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 名塩は武庫川の支流・名塩川がつくる渓谷沿いに開かれた集落である。
 地名の由来は定かでないが、「変容する西宮北部」には以下の記述がある。15世紀中頃の史書に当時「内塩」と呼ばれた地名があり、往古この地は塩之原山(有馬温泉)の山内にあり、そこから内塩と呼ばれ、後に名塩となったとも言われている。
 旧来の名塩、木元、武田尾温泉の各地区に多くの新興住宅地が造成された街である。
 またJR西宮名塩駅は1986年のの開業以来、年々乗降客を伸ばしている。今や北部西宮の表玄関となっている。大阪方面への通勤、通学の多い山口の住民にとっても名塩はなじみのあるとなり街である。
 名塩の厳密な呼称は西宮市塩瀬町名塩地区といったところだろうか。
 江戸時代以来、名塩は村中が紙漉きに携わる山合の村だった。1889年(明治22年)の町村制実施の際し、旧・名塩村は旧・生瀬村とが合併し塩瀬村となった。両村の一字を採って村名としたものである。1951年(昭和26年)旧・塩瀬村は旧・山口村とともに西宮市と合併した。
 前述の通り、名塩と生瀬は近世に至るまでは別個の村落として営まれ、歴史的にも地理的にも独立した村だった。そこでここでは個別の街として取り上げることにした。
 右は名塩のランドマークともいえる教行寺の太鼓楼である。
 山口の東隣りが名塩東久保である。国道176号線に沿って宝塚方面に向かい赤坂峠を過ぎると、南側に棚田の風景が見える。今は見ることの少ない風情のある何故か懐かしい風景だ。
 この周辺の航空写真には、東久保のヘアピンカーブの周囲にある棚田の見事な造形が写しだされている。周辺には大型宅地開発が年を追って進められている。この貴重な風景は、いつまで保たれるのだろうか。
 関西の有数の温泉地である武田尾温泉の地名は塩瀬町名塩である。武庫川を挟んだ対岸は宝塚市になる。江戸初期に豊臣方落武者の武田尾直蔵が発見した湯と云われている。春の桜や秋の紅葉ともなればシンボルの赤い吊り橋が一際映え、秘境の趣きを満喫できるスポットである。
 武田尾〜生瀬間の武庫川沿いにはJR福知山線の旧線路跡が残っている。現在は格好の廃線跡ハイキングコースとして多くの人に親しまれている。
 現在の176号線に近いコースである三田・丹波と阪神間を江戸時代には大坂街道が結んでいた。この内、道場平田と木之元間は名塩道と呼ばれ、現在の国道の北側の集落の中の名塩川沿いに縫っていた。
 現在も木之元の集落には、旧街道の一部が残されており、茅葺屋根の民家や宿場風の民家が昔の面影をとどめている。
 名塩は江戸時代から名塩和紙で有名である。現在、名塩の集落の真ん中を走る国道沿いには「西宮市立名塩和紙学習館」がある。名塩和紙にまるわる様々な記録、図表、道具作品が展示されている。15分程度の歴史と和紙づくりの工程を紹介したビデオを見ることもできる。 1階の実習室では、紙すきを実際に体験することができる。