演奏における「Silence」の重要性

小佐野圭

 

 筆者は2005年より8年間かけて《ベートーヴェン・ソナタ全32曲連続演奏会》を実行中である。ベートーヴェンの音楽に内包された精神を理解してゆくことは、私自身の精神の発見をも伴い、日々驚嘆、と言ってもけっして大袈裟なことではない。

 ある時、連続演奏会を始める前と始めた後では音に対する意識に変化が生じていることに気づいた。その変化とはベートーヴェンの作品における「静寂性」や「孤独性」を楽譜の中だけで考えるのではなく、演奏会場の「物理的音響」に求めるようになったことである。そのようななかで出会ったポゴレリッチとアファナシェフという2人のピアニストのライヴの体験から音響空間における「Silence」の重要性を考察した。これは曲の構成、強弱、テンポ、間、ペダリングに関わる問題である。

 なお、ここでは「Silence」はいわゆる「沈黙、静寂」というよりも「音の消えて行く様態」という物理的・音響効果的な意味で捉えている。

 

1)《ソナタ第4番へ変ホ長調作品7》第二楽章における「Silence

 

【譜例1

 

 筆者の音に対する意識が変化したきっかけとなった曲は、第2回目のリサイタルで演奏した第4番のソナタ第二楽章である。この曲はソナタ32曲中、「第29番ハンマークラヴィーア・ソナタ」に次ぐ長いソナタである。第一楽章では「激情」や「力」、第二楽章においては対照的に「静けさ」が表現されている。

さて、このソナタ【譜例1の冒頭から8小節まで考察してみよう。1小節2小節3小節と連続して3拍目に「休符」がある。主題は「2小節+6小節」で構成されている。

1小節の「E-F」1拍と2拍で聴衆に向かって演奏者がやさしく話しかける(問いかけ)。つぎの3拍目の休符は、聴衆から返事が還ってくる(答え)。次の2小節目「G-D-E」も問いかけであり、3拍目は聴衆の答えである。筆者は次の3小節3拍目の「休符」に若干長く時間をとった。次の4小節目の「sf」を予感させるためである。わずか3小節であるが、筆者はここに重要な意味を感じるのである。それは演奏会場の聴衆が作り出す音響空間の重要性である。

この冒頭の3小節の「休符」に筆者は「Silence」を体験した。演奏会場で、聴衆との対話とでもいうべき演奏であった。この経験は通常自宅で練習している時とはまったく異なる体験であった。

 

【譜例2

第二楽章は90小節で曲を閉じる【譜例2。最後の拍には「fermata」が書かれている。休符の上の「fermata」もまた「Silence」を意味している。音が消えてから数秒間は、最も繊細で大切な「Silence」であり、ピアニストは「音がなくなっても音楽は終わりではない」という感覚を捉えなければないだろう。その数秒間聴衆はこの曲がどのように経過して来て、終焉を迎えたかという感情がわき起こる。「Silence」から始まり「Silence」で終わる「From silence to Silence」という時間の感覚が必要となる。

Silence」を実践する時にはパフォーマーは決して動きを聴衆に与えてはならないという演奏法の認識も深めた瞬間であった。この演奏法は通常の練習時には体得できないものであり、まさに聴衆が作り出した音響空間「Silence」から獲得した技術であった。

 

2)ライヴ音の風景1

この問題を具体的に、イーヴォ・ポゴレリッチ(Ivo Pogorelich)の演奏会(20051023日サントリーホール)の模様を取り上げ、「Silenceとは何か」に迫ってみたい。

ライヴにおいてやり直しが出来ないという事実は、演奏家をきわめて極度な緊張に陥れる。この緊張感は音楽作品の性格とは無縁のライヴ独特の緊張感である。一回限りという演奏会の特徴は、録音媒体にはない緊張感を生み出す。

ショパンの晩年に作曲された《夜想曲ホ長調》には他のピアニストの倍の時間を使い、《3番ソナタ》には約50分かけて演奏していた。通常、私たちが3番に期待する時間は25分から30分が限度である。いかに長いかが想像できるだろう。私はこれまでにない衝撃を受け、このことは一連の演奏について思いをめぐらす起点となった。

【譜例3

 ショパンの晩年の作品《Nocturnes E-dur op.62-2》の最後の和音が終わり、消えていく瞬間、人々は何を感じ、何を聴くのであろうか?【譜例3】の最後から3小節前の一拍目は「Gis」である。ここは、聴衆には完全に終止感を与えるが、次のコーダは万感の思いでセンチメンタルになる部分である。最終音が消えても、何秒か正確な数値は認識できないが、音の消えていく瞬間を集中力と緊張感で追った記憶は恐ろしささえ感じた。

 【譜例4

 一方、ショパンの《3番ソナタ》第3楽章の4小節目4拍目の主要旋律の出だし「Fis-Dis【譜例4にはcantabileと表記されているが、ここは6度の跳躍にたっぷり時間をかけて、アーチ的に描いて行くのである。ピアノの音はいつかは消えるが、まさに消えるのを待って次の音へ行くというような試みが感じられた。Fis-Dis」の音の運びにおいてポゴレリッチはかなりの時間をかけていた。まるでスローモーションのビデオを見ているかの如く、いわば時間の軌跡が見えるかのようであった。広い会場だからこそ、この演奏法が可能なのである。狭いスタジオ録音とは違い、サントリーホールのような2000名を収容するような空間では演奏のスタイルを変えて弾いていたのである。

 

3)ライヴ音の風景2

 次に、ヴァレリー・アファナシエフ(Valery Afanassiev)の演奏会(20051031日サントリーホール)の模様を取り上げる。ポゴレリッチの演奏と同様に、アファナシェフの演奏にも、時代を先取りした比類のない前衛的で現代的な演奏スタイルが認められた。

この日の演奏会はテンペストの「Fermata」と「休符」に彼流の解釈があったように感じられた。「Fermata」は冒頭2小節目、6小節目、8小節目と3回登場する【譜例。展開部の93小節からも3回出てくる。《皇帝》第一楽章のカデンツァの部分(487小節490

 【譜例

 

493小節)においても同様である。この3回くり返す手法は《第5番ソナタ》の第一楽章冒頭9小節16小節にも見られるように、ベートーヴェンの「表現方法」の一つの特徴と言えよう。アファナシェフはこのような3回続く「Fermata」を段階的に行っていったのである。3回目の「Fermata」は最も長くどうしてこんなに長く、と誰もが感じただろう。それほど、十分な時間をかけていたのである。聴衆は「Fermata」に「緊張と集中そして期待」という感覚を刻んでいた。

 アファナシェフは、日本の歌舞伎には人々の潜在的な記憶に眠っている想い出を揺り動かし豊かさに結びつける「間」があるという。そういう「内容ある空間」が重要だと語る。筆者は冒頭で「Silence」が曲の構成や強弱やテンポ等、多くの音楽的諸問題に関わる問題だと述べた。アファナシェフの演奏が教えてくれたことは「間の問題やテンポの問題」は音響空間に関わる重大な問題だということである。ピアニストは演奏環境によって楽譜には書かれていない「三次元的演奏」をしなくてはならなくなった。

 

)おわりに

今後の演奏家に求められる課題は「Silence」の聴取である。

 「Silence」を感じとるためには楽譜には書かれていない「反射音」の聴取が必要である。残響の少ないコンサートホール、あるいは残響の多いコンサートホールで演奏する場合など、音響空間によって、演奏するスタイルを変えなければならない。そのためには反射音を聴き取る聴取能力と「アゴーギング」「間」「テンポ」「ペダリング」等を学ばなくてはならない。

演奏者が出している音は、必ず消え去る。その息をのむような「Silence」の瞬間に、聴衆は音と時間の存在を感じるのである。