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入院と心の情景

2007.01.26. 掲載
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目次
はじめに
1.優しい医師の顔
2.排出できない苦悩
3.夢、現で見た映像
4.夢の中にいるもう一人の自分
5.甦る少年の日
6.聞こえてきた二つの歌
7.雲の美しさと心のやすらぎ
8.ルミナリエ96
あとがき
索 引


はじめに

昨年末と今年のはじめに2度入院をした。70歳を過ぎるまで病気で入院をしたことがなく、それを人並みに経験できたことはありがたかった。最初は急性前立腺炎による尿閉のための緊急入院で、後のは、その際に見つかった前立腺肥大症の手術を受けるためだった。

どちらの場合も、会陰部(肛門から陰部までの部分、つまり、自転車のサドルが当る場所)を圧迫することは望ましくなく、入院中の大半をベッドの上で過ごすことになってしまった。最初の入院は1週間、後のは10日間だったが、そのほとんどをこのような状態でいることを余儀なくされた。しかし、不思議なことに、この間退屈を感じたことは一度もなかった。TVを見る気が起らず、読書もしたくはなく、音楽を聞くことも、ニュースを知りたいという気にもならなかった。ただ、この与えられた情況を、あるがままに過ごしてみたかった。そして、この未知の体験により、私の心にどのような変化が起きるのかを知りたいと思った。

どちらの入院でも、水分を多量に採り、尿量を増やすことが求められたが、私はそれに過剰に応え、1日3000ml前後の尿量を保った。そのため、1〜2時間の間隔でトイレに行かざるをえなかった。排尿の度に尿量とその性状を「排尿チェック表」に記入することが指示されていたので、排尿が終わるとそれを記載し、次に手持ちのメモ帳にも同じことを記入した。

このメモ帳には、そのほかにも排尿痛やその程度、血尿の有無と程度、摂取水分の種類と量、排便の量、検温血圧測定の結果、点滴の開始終了などをできるだけ記入した。これは妻が居る間は妻に任せ、妻が帰ると私が行った。長い文章を書くのは苦痛なので、それが必要な時には、ICレコーダーに吹きこんだ。これもはじめての体験だったが、プロのまねごとをしている気分で、楽しかった。

私はこれまで不眠で悩んだことはなかったが、このように1日中ベッドにいると、どのように眠るのだろうかという興味があった。結果はどうかというと、昼間でも鼾をかいてよく眠っていたらしい。それは妻が部屋にいるので、入室してくる看護師や掃除婦、給食配膳の人などに気を使わなくて良いからだと思う。今回の入院で、私は自分が思っていた以上に他人に気を使う人間であることを知った。入室がなくなる午後9時になると、妻に帰宅を促し、朝は早く来て欲しいと頼むのが常だった。

妻が部屋を出ると同時に消灯し、窓から差し込む光の中で目をつむると心が和らぐ。これから、朝の6時ころまでは、何ものにも邪魔されず、眠くなれば眠り、夢をみたり、夢と現の間をさまよったり、考えごとをしたり、窓の景色を眺めたりと、これまで経験したことのない世界にいることができた。

前置きが長くなってしまったが、これから書いていく8つの心の情景は、このような状況で私が経験したことがらである。医療に関する詳細な入院の記録は「私の入院物語」というタイトルで、これからまとめて報告しようと思っているが、これにはかなり時間がかかるだろう。


1.優しい医師の顔

前立腺炎に罹り、排尿するには、その前に会陰部から背中に放散する身震いするような苦痛をこらえて、きばらなければならない状態となり、さらには、それでも尿が出にくくなって、S病院の泌尿器科を受診した。

名前を呼ばれて第2診察室に入り、迎えて下さった医師の優しい顔に魅了されてしまった。45年間医師として過ごしてきた中で、この方のような優しい眼差しの医師に出会ったことがなかった。バリトンの心地よい響き、早すぎることなく、しかし、よどむことはなく、尋ね、説明して下さる。この時、自分は良い医師に診療していただけることになった幸運を心から感謝した。

その気持は、入院を続ける間に高まることはあっても、少なくなることは決してなかった。午前7時半と午後5時過ぎには、必ず病室に来られる。そのほかにも検査結果が分かったり、予定外のことがあれば来て下さる。その時の話されるお顔を見るのが嬉しくて、いつも心待ちしているマイドクターだった。

私は医師の仕事をプロフェッショナルとして恥ずかしくないように行なってきたと思っている。しかし、マイドクターのような優しい顔で患者に接してきたと思えないのが寂しい。入院中はもちろん、退院してからも、マイドクターの優しい顔が目に浮かび、その度に心が温かくなる。この度の入院の最大の幸運は、このマイドクターに診ていただき、治療していただいたことだと思っている。

マイドクターのお顔は、山羊のような優しい目、おしゃれな口周りの髭、そして顎髭と頬髭がその優しい印象をより深めているのだろう。しかし、それよりも話される時の表情がことばでは言えぬほど優しいのだ。キリストの顔は、西洋の絵画に描かれているような寂しい顔ではなく、本当はこのような優しい顔だったのではないかと、なぜか思ってしまった。病院のホームページに掲載されているお顔は、実際とはかなり違っているが、マイドクターの優しいお顔を想像していただくよすがにはなるかも分からない。

手術の前日に、手術の術式、術後経過、起りうる合併症、後遺症について、私たち夫婦に説明をして下さった。私は冷静にそれを聞きながら、この方にすべてお任せする気持になっていた。心配しいの妻も私と同じ気持だったとことを知って、医師患者の信頼関係というものが、医療にとって如何に大切であるかを改めて思った。


2.排出できない苦しみ

私は70歳を過ぎるまで、快眠快食快便を続けてきた。快尿は誰も当たり前、尿が出なくなるなどとは思ってもいなかった。年齢とともに前立腺が肥大することは知っていたが、排尿障害の症状はまったくなく、自分は幸い前立腺肥大症を免れているのだろうと思いこんできた。

ところが、急性前立腺炎に罹り、尿が出なくなって緊急入院をすることになってしまった。導尿を断り、自排尿で頑張ってみることにしたが、入院した日の夜から尿量は減り、腹が張って身動きをしても苦しく、下腹部に響く状態をこらえ続けた。翌朝マイドクターが来室された時に、お願いをして、バルーンカテーテルを留置していただいた。その時の排出した尿量が900mlだったのを知って、苦しかった状態を数量的に理解することができた。

この状態で頭に浮かんで、ずっと離れなかったのが、怒りや悲しみ、苦悩を発散できない場合、それは例えようもないほど苦しいだろうということだった。尿を排出することができない苦しさに耐えている状態で、気持を吐き出せない苦しさの方がもっと厳しいことなのだろうと思うのはどういう心理状態なのだろう。どちらも、私が経験したことのないことだった。

また、こんなことも考えていた。人は、自分の体に取り入れることができないときに苦痛を感じるが、それと同じように、あるいはそれ以上に、体の中に溜まったものを排出できないとき、苦痛を感じるのではないか、そして、それが怒り、悲しみ、不安、寂しさであった場合、その人の生き方や生命にまで影響するのではないかとも。


3.夢、現で見た映像

ほとんど1日中ベッドに横たわり、1〜2時間毎にトイレに行くという状況では、夢と現(うつつ)の間を行き交うことになる。もちろん生まれて初めての体験だ。その中でいろいろの映像が浮かんだが、これまで夢の中で見てきた映像とはまったく別の種類の映像を見たことが忘れられない。

それはダークレッドの緻密な模様の映像だった。境界の分からない大画面で、隅々まで模様が鮮明に見える。目を開けてみると、病室の天井が見える。夢なのかと思った。目を閉じると、驚いたことに同じ映像が見える。繊細な模様がそのまま見えるのだ。もう一度目を開けると天井、閉じると、同じ映像。これは夢ではない、現なのだと覚った。

この時すぐにある画家の話が頭に浮かんだ。
その人の名は堀口博信といい、個展で見たすばらしいデッサンに感動し、10分ばかりことばを交わしたことがあった。その時、「対象を見ると、そのイメージが頭にできる。それを描くのであって、写生するわけではない。」と話されたことばが強く印象に残っていた。この画家にはそれができるようだが、一般にはそのようなことはできないのではないかという疑問だった。もちろん、私も見たものを思い浮かべることはできるが、それは写真のような詳細なイメージではない。

しかし、今回の経験から、それは人によって、あるいは状況によって、あるいは訓練によって可能かもしれないと思えるようになった。そのメカニズムを解明することは脳科学で重要な発見につながるのではないかとも思った。

この他にも、もう一度似た経験をしたが、この時の映像はダークグリーンで、精密な設計図のようだった。その映像を見ながら目を開けると天井になり、目を閉じるとそのまま元の映像が再現できるところが、ダークレッドの映像と同じだった。

現(うつつ)でも似たことを体験した。窓から見える雲の美しさから、シリウスを見つけ、この星が作る冬の大三角を写真撮影した。それを終えてベッドの上で目をつむると、さまざまに星がまたたく夜空が目に浮かんだ。プラネタリウムで見るようなものでなく、こどもの頃の夏の夜に眺めていた光景と同じだった。目を開けると天井が、目を閉じると同じ星空が見える。窓の外に見える星はわずか2個なのに、目を閉じれば無数の星空に変わるのだ。不思議だった。昔見た星空が写真のように保存されているのだろうか? それとも、別のデータを使って脳が合成した映像を見せてくれているのだろうか?


4.夢の中にいるもう一人の自分

こんどは夢の話。私はあまり夢をみないし、見ても覚えていないことが多い。しかし、この病院のベッドで1日中横になっていると、かなりたくさん夢を見た。また、その内容もかなり覚えていたように思う。私の夢は、世界を舞台とした荒唐無稽なものが多いが、フロイトのようにその夢分析をしようという気持はまったく起らない。

夢の中で数学の難問を解いて、それが解決して目が覚めたとか、夢の中で設計図の不備に気づいて、目を覚まして、測定をし直したというように、眠っている間にも脳は働いていることを示す体験をこれまで何度か持ったことがある。今回の入院では、それとは違って、夢を見ているとき、それを見ているもう一人の自分がいることに気がついたのだ。入院する以前にも、そのようなことはあったような気もするが、それが今回確かめられたように思う。

そのもう一人の私は、影法師のように常に一緒に居るわけではない。時おりそばに来て、「それ、おかしいんと違う?」とか、計算をして「こうなるよ」とか世話を焼いてくれるのだ。それに対して私は逆らうことをせず、「そうかな」などと答えて、苦笑している状態で何度か目が覚めた。最近、このタイプの夢が多いようだ。他の人も同じ経験があるのだろうか?


5.甦る少年の日

2007年1月16日午前2時頃から午前6時頃まで、私は目をつぶり、夢中になって、頭の中であるストーリの骨組みを構築していた。そのストーリーとは、一般の人が医療情報をどのように取り扱うべきかというアドバイスだった。しかし、なぜそのようなことを思いついたのかはよく分からない。ただ、嬉しいことがいくつも重なって非常にハイの状態であったことは確かだ。

マスコミなどが流す健康情報はもちろん、医学書やインターネット検索によって得られる医療情報、病院診療所での医療情報、専門医の流す医療情報、「正常値」とか「早期発見早期治療」とか「生活習慣病」、あるいは「EBM」など、もっともらしいことばが独り歩きしている現状、これまで専門家が推奨してきた生活習慣や健康常識で間違っていたものがかなりあった事実、それらが頭の中で次々と浮かんでくる。

頭に浮かぶのは勝手だが、これらをどのように整理し、まとめていくかということが、私の一番のしたいことであり楽しみである。目標物をシンプルで分かりやすく、しかし、正確で強い骨組みに構築するという段階が、難しいけれど私にとってやりがいのある作業だ。

パソコンがあればかなり楽だと思うが、目をつぶったまま頭の中で組み立てるのも悪くはない。総論として医学の論理を持ってきた。ここで、現在の医療はどのような論理で成り立っているのか、95%の正しさ、99%の正しさ、99.9%の正しさをはっきり理解してもらうことが最重要だと考えた。総論には医療の倫理も書くべきだろうが、誰もが納得するものは未だなく、これは省いた。各論では、どのように配列するかをいろいろ考え、変更し、この骨組みで行こうと思った時、部屋の外が騒がしくなってきた。6時が起床時間となっており、ナースが処置用の台車を動かして部屋を訪問し始めたのだ。

この時「お前は何をやっているんだ、そのようなことをする前に、しておかなければならないことがたくさん残っているではないか、こんなことより、もっとしたいことがあるのを諦め、することをしぼって、オマケの人生の前に、済ませようとしてきたのではなかったのか、おまけに、予想外の入院があり、その体験記をまとめたいと思っているのではないのか、一体、お前は何を考えているのだ」と我に返った。

4時間ばかり、夢中になって組み立ててきたことが、いたずらに終って苦笑しながら、少年の日に、何度か同じような無駄なことをしたことを思い出していた。

それは小学5年か6年のころの夏だったと思う。夏になると歩いて遠く離れた神戸の新在家の浜に行き、思いっきり泳ぐのが楽しみだった。そこへ水上スキーを作って持って行くことを夜中に思いつき、寝床の中で朝までずっとその設計を考えていた。今の水上スキーのようなものではなく、2メートルくらいの板2枚に、足を乗せる道具を付けるという代物だったと思う。カーブをつけたり削ったり、夢中になっていろいろ考えたが、朝が来て回りが明るくなった時に、こんなものに乗れるわけがないことを覚った。

60年前にしたことを、この年になってもくり返す自分を面白く思う。


6.聞こえてきた二つの歌

私はこどもの頃から歌が好きだった。絶えず鼻歌、開業医をしていた頃は診察室で知らずに鼻歌が出て、職員や患者さんによく笑われていた。ことほどさように、歌は私の生活の一部であるが、2回の入院のどちらでも、歌が出てきたのは、その後半に入ってからだった。苦しい時にも歌はあるだろうと思っていたが、それは間違いだった。

急性前立腺炎で尿閉となり緊急入院し、バルーンカテーテルを留置された。これは自分からお願いしたことで、これによって非常に楽になったのだが、男声自身を貫く太いチューブが着衣の外に出て、蓄尿用ビニールバッグにつながれている。歩く際には、この蓄尿バッグを紙バックに入れ、それを手で提げなければならない。このような無様な姿を妻以外の誰にも見られたくないと思い続けた。


そのバルーンカテーテルが抜去された時、高らかに頭の中に聞こえてきた歌が「アンチェインド・メロディー」だった。この歌は歌のデータベース1000にも載せているので、私の好きな歌には違いないが、愛唱歌ではなく、歌の出だしと終りくらいしか歌詞を知らないのだ。それが、なぜこの歌なのかと考えてみて、歌の名前から反射的にこの歌が出てきたことが分かった。

「Unchained Melody」、 Unchained(鎖から解き放たれた)、私を奴隷のように縛ってきたバルーンカテーテルから解放された嬉しさが、この歌を鳴り響かせたのだと思う。

帰宅してこの歌の歌詞を調べてみたが、甘いラブ・バラードだった。この度の入院で私の思い出の歌となったこの歌の歌詞を載せて置く。戯れに私が訳したものも加えておいた。「speed」は、速度を上げるでは意味が通じないので、古語にある「成功する」を使った。

Unchained Melody

Oh, my love, my darling
I've hungered for your touch
A long, lonely time

Time goes by, so slowly
And time can do so much
Are you still mine?

I need your love
I need your love
God speed your love to me

Lonely rivers flow to the sea, to the sea
To the open arms of the sea

Lonely rivers sigh:Wait for me, wait for me
I'll be coming home Wait for me

Time goes by, so slowly
And time can do so much
Are you still mine?

I need your love
I need your love
God speed your love to me


アンチェインド・メロディー
              野村 望訳

おお、私の恋人、私のいとしい人
私はあなたに触れたくて仕方がない
長くさびしく時間だった

時はたまらなくゆっくり過ぎて行く
時とともに何もかも大きく変わって行く
あなたは今も私のものだろうか?

あなたの愛が欲しい
あなたの愛が欲しい
神よ、あなたの私への愛を実らせて下さい

寂しい川は海へ、海へ流れ行く
大きく手を広げた海へと

寂しい川はささやく
待っていてくれ、待っていて欲しい
もう帰ろうとしているんだから、待っていて欲しいと

時はたまらなくゆっくり過ぎて行く
時とともに何もかも大きく変わって行く
あなたは今も私のものだろうか?

あなたの愛が欲しい
あなたの愛が欲しい
神よ、あなたの私への愛を実らせて下さい

青春時代ならまだしも、70歳を越えてもこのような甘いラブ・バラードが好きなのだから、苦笑せざるを得ない。

手持ちのCDでは、アンディー・ウイリアムス、ウイリー・ネルソン、ザ・プラターズ、ハリー・ベラフォンテ、ペリー・コモ、マット・モンロー、ライチャス・ブラザース、リアン・ライムスの8人がこの曲を歌っている。ライチャス・ブラザースでヒットした曲だが、私はアンディー・ウイリアムスの端正な唄い方が好きだ。


2度目の入院でも最初は歌と無縁だった。経尿道的前立腺切除術を受けた翌々日、留置バルーンカテーテルが抜去され、それから非常に強い排尿痛をこらえて3回排尿をした後、4回目の排尿をする前に頭に聞こえてきたのが、「When I Fall In Love」だった。この曲は日本語では「恋に落ちた時」となっているが、本当は「恋に落ちる時」だろう。

この歌も私の好きな歌で歌のデータベース1000にも、歌と思い出にも載せているが、愛唱歌ではない。それがなぜか頭に響いてきたのだった。そして、この歌はこのあとの入院中も、退院した今でも、絶えず鼻歌で唄っている。

この歌の歌詞と私の日本語訳を載せておく。

When I Fall In Love

When I fall in love, it will be forever
Or I'll never fall in love

In a restless world like this is
Love is ended before it's begun

And too many moonlight kisses
Seems to cool in the warmth of the sun

When I give my heart, it will be completely
Or I'll never give my heart

And the moment I can feel that you feel that way too
Is when I fall in love with you


恋に落ちる時
                 野村 望訳

私が恋に落ちる時、恋は永遠に続くだろう
そうでなけりゃ、私は恋に落ちることなどしない

こんなに慌しい世では、恋は始まる前に終わってしまう

月の光の下で交わした数え切れないキッスも
次の日の太陽の光の下では冷めてしまうだろう

私があなたに心を捧げる時、心のすべてを捧げるだろう
そうでなけりゃ、私は心を捧げることなどしない

そして、あなたも同じ気持だと分かった時
その時は、私があなたと恋に落ちる時なのだ


手持ちのCDでは、ドリス・デイ、ナタリー・コール、ナット・キング・コール、ヘレン・メリルの4人が唄っていて、どれも素晴らしいが、やはりこの歌はナット・キング・コールのものだろう。

この歌も甘い甘いラブ・バラードだが、私は好きで、今もこの歌のように思っている。


7.雲の美しさと心のやすらぎ

この病院の個室の病室は南向きで、南面には1.5×1.5mの1枚板のガラス窓があり、ベッドに横たわると窓越しに空だけが見える。1日中空を眺めていて、雲がこんなに美しいことを何度も教えてもらった。その中でも、これまでに見たことのない美しい二つの雲のことを記しておきたい。

その一つは12月25日の午前6時30分から7時頃に見た雲

空が明るくなり、水平線近くがほんのりと橙色に染まりはじめ、雲が糸の様に細く長く水平に3層4層になって並んでいる。とても美しい。このような雲を今まで見たことがない。夜明けの空は時間とともにどんどん濃くなって行く。水平線の赤みが増し、糸のように細かった雲が、次第に幅を広げて帯状になり、それとともに色薄くなっていく。

もう一つは、1月14日午前0時30分から1時頃に見た雲

室内の全部の光を消して、窓の外を眺めると、そこには息をのむほどの美しい雲があった。魅せられて眺め続けていると、雲は絶えずその姿を変え、同じものを二度見ることはない。この絶えず変化を続ける雲の姿から、釈迦の言うあらゆるものは常に変化して、一刻も同じ状態にとどまることはないという諸行無常を感じ、ヘラクレイトスの万物は流転するを実感する。そして心がゆっくりやすらいでいく。

この美しい雲の姿を記憶だけに留めておくのが惜しくて、デジカメで撮影してみた。実際はこの写真よりはるかに美しいが、これからでも、その美しさを想像していただけるのではなかろうか?

2007.1.14. 00:46 輝く星はシリウス
2007.1.14. 00:53 輝く星はシリウス


8.ルミナリエ96

1月15日の夜遅くメールが届いた。使用許可を求める内容だったが、その文面に感激した。

...「神戸ルミナリエ96」を見て感動しました。...道路イルミネーションの事例として、東京の六本木ヒルズ(けやき坂通り)は有名なので、○○市民に紹介したいと考えていますが、「神戸ルミナリエ96」の写真を見て、これこそがイルミネーションの原点だと感じました。魂がこもっているからです。道路イルミネーションを考える場合、「神戸ルミナリエ96」抜きにはありえないと思います。...

折り返し、許可の返信をしたあと、神戸ルミナリエ96を思い出していた。今から11年前、ホームページを開設して3ヶ月目に掲載したタイトルで、技術的に稚拙というべきレベルだった。古い銀塩カメラで撮影し、DOS時代に使っていたGT4000というスキャナーをDOSマシーンに接続し、今は誰も知らないであろうRGBファイル形式で取り込み、それをJPGに変換して掲載したのだった。しかし、撮影は感動の連続の中で行なったのを覚えている。妻も私が感動し、興奮して撮影していたと懐かしそうに思い出していた。


あの11年前の稚拙な映像に対して、道路イルミネーションのプロが感動したことを知り、技術の巧拙と見る人に与える感動は別のものであることを改めて思った。それを思った時、二つのピエタが頭に浮かんだ。

15年前の最初のイタリア旅行でサン・ピエトロ寺院にあるミケランジェロの「ピエタ」を見て感動し涙がこぼれた。25歳で制作したこのサン・ピエトロのピエタは完璧だった。しかし、4年前の二度目のイタリア旅行でこの「ピエタ」を見た時には、前回ほどの感動はなかった。

ミラノのスフォルツェスコ城にあるロンダニーニのピエタを見た時、心の深いところからこみ上げてくる感動を覚えた。完璧な「サン・ピエトロのピエタ」よりも、一見稚拙とも見える未完成の彫刻に魅せられ、感動したのはなぜなのだろうか?

ミケランジェロが死ぬ数日前まで彫り続けていた作品であるという予備知識だけで、この感動を説明することはできない。人は完全な美しいものに感動するが、必死で自分の望むものを創り上げようとしている完成途上の作品に対して、より一層胸を打たれるのかもしれないとその時思った。

あのルミナリエ96を、私はこれまで経験したことのない感動の中で撮影した。そのことが技術の稚拙を越えて、見る人に感動を与えるのかもしれない。


あとがき

生まれてはじめて、約2週間の間、一日の大部分を病院のベッドの上で過ごすという体験をしたが、そのような状況でどのようなことが心に浮かんだか、どのようなことを考えたかをまとめてみた。私にとって貴重な記録だが、関心のある方にお読みいただけることを願っている。


<2007.1.26.>

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