小佐野圭研究業績(論文等)のページです

【2007年発行 玉川大学芸術学部紀要】

「演奏におけるsilenceの重要性」

【2010年発行 玉川大学芸術学部紀要】

「ベートーヴェンピアノソナタ全曲の研究ー8年連続リサイタルの活動報告ー」


【2014年発行 玉川大学芸術学部紀要】

日韓親善交流のための演奏会研究報告ブラームス ピアノ五重奏曲と二台ピアノのためのソナタ比較研究を中心に 

【2015年発行 玉川大学芸術学部紀要】

小学校音楽鑑賞会の実践的アプローチ〜聴いて、歌って、楽しんで、感じて〜 

【2016年発行 玉川大学芸術学部紀要】

ショパンとラフマニノフのピアノ奏法ーリサイタル報告〜 

NEW【2018年発行 玉川大学学術研究所紀要第24号】

玉川ーベルリンフィハーモニー管弦楽団 教育プログラム2017ー「本物から学ぶ教育」成果と課題ー執筆者:小佐野圭、大谷千絵、安倍尚樹

【2017年発行 玉川大学学術研究所紀要】

リーダー育成による芸術の役割〜平成28年度小原國芳教育学術奨励基金助成「芸術と人材育成」講演会・演奏会ー

【2018年3月31日発行 富士吉田文化協会発行 雪解流第39号 36p-49p】「私の演奏と教育人生」


【2015年度全日本音楽教育研究会大学部会会誌論文】

エジソンから初音ミクまでの音楽聴取の歴史と今後の音楽鑑賞の戦略について


【芸術教育記録】

2015年度全日本音楽教育研究会全国大会「静岡大会」(総合大会)研究報告


【2013年発行 白百合大学 初等教職課程論集 第5号 59pから61p】

星野正道スロー・ピアノコンサート〈霊魂のゆくえ〉を聴いて
白百合大学 児童文学科 児童文学・文化専攻 初等教職課程発行

星野正道スロー・ピアノコンサート〈霊魂のゆくえ〉を聴いて   

ピアニスト・玉川大学教授

小佐野 圭

 2012年5月3日(祝)長野県川上村文化センター“からまつ広場”にて、第4回星野正道スロー・ピアノコンサートが開催された。テーマとして掲げられた〈霊魂のゆくえ〉の言葉通り、そこでは単なる音楽を超えたもの、氏の信仰に裏付けられた“音魂”による祈りの時空を体感したといっても過言ではない。会場となった川上村文化センターには、収容人数500名可能な“うぐいすホール”もあるものの、会場に選ばれた“からまつ広場”と名付けられた吹き抜け天井高16メートルにもおよぶスペースでの演奏にも意義深いものを感じる。前述のホールは通常のホール仕様で、閉ざされた防音の会場である一方、“からまつ広場”は文化センター内の建物の中ではあるが、ガラス越しに陽の光を感じ、瑞々しい新緑の樹々を愛でることが出来る。

星野氏が提唱している『音楽におけるスロー』(2012年5月3日星野正道スロー・ピアノコンサートのプログラムノートより)によるところの、自分をも他者をも包み込み、生かし続けている調和の世界の中心に抱かれている体験をするには最適な環境であろう。

演奏に使用されたピアノは、1907年製のニューヨーク・スタインウェイ。優美な装飾が施された木目のグランドピアノで、日頃は、ガラスのブースの中に展示されている。川上村がこのピアノの購入を決めてから文化センターの建設に着手したことからも、このピアノがどれほど価値のある楽器であるかがわかる。

 さて、プログラムは、この演奏会のテーマ曲となっているモーツァルト作曲ピアノ協奏曲第26番KV.537「戴冠式」の第2楽章から始まり、大江光作曲「アベ・マリア」、

ショパン作曲「ソステヌート」、コンコーネ作曲「メロディック・エチュード」、バッハ作曲「フランス組曲第3番BWV814」、休憩をはさみ、ベートーヴェン作曲「ピアノソナタ第14番“月光”」より第1楽章、マスネ作曲「瞑想の祈り」バッハ作曲「主よ人の望みの喜びよ」、アンドレ・ギャニオン作曲「静かな生活」、「遥かな別れ」、「小さな春」という構成。

 この静かな山あいの会場にどこから人が集まって来たのかと思われるほどの聴衆を前に、氏は静かに鍵盤に指を置き、弾き始められた。

 私もピアノ演奏を通して芸術の深淵に臨む身であるが、星野氏の演奏からどれほど多くの気づきをいただいただろうか。氏の演奏は決して感情に溺れること無く、聴衆は氏の体内テンポ(前述「音楽におけるスロー」より)に包まれる空間の中で、自らの内面と向き合う時間になっていたのではないかと思う。

 演奏家は演奏する曲目の表現を具現化する課程において、時にアグレッシブな表現方法を用いるが、氏の演奏にはイソップ寓話の『北風と太陽』の太陽の如く、人の心を温かく包み込み、心を解放させる力がある。確立されたピアノテクニーク(演奏技法)の持ち主であることはもちろん、それに加え、氏独自のヒーリングの能力が存

分に発揮された演奏会であった。

 プログラムの中で白眉であったのが、アンドレ・ギャニオン作品の演奏である。

アンドレ・ギャニオンは、カナダ出身のヒーリング音楽の作曲家として有名だが、彼の音楽と星野氏の演奏が相まった時、美しい音の響きが天から降り注がれるような錯覚に陥り、幸福感に包まれた。

 

「音響空間」を認識した演奏

 楽器の音色も、会場によって大きく変貌していく。たとえば、自宅の狭い部屋においてあるピアノを、広い演奏会場に置いたと仮定してみよう。同じピアノでも、こんなにも響きが違うものか、ということを実感するであろう。演奏というのは「音響空間」によって大きく変貌するものである。始めにも述べたように、この会場ならではの音場の特性が「スロー・ピアノコンサート」の実現を大きく後押ししているが、聴き手の耳、あるいは心まで届くまでの時間を共有するピアニスト、聴衆を幸福な気持ちに誘えるピアニストは多くない。星野正道氏は演奏家の中でも希有な存在であることに間違いない。今後も演奏活動を続けて下さり、作品を通して芸術の神髄を届けて

いただきたい。


『Our Music』261号 全日本ピアノ指導者協会(PTNA)2006年10月31日発行 巻頭ページ掲載

「From Silence to Silence」2006

小佐野圭

pp(ピアニッシモ)で終える曲を聴くと、どなたも息をのむような静寂(Silence)をお感じになることでしょう。Silenceとは演奏家が作り出すのではなく、聴衆が自分自身の内面へ入った時に感じとるもので、聴衆自身が作り出すと言っても過言ではありません。自分自身を見出だした時に初めて他者がわかるように、音のない状態がわかれば、音のにぎやかさがわかります。つまり静寂の中にこそ、音を感じることができるのです。

 では、演奏する側に目を転じてみましょう。我々自身は、本当の音、真実たる音が何かを、認識できているでしょうか。例えば声楽家は、自分の発している声が頭蓋骨やあご等に響いているため、客観的に音を認識できません。そこで、「こういう声を出せば、こういう風にホールでは聞こえるだろう」という推理を行いながら、日夜練習に励んでいるわけです。一流のピアニストといえども、ほとんどが普段は狭い音響空間で練習していると思います。その自分のピアノを、別のすばらしい音響空間で聴いたらどうなるのでしょうか。おそらく、自宅で聴いている音とは異なる音に聴こえると思います。このように音とは環境によって異なり、どれが「本当の音」なのかを認識するのは困難なことです。

 また、ステージ上で演奏している時の音と、会場の最後列で聴く音も全く異なります。ですから演奏者は、最後部の聴衆は自分の音をどのように聴いてくれるのだろうか、という推理を働かせながら演奏しなくてはなりません。それは経験による直感でしか、到達する事は不可能だと思うのです。

 光を見ることができないのと同じように、音楽を手にとって触れることはできません。グゼミリアンは「僕らが見るのは反射鏡(reflection)の連なりだ」と述べていますが、すなわち音とは、聴衆によって「反射された像」だと言えます。ですから、それを推理する思考がなければ、せっかくの分析が無駄になってしまうのです。

 演奏者が出している音は、必ず消え去ります。その息をのむような静寂(Silence)の瞬間に、聴衆は音の存在を感じるわけです。京都の龍安寺にある石庭*を観た欧州の思想家が、「禅の思想で考えれば、庭は単なる鑑賞の対象として眺めるだけの空間ではなく、心の内に庭を見ることを意味する」**と述べていますが、我々もそのような精神を持つべきではないでしょうか。つまりスピードや正確さではなく、聴衆の「心の庭」の中にどんな音が鳴り響くのか?それを演奏者は推しはかり、音を作る必要があると思います。