我が家の“漫画今昔物語”

第4部 1990年代前半の我が家(作者46〜50才)
■妻共々中年太りが目につきだした。TVショッピングに煽られてダイエットマシンを買込んだのもこの頃だった。1ヶ月も続かなかった。
息子が某私立大学に入学。ヤレヤレ。
■通勤途中の軽四のマイカーでの交通事故。4日程入院。これを機会にかねての目論見「スズキ・ジムニー」に買替えを主張。「頑丈な車を」の大義の前に妻も渋々OK。娘いわく「お父さん!命かけて手に入れた車やな〜」
■初めてのアメリカ。ハードな研修で知られる流通業界のコンサルタント主催の視察セミナーだった。セミナーレポートを「日本型G.M.Sの不思議」というテーマでまとめた。
■この年の4月に前年秋から受講していた「宅地建物取引主任」の通信教育を終了。余勢を駆って資格試験に挑戦したものの見事に失敗。
2度目のアメリカ。勤務先のショッピングセンター内の地元商店のオーナー達との視察セミナー。前回と違い視察半分、観光半分のゆったり旅行。
娘が県立高校に入学
■春から性懲りもなく「財務管理基礎講座」の通信教育を受講。秋に終了。以下修了レポートより。
『経営環境の予想を上回る厳しさの中で経営における「財務」の重要性が指摘され、とりわけ売上至上主義の風土の強いチェーンストアにあって「成長社会の終焉」とともに「財務問題」がより鮮明にクローズアップしてきました。そんな中でこれまで「財務」の基礎知識すら学んだことのなかった私にとってそれは必要性は痛感してもとっつきにくい苦手意識の強い科目でした。通信教育という比較的自由で身近な学習形態と通勤時間の長さと言う有利さに助けられて何とか修了できました。「財務」を理解したとは言い難いレベルですが少なくとも「財務とはどんなものか」を理解できただけでも貴重な成果でした。
■この頃、万歩計を励みに夫婦で住宅団地内をよく歩く。相手をしてくれなくなった子供たち。「結局・・・二人」の実感がピッタリ。
■この年の春、3年半の福知山店勤務を終え、社勤務に。
■クセになった通信教育。今回は「消費生活アドバイザー」。衣食住の生活知識から消費生活に関わる法律、経済、行政、経営、統計等の11科目もの歯ごたえのある勉強だった。
■3月には我が家での母の同居生活が始まる。彼女にとっては79才からの新たな生活。
子供たちは青春真っ只中。親達は子供たちの青春に無関心でいられない。子供たちはそんな両親からますます距離を置こうとする。
■春には「消費生活アドバイザー」の通信教育を受講料8割免除の「優秀賞」のおまけ付きで終了。10月の資格試験に挑戦。択一式の1次試験は思いもよらず合格。タカをくくって臨んだ2次論文試験は見事失敗。次年度限りの1次試験免除の特典に望みをつなぐ。以下修了レポーより。
『最初は、受講科目の幅の広さに圧倒される。しかし11科目ものジャンルをひとつずつ学習することで消費者と向き合う業務にとって必要な基礎的知識を、多面的に教えられることになる。---単なる知識の習得でなく、消費者と企業の双方の立場を自分自身のポリシーによってどのように共存させられるか---これがの修了に当たって残されたテーマだった。
■子供たちはどんどん親離れ。親達はそのスピードについていけない。フラれた挙句の『子離れ旅』。(ブスッ
■3月、会社のリフレッシュ休暇で5万円の旅行券を足しに夫婦で北海道ツアー。子離れ旅行の成果もあって無事終了。やればできるでないか。
■2月、パソコン購入。我が家のマルチメディア元年。機種は富士通の初代FMV−DESKPOWER−C。ちなみにソフマップ7号店でのお値段は約17万円。半分は私が出したと今尚妻は主張する。(だからどうした!)
■「ASAHIネット」加入。ホームページサーバー。
■11月「消費生活アドバイザー」の2次試験に再挑戦。1次試験免除は今回限り。あとがない。家族の手前もある。満を持しての準備が奏効。翌年2月やっと合格証を手に入れる。
息子の就職。氷河期の就職戦線をくぐり抜けた息子は、この春から外資系の製薬会社のMR(早い話が営業マン)として就職。人事部長からの家族宛ての入社内定挨拶状に父は恐縮の礼状を。
『謹啓 貴社におかれましては、益々ご清祥のことと存じます。この程、思いもかけず貴社からの息子の入社内定のご挨拶状を頂き、恐縮致しますとともに、あらためまして貴社への入社内定を心から喜んでいるところです。長引く不況下での厳しい就職戦線の今日、息子の就職には、心安からぬ思いで眺めておりましたところ、思いの外早い時期に、かねてから本人も希望しておりました貴社の入社内定通知に接し、息子共々喜び合った次第です。何分、浅学非才の不肖の息子ではありますが、よろしくご指導頂きますよう心からお願い申し上げます。』
■11月、共済会主催の50才対象の「定年後作戦セミナー」への夫婦揃ってのご案内。定年後の人生について否応なく向き合わされました。

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