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古来より各村には、様々な伝説・伝承が伝えられている。「有馬郡誌」には第5篇に「伝説」という篇を設けて郡内各村の伝説が記述されている。山口村の伝説を有馬郡誌より拾ってみた。 | |
有馬郡誌の記述 | 現状のコメント |
![]() 此の奉奠堂址は、大化の年、孝徳天皇が有馬行幸の時、行在所を造られし所なり。其の因縁によりて天皇を祀りしものなり。土俗之を褒帝地というは、孝徳天皇が行在所を造らるる時、公智山の木を以て造られしより天皇褒賞して功地山と呼ばれたりとの摂津風土記の文より伝わりしなるべし。 |
![]() 参道入口の御旅所には「孝徳天皇行在所址碑」があり、この付近が奉奠堂の跡と言われている。 |
![]() 此の地は久々智氏の本拠なり。久々智氏は大彦命の後にして、大化の頃、大臣たりし阿部氏の同族なれば、行在所造営の際には大功ありし人なり。功地は久々智にして、久々智氏の功を賞せられしものならん。功地山には頂上に古代の祭壇の跡あり。また大円墳存せり。 |
![]() 東の端にかっての山頂を偲ばせる景色がわずかに残っている。 |
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![]() 名来村と功地山(お天上山)を結ぶルートに有馬川に架かる天上橋がある。現在、唯一残る「天上」の名称である。 |
![]() 「多田御家人由来書」に曰く、またその後、鎌倉将軍・惟康親王の御代於参河国、多田御家人へ知行御加増あり、尚、新田家へ知行被宛行、則新田政所世良田五郎家氏公、参州後下向ノ時、上津兵部・福武美作御供仕リ、八ツ橋ノ杜若ヲ取リカエル由、後世マデノ印として栄アルナリ。この上津兵部は、多田の御家人にて多田庄上津の産にて、山口氏の祖と見ゆ。 |
![]() 丸山南麓には現在も観音堂があり、正月等の年何回かは扉が開かれ観音様を拝観できる。お堂前には観音菩薩の石像の左手に握られているのは杜若だろうか。 |
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![]() 扁額には「秀吉大明神」と書かれており秀吉神社と呼ばれている。 |
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転訛