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アムステルダムのホテルを早朝に発ち、スキポール空港から約3時間半の飛行で、午後2時過ぎに、アテネのエレフテリオス・ヴェニスゼロス国際空港に到着した。ここはアテネの東27kmにあり、2001年春からの開港である。新しいだけに、清潔で機能的な感じがして、好感が持てた。
ところが、ここで思わぬハプニングがあった。荷物が4個届いていないのだ。海外旅行7回目にして、はじめて経験する「航空機寄託手荷物遅延」である。その内の2個は新婚さんのものだというから気の毒に思った。この時、添乗員は動揺を見せることなく極めて冷静に、しかし的確に対処した。彼女の行動を注目しながら、緊急事態発生時に医師に求められるものと、彼女の対応が同じであることを知った。これがプロフェッショナルなのだ。ただ、彼女の目が、それまでとは違って、充血しているのには気がついていた。
荷物は午後10時過ぎに2個、午前2時には新婚さんの2個がホテルに届けられたということだ。後で新婚さんとそのことで話をしたところ、海外旅行の最初から手荷物が行方不明で、帰国して3日目に荷物が届いた友人を知っているので、それほど驚かなかったと聞き、そんなものかと感心した。(ハプニング#2)
空港から専用バスでアテネ市街に向かい、ホテルに荷物を降ろすと、すぐアテネ市内観光に出発した。アクロポリスのふもとでバスを降り、パルテノン神殿のあるアクロポリスへ向かう。アクロポリスとは、「とがった丘」を意味する。標高は165mで、アテネ市内では、アクロポリスを視界からさえぎる高さの建築は規制されているため、市街のどこからでもアクロポリスを望むことができる。
<プロピライア>
アクロポリスの唯一の入り口であるプロピライアの列柱を抜け、アクロポリスの丘に出るとパルテノン神殿が目の前に堂々と姿を現す。
<パルテノン神殿>
プロピライアからアクロポリスに入ると、正面ではなく、斜めにパルテノンを眺めることになる。そのため、アクロポリスに入った者に、もっとも美しく見える角度でこの神殿は建てられているそうだ。B.C.432年に15年の歳月をかけて完成したアクロポリス最大の神殿で、ドリス式建築の最高傑作とされている。B.C.460年からの30年間はギリシア史上「ペリクレス時代」または「黄金時代」と呼ばれるが、アクロポリスとパルテノン神殿はまさにこの時代の象徴と言えよう。
17世紀に入って、ヨーロッパ諸国とトルコの争いの中で、パルテノンは弾薬庫として使用された。そしてアクロポリスを包囲したヴェネツィア軍が放った砲弾が命中して大爆発し、パルテノンは瓦礫の山となった。2000年以上も美しい姿を保ったパルテノンは、ギリシア文化の継承者を自認するヨーロッパ人の砲弾によって破壊され、現在のような姿となったのである。
<エレクティオン神殿>
先へ進むと、アテネを守る6人の女身柱で有名なエレクティオン神殿がある。イオニア様式の完成された姿といわれ、優美な姿をいまも残している。
アクロポリスの広々とした丘の上は、いたるところが展望台で、アテネの町が一望できる。
<イロド・アッティコス音楽堂>
アクロポリスの入り口プロピライアの少し手前の右手にある。アーチが多用されていることからも、ローマ時代に改築されたことが分かるらしい。6000の客席が修復され、夏にはアテネ・フェスティバルの会場として、コンサートやオペラの公演が行われる。現地ガイドは、今年の切符を購入できなかったと残念がっていた。
<リカビトスの丘>
アクロポリスの北東には、アテネで一番高い丘、標高277mのリカビトスの丘が見える。遠くにそれを眺めた時、昨年フランスで眺めたモンサンミッシェルを思い出した。その丘のすそ野にアテネ市街が広がり美しい。
<フィロパポスの丘>
アクロポリスの南西にはフィロパポスの丘が見える。アクロポリスを降りると、私たち4人はこの丘に登ってアクロポリスの丘とパルテノン神殿を遠望した。しかし、ツアーの他の人たちは暑さのためにギブアップしたようだ。それにしても、Dr賢三の脚はどうなっているのだろう。旅行前の負傷は、私たちを心配させるためのたくらみではなかったかと思わせるほど動き回っていた。もちろん、それは良いことなのだが、、、
翌日現地ガイドの話から、この日の気温は45度C、日陰でも39度Cだったことを知ったときは正直たまげてしまった。その気温の中で、ほとんど水も飲まずに、二つの丘を登ったのだから、もう呆れるというか信じられないほどだ。これは湿度が低いから耐えられたのだろう。関空に帰って、JRの切符を買うまでの間、首に生あったかい空気がまとわりついた感じがして耐えられなくなり、冷房車に逃げ込んだのを思い出す。湿度がどれほど不快度を高めるかについて、この経験からよく理解できた。
1896年の第1回近代オリンピックが開催された競技場で、スタンドはすべて大理石で造られ、約5万人が入場可能という。トラックは現代のものと違って馬蹄型をしている。
この旅行の直前にDr賢三の右脚負傷というハプニングがあったことを前に書いたが、このツアー参加者にはもっとすごいアクシデントの経験者がいたのだ。オリンピック・スタジアムで両手に松葉杖をついている女性がその人である。彼女は旅行の2ヶ月前に車にはねられ、ボンネットを越えて10mばかり飛ばされ、10時間ほど意識がなかったそうだ。その際の打撲で歩行困難になり、旅行の1ヶ月前にようやく松葉杖で歩けるようになったと言う。
そのような状態なので、何度か旅行をキャンセルしようかと思ったそうだが、一人息子がこの春大学に入学し、家族でエーゲ海クルージングをするのを楽しみにしてきたので、思い切ってリハビリも兼ね、参加したのだと話してくれた。(ハプニング#3)
アテネ最初の夜は、アテネの南西約10kmにあるギリシャ第1の港ピレウスで、海鮮料理を中心とした夕食だった。ツアーのメンバー一同が顔を合わせて食事をするこれが最初なので、自己紹介が行われた。その席でDr賢三は非常に若いと評判になり、彼は現代風のお医者さん、私は昔風のお医者さんと大方の評価が決まった。Dr賢三は上機嫌、私は不機嫌。あちらが現代風というのは分からないでもないが、何で私は昔風やねん、これでもハイカラのつもりなんやけど。
向かいに座ったのが、例の手荷物延着の新婚さん。なれそめはと聞くと、ホノルル・マラソンで一緒に走ったのが縁だとのこと。彼は東京人、彼女は純粋の浪花女。嫁さんにひかれて彼は大阪に来たらしい。これぞ現代風の結婚ではないか? 二人とも無理をするところがなく、自然で感じが良かった。
ロブスターは大して美味くはなかったが、「ウゾ」というギリシャの酒は、松やにの匂いのする変わった味で美味かった。この酒は透明だが、水とか氷を混ぜると白く濁るのが珍しく、45度くらいでかなり強い。この酒「ウゾ」と言うのは「ウソ」でしょう、なんて何時も通り、Dr賢三が駄洒落を飛ばしていたのはご想像通り。
ホテルに戻ってから4人で外に出て、夜のライトアップされたパルテノンを眺めた。照明の色が効果的で、昼間見たパルテノンとは違った美しさがある。パルテノンが良く見えるレストランでアイス・コーヒを飲みながら、アテネの夜を楽しんだ。夜景の撮り方もこのときにマスターすることができた。
明石夫妻は翌朝早くホテルを出て、朝の散歩とスケッチをされたようだ。私たちも海外旅行に行くと、たいてい早起きしてホテル周辺を散歩するのだが、この夜は疲れ果て、バタン・キューで眠ってしまい、散歩など思いもよらなかった。瞳夫人のスケッチをDr賢三にデジカメで撮影してもらい、皆さまにご披露したく思っている。乞うご期待!