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晩秋の鳴門旅行

 2016年11月9日〜10日

2016.11.17. 掲載
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目次
はじめに
1.淡路サービスエリア
2.阿波十郎兵衛屋敷
3.阿波踊り会館
4.ホテルニューアワジ・プラザ淡路島
5.大塚国際美術館
6.大鳴門橋の渦の道
まとめ

はじめに

ハートリー合唱団恒例の親睦旅行に、今年は徳島の鳴門が選ばれた。私は5月にコーラスを退団したが、その際、秋の親睦旅行に参加するという条件で退団を許可された経緯があり、風邪を引かないように極力注意して、当日を迎えた。

午前7時40分配車、出発8時00分厳守という旅のしおりの文面から、7時に家を出て、7時45分に旅行のバスに乗り込むと、ほとんどの方が乗車されていた。ギリギリ乗車でなくてほっとした。

コーラスの旅行はこれまで4回あり、その内の12年の伊勢志摩13年の出雲松江14年の石巻の3回参加している。

いずれの旅行も、天候に恵まれなかったが、今回は数日振りの快晴で、存分に旅を楽しむことができた。


図1.行程
0.守口→1.淡路サービスエリア→2.阿波十郎兵衛屋敷→3.阿波踊り会館
4.ホテルニューアワジ・プラザ淡路島→5.大塚国際美術館→6.大鳴門橋の渦の道→0.守口


1.淡路サービスエリア

明石海峡大橋を渡ってすぐの場所にある淡路サービスエリアからは、大阪湾と瀬戸内海にそびえ立つ、世界最長の吊り橋の雄姿が望見できる。

大阪市内の自宅マンションから、雨などによる視界不良がなければ、この二つの主塔は見える。(図2)


図2.淡路サービスエリアから眺めた明石海峡大橋

ここに観覧車があり、参加11名中8名がこれに乗った。私は高所恐怖症だが、まったく怖くはなかった。足もとが見える状態では、2メートルでも怖いのだが、足もとが見えなければ、飛行機でも怖くない。

ここの観覧車は、2人が相席で定員4名、ゴンドラの底が見えないので怖くなかったのだろう。最近オープンした万博記念公園の大観覧車のゴンドラは、座席シート以外の床面が透明ガラス構造と聞くと、思っただけでも身の毛がよだつ。

これは高所恐怖症の特徴ではないかと思うのだが、そうでないタイプの人もいるのかもしれない。


図3.淡路サービスエリアの観覧車


2.阿波十郎兵衛屋敷

徳島県立阿波十郎兵衛屋敷で、阿波人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」の上演を鑑賞した。阿波人形浄瑠璃は、義太夫節の浄瑠璃と太棹の三味線、3人遣いの人形の三者によって演じられる人形芝居である。

文楽と比べて大きな光沢のある人形を使い、大きな振りで演じられる。

物語は、大阪玉造に住むお弓のところへ、父母を訪ねてお鶴が巡礼姿で尋ねてくる。お弓は我が子と分かるが、そこで親子の名乗りをしたのでは、我が子にどんな災いが来るとも限らない。お弓は涙を飲んで別れる。

しかし、ここで別れては今度いつ会えるか分からぬと思うと、たまらず追いかける。ここまでが「傾城阿波の鳴門」順礼歌の段で、それを鑑賞した。


図4.「傾城阿波の鳴門」 お弓 にすがりつく お鶴


図5.「傾城阿波の鳴門」 お鶴 と お弓の別れの場面


図6.「傾城阿波の鳴門」上演後 おつる と お弓のお礼の挨拶


3.阿波踊り会館

阿波踊りは昔から好きで、一昨年夏に、日帰りツアーで徳島の阿波踊りを観覧したことがあり、その際にここ、阿波踊り会館も訪れた。

1963年夏に、大学時代からの親友が出張勤務していた徳島市民病院が、「徳島市民病院連」として踊るのを見に行った。そして、同じアホなら踊らな損損で、夜遅くまで街中を踊り回ったことを思い出す。私の阿波踊り好きは、この時から始まったのかもしれない。

図8は親友と踊り、ポーズをとる27歳の私、嬉しくてたまらないという顔をしている。


図7.阿波踊り会館


図8.42年前、親友と徳島で深夜まで阿波踊りを踊った時のスナップ

今回の旅行では、昼食のあと、徳島市内の中心、眉山の麓にある阿波踊り会館で、阿波踊りの実演と講習を受けた。その中でも、阿波踊りスタイルの時代変遷の実演講義は興味深かった。

講義では、1970年の大阪万博から新しい阿波踊りに変わったと聞いたが、ということは、1963年に友と踊ったのは旧式スタイルということになる。無茶苦茶踊りだったが楽しかった。

そして、踊りに負けないくらい「よしこの」が楽しかった。今でも、節も文句も完全に覚えている。しかし、今謡われているのは、かなり違っているが、これが新しい阿波踊りなのだろう。

「よしこの」には色々あるが、例えば、
 ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
 笹山通れば 笹ばかり  猪 豆喰て ホウイ ホイ ホイ

実演講義が終わったところで、講師は阿波踊りの練習を受講者に強く勧めた。受講者は団体客の大阪の老人会と私たちコーラスのメンバーが主で、それぞれが舞台に出て、好きなように踊りだした。

しばらく踊ったところで、踊りは止められ、熱演者4名に講師から表彰状が手渡された。その一人が我がハートリー合唱団の指導者、ハートリー美香先生だったので、大拍手で喜んだ。

続いて、表彰された4名の阿波踊りが、鳴り物入りで披露され、踊る者も観る者も満悦至極の楽しいひとときだった。


図9.たくさんの人が舞台に出て、無手勝流で踊り始めた。中央の男性、なかなかさまになっている


図10.講師より表彰状を授与され、喜びいっぱいの新森美加先生


図11.個性あふれる踊りを披露し熱演したことの表彰状である


図12.何を表彰してくれたのかな? もちろん、優美なダンスに決まってる!


図13. 4名の表彰者の先頭で優雅に踊る新森先生


図14.ああ満足の微笑み、右端の講師も満足の顔


4.ホテルニューアワジ・プラザ淡路島

テレビのCMで「ホテルニューアワジ」がよく放映されるので、旅のしおりに書かれている「ホテルニューアワジ・プラザ淡路島」は「ホテルニューアワジ」のことだと思い込んでいた。

「ホテルニューアワジ」で検索すると、場所は洲本市である。鳴門に行くのに、なぜ洲本のホテルに泊まるのか解せずにいた。

そのうち「ホテルニューアワジ」はホテル名だけでなく、グループ名でもあり、このグループには、異なる名前の11の旅館・ホテルがあって、プラザ淡路島はその一つであることが分った。やれやれ。

これで、宿泊に、鳴門・徳島に近い兵庫県南あわじ市のホテルが選ばれた理由がよく理解できた。
今回の旅行の主な観光地は、図14.行程再掲の、2 3 5 6 の 4個所で、いずれも徳島県にあるが、宿泊は4の兵庫県南あわじ市にあり、今回の旅行の観光地にごく近い。鳴門や徳島には適当なホテルがないから、ここが選ばれたのだろう。

このホテルは眺望が素晴らしいほか、夕食の会場、料理、従業員の接待が良く、これまでに経験した団体旅行の中で最高だと思った。

楽しい雰囲気に誰もがハシャギ、飲み、談笑し、カラオケに興じ、幸せだった。

コーラスのメンバーの一人に、帰宅しなければならない用事ができたが、90歳近いご主人が、カーナビを頼りに一人で運転してホテルに迎えに来られ、そのままご自宅まで運転して奥様ともども無事に戻られたと聞いたとき、感動でことばもなかった。私にはとうていできないことだ。


図15.行程再掲
0.守口→1.淡路サービスエリア→2.阿波十郎兵衛屋敷→3.阿波踊り会館
4.ホテルニューアワジ・プラザ淡路島→5.大塚国際美術館→6.大鳴門橋の渦の道→0.守口


図16.プラザ淡路島からは大鳴門橋が間近に望見できる。背景は四国の山々


図17.カラオケ「浪速恋しぐれ」を、デュエットで


図18.男声トリオでも歌う


5.大塚国際美術館

大塚国際美術館に入る前に、ツアー客に、入館時間は1時間30分と伝えると、全員が「エーー!」と不満の声を上げると、添乗員の小沢様は言う。その半分が「長すぎる、時間がつぶせない」で、残りの半分が「短すぎる、それでは満足に鑑賞できない」で、結局全員が不服を申し立てるとのことだ。

この話、なるほどそうだろうなと感心した。今回の入館時間は2時間と告げられたが、私たちのグループでは「エーー」の声は聞かれなかった。

ここへの訪問は3回目で、2000年、2002年にも来ている。幹事の中島様から旅のしおりを郵送していただき、一番嬉しかったのは、コースに大塚国際美術館が入っていたことだった。

私は絵を見ることが好きで、海外旅行では必ずと言ってよいほど美術館を訪問してきた。これまでに訪れた海外の美術館は43個所ある。

今回の訪問は、海外などで見た絵をここで見る懐かしさもあるが、それよりも、じっくり見ることができなかった絵、所蔵場所が散らばっていて1カ所でまとまって見ることのできない絵、修復前と修復後が見られる絵、画集でしか見たことがない絵を原寸大で見ることができる絵などに期待した。

身動きのできないほどのたくさんの観客の中で落ち着いて見ることができなかた絵としては、システィーナ礼拝堂の天井画や壁画(図19)、ジョヨットのスクロヴェーニ礼拝堂壁画(図20)、ピカソのゲルニカ(図21)などがある。

レンブラントはたくさんの自画像を描いたことで知られているが、ここでは、15点の自画像を同じ部屋で鑑賞することができる。(図22〜図24)

修復前と修復後が見られる絵画も、ここでしか見ることはできない。レオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」がそれに該当する。(図25〜図26)

画集でしか見たことがない絵画を、美術館と同じ原寸大で見ることができるのも、大塚国際美術館の大きな魅力である。海外の美術館を広く訪問できる人、海外の絵画の国内での展覧会に何度も出かけることのできる人は限られている。普通は、印刷された画集から、自分が好きな絵を眺めることで満足している。

私は若いころからボナールの絵が好きだったが、それは画集を通してであった。ここ大塚国際美術館で「浴槽の裸婦」を原寸大で見ることができてありがたかった。(図27)


図19.ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂 天井画:天地創造 壁画:最後の審判、ヴァティカン


図20.ジョヨットのスクロヴェーニ礼拝堂壁画、パドヴァ、イタリア


図21.ピカソ ゲルニカ、レイナ・ソフィア国立美術館


図22.レンブラント 自画像、51歳、スコットランド国立美術館


図23.レンブラント 自画像、63歳、マウリッツハイス美術館(前年に破産した)


図24.レンブラント 笑う自画像、63歳、ヴァルラフ=リヒャルツ美術館(最後の作品)


図25.レオナルド・ダ・ヴィンチ 最後の晩餐(修復前)、 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院、ミラノ


図26.レオナルド・ダ・ヴィンチ 最後の晩餐(修復後)、 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院、ミラノ


図27.ボナール 浴槽の裸婦、プティ・パレ美術館、パリ


図28.大塚国際美術館を見て、昼食を終え、大鳴門橋をバックに記念撮影


6.大鳴門橋の渦の道

渦の道は、鳴門海峡に架かる大鳴門橋の橋桁内(車道の下)に造られた海上遊歩道である。

海上45メートルのガラス床からのぞき込めば、渦潮が見える。高所恐怖症の人は恐いかもしれない。

遊歩道の両側は、橋本体への影響を軽くするため、金網になっているので、風はもろに通り抜ける。

全長450メートルの遊歩道の先端には、回遊式の展望室がある。ここはかなり広くて展望が良い。

徳島県が運営していることの分る、役人らしいWeb記事に、いささか参ってしまった。


図29.鳴門市側(西側)から見た大鳴門橋


図30.鳴門海峡の渦を、大鳴門橋上から、直接眺めることのできる「渦の道」入口


図31.大鳴門橋の立体構造 上段は自動車道、下段は中止された鉄道橋を一部活用した「渦の道」


図32.遊歩道「渦の道」の金網越しに見た鳴門海峡の渦潮


図33.遊歩道「渦の道」の金網越しに見た鳴門海峡の渦潮


図34.回遊式の展望室の床の一部は強化ガラスで仕切られ、45メートル下の海面が見える


図35.ワァー コワイーー!!


図36.目なんか、開けてられへん!


図37.渦は見えるかな?


図38.ネッ、こわくないでしょ!


図39.あ〜楽しかった!


まとめ

1.今回は、この旅行に参加するという条件で、コーラス退団を許された大切な旅行だった。
2.天候に恵まれ、病人も出ず、事故も、渋滞もなく、楽しい旅行だった。
3.添乗員、運転手ともにプロだと感心した。
4.私には、宿泊したホテルでの夜の宴会と、大塚国際美術館が一番心に残るだろう。
5.退団して6カ月となるが、聴力低下が一層進行していることを、この旅行で痛感した。
6.私よりも年長の方がたくさんいらっしゃるのに、聴力の衰えのないのが羨ましい。
7.しかし、したいことがなくならず、むしろ増える状態であることに、満足している。
8.楽しい旅行だった。皆様のお陰と感謝している。
9.幹事様、毎回お世話になり、ありがとうございました。

<2016.11.17.>

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