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この朝も目を覚ますとオリンピック・カウンテス号はクレタ島の中心都市であるイラクリオンの港に接岸している。7時過ぎに下船し、20分ばかりバスに乗ってクノッソス宮殿を訪れた。
クレタ島はエーゲ海の島の中では一番大きく、兵庫県ほどの面積で、恵まれた地形と気候が生み出す農業収入により、クレタはギリシャで一番裕福な島となっている。
クレタ島はまたギリシャ文明の発祥の地でもある。BC30世紀ころからこの地で文明が起こり、BC18〜15世紀にクノッソスをはじめ華麗な宮殿が建てられ、クレタ(ミノア)文明の花が開いた。その後サントリーニ島で起きた火山大噴火などが原因となり、ミノア文明は突然衰退し、ギリシャ本土に台頭してきたミケーネ文明にとって代わられたと言う。
今回観光したクノッソス宮殿は、そのミノア文明の最盛期の頃に建てられたが、ミノア文明の衰退とともに地上から消え去り、ギリシャ神話やホメロスの叙事詩の中に出てくる「クノッソスの迷宮」はフィクションと考えられていた。ところが、今世紀に入ってイギリスの考古学者アーサー・エヴァンズがオリーブ畑の下からこの宮殿を発掘し、ミノア文明の存在が知られることになった。
この宮殿は部屋が1300近くあったと推定されている。発掘された部分を見ると2階建て、3階建ての複雑構造になっていて、大小長短一定しない不規則な部屋が有機的に配置されている。
以前ポンペイ遺跡を訪れた時、2000年前の文化や人間の営みが、私たちのそれと大差ないことを知って衝撃を受けた。今回の旅行でアクロポリス時代のギリシャ文明の遺物に接し、また、トルコのエフェソス遺跡も目にしたが、それらよりもはるかに古い今から3500年前に、このクノッソス宮殿のような優れたミノア文明が存在していたことを知って、その思いはますます強くなった。
人類の進化というものが、1000年のような単位ではなくて、もっと遅々たるものであり、自分の一生はその流れの中のほんの僅かの期間に過ぎないことに感慨を覚える。何千年も昔から変わることなく、人は生まれ、喜び、悲しみ、愛し、子を育て、そして死んで行ったのだ。
このクノッソス宮殿の北側にある劇場の石段のところで、現地ガイドが「ここは滑りやすいから気をつけるように」と注意してくれた途端に滑って転んだのはそのガイド。彼女は痛みが強いらしく、うずくまってしまった。(これもドジ#12に数えることにする)
しばらくすると、包帯を手にDr賢三が現れ、彼女の左足関節部を包帯で固定しはじめた。それを見て妻が介助をする。20数年間診療の介助をしてきたので習慣的に手が出てしまうのだろう。案外邪魔をしただけかも知れないのだが、、、
ドジを重ねてきたDr賢三であるが、ここにきて人助けハプニングの機会を得た。包帯はこの遺跡への入場口にある事務所でもらってきたとのこと。しっかり足首を固定してもらった彼女は「少し痛みが軽くなった」と嬉しそうだ。Dr賢三の迅速な判断と行動、カッコイイ!!(ハプニング#7)
クノッソス宮殿の遺跡を見たあと、イラクリオンに戻り、考古学博物館を訪れた。ここにはクレタ島に起こったミノア文明の遺産のすべてを展示している。クノッソス宮殿の壁画を修復したものもここにある。
クレタ人は「古代における最大の絵画民族」と呼ばれるだけあって、特に壁画(フレスコ)が豊富だ。宮殿に数多く見られる壁画の題材は自由奔放でカラフル。人々の姿勢は様々で、動植物も多く描かれ、静止するものはない。これはオリエントやエジプトのそれとは異なる。また、ミノア文明の後に来るギリシアの文化にもこれほどの壁画は現れない。これだけ栄えた「壁画」の文化がなぜ途絶えてしまったのだろうか?
王妃の間を飾る「イルカ」の壁画を見ると、3500年も前にイルカの絵が描かれたことに驚きつつ、何故か頬がゆるんでくる。すばらしい! 人間ってこんなに昔から生活を楽しんできたのだ!
「牛の上のアクロバット」または「雄牛跳び」と呼ばれるこの絵の躍動感はどうだ!雄牛とその上で逆立ちをする男のなんと生き生きしていることか、それでいて現代のアブストラクトに通じるシンプルな絵、もう、うなってしまう。これが本当に3500年前に描かれたのかと、、、
「青の夫人たち」と呼ばれる壁画に描かれた3人の女性のふくよかな美しさにほれぼれしてしまう。エジプトの絵画に描かれた女性の端正な横顔を美しいと昔から感じてきたが、この「青の夫人たち」には、より人間的な魅力を感じる。
「パリジェンヌ」と呼ばれる壁画は神の巫女を描いたものとも言われるが、パリジェンヌのような小粋な感じがしないでもない。名前はともあれ、魅力的な絵である。
ここまで書いてきて、Dr賢三がこの博物館でやらかしたドジを思い出した。この博物館もフラッシュ撮影は禁じられている。今どき博物館、美術館でフラッシュ撮影が許されているところなどないだろう。しかし、Dr賢三はフラッシュを光らせてしまった。この閃光に気づかぬ監視人はいない。すぐさま飛んできて大声で制止した相手が私なのだ!
Dr賢三と持っているデジカメが同じなのだから、その監視人が間違ったのも無理はないが、こちらはエライ迷惑である。カメラマンKENZOは撮りたいと思うとその気持を抑えられないところがあるようで、それが傑作を生む原動力になっているのは認めても、周りの者は冷や冷やする。
以前にも一緒にブルーノートでジャズ・ヴォーカルを楽しんだことがあったが、ここでもフラッシュを光らせ、その場でデジカメを取り上げられた。帰り際に戻ってきたデジカメを調べると、そこでの撮影分だけ削除されていたという。(ドジ#13)
船に戻り、昼食をビュッフェで済ませて、キャビンでくつろいでいるところへ、添乗員から電話が入った。ツアーで一緒の新婚さんがウエディング・ドレスを持って来ていて、洋上でそれを着たいと言っておられる。わたしたち皆でお二人を祝ってあげたいので、時間があれば、2時に「ディスコ」の外のデッキに来てもらえないか、という依頼だった。もちろん、OKだ。(ハプニング#8)
「新婚さんに何かお祝いの歌を唄ってあげたら」と妻が言う。それは良いことに気がついたと私は喜んで唄うことにした。唄う曲目をいくつか考えてみたが、二人がハワイのホノルル・マラソンで知り合って、それが縁で結婚したことを聞いていたので、「ハワイの結婚の歌(ハワイアン・ウエディング・ソング)」に決め、添乗員に電話をすると、新婚さんも喜ばれるだろうと、賛成してくれた。
試しに唄ってみると、歌詞を覚えていないところがある。まあ、私の唄う歌詞はメチャクチャで、適当に誤魔化して唄うのはよくあることだから、覚えていないところを作詞することにした。覚え易い歌詞がうまく作れたので、これでよいと安心したら、高いびきで眠ってしまったようだ。妻は「こんな時でもよく眠るわね!」と呆れている。
2時にデッキに上がると、ウエディング・ドレスを着た美しい新婦と新郎がそこにいた。ツアーのメンバー全員が集まってくる。添乗員から紹介があり、私は新郎新婦を前に、お祝いの歌を心をこめて唄った。妻と添乗員のほかは誰も私がお祝いの歌を唄うこと知らなかったので、呆気にとられたことだろう。
あとで新婦が「あの歌はハワイの教会で結婚式をした時に聴いた歌だったので、胸にジーンときた」と言ってくれたときには良いことをしたのだなと思った。これがもう一つの人助けハプニングである。人助けをして自分も楽しめたのだから一石二鳥と言うべきか?(ハプニング#9)
披露パーティーが終わって、デッキから「ディスコ」の部屋に入ると、ビンゴ・ゲームをしているところだった。添乗員が司会者と何か話をしていると思ったら、司会者のマイクを借りてきて、ステージでさっきの歌を唄うようにと言う。アカペラだけど、今度は室内でマイクを通して唄うのだから、もっと上手くいくだろうと喜んで唄わせてもらった。良い気持だったが、マイクなしの時の方が良かったと妻に言われてがっくり!
以下の写真をホームページ上で公開することについて新婚さんは了解してくれた。ホームページに載せてもらって嬉しいと弾む声を聞いて、私は嬉しくてしかたがない。可愛い気立ての良い花嫁さんだ!きっと幸せな結婚生活を送るだろう!
オリンピック・カウンティス号はクレタ島を11時に出航し、サントリーニ島に向け66海里(56km)を航行中