師たちが、どのようにしてこの難物に立ち向かい、克服しようとしているかの記録で、現在一カ月余りを経過したばかりであるが、いまのところは経過良好と言えるかも知れない。この物語には、その間に経験した面白おかしい出来事が含まれている。パソコンに関心がおありの中高年の先生方がお読みになれば、あるいは自信を持たれるかも知れないと思っている。現在パソコンを持っている会員十七名のうち、十一名がインターネットに接続をし、そのうちの数名は電子メールの交換を始めている。

<パソコン物語>は載っていないぞ!

10月9日の午後、医師会事務所のある交野市ゆうゆうセンターに出動し、仕事を終えて帰ろうとしている野村を小菓は探し出し「うちのホームページを見たが、どこにもパソコン物語など載っていない」と問いただしてきた。府医ニュースの原稿の校閲を受けたので<パソコン物語>のことを知っているのは分かるが、2〜3日前まではインターネットに接続できず、くやしがっていたはずの小菓の言葉をいぶかり「何時から接続できるようになったか」と聞き返すと「今日の昼からだ」とのこと。これは、遅ればせながらも皆に追いついたことを告げる小菓流アピールであった。

医師会事務所ではメンバーが何人か集まってパソコンを触っていると聞かされたが、こうなれば<パソコン物語>をホームページに載せることが急務となり「今夜必ず載せるから皆に伝えてくれ」と大見得をきって帰宅し、早速作業に取りかかった。

顔写真入りの<パソコン物語>をホームページに掲載

パソコン物語の原稿は、医師会報に書いたものを流用するのだからほとんど手を加えなくて済む。しかし、それをそのまま載せたのでは芸がない。そこで登場人物の顔写真を付けることを思いつき、医師会設立記念式典の際に撮影した集合写真から、顔を切り取って貼りつけた。できあがって見ると、予想以上に楽しい画面になり、インターネットならではのマルチメディアが生かされたようだ。次は<音>も入れようかと新しい目標もできた。夜の診察の合間にも作業を続けて診療終了間際に登録を終え、ホームページに掲載されたのを確認して夕食とした。

名誉棄損で訴えてやる

スーパードライを気持ち良く飲んでいると、尼子から電話があり、「パソコン物語を読んだ、面白かったが、自分に関しては名誉棄損で訴えることも考慮している」と脅迫してきた。ここで負けてなるものか「この話は、パソコン物語の続きに、必ず書かせてもらいます」と応じたのはもちろんである。おかげで、ちょっとした<フォーカス>編集長気分を味わせてもらった。

未だ<パソコン物語>は載っていないぞ

間もなく、小菓からも電話があり、未だ<パソコン物語>がホームページに載っていないという。「そんなはずはない、自分でも確認したし、先ほど尼子から読んだとの電話があった」と言うと、「もう一度見てみる」と弱気な声に変わった。後で「ドキュメントの中に入っているのが分からなかった。写真入りで書かれているのでびっくりした」と書かれたFAXが届いた。今日初めてインターネット接続を経験したのだから、見落とすのは無理もない。むしろ、67歳でありながら、これにチャレンジし、遅れを取り戻したのは立派というべきであろう。因みに、尼子64歳、野村60歳、小菓よりそれほど若いというわけではない。

Eメールが続々届き始めた

Eメールが最初に届いたのは、9月24日にパソコン通信から送信してきた宮宗のもので、インターネットメールの最初は、この物語の第1章で紹介した9月26日の松吉からのものである。続いて9月28日には白井康から長文のメールが、10月6日には『...悪戦苦闘し初めてE-mail をだしてみました。うまく送られているかどうかわかりませんが。まだ分からないことだらけです。...』という寺嶋秀からのメールが届き、10月11日には『...医師会のホームページをみせていただき、皆様のパソコンに対する熱意に感動いたしました。...』という宮宗のインターネットからのメールも届いた。このように、Eメールが続々舞い込み始めた。

パソコン同好会第3回例会の報告

<出席者名>12日:池田、尼子、松木、野村、福森、明石、三宅、宮宗、白井康、白井教、14日:池田 尼子、後藤、野村、寺嶋幸、寳田、山添 <行ったこと> 1.新入会会員の紹介 白井康文、白井教文(12日) 2.インターネット関係
 1)接続
 2)交野市医師会HPに掲載した「パソコン物語」の紹介
 3)ネットサーフィン関連操作
 4)E−Mailための初歩 3.データの収納構造の勉強(12日)
 1)ドライブ
 2)フォルダーとファイルと階層構造
 3)階層構造を見るツール
 4)ファイルのアイコン表示法
 5)階層構造の文字による表示法 4.FDの勉強(12日)
 1)種類、2)フォーマット、3)互換性 <決定事項>1.次回例会のテーマ:E−mailの実際、ワープロ(Word) 2.会員名簿の作成のためにアンケートをとる

ほぼ全員がインターネットに接続

第3回目の例会で、パソコンを持っている者17名中16名がインターネットに接続できるようになったことが分かった。残りの1名は南であるが、ここはISDNの導入が遅れているのが原因である。<9月末に全員接続>からは少し延びたが、よい成績ではなかろうか? つまるところ、回線が問題である。

Macのベテランが出席

宮宗は今回が初めての例会出席で、白井康は弟の白井教を伴って入会するために出席した。かくしてパソコン同好会会員は19名となった。宮宗はパソコン暦5年、白井康はPC8001の頃からパソコンを触っているので、パソコン暦は十数年の超ベテランであり、いずれもMacユーザーである。嬉しいことに、ご両人はパソコンを趣味として使い、パソコンを楽しんでいるという。

野村はパソコン同好会の世話役に指名されたが、これが朴念仁で、パソコンを道具として実用に使うことしか知らない。だからパソコンで遊ぶことを教えてくれるご両人の参加は会員にとって願ってもない幸せである。そしてその効果は早速現れたようで、伝授されたインターネットの楽しみ方を駆使している姿が数日後に散見された。

インターネットでワインを買った

例会で見た光景をもう一つ。寺嶋幸はインターネットでショッピングすることに興味があると言い、早速ワインを購入していた。それを知ったワイン通の池田が「このワインは高いぞ」というと「それが安く買えるのよ」と答える。そのうちに、池田の手にはワインリストと販売業者のURL(ホームページのアドレス)がしっかり握られていた。目的を持っている人間は強い!

6回目の往診

池田は同好会の中の最高齢者、68歳である。数日前にパソコンが届いたばかりで、皆から少し遅れたと思うのか、12日の例会と14日の副例会に出席し、ディスプレイを見る眼差しは真剣そのものである。副例会の後、この池田のインターネット接続の助けになろうと診療所まで往診した(これで6回目)。長い電話コードと回路切り替え器を買いに出るなど思わぬ雑用があり、インターネット接続を終えてメールの設定を行う途中で夜の診療時刻に近づいたため、中断をした。

奥方の方が腕を上げそうだ

後の項で述べる尼子宅への往診を済ませてから、池田の診療所に往診をして(これで8回目)、前日のメール設定作業の続きを行った。ディスプレイを見守り、野村の間違いに適切なアドバイスをするのが奥方で、旦那の方はというと、遠くで物音はするが、姿が見えない。かなり時間が過ぎてから、香ばしい香りの甘いコーヒとともに漸く作業の場所へ現れた。この分では、奥方の方が腕を上げそうだと予想したが、あながち間違いではあるまい。

翌朝にはプッシュ回線に変わっていた

池田のことを以前から気の早い性格ではないかと思ってきたが、それを裏付ける事態に遭遇した。それはこう言う事だ。前日、メールの設定がうまく行かなかったとき、池田は電話回線がダイヤル回線であってプッシュ回線でないことが原因であると即断し(誰もそんなことを言ってはいない)、翌朝NTTに指示をして、午前中にプッシュ回線に変えてしまっていた。これには、性急を自認する野村もびっくり。上には上がいるものである。

アラビア語が現れた?

メール設定も済まし、テストメールを送信したので、昨日設定したインターネットへの接続の復習をしようとして、交野市医師会のホームページを開いたところ、びっくり仰天。そこには、アラビア語もどきの訳の分からない文字が溢れている。よくよく眺めるとそれはアルファベットの大文字小文字に記号や数字が入り乱れ、ドイツ語やフランス語やロシア語の特殊な文字も混じっているようである。

一体何が起こったのか、インターネットの経験に乏しい野村は暫くなす術を知らず呆然としていた。しかし往診のドクターがお手上げでは格好がつかない。そこで「何時からこうなったのか」と尋ねると、昨夜奥方があちこち触っていたら突然このようになり、慌てて切断したとのこと。そうなれば原因はこのインターネットエクスプローラーのどれかのボタンであろうことは見当がつく。そしてそれは[E]ボタン以外にあるまい、とこれを押してみると正解だった。

この文字を実体験してみたい方は、エクスプローラのツールバーにある[E]ボタンを押してみられるがよい。ナビゲーターをお使いの方は<オプション>メニューの<文書の文字コードセット>を選び、<欧米>をチェックしなければ、この状態にはならないので、このような失敗はほとんど経験しないだろう。一度知ってしまえば何と言うこともないのだが。それにしても<エクスプローラー>だ<ナビゲーター>だと、アメリカ人は楽しい国民である。

変なセットアップは止めてくれ

メールOK、インターネットOK、そこで改めてデスクトップを見ると98ランチが載っていない。その代わりに、変なショートカットが付けてあったり、IME(日本語変換)もおかしい。せっかくCanBeという家庭用のパソコンを選んだのに、その標準のセットアップをしないとはどういうことか! 聞けば3時間以上かかってセットアップしていたようだ。納入業者が15000円ものオプション料金をとってこれでは恥ずかしくないのか! おかげで、CanBeCt16の標準セットアップに戻す作業まで増えてしまった。

パソコン物語が消えてしまった

以上までの話を書いていると某製薬会社のMR(セールスマンのようなもの)が来訪し「すぐ近くでトラックが電柱にぶつかっている」という。それを聞くや否や野村は飛び出していた。見終わって診察室に入ろうとすると、例のMR氏も一緒について入ってくる。滅多にMRを診察室に入れることをしないのだが、当然入れて貰える権利があるという顔をされるので致し方ない。一旦入れてしまうと、見せたがりの性格だからどんどんパソコンやインターネットの話にはまり込むのもお決まりのコース。

ところがこのMR氏、Macユーザーであることを鼻にかける素振りを見せ始めた。知ったかぶりでDOSの不便さをあげつらうものだから、DOSユーザー12年目として、DOSの面目のために、使いこなした場合のファイラーのすごさを見せつけてやっている内に、気がついたらこの物語は消えてしまっていた。保存を済ましていないことを忘れ、警告が出たのにそれを確かめもせず、機械的に終了してしまったのである。これまで、この手の失敗を何回やったことか、<災害は忘れた頃に来る>、<失敗は平静でない時に起きる>である。雲行きが怪しくなったので、MR氏は慌てて退室していった。

転んでもタダでは起きぬぞ!

この失敗が腹立たしく、野村は自己嫌悪に陥りかけたが、「待てよ、この話をここに書こう。パソコンを使えば誰もが何度となく経験する失敗のパターンだから、役に立つに違いない」そう思うと、心は軽くなり、消してしまった部分を思い出しながら書くことも余り苦痛ではなくなった。そう言うわけで、ほぼ全員がインターネットに接続から変なセットアップは止めてくれまでは、記憶に頼ってもう一度書いた文章である。

次はEメールに挑戦だ

Eメールが舞い込み始めたので、今度の例会では誰々からメールが届いたかを報告し、簡単なメールの設定の仕方を説明した。そのためもあってか、同好会会員の次の目標が<Eメールに挑戦する>ことに移ったのは良いが、インターネットに接続するよりは少し複雑なので、メールを交換するにはそれ相応の代償を払わなければならなかった。それを次からの項で話すことにする。

不明、不明、不明、不明、

パソコン暦1カ月の尼子が、同じスタートを切ったメンバーの中でも非常に意欲的であることは第1章で述べた。例会でメールが宮宗、松吉、白井康、寺嶋秀から届いていると聞かされた尼子は早速メールに挑戦したようだ。そして、何とか<Exchange>から配信するところまで自力でたどりついたが、配信をすると<不明>という名前の封筒が次から次へと送られてくる。気持ちが悪くなって、一旦中断し、もう一度再開すると<不明>の封筒はもっと増えている。見ている間に<不明>封筒の洪水となり、恐ろしくなってパソコンを止めてしまった。その夜、尼子は<不明>の封筒の大群に襲われる夢を見て何度もうなされたという。

強気の尼子がギブアップ

これまでSOSの電話やFAXを何回か尼子からもらったが、結局は自力で解決をしてきた負けず嫌いの尼子も今回は相当こたえたようで、10月15日に野村に往診を依頼してきた(これで7回目)。

プロバイダーのASAHI−NETはインターネットのE−メールを最初に受信した時にはテストメールを転送するように設定している。このテストメールこそが、かの「不明」封筒の正体であり、これを開封して中身を読めば、次にするべき操作は書かれていたのである。

しかし、次々に数を増して襲いかかってくる封筒の大群に恐れおののき思考を停止してしまったのではないか、というのが野村の解釈。尼子の弁明は今回はなかった。結局、患家滞在時間は30分足らずで終わった。

往診から戻ると尼子から『...今日は大変有り難うございました。今感謝の気持ちを込めてこのメイルを書いています.これからも迷惑をおかけすると思いますが何卒見はなさないで下さい。今夜はゆっくり眠れそうです。...』のメールが届いていた。寺嶋秀がパソコン暦1年と判明した結果、尼子はパソコン新人の中での最初のメール送信者という栄誉?を得た。オンラインサインアップもインターネット接続もパソコン新人の中では一番乗りである。次は何を狙うつもりだろう?

メールを始めると往診が増えるぞ

尼子は「皆がメールを始めると往診依頼が増えるぞ」と予言した。しかし、今のところその兆候はない。野村は今回の<不明>封筒の大群の話もリークしておいたし、「不明」封筒の中身を読むか、ASAHI−NETのオフィシャルガイドを読めば対処の仕方も分かる。メールにまで進んでいる会員が未だ少ないこともそれに関係しているのだろう。

往診の翌日に小菓、明石から始めてのメール

往診の翌日、尼子の予言を嘲笑うようにパソコン新人からメールが2通舞い込んだ。 小菓:10月16日『...やっとメールが送れるようになりました。バンザイです。小生のパソコンでは、TVやカラオケができませんが、辛抱します。来年までマルチの98購入はストップします ビデオ出力が十分できるようになるまで、ワープロが十分できるようになるまで、頑張ります...』

明石:10月16日『...今日はこれが初めてのメールですが、白紙なのは以前に挑戦した痕跡です。失敗ばかりで、ついついあらぬ方向へ迷い込む弱いStray sheepを笑わないで救ってください...』

まる三日かかってメールにこぎつけた

寺嶋幸からも10月18日『今晩はmailがうまくはいりません。はいったらいいのですが。よろしくお願いします』というメールが届いた。自力でまる三日かかってメールを出すところまで来たという。すぐに『おめでとうございます。初めてのメール確かに拝受しました。これからはメール魔、書き魔になって下さい。一般に女性はメカに弱いと言われますが、先生は例外ですね。...』と返信を出した。

ところがこのメールにRe:で返信を出したところ、宛先該当なしで戻ってきた。調べてみると、寺嶋幸のアドレスに< gate >という単語が介在している。これは電子メールのIDがおかしいのではないかとFAXで助言した。それに対して『 gate の文字はなかったが、アドレスにasahi-netの文字が入っていなかった 』とメールが届き、これに対する返信は戻ってくることがなかった。これで寺嶋幸もメール合格。メールを使える会員が10名となった。

「Exchangeで電子メールを送ることができる人を尊敬します」と<Windows95テクニカルガイド>の著者が書いている。みんな偉い、尊敬する!?

とんだチョンボ、平にご容赦

府医ニュースの発行日を見ると毎週水曜日となっている。10月17日は木曜日だから本日府医ニュースが届きそこに<交野市医師会もホームページ開設>の<地区医だより>が掲載されているかもしれないと野村は思った。そこで、午前中の診療の合間に以下のようなメールを作り、掲載を確認すればすぐに発信しようと、はやる心で準備をしておいた。『...本日大阪府医師会の<府医ニュース>に当会のホームページ開設をPRする記事が掲載されました。もうご覧になられましたでしょうか? <田舎の医師会もやるな>と思ってもらえれば、ご同慶です。...』

しかし、届いた府医ニュースの何処にも期待した記事の掲載はなく、がっかりしてメールを準備したことをすっかり忘れてしまった。暫くして、メールが届いていないかとExchangeから配信をするとメールが届いている。これは見覚えがあると思った瞬間、「 またやった!」と叫んで絶句した。配信をした時に、準備していたメールが自動的に送信されていたのである。念の入ったことに、自分を含め8名に一括メールで送信をしてしまった。これまでに、この手の失敗を何回やったことか! 本当にそそっかしい人間である。

してしまったことは仕方がない、『とんだチョンボです。平にご容赦を!...』の一括メールを送信した。早速尼子から返信『...チョンボがあるのもおあいそです...』

野村が送信したメールに妙なものが付きだした

チョンボをした日に白井康から長文のメールがあり、野村から送信されたメールには10月10日の日付以降のものから妙なものが付属してきている、とのこと。白井康は超ベテランのMacユーザー、恐らくは野村の方に問題があるのだろう、そこでRe:の返信の形とアドレス帳から宛名を入れる形の2通りで送信をしてみた。その結果、Re:では異常なく、アドレス帳を使ってメールを出すと、妙な多数の文字列が付くことが判明した。

変な文字を大量に送りつけた犯人は誰だ!

送信の宛名を記入するのにアドレス帳を使うと変な文字列が付くとなるとアドレス帳に原因が潜んでいる可能性が高い。そこで、またまたチョンボをしていたことを発見した。アドレス帳に<リッチテキスト形式>で送信するように誤ってセットしてあったのである。<リッチテキスト>が何かを知らず、無造作にこれをチェックしていたが、調べてみると<リッチテキスト>を表示できるMicrosoft Exchange やその他のメッセージング システムを使用している受信者に、リッチテキストでメッセージを送信する場合にチェックし、テキストのみを送信するときは、オフにするようにヘルプは書いている。白井康にはご迷惑をかけ、まことに申し訳ない。これでダブルチョンボである。

もう一つの失敗

CanBeCt16を選んだ理由の一つにビデオRAMが2MBあることをとり上げたが、そのメリットを生かしていなかった。ホームページの画像は旧式の486のDOSマシーンで作り、それをWin95へ持ってくるのだが、この旧式のマシーンで見るJPEGの画像よりも、Win95でエクスプローラー、ナビゲーターを使って見る画像の方が画質が劣るのは最初から知っていた。しかし、それはブラウザのせいだと思い込んでいた。

ところが、ふと、これはディスプレーがフルカラー表示に設定されていないのではないかと思いつき、調べてみるとその通りで、256色が初期値であった。何としたことか! 画質の大事なホームページが多々あり、その素晴らしさを満喫する装備を持っているというのに、それに気づかず、会員に伝えることができなかったのは、トリプルチョンボである。まことに申し訳ない。

明石はプリンターに挑戦

10月19日に明石からメールが2通届いていた。最初のはプリンターの設定についてで、これは第1章で松木が立腹したドライブ名に関する件と同じで、後のはそれが解決できたという内容だった。あいにく、その日は外出していて帰宅が遅くなったために、最初のメールに返信ができず、明石には申し訳ないことをしたが、結果的にはその方が良かったと思われる。

明石には『メールありがとうございました。ただいま、帰宅しました。酩酊状で失礼します。さて、A:¥はIBMパソコンの場合で、98ではC:¥になります。これは、前2回の例会でご説明したのですが、98ではハードディスクをA:とします。CanBeでは、フロッピードライブはC:¥になります。これが松木先生に叱られた分です。しかし、これを解決されたそうで、立派です。こちらでは、尼子先生を抜きそうですね。頑張って下さい。<みんな悩んで大きくなった>と昔、野坂昭如が歌っていたうたの文句と同じです...』

神様の座から落ちたお嬢さん

第1章で大活躍した松木が登場しないのをいぶかる人がいるかもしれないが、相変わらず元気である。ただ、野村よりも役に立つ神様に通話先が変わったために、野村がリークする話が減っただけのこと。例会には精勤に出席するし、先日の土曜日の午後などは例会の日でもないのに医師会事務所を訪れ、人っ子一人いないので驚いたと言っていたほどである。

ある時、パソコンに付いてきた説明書が分かりにくい、不親切だとご立腹なので、本屋に行けば解説書はいくらでも売っている、例えばWordだけでも10種類以上ある、自分に合うのを探したらよいが、よく売れているのは<できるシリーズ>だと言ったことがある。 それ以来松木はワープロのWordに精を出し、パソコンを購入した店のアンサーラインのお嬢さんに専ら相談をしていたらしい。専門のエージェントのお嬢さんが懇切ていねいに教えてくれるので神様のように思っていたという。

しかし最近その神様は転落し、ただの偶像になってしまった。松木によると「印刷のトラブルに対して適切なアドバイスができなかった、彼女らは何も知らない、自分の店で売った品物のことがよく分からないのはけしからん」である。以上、<松木節>健在のご紹介まで。

府医ニュースに掲載された

前の週の木曜日(10月17日)に配達された府医ニュースに、当会のホームページ開設の記事が載らず、大チョンボをしたことは先に書いた。皮肉なことに、それから4日目の月曜日(10月21日)に10月23日号が配達され、そこの<地区医>だよりに<交野市医師会もホームページを開設>の記事が掲載されていた。やったぜベービー! チョンボ続きで滅入りかけていたのが、一度に幸せな気分に戻った。間髪を容れず尼子から掲載を喜ぶメールが届き、夜遅く小菓からもFAXでこのことをパソコン物語に書くように指示があった。

名簿作り

第3回の例会で会員名簿を作ることが決められ、その基礎資料が集まったので、いよいよ名簿作りにとりかかった。その内の会員のIDをホームページに公表することは既に発表済みであるが、データの一部をこのパソコン物語でも使わせて貰えば、読者に喜んでいただけそうに思える。その一つは<この物語に登場する医師たちのプロフィール>で、女性を除いて顔写真に生年と標榜科目、パソコン暦と機種をつける。もう一つは次の項である。

パソコンで何をしたいか、会員15名の回答

「パソコンで何をしたいのか?」という設問に対する回答を列挙する。15名の回答があり、その内の11名がパソコン新人(パソコン暦1ケ月以内)

・E−mail、DTP(簡単な)、データの整理、その他できること全て
・目下 不明                            
・世界の情報文化がクリック1つで得られる流行の様な物に乗り遅れまい 
・年賀状、写真、ビデオ編集、(現在点字)              
・インターネット、囲碁                       
・他科の先生達との診療上の情報交換など、画像とりこみ        
・文献検索、医学の情報、ショッピング                
・ゲーム以外の全て、特に創作とデータ整理              
・美術館、美術展の情報集め、世界中のことが知りたい、データ整理   
・メール、最新医学情報の検索、ホームページの開設          
・模索中、早く機械を自由に操りたい                 
・プリンターの色の調整、デジタルカメラ               
・インターネットで情報収集、ワープロ                
・患者のデータ(イラスト入り)、インターネット、ワープロ      
・身近な生活情報の収集、診療所データを入力、家計簿         

こんどはFAXに挑戦のようだ

10月23日の夕刻、発信人不明、発信元FAX番号不明で「 パソコンよりFAXを試しにお送りしてみます。届くかどうか自信がありません 」という内容のFAXが届いた。恐らくこれは尼子だろうと見当をつけて電話をするとこれが正解。またまた、新しいことに挑戦のようだ。世話人としては、ここで放って置くわけにはいかない。泥縄で Microsoft FAXの勉強をして返信したが、後でよく調べてみると、98FAXで送信してきたようである。

FAXをパソコンで受信するのはどうかと思うが、送信に限れば見事な文字で送ることができるので、例えばWordで文章を作り、そのままFAX送信することも価値があるかもしれない。Microsoft FAX は少々面倒のようであるし、メールとこんがらがる可能性もある。ここは、Exchangeをメール専門に使い、FAXは98FAXを使うのが間違いの起こらないやりかたであろうと考えた。かくして、またまた、ノルマは増えていくのである。

交野市の広報<かたの>にもホームページ開設の記事が載った

10月25日の広報<かたの>にもホームページ開設の記事が載った。広報の発行が25日なので、朝から何回も郵便受けに行くのだが、届いていない。正午前に尼子から広報掲載を喜ぶメールが届いたが、野村宅に届いたのは翌26日の夕刻だった。府医ニュースの時の感激は少なかったが、当会のホームページは交野市民に役立つ情報の提供に大きなウエイトを置いているので、矢張り嬉しい。交野市も未だホームページを持たず、公共的な団体のホームページとしては交野市の第1号であろう。当会のホームページ開設を紹介する紙面の隣に、インターネットを体験するためのインターネット教室の募集記事が 載っていた。グッドタイミングである。


<1996.10.27.>

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