臓器くじ(The Organ Lottery)
概要
1. 臓器くじ(The Organ Lottery)
トロッコ問題(特に派生型の「太った男」)の矛盾をさらに突き詰めた、哲学者ジョン・ハリスが提唱した恐ろしい思考実験です。
・シチュエーション:
ある病院に、それぞれ異なる臓器の不全で死にかけている5人の患者がいます。そこに、健康体で臓器の適合する1人の若者が定期健診にやってきました。彼の臓器を摘出して5人に移植すれば、5人の命が助かりますが、彼は確実に死にます。
・問いかけ:
「5人を救うために1人を殺す」という点ではトロッコ問題と同じですが、医療現場でこれを実行することは倫理的に許されるでしょうか?
・ポイント:
多くの人が「絶対に許されない」と感じます。数(1人 vs 5人)の計算だけでは割り切れない、「個人の人権」や「予測可能性(誰もがいつ殺されるかわからない社会への恐怖)」の重要性を気づかせてくれます。
詳細
1. 臓器くじ(The Organ Lottery)
臓器くじ(Organ Lottery)は、哲学者ジョン・ハリス(John Harris)が1975年に論文『The Survival Lottery』で提唱した、功利主義の倫理的帰結と生命倫理をめぐる有名かつ過激な思考実験です。
1. 基本前提とシステムの仕組み
完全な乱数抽選: 全市民に暗号化されたIDが割り当てられ、公平な「くじ引き(サバイバル・ロッタリー)」が運用されます。
ドナーの選定: 複数の臓器不全によって死に直面している患者(例えば2人以上の重病者)が発生した際、くじでランダムに選ばれた健康な市民1人が選出されます。
強制摘出: 選ばれた1人の健康な市民を安楽死させて臓器を摘出し、それを待機患者たちに移植して救命します。
算術的合理性: 1人の犠牲によって2人以上の生命が救われるため、社会全体の総生命数(功利)は確実に増加するという理屈です。
2. 設定されているルールと制限
自業自得の除外: 喫煙や重度のアルコール中毒など、個人の生活習慣や自己責任に帰因する病気で臓器不全になった患者は、移植を受ける権利から除外されます。
ドナーの選択基準: 殺人や暴力によって誰かを殺すのではなく、制度として完全に公正な確率のもとで命の選択が行われます。
3. 倫理学・哲学における主な論点
功利主義(Utilitarianism)の限界 「最大多数の最大幸福」を単純に数値化すると、1人を殺して2人以上を救うことが正当化されてしまいます。
この思考実験は、純粋な功利主義が私たちの直感的な道徳観(殺人への拒否感)と致命的に対立することを示します。
「殺すこと(Killing)」と「見殺しにすること(Letting Die)」 通常、積極的に人を殺すことは「見殺しにする」ことよりも重大な悪とみなされます。
しかしハリスは、臓器不全の患者を救出可能な手段があるにもかかわらず何もしないことは、患者を「見殺し(殺害)」にしているのと同等ではないかという問いを投げかけています。
権利論(カント主義的視点) イマヌエル・カントの人間尊厳論の立場からは、人間を他人の目的(生命維持)のための「手段」として利用してはならないと批判されます。
個人の「生存権」や「身体の不可侵性」は、全体の総利益のために侵害されてはならない不可侵の権利であるという主張です。
制度的信頼と恐怖感 社会システムとして導入した場合、「いつ自分がくじに当たるか分からない」という恐怖が常態化し、結果として社会全体の福祉や幸福度が著しく低下する(=結局功利主義的にも失敗する)という指摘もなされています。
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