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生きている喜び

2013.03.01. 掲載
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●サマリー

2013年2月中旬の週末の寒い夜、友人と飲み、食べ、語り、歌った。同じ経験をこれまで何度もしてきているのに、今回は生きている喜びを一番強く味わった。

●ストーリー

午後6時から、ホテルで天麩羅を肴に、ビールとワインを飲みながら、シェフも交えて会話を楽しみ、そのあと、ラウンジでコーヒーを飲み、白人女性歌手のジャズヴォーカルを聴いた。

8時過ぎから、ピアノとサックスの生演奏がある生オケのクラブに行き、オールディーズを2人で数曲歌った。友人は、「ロシアより愛をこめて(From Russia With Love)」を今回初めて歌って上機嫌、私は「想い出のサンフランシスコ (I Left My Heart In San Francisco)」や「モナ・リザ (Mona Lisa)」などを歌った。生演奏はカラオケにないムードがあり心地よい。

1時間ばかりでその店を出て、友人行きつけのクラブでカラオケを楽しんだ。ここのホステスは品が良く、歌好きで、歌や歌手を良く知っている。そして、ほめ方が上手い。これは友人の店を選ぶセンスが、関係しているのだと思う。

ここで、9時ごろから午前1時過ぎまでの4時間ばかり、シャンパンや水割りを飲みながら、二人で2〜30曲歌ったと思う。

私が覚えているのは、「スター・ダスト(Star Dust)」「トゥー・ヤング(Too Young)」「ハワイの結婚の歌(The Hawaiian Wedding Song)」「好きにならずにいられない(Can't Help Falling In Love)」「ラブミーテンダー(Love Me Tender)」で、あとの二つは、私の声がエルビスに似ているからとリクエストされたものだった。

日本語の歌は、布施明に声が似ていると言われて歌った「霧の摩周湖」と「シクラメンのかおり」、店を出る前に歌った「また逢う日まで」、私が頼んでデュエットした「浪花恋しぐれ」を覚えている。

帰宅して、妻に楽しかった一部始終を話し終えると直ぐに眠ってしまったようだ。翌朝8時過ぎに目が覚めた。二日酔いはなく、気持の良い余韻を味わいながら、お礼のメールを友人に送った。

●ヒストリー

この友人と、ミュージカルやコンサートを一緒に鑑賞したあと、飲んで食べて喋って歌うという交友が始まったのは、1995年からである。その交友は、私がリタイヤする2005年までの10年間では年5〜6回以上あった。

引退後も、年に2回は機会を作って誘ってくれるので、合せて18年になる。

ミュージカルやコンサートの鑑賞は2009年の「ウィキッド」で終わり、それからは、それらを省いた今回のパターンになった。

友人も私もアルコールには強く、午前1時、2時まで飲んで歌っているのに、一度も酔いつぶれたことはない。二日酔いも知らない。だから、この友人と出かけるときは、妻はあまり心配をしていないようだ。

●アナリシス

私たちのような交友関係は珍しいのではないかと思う。私には、このような交友はほかにはない。そこで、どうしてこのような交友が18年間も続いたのかを分析してみた。

1.生き方
私たち二人は、人生をエンジョイしようと生きている。どのようなことに、どのような仕方でエンジョイするかは、それぞれ違うところはあるが、生き方の根本にこれがあることは大きく関係しているだろう。

2.音楽
音楽好きはたくさんいる。しかし、1)英語の歌を歌うのが好きで、2)ミュージカル鑑賞が好き、3)好きな共通の歌手にトリオ・ロス・パンチョスがいるという条件が付くと滅多にいるものではない。英語の歌も50年代、60年代のいわゆるオールディーズが好きとなると、もっと少なくなるであろう。

暗譜で、二人とも2〜30曲は英語の歌を歌えるし、歌詞があればその倍以上歌えるはずだ。

もちろん、私たちそれぞれは、これら以外の好きな音楽を持っていて、その方がはるかに多いのだが、、、

3.非日常を楽しむ
「非日常」いわゆる(ハレ)では、思いっきり楽しもうとする志向がお互いにあり、高級な、場所や料理や雰囲気を好むところも似ている。

私の場合はハレよりも日常生活を楽しもうとする気持の方が強く、それは例えば、夕食時のしみじみとした幸せであったりなど、いろいろあるが、数少ない「非日常」では、目一杯楽しもうとする。

4.アルコールが強い
アルコールに強いもの同士でないと、このような交友はありえないのは当然であり、そのような身体に生んでくれた両親に感謝している。

5.信頼関係にある
私は友人として必須の条件は、「裏切られないという安心感」ではないかと思ってきた。私たちには強い信頼関係がある。友情とか敬愛というのは気恥ずかしいが、それに近い感情かもしれない。

友人は私より3歳年下であり、ことばづかいには、それ相応の気配りはある。しかし、それだけのことで、お互いの信頼感情は強い。

6.干渉しない
二人とも個性の強い人間であるが、お互いに干渉することはまったくないし、頼まれなければアドバイスもしない。

7.独自の趣味を持っている
二人は、それぞれ、他の人には真似のし難い独自の趣味を持っているが、それについてはほとんど話題としない。

8.相手を思いやる会話
これは私にはなく、友人の持つ優れた長所だが、例えば、食事をしながら、シェフや仲居さんと気軽に楽しい会話を弾ませ、温かい雰囲気にする。

9.相性が良い
なんだかんだと分析し、理屈をつけてはみたが、要するに相性が良いと言うことだろう。

10.家族の容認
本人同士が良くても、その家族の容認がなければ、このような交友関係は長続きはしない。幸い、両方の妻はこの交友に好意的だったし、今もそれは変わらない。

11.聴いてくれた人が良かった
1〜10の要素は、18年間続いた私たちの交友関係を説明するのに充分だろうと考える。しかし、今回、生きている喜びを一番強く味わった理由の説明は、それだけでは不充分で、それに加わったもう一つの要素が関係している。

それは、歌好きで、歌に詳しく、歌の上手な人からもらった感想だ。歌い終わると直ぐに心のこもった感想が返ってきた。

私は歌好きで、絶えず鼻歌か頭で歌い、時に発作的に大声を出し、自己陶酔的に歌うことはあるが、人に聴いてもらいたいと思ったことはほとんどない。だから、聴いてくれた人の感想も、あまり意識に残らないのだが、今回はいつもと違って、心の深いところにまで届いた。そして、生きている喜びを存分に味わった。

●まとめ

最近、生きている喜びを存分に味わう体験を持ったので、それに関して過去の資料なども参考にして、まとめを書いた。

「生きている喜び」という発想が出てくる大きな原因は、孫娘が遊びに熱中する姿から受ける感動ではないかという気がする。これぞ生きている喜びと心底から思ってしまうのだ。


<2013.3.1.>

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