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![]() 2018.01.08 更新 |
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![]() | 「愛する人を亡くした人の為の100の言葉」の後書き |
「愛する人を亡くした人の為の100の言葉」の始まりは、遠く私が高校生だったときまで遡ります。当時、多感な15歳だった私はある日突然に愛する人の死に直面しました。それは不条理で残酷な死でした。 私は絶望と後悔の闇に沈みました。それから数年間は言葉に尽くせないような悲しみ、苦しみに心を荒ませ、慟哭と懺悔の日々を重ねました。 死にたいと思い、そのときに誰も悲しませないように孤独になりました。 何もかも失ったと思いました。 涙が枯れた後の静謐な夜、生と死について、人生について、人間について考えました。 ただ、美しい音楽と文学が心の支えでした。 やがて、果てしなく思えたその深い悲しみも、慈悲深い時間の流れと、一滴ずつ流した涙がすべてをゆっくりとさらっていきました。 ただし、そのことは遠く振り返ったときにはじめて分かることです。 気がついたら、夜が明けるように、ごく自然に心の闇は消えていました。人より何年も余計にかかりましたが。 もう、すべては遠い過去の出来事です。いまでは涙を流すこともほとんどありません。 悲しみそれ自体は、私と融け合い影をひそめました。 もちろん、亡き人を忘れたという訳ではありません。 私の心の中に、その人はいます。 そんなある日、「愛する人を亡くした人の為の100の言葉」が誕生した直接のきっかけがありました。同僚が肉親を亡くし、慰めの手紙を出したことです。そのときにこのような言葉ならいくらでも自分の内側から湧いてくることに気付いたのです。 当時の自分を思い出しながら、ひとつひとつの言葉を心をこめて書きました。 川になるほど流したその涙が、長い年月を経る内に私の心の奥で、きれいな泉となって湧いて出てきたようです。 美しい言葉達ができました。 私にとっては、魔法の妖精達のような存在です。それぞれ個性があります。彼らは100人がかりで、悲しみに心を塞いだ人達を慰めてくれます。 彼らは私からは、独立した存在です。私が外出していても、眠っていても、休むことなくインターネットという魔法の絨毯(じゅうたん)にのって世界中の涙にくれる目を探してくれます。 私のあずかり知らないところで、働き続けているのです。 かりに、私がこの生を終えたとしても、きちんと手はずを整えておけば、彼らは永遠に働き続けてくれることでしょう。 本当にありがたいことです。本当にうれしいことです。 どうか、この働き者の妖精達がひとりでも多くの人達を慰めてくれるようにと、心から祈って止みません。 |
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