EMOTIONAL DISTURBANCES (中編)  

作 ゆきかき


 




  二日目

 

 新横須賀では太平洋艦隊空母二隻と巡洋艦三隻が停泊していた。
 それを岡の上から見下ろす少年。

 顔をなでる潮風は、ケンスケを通りすぎ見知らぬ土地に向かって行く。
 いつもなら食い入るように戦艦を見つめるケンスケだが、
 今日は違っていた。
 海に浮かぶそれを、ただボーッと眺めるケンスケ。
 いつのまにか、ビデオのテープは巻きあがっていたが、
 まったく気が付いていない。
 ケンスケの目線は戦艦よりも、そのうえに広がる水平線や、青空や、
 その上に浮かぶ雲にむけられていた。
 風は見知らぬ土地のにおいを運んでくる。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − 
 プルルルル プルルルル プルルルル
 日のあたらない部屋の電話が鳴る。
 その部屋は乱雑そのもので、まさにその男の部屋という感じだ。
 椅子に座っているその男は、長い髪をかきむしりながら電話をとる。
 「はい、加持ですけど。」
 「ああ、ミサトか・・・・・・・・・・どう?休み、楽しんでる?」
 男は足を書類のない机のスペースに乗せる。
 「そうか、で、用件は?」
 「・・・・・・・・・・・・そうか。わかった。」
 「・・・・・・・・・・・・んや、いいよ。あと三日だからな。」
 「そりゃあ知ってるよ。なんてったって、調査部所属だからな。」
 「はは、逃げるってどこに?働くところまで無くなっちまうんだ、
  逃げたってしょうがないよ。それに、決着つけたいことがあるんだ。」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・ミサト、明後日にでも飲みにいかないか?」
 「んじゃ、いつもの所で。」
 男は受話器を下ろし、しばらく一点を見つめていた。

 「シンジィ、あんた帰り付き合いなさいよ。」
 カバンに教科書をしまいながらアスカは言った。
 「え?どこに?」
 机を下げながらシンジは言う。
 「駅前においしいパフェの店見つけたのよ。そこのチョコレートパフェが
  もう、最高なんだから。」
 「えー、でも。」
 その時、アスカの携帯が鳴った。
 「もう、だれよ。・・・・・・はい、あ、ミサト?なに?
  うん、えー、いまパフェ食べに行こうと思ったのに。わかったわよ。」
 そう言うと、アスカは携帯をカバンのなかに投げ入れる。
 「なんだって?」
 「いますぐ帰ってこいだってさ。もうまったくなんなのよ。
  学生の楽しみをどうしてそうもぎ取るのかしら。
  あ、ファースト、あんたもよ。
  ミサトの家に来いだってさ。」
 「・・・・・・・・・・・・わかったわ。」
 レイはそれだけ言ったまま玄関に向かう。
 「ほんっとに、いつになったら愛想というものを知るのかしら?」
 いつも道りに両手は腰にあるアスカ。
 アスカには目もくれずレイの寂しげな後ろ姿を見つめるシンジ。



 「もう、来たわよミサト。本当になん・・・・・・・・・あれ?この靴だれの?」
 アスカは玄関で得体の知れない靴を汚そうに持ちあげる。
 「ああ、それケンスケのだよ。」
 シンジは靴紐をほどきながら言った。
 「あいつまで来てるの?いったいなんなのかしら?」
 そう言うと、アスカはその靴をポイッと投げ捨てる。

 「やあ、ケンスケ。今日学校どうしたの?」
 「ああ、シンジ。土曜だからな、さぼらせてもらったよ。」
 アスカがずかずかケンスケに詰め寄る。
 「あんたねぇ、誰に断ってさぼってんのよ。」
 「誰かに許可しなきゃいけないのか?」
 「わたしよ、私に断りもなくさぼるなんて100年早いわよ。」
 「なんで、惣流に断ってさぼらなきゃいけないんだよ。」
 「私たちが真面目に早起きして授業受けてんのに、あんたに10時、11時まで
  寝ていられると、腹立つのよ。」
 「二人ともいい加減にしなさい!」
 ミサトが怒鳴る。
 今まで聞いたこともないその声に、皆静まった。
 「今日みんなにきてもらったのは、大事な話があるからなの。」
 いつにもなく真剣なミサトの表情に、みな息を凝らす。
 「今からネルフでも極秘にされていることを話すわ。」
 「いったいなんなんです?」
 シンジはたまらなくなり、質問する。
 「黙って、黙って聞いて。三日後に使徒が襲来するわ。
  以前に来た、落下型の使徒よ。」    
 黙れといわれても口をだすアスカ。
 「なに?そんなこと?そんなの、今度は私がお茶わんで受けとめてあげるわ。」
 ミサトの視線はアスカをとらえる。
 「アスカ、この使徒は以前の使徒に比べて何百倍も大きいの。」
 「それでも、作戦はあるんでしょ?」
 アスカはミサトの言葉にたいした感心が無いようだ。
 ケンスケ、シンジ、レイは黙って聞いてた。
 そこにいるチルドレン達は、ミサトの次に発っせられる作戦を
 聞く準備をする。
 だれもが思っていたことは、今回の作戦はかなり危険なものだということ。
 チルドレン達に緊張が走る。
 ミサトは一通りみなの顔を見回す。
 そして、ゆっくり口を開く。

 「ないわ。作戦はない。三日後みんな死ぬわ。」

− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − 
 ネルフ本部のレベル20とレベル30をつなぐエスカレーター。
 ここに、ゲンドウとレイがいた。
 「レイ、お前に言わなねばいけないことがある。」
 「・・・・・・・・・・・・・・。」
 「三日後にここは消滅する。」
 「・・・・・・・・・・・・葛城三佐に聞きました。」
 「・・・・・・・・・そうか。」
 レイはゲンドウの顔をちらっと見るが、普段となにも変わっていなかった。
 「レイ、もう生きられる時間はほとんどない、その時間を有意義に使え。」
 「・・・・・・・・・・・・。」
 レイは言っている意味がわからなかった。
 ゲンドウはそう言い残し、司令室に消えていった。
 レイはゲンドウのいつもと違った後ろ姿を見ていた。

− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − 
 ここは第三新東京市のいちばん栄えてるショッピング街。
 ブティックや、喫茶店、デパート、ファンシーショップ、
 フランス料理店、花屋、レコードショップ、ゲームセンター、
 ブックセンター、映画館、カラオケ、その他色々なものがここに集まっている。
 若い娘たちは、だいたいここで買物を済ませる。
 そこで、男は少女に引っ張られながら、店に入っては出て、入っては出てを
 繰り返している。
 「ねえ、加持さんこれなんてどぉ?」
 「ああ、いんじゃない?」
 「本当にそう思ってるの?」
 「あ、言っとくけど俺あんま、そういうセンスないぜ。」
 「ええぇ?加持さんいつもかっこいい服着てるじゃない。大丈夫よ。」
 「そうか?そう言ってくれるとうれしいけどな。」
 「じゃあ、これに決めた。」
 アスカは更衣室のカーテンをさっと閉める。
 加持はひとつため息をつく。
 胸ポケットからタバコを取り出そうとしたとき、カーテンの隙間から
 アスカが顔をだす。
 「加持さん、見たかったら見てもいいよ。」
 「こら、アスカ。」
 アスカはニコッと笑い、またカーテンのなかに消える。
 もうひとつため息を付く加持。
 その光景を見ていた、セミロングの店員は加持の方を見てクスッと笑っている。
 加持はそれに気付き、店員に向かって苦笑いをする。



 「私レモンティー。加持さんは?」
 「ああ、じゃあアイスコーヒー。」
 「かしこまりました。」
 ウェイターは冷たい水とお絞りを二つずつおいていく。
 二人は窓の外にうつる人込みを見ていた。
 「今日はずいぶん人が多かったな。」
 「そうよ、土曜日だもん。」
 二人はまた窓の外を眺める。
 いろいろな人がその道を歩いていた。
 腕を組んだカップル、風船を持っている子供、
 野球帽を被り飛び回っている少年、スーツがまだなじんでいない青年、
 背中に子供を背負っている主婦、額の汗をハンカチで拭き取る中年、
 腰を曲げ、ぶつかった人に謝る老人。
 今隕石が落ちてきたら、みんな消える。
 加持の頭の中で、目の前に写っている人たちが焼けこげていく。
 たまらなくなり、水を一口飲む加持。
 アスカを見ると、アスカは恐いものを見たような顔つきで外を見ていた。
 「アスカ、今日楽しかった?」
 アスカは加持の声で振り向く。
 「う、うん、楽しかった。まさか加持さんから誘ってくれるなんて
  夢にも思わなかったわ。」
 「はは、俺はいつでもアスカを誘いたいと思ってるんだぞ。」
 アスカはまた外を見る。
 「いいよ、嘘言わなくても。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日はミサトに頼まれたんでしょ?」
 加持は水をもう一口飲む。 
 「ばればれか。」
 「私、加持さんに憧れてただけなんだよね。」
 外を見続けているアスカ。
 「・・・・・・・・・・・・・・。」
 加持は何も言わない。
 「加持さん、死にたくないね。」
 「ああ、そうだな。」
 通りの中央にある時計台の鐘はゆっくりと五回なった。

 


 




 夕日の入り込む台所で、シンジはキャベツを切っている。
 トン トン トン トン トン トン 
 まな板と包丁の奏でる音は、部屋中に鳴り響く。
 その音は、ミサトの部屋にも聞こえてくる。
 ミサトはベットに寝転び、ただ天井を見つめている。

 夕日がだんだん沈みかけ、また暗やみが襲ってくる。
 シンジは味噌汁をテーブルに運び、エプロンを外す。
 「ミサトさーん、できましたよ。」
 そう言うと、今度はペンペンのための魚を焼きはじめる。
 ミサトが居間に入ってくる。
 「ごめんねシンジ君。」
 「いえ、いいんです。」
 魚が焼きおわると、皿ごと床のうえに置く。
 それが終わると、ミサトの正面の椅子に座る。
 シンジはミサトを見る。
 まだ料理に手を出していないようだった。
 「それじゃあ、ミサトさんいただきましょう。」
 ミサトはゆっくりうなずく。
 「そうね、いただきます。」
 「いただきます。」
 二人はそれを言いおわると、あとはずっと黙って食べていた。

 「ごちそうさま。」
 「ごちそうさま。」
 食べおわると、シンジはさっそく後片付けに入る。
 ミサトは椅子に座ったまま何か考えているようだった。

 後片付けが終わったので、いつも道りにお茶を入れるシンジ。
 「ミサトさん、お茶です。」
 「ありがと。」
 外はもうかなり暗くなってきている。
 居間の窓からは、三日月が山の上の方に見える。
 「シンジ君。」
 「はい。」
 「あなた何も思わないの?」
 やさしい口調でシンジに尋ねるミサト。
 「あ、いきなり三日後に死ぬって言われても、何だか実感無くて。」
 「そうよね。」
 そう言ってミサトはお茶をすする。
 シンジはただ黙って湯呑みの中を見つめる。
 「シンジ君、ここでの生活どうだった?」
 微笑みながらミサトは尋ねる。
 「え?そうですね、いろいろあったからなぁ。
  ミサトさんとのこと、父さんとのこと、アスカとのこと、
  ケンスケとのこと、エヴァとのこと、レイとのこと。」
 「楽しかった?」
 「はい。」
 嘘つかないで、あなたは知らないでしょうけど、つらい事だらけだった
 じゃない。あなたの友達のこと忘れたの?あなたの目の前で死んだ友達のこと。
 あなたはいつも泣いてたじゃない、エヴァに乗るのがつらいって。
 人を傷つけ、自分も傷つけるエヴァンゲリオンが恐いって、言ってたじゃない

 口の中からあふれ出そうになった言葉を、なんとかおさえるミサト。
 「そう、よかった。」
 お茶をひとくち飲み込む。
 ミサトは湯呑みを手から離し、シンジを見つめる。
 「シンジ君、私たちに残された時間はあと三日しかないわ。
  その中でできることをやらなくちゃだめ。
  いままで、やりたくても出来なかったこと、
  いままで、思っていたけど言えなかったこと、
  私たちはその時間が与えられた。最後なんだから逃げちゃ駄目、
  自分の気持ちを言っておきたいひとはいないの?」
 ミサトにそう言われシンジは少し考える。
 自分の気持ちを言っておきたいひと?

 シンジの頭のなかに綾波レイが浮かんだ。
 え?なんで綾波が浮かんでくるんだ?
 自分の知らない綾波レイの顔が頭に浮かぶ。
 綾波にたたかれている自分、雑巾を絞っている綾波、
 エレベーターのなかの綾波と自分。
 その他にも今までに見たことのない綾波レイが、頭のなかに浮かんでくる。
 どうしてだ?なんで綾波レイが浮かんでくるんだ?
 シンジは正直にミサトに告白する。
 「い、いま。綾波の顔が浮かんだ。ミサトさんこれってどうゆうこと?」
 ミサトは微笑む。
 「それはあなたがレイのことを好きってことよ。」
 「え?」
 シンジの顔が赤くなる。
 「そ、そ、そんな、ぼくそんなんじゃないです。」
 「シンジ君、これは恥ずかしがることじゃないわ。
  むしろ、気付いてよかったことなのよ。
  残りは三日。その期限内であなたはレイに気持ちを伝えなければ駄目。
  あなたの今思っている気持ちを。」
 シンジの心の動揺をミサトは理解していた。
 「シンジ君、わたしね、この事実を聞かされてからいろいろ考えたわ。
  父の呪縛のこと、ネルフのこと、その他色々ね。
  その中で、三日で決着がつくことを考えたの。それは。」
 ミサトは真剣な顔つきだった。
 「それは?」
 シンジもテーブルに湯呑みを置いた。
 「それは、加持君のこと。今決着がつくのは加持くんに対する自分の思いだけ。
  父のことよりも、ネルフのことよりも、今は加持くんなんだとわかったわ。」
 普段のミサトからは想像も出来ないことを、真剣な顔つきで言うミサトに
 シンジは事の重大さを知った。
 「自分の気持ちを伝える。」
 「そう、残り少ない時間で出来ることはそのぐらいしかないのよ。」
 ミサトは湯呑みを持ちあげる。
 「シンジ君、あなたが綾波レイをどのくらい好きなのかは、私にはわからないけど、
  今の気持ちに素直になって。私たちはあとで後悔も出来ないの。」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 シンジは何も言えないでいたが、恥ずかしいこととは思っていなかった。
 「でも、最後に決めるのはシンジ君よ、このことについて考えてみて。」
 ミサトは一気にお茶を飲み干した。

 そして、玄関からドアを開ける音が聞こえる。
 「ただいま。」
 力のないアスカの声が聞こえてくる。
 「アスカ、ご飯できてるよ。」
 「いらない。」
 シンジの声に反応せず、アスカは自分の部屋に入った。
 「アスカ・・・・・・・・・・・・。」
 「アスカはアスカで自分に決着を付けたのよ。」
 自分に決着を付ける。
 シンジの頭のなかは混乱寸前だった。
 考えることが多すぎる。
 もうすぐ死ぬこと、父さんのこと、エヴァのこと、アスカのこと、         
 ミサトさんのこと、・・・・・・・・綾波のこと。
 でも、いちばん最初に手を付けることは決まっていた。

− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − 
 いちばんお気にいりの服を着たまま、アスカはベットのうえに俯せになっている。
 月明かりはアスカの背中を照らしている。
 天才と呼ばれ続けたドイツでの日々。
 天才パイロット、そしてその歳で大学に通う天才少女。
 すべてが上手く行っていて、これからもそうだと思っていた。
 しかし、日本での自我意識からくる自惚れ。
 エヴァンゲリオンに乗るのが、存在を示す唯一のもの。
 誰にも負けない自信があっけど、
 シンジにあっさりシンクロ率をぬかれる自分。
 友達を救う事さえも出来ない自分。
 普通の中学生が夢中になるもの。
 クラブ活動、勉強、恋愛。
 クラブなんてやる暇はなかった。
 勉強はファーストにも及ばない。
 恋愛、憧れの加持さんだけを追い掛けて、他の男の子には目も向かなかった。
 じゃあ、自分の夢は?
 なにもない。
 結局私の一生ってなんだったの?彼女はすべてに嫌気がさす。
 あと三日ですべて終わり。
 私は今まで何をやってきたの?

 しだいに、街のネオンも消え闇が訪れる。            
 交通量も減るためか、静けさも訪れる。
 数日後の恐怖も知らず眠る人々。
 数日後の恐怖を知るがために眠れぬ人たち。

 少女の叫びは涙腺を刺激し、涙となって枕に落ちる。
 「ママ、死にたくないよ。」

− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − 
 「どこに行く?」
 書類の束を持った冬月をゲンドウは止めた。
 冬月は恐る恐るゲンドウの方をふりかえる。
 「ああ、碇か、いま家に帰る所だが、どうした?なにか用か?」
 ゲンドウは冷たい目で冬月を睨む。
 「お前まで裏切るとわな。」
 「な、なにを言っているんだ?」
 「キールに頼まれたんだろ。」
 冬月はそのまま動かないでいる。
 「・・・・・・・・・・・・・・ああ、そうだ。お前はなぜ人類補完計画を嫌う。
  我々のやっていることは愚行なのか?
  違う、人類が生き延びるにはもはやこれしかないのだ。
  これだけはキール議長に渡すべきだ。アダムと一緒にな。」
 「きれい事はよせ。お前はただ生き延びたいだけだろ。」
 ゲンドウが怒鳴る。

 「ああそうだ、俺も、お前も、今は死ぬべきじゃあない。
  補完計画が完了するまで、俺たちは付き合う義務がある。」
 ゆっくりと言葉を吐き出す冬月。
 「なぜお前は、それまで生きることにこだわる、昔からそうだった。」
 「碇、人は生きてこそなのだよ。エヴァンゲリオン計画も、
  人類補完計画もすべては人が生き延びるがためのものじゃあないか。」
 ゲンドウは懐に手を入れる。
 「たしかにそうだ、二つとも人類が生き延びるためにしてきたことだ。
  だが、汚い人間などいらん。それがセカンドインパクトを
  引き起こしたんだからな。」
 冬月は後に一歩下がる。
 「そのための人類補完計画じゃあないのか?」
 「補完計画は完全な計画ではない。」
 目をカッと開き、叫ぶ冬月。
 「違う、嘘をつくな!お前は世界中に碇ユイを・・・・・・・。」
 廊下に乾いた音が響く。
 冬月はそのまま後に倒れた。
 彼の目と目の間には醜く穴があいていた。
 ゲンドウは銃をしまい、携帯を取り出した。

 「処理班か?B棟のレベル20だ。」
 それだけ言うと、その物体の持っていた書類を抱え、来た道を引き返す。
 「結局最後までお前とはわかりあえなかったな。」
 廊下にカツカツという足音だけが響く。
 突き当たりを左に曲がったところで、白衣の女が壁にもたれかかっていた。
 「昔からの友達じゃなかったのですか?」
 ゲンドウはそのまま通りすぎる。
 「昔の友達だ。」
 廊下に足音だけが鳴り響く。




 




  三日目

 「あ、ああ、あ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・綾波?」
 レイはいきなり来たシンジからの電話に、はっと胸を突かれた。
 そして、一生懸命自分を落ち着かせ、呼吸を整えてから言った。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なに?」
 「あ、あのさぁ、・・・・・・・・・も、もし、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  よかったらでいいんだけど。」
 シンジは右手を閉じたり開いたりしていた。
 レイはすでに顔が赤くなっていて、電話を切りたいという衝動にかられる。
 「・・・・・・・・よかったら、・・・・・・・・・あのさぁ・・・・・・・・・・・・・・
  よかったら、・・・・・・・・・・・・でいいんだけど、・・・・・・・・・・・
  今日さぁ・・・・・・・・・・・・あの、・・・・ゆ、遊園地に、・・・・・・・
  遊園地にいかないか?。」
 レイはただその場で時が止まったかのように立ち尽くしていた。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 レイの口は動いていたが、声がでてこない。
 ただ金魚のようにパクパクと口だけが動く。
 シンジはこの沈黙が、レイの困惑の証拠だと思いとても不安になる。
 そしてレイも、声がでてない自分に気付きどうしようかと不安になる。
 「・・・・・・・・・・・・あ、あ、綾波いそが、・・・いそがしいよね。・・・・・・
  ご、ごめん。そ、・・・・・・・・・・そ、それじゃあ。」
 レイは混乱していた。
 断りなさい、綾波レイ。
 もう、それ以上深追いするとまた自分が傷つくだけ。
 「あ、綾波?」
 レイは自分でも、右手が左胸にかさねられていたことに気付いていなかった。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いつ、どこにいけばいいの?」
 「あ、じゃあ12時にファンタジーランドの正面で、・・・・・・・・いい?」
 「わかったわ。」
 「それじゃあ。」

 携帯電話をテーブルの上に置くレイ。

 なんで断らなかったの?
 もう、つらい思いは・・・・・・・・・・・・・・・・
 『お前の好きなことをして過ごせばいい。』
 私の好きなこと。
 そういえば、もう私死ぬんだった。

 レイはカーテンを開け、窓から見えるすべてのものを見回す。
 晴れた日曜日、そこには雲一つない空、公園で戯れる親子、
 道を笑顔で行き交う人々、緑いっぱいの山。

 それから部屋の中を見回し、隅にある小さなタンスに目をやる。
 その前のタンスで足を止めゆっくりと扉を開く。
 そこにはただ一つだけ、洋服がかかっていた。

− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − 
 「あーーっ、僕、洋服ってほとんど持ってないんだった。」
 どうしよう、シンジは高ぶる自分の気持ちを押さえ付けながらも、
 そのことについて悩む。
   ガラッ

 シンジの部屋のドアが開く。
 そこにはニタニタと笑っているミサトがいた。
 「ふっふっふ。シンちゃん聞いたわよ。」
 シンジの体はプルプル震えている。
 「ず、ず、ずるいよ、立ち聞きするなんて。」
 カッカと笑っているミサト。
 「まあまあ、はい、シンちゃん。」
 ミサトは紙袋を投げる。
 その中にはジーパンとシャツと帽子が入っていた。
 「ミ、ミサトさん。」
 「こういうこともあろうかと思って、お姉さんは用意しておいたのよ。
  あ、サイズはわからなかったから、ちょっと大きいかもしれないから。」
 そう言ってミサトはVサインしてからドアを閉めた。
 「ミサトさん、ありがとう。」
 シンジはさっそく着替えはじめた。



 「それじゃあ、ミサトさん行ってきます。」
 「シンジ君、昨日のこと忘れちゃだめよ。」
 「はい。」
 「あ、あとチャンスがあったら、押し倒してキスでもしちゃいなさい。」
 シンジの顔が真っ赤になる。
 「い、いってきます。」
 「いってらっはーい。」
 ミサトはシンジを見送ると、椅子に座り左手に持っていたビールをあける。
 「やっぱり楽しい思い出の中で最後をむかえた方がいいか。」
 そして、ビールに口をつける。

− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − 
 シンジは時計を見る、ちょうど昼の12時だった。
 「ど、どうしよう、綾波怒ってるかもしれないな。」
 シンジはすぐにファンタジーランド行きのバスを降り、
 正面玄関まで走った。
 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁー。
 なんとか5分遅れで、正面玄関についたシンジ。
 しかし、あたりを見回したがレイらしき人はいなかった。
 「やっぱり、来てくれなかったのかな?」
 シンジは不安になる。
 「碇君。」
 いきなりのレイの声にあわてて振り向くシンジ。
 「あ、あ、綾波?」
 少女はうなずいた。
 レイは来ていなかったわけではなかった。
 しかし、その外見にシンジはレイだと気付かなかったのだ。
 少女は青い可愛らしいワンピースを着て、胸にひまわりのブローチをつけ、
 頭にむぎわら帽子をかぶっていた。
 少女は右手でむぎわら帽子をおさえていたので、顔が見えない。
 「よ、よく似合うよ。」
 無意識的に自分の正直な気持ちを言ってしまい、言いおわった後で
 顔が赤くなるシンジ。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ありがとう。」
 レイはいまよりも深くむぎわら帽子をかぶる。
 そのしぐさに胸がときめくシンジ。
 「じゃ、じゃあ入ろうか。」
 コクンとうなずくレイ。
 そして二人は遊園地のなかに入っていった。
 


 シンジはまわりをパッと見回して、何に乗るか決めた。
 「あ、綾波、これに乗ろうか。」
 と、シンジは言ってしまった。その乗り物は動かないものだと思っていたから。
 それがゆっくりと動きだすと、しだいにシンジの額に汗が流れる。
 それは、デビルフィッシュという絶叫マシーンで、座席が外側にグルグル
 まわっている時に上下にも動くという、まさに絶叫マシーンという
 乗り物であった。
 いまさら後に引けないシンジはレイに確認する。
 「こ、これでいい?」
 レイは帽子を深くかぶったまま、コクンとうなずく。

 その乗り物は二人乗りであった。
 シンジはミサトに教わった、レディーファーストというのを思い出し、
 先にレイを座らせ、自分は後から座る。
 ぷるるるるるるる
 動きだすベルがなる。
 シンジの顔は引きつっていた。
 ゆっくりと動きだし、体がふわりと浮き、みょうな気分になる。
 だんだんスピードがあがってくる。
 すると、レイは遠心力のせいか、だんだんシンジと体が密着する。
 シンジはうれしかったが、レイが嫌な顔をしてないか不安だった。
 しかし、レイはレイでむぎわら帽子とスカートを押さえるのに精一杯だったようだ。
 最初は余裕があったが、スピードがあがるにつれて
 胃のなかのものがあがってくる。
 シンジはレイの感触を堪能する暇などなかった。

 足元がふらふら、まだ目が回っている感じだ。
 「け、け、けっこう恐かったね。」
 と言ったとたん嘔吐の危険性か、屈み込み、口を押さえるシンジ。
 そのしぐさを、むぎわら帽子を少し上げて見ているレイ。
 その時、シンジとレイの目線があった。
 口を押さえながら顔を上げてレイを見つめるシンジ。
 右手で帽子のつばをおさえ、目を丸くして驚いた顔をしているレイ。
 やがて、レイは帽子をまた深くかぶる。
 レイの肩は震えていた。
 シンジは何事が起こったのかと思った。
 帽子をおさえていた右手が口元に移り、クスッ、という声が聞こえた。
 やったー!綾波が笑った!
 人込みの中でクスクス笑うレイ。
 シンジの吐き気はいつのまにか消えていた。

 それから二人はいろいろな所をまわった。
 レイは、コクンと、クスッ、だけだったがシンジはそれだけで大満足だった。

 

 「いい眺めだね。」
 「そうね。」
 レイもここから見える第三新東京市を眺めていた。
 眼下には巨大な都市があり、奥には芦ノ湖が見える。
 シンジは、右手を開いたり閉じたりする。
 前から決めていたこと、それは観覧車に乗ったときに自分の気持ちを
 綾波に告げる。
 ゆっくりと回る観覧車に閉じこめられた二人。
 この閉じられた空間が最後のチャンスだとシンジは思っていた。
 もうすぐ、降りなきゃいけなくなったときに、シンジはやっときりだした。
 「あ、綾波。」
 レイはびくっとしてから、シンジの方を見る。
 「僕、ぼ、ぼく・・・・・・・・・・いつからかはわからないんだけど、
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ、綾波のことが。」
 だめだ、言えない。
 でも、ここで逃げちゃだめだ、逃げちゃ。
 「あ、あ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ、綾波のことが、す、す、好きなんだ!」
 シンジは下を向き、なんとか言いおわった。
 後悔はしていない、これが自分の正直な気持ちだとシンジは確信している。
 シンジは、ゆっくりと顔を上げると、レイも下を向いて黙っていた。
 レイはどう思っているんだろう?
 シンジは気になる。
 何も言わないということは・・・・・・・・・・・・・
 どう思っているんだろう?
 やがてドアが開き、降りる時が来た。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ないで。」
 「え?」
 レイの小さい声はシンジの耳には聞こえてこない。
 「なに?なんていったの?」
 シンジはレイを追及する。
 「もう、もうこれ以上混乱させないで!」
 レイは観覧車を降り、走って行く。
 シンジは石のようにかたまり、動けないでいたが、目だけはレイを追っていた。
 「お客さん、降りないんですか?」
 何が起こったのかわからない。
 どうなったんだ?僕は。
 「もう一周するんですね。」
 観覧車のドアが閉まる。
 なんで?
 どうして?
 シンジはただボーッと観覧車に乗り続けるだけだった。
 下を見ると、レイが走って遊園地の出口から出ていった。
 シンジの頭のなかに、いままで聞いたこともないレイの叫び声がこだまする。



 





 夕日が入り込む廊下を歩くケンスケ。
 その表情はいつものそれとは違っていた。
 言う事の出来る人間は、もう自分しかいなくなった。
 可愛そうだけど、死ぬ前に伝えておいたほうがいいだろう。
 それが彼女のためだと思う。
 決心はついていたが、どこかで自分の弱い心が袖をひっぱっている感じもする。
 逃げだしたいのはやまやまだが、自分のためにもそれは出来ない。
 もちろん彼女のためにも。

 夕日の差し込む廊下を、一人歩くケンスケ。
 笑いながら通りすぎる子供たち。
 いつまでも無邪気な子供でいたかった。ケンスケはそう思う。
 やがて足を扉の前で止める。
 その扉には012号室と書かれてあった。
 ケンスケは深呼吸をする。
 すぅー、はぁー。
 逃げちゃだめだ、相田ケンスケ。
 自分にそう言聞かせた後、ゆっくり扉をノックした。

 コン コン コン

 「はい、どうぞ。」
 中から聞こえる声を確認すると、ケンスケはドアのノブをまわし、中に入る。
 「あ、ケンスケお兄ちゃん。」
 「やあ、元気にしてた?」
 そこには、小学3、4年生の少女がベットの上で横になっていた。
 「うん、でも本当に退屈で。」
 「じゃあ、この前見てきた大艦隊の話をしてやろうか。」
 「うん、してして。」

 少女は何がおもしろいのか戦艦の話に耳を傾ける。
 優しい口調でいろいろと話してあげるケンスケ。
 ニコニコと笑みを浮かべながら話を聞く少女。
 夕日は二人を照らし、時の流れを遅くする。
 少女の微笑みは写真のように止まっている感じがした。

 「ふーん、はははは。」
 話が途切れ、沈黙が生まれる。
 ケンスケはそれを恐れ、悩み考え、話の接ぎ穂を見つけようとする。

 「ケンスケお兄ちゃん、うちのお兄ちゃんはまだ体悪いの?」
 時間が止まる。ケンスケのまわりの時間が。
 自分でもわかっていたことだが、急な問いかけにどうしていいかわからなくなる。
 黙っていたほうが彼女にとって幸せなんじゃないか?
 どうせ、もうすぐみんな死ぬんだ、このまま知らないほうがいいんじゃないか?

 「どうしたの?なにかお兄ちゃんにあったの?」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 「ねえ、どうしたの?」
 「ごめんね、お兄ちゃん嘘ついてたんだ。
  君のお兄ちゃん、トウジは、死んだんだよ。
  エヴァの実験のせいでね。」
 「え?」
 「わからなかったかい?君のお兄ちゃんは死んじゃったんだよ。
  エヴァの実験でね。」
 「なんで?お兄ちゃん病気になったから、病気になったから
  しばらくお見舞いにこれないって言ったじゃない。
  ケンスケお兄ちゃんそういったじゃない。」
 「ごめんね、お兄ちゃん嘘ついたんだ。
  君が悲しむと思ったから嘘ついたんだ。」
 「嘘よ!嘘だよ!お兄ちゃんが死ぬわけないよ。」
 「これは変わらないことなんだよ。トウジは死んじゃったんだ。」
 「嘘つき!嘘つき!そんなわけないよ!お兄ちゃんが死ぬわけないよ!」
 「死んじゃったんだよトウジは。」
 「出てって!嘘つきのお前なんか出ていけ!」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・ごめんね、ごめんね。」

 少女は近くにあったものをケンスケに投げ付ける。
 リンゴ、コップ、マンガの本、教科書、消しゴム。
 ケンスケは避けようとしない。
 ただ黙って、投げ付けられるものにぶつかる。
 ひたいに花瓶がぶつかる。
 うっすら血がにじむ。
 「ごめんね、ごめんね。」
 ケンスケはそう言い残し、部屋を後にした。

 部屋のドアを閉める。
 たまらなくなりその場に座るケンスケ。
 今まで堪えていた涙は、もう止まらなかった。

 「母さん、つらいよ。つらいよ。」

 まわりの子供はケンスケを指差し笑っていた。

− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − 
 青いワンピースはベットとレイの体にはさまれて、しわくちゃになっていた。
 闇はその青と同化して、レイのからだは透き通っているようにも見える。
 シンジの言葉が頭から離れない。
 『絞り方、お母さんみたいだった。』
 『案外、主婦が似合うのかもね。』
 『ゴミだけ片付けておいたから。』
 『優しいんだね。』
 『きれいだね。』
 『よ、よく似合うよ。』
 『あ、あ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ、綾波のことが、す、す、好きなんだ!』
 やめて!もうやめて!
 忘れたいの、あなたのこと忘れたいの。
 やめて!やめて!

 彼女はただ枕に顔を押しつけ、涙を流す以外に何も出来なかった。

 「もう、あなたのつらい顔を見たくないの。」

− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − 
 「待ったか?」
 ミサトは驚いていた。
 「すごい、加持くんが時間道りにくるなんて初めてじゃない?」
 加持はフッと笑う。
 「最後ぐらいはいいだろ?」
 その言葉を意識してしまう二人。
 「あ、悪い。」
 ミサトは、沈黙の後にグラスを持ち上げる。
 「飲みましょう。」
 「そうだな。」

 ここは第三新東京市の夜景を一望できるバー。
 一昨日ミサトがリツコと来た場所だ。
 「はっはっは、懐かしいな。それからミサトが俺にたまご投げ付けたんだぜ。」
 「や、やめてったら。」
 ミサトは加持の背中をたたく。
 「ははははは。」
 二人の昔話はつきなかった。
 自分たちがあの頃にタイムスリップしたようにも感じられた。
 若かった頃に二人がやってっきた馬鹿なことを話し続ける。
 二人は何もかも忘れ、話に夢中になっていた。



 第三新東京駅まで歩くふたり。
 沈黙は二人を包みこむ。
 日曜の夜でも駅前道りは賑やかだったが、彼らは例外だった。
 一歩一歩踏みしめて歩く。
 この一歩の意味を二人とも理解していたから。
 やがて加持が口を開く。
 「ミサトは強いよな。」
 「どうして?」
 「こんな時でも、シンジ君やアスカの面倒みなきゃいけないんだからな。」
 酔っ払いは二人をからかうが、耳に入ってこない。
 ミサトは煉瓦の敷きつまった歩道を見つめ続ける。
 やがて人道りのない信号で止まる二人。
 ミサトの肩は震えていた。
 「そんなことない、必死で泣きだすのを我慢してる。」
 加持はミサトの肩をがっちりとつかむ。
 「それがミサトの強さだよ。」
 「違う!恐くて、恐くて、たまらないの。強いわけじゃない。
  いつも逃げてるの、シンジ君の事だってそう。
  彼のためだと思って記憶を消した。
  でも、ただ自分がシンジ君のつらい顔を見たくないから。」
 「彼にとってあれでよかったんだよ。
  ミサトはまちがっていない。」
 「いつも誰かに甘えたいと思っている。」
 「俺がいるよ。」
 「加持くん。」
 ミサトの頬に涙がつたる。
 加持はミサトの髪に指を入れる。
 「好きだ、ミサト。」
 ミサトの声は涙がまじりすぎて、これだけしか伝えられなかった。
 「わたしも。」

 抱き合う二人の上に雨が降り注ぐ。
 二人は初めて抱き合った日を思い出す。
 愛して、愛されて、いまの二人がいる。
 ふと、自分たちの運命は最初から決まっていたような感じがした。

− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − 
 「ただいま。」
 ミサトの声に返事はなかった。
 靴を脱ぎ居間に行くと。アスカが椅子に座りテーブルに突っ伏していた。
 ミサトは優しくアスカを見つめる。         
 「アスカ。」
 すると、アスカはミサトに向かって来て抱きついた。
 「ミサトォ。」
 「アスカ。」
 「恐い、恐いよぉ。」
 泣きじゃくるアスカをひしと抱き締める。
 自分には心の支えがある。
 でもこの娘には・・・・・・・・・・・・・・。
 ミサトはアスカの部屋に連れて行き、ベットに寝かせる。
 アスカのとなりに自分も横になる。
 ミサトはアスカの髪を優しくなで、瞳の涙を拭き取ってやる。
 アスカの体の震えはいつになってもおさまらない。
 ミサトはいつのまにか、昔よく聞いていた歌を口にしていた。
 その曲は、ミサトが小さい頃母親が歌ってくれた曲で、
 その曲を自分に背を向けるアスカに優しい声で歌ってあげた。

 しばらくして、アスカから寝息が聞こえてきた。
 涙でぬれるその顔をミサトは優しく拭き取ってやる。
 「おやすみ、私の可愛い妹。」

 ミサトはシンジの部屋の戸を開ける。
 シンジは洋服のまま丸まって寝ていた。頬を通った涙の跡。
 ミサトは布団をかけなおし、頬にキスをする。
 「おやすみ、私の可愛い弟。」



 だれもが明日の死に怯え、涙を流す。
 悲しみは、幼い子供たちを次々と襲った。



 しかし、これ以上の、死よりも恐ろしい惨劇が一人の少年を襲う。




 AM 3:32

 痛い!痛い、痛い。
 頭がわれるように痛い。
 なんだ?どうしたんだ?
 あの傷だ。
 あの頭の傷が暴れだしたように痛い。
 だめだ!死んじゃうよ、誰か、救けて、誰か。
 ミサトさん、救けてよ、ミサトさん、痛いよ。
 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。」


 シンジは消された記憶の世界に入っていった。


 





 嘘だ、嘘だ。
 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。」
 「シンジ君、シンジ君、ごめんね、ごめんね。」
 シンジの目の前には、ジャージを着た少年が血だらけで動かなくなっていた。
 「ぼくだ、僕がやったんだ。」
 「違うわ、あなたじゃない。シンジ君、あなたがやったわけじゃないのよ。」
 「僕だ、僕は人を、友達を・・・・・・・・・・・・・・。」
 「シンジ君。」

 中央作戦司令室では静寂だけが流れる。
 シンジの声にみな何も出来ない。
 マヤは、仕事とはいえ自分のした残虐な行為に腹が立ち、情けなくなり、
 どうしようもない絶望感に打ち拉がれ泣くだけだった。
 シンジの叫びと、彼女の泣き声だけが、そのあとも続いた。



 ここはネルフ本部内にある中央病院。
 そこに、全身傷だらけの少年が、点滴と酸素吸入をうけている。
 部屋中に彼の心拍を表す機械の音が鳴り響く。
 やがてその音のなる間隔は大きくなっていく。
 少年の顔が一瞬歪み、病室に連続音が広がる。
 白いベットの上で、少年は動かなくなる。
 その時の少年の顔は、微笑んでいるようにも見えた。
 


 マコトは電話を置く。
 「葛城さん。」
 「なに?」
 ミサトはすでにネルフ本部に帰還していた、しかし、腕とひたいには
 包帯を巻いている。

 「FOURTH CHILDREN・・・・・・・・・・・・・・・・・今、息をひきとりました。」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そう、わかったわ。」
 それ以上は何も言わず、ミサトはメインモニターを見つめる。
 そこには、EVANGELION3号機の無残な死体があった。



 「シンジ君になんて言おう。」
 ミサトの頭の中にはそれだけしかなかった。
 私服に着替えながら、それについて考える。
 自分以外に言うことの出来る人なんていない。
 正直に言わなきゃいけない。

 袖を通すときに、傷が痛みミサトの顔は歪んだ。

− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − 
 「ただいま。」
 ミサトの声に反応するものはいない。
 居間にいっても誰もいなく、シンジも、アスカも部屋にこもりきりのようだった。
 手早く服を着替えるミサト。
 鏡に映る自分に言聞かせる。
 「逃げちゃだめ、あなたが逃げたらシンジ君はもう・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 ミサトは涙がでそうになったが、必死にこらえた。

 「シンジ君、入るわよ。」
 返事はなかったが、ミサトはシンジの部屋の戸を開ける。
 シンジはベットの上で丸まっていたが、彼が起きていることをミサトは
 わかっていた。
 「シンジ君、あなたに黙っていて本当に悪かったと思っている。
  まさか、こんなことになるなんて思っても見なかったの。
  本当にごめんなさい。」
 ミサトはなんとか平静を保とうとしていた。
 「なかなかあなたに言いだせなくて、本当に、本当にごめんね。」
 今にも泣きそうになるミサト。
 「それでね、シンジ君にまた言わなきゃいけないことがあるの。
  トウジ君ね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・息をひきとったわ。3時41分にね。」
 「え?」
 今まで丸まっていたシンジが声を上げる。
 「だってトウジは助かったって言ったじゃないか。
  命は助かったって言ったじゃないか。」
 「ごめんね、シンジ君。」
 ミサトは口に手をあて、半泣き状態だった。
 「僕だ、やっぱり僕が、トウジをこの手で、握り潰して・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・殺したんだ!」
 シンジはそのまま枕に顔をうずめ、あの恐怖を思い出す。
 「違うわ、それは違う。」
 シンジの体は震えている。
 「出てってよ!。」
 シンジの大声にミサトの体が止まる。
 「ごめんね、ごめんねシンジ君。」
 ミサトはその場にいられなくなり、自分の部屋にかけこんだ。

 「なんで、みんな彼につらい思いばかりさせるの?」
 ミサトの心の声を聞くものは一人もいなかった。

− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − 
 「シンジ君、学校どうするの?・・・・・・・・・・・・・無理して行くことないからね。
  行きたくなったら行きなさい。私は仕事にいくから。」
 部屋のドアが閉まる。
 家にシンジだけがとり残された。
 シンジの目は赤く腫れあがっている。

 今でもシンジの頭のなかによみがえる。
 トウジを握り潰したあの感触が。
 実際に握り潰したわけじゃないのは、シンジにもわかっている。
 でも、あの映像が頭によみがえると、手に感触が伝わっているかのような
 錯覚におちいる。

 「トウジ、僕は、僕は。」



 「どのくらい時間がたったんだろう。」
 シンジは時計を見てみるとまだ11時だった。
 シンジはあまりに泣くことしかやることがなかったので、学校にいってみる
 ことにした。
 目の腫れは少しひいていた。

− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − 
 学校に着くとちょうど昼休みだった。
 心なしかいつもより、グランドで遊ぶ人数が少ないように感じられる。
 上履きにはき変え、外靴を靴箱にしまう。

 2−Aの教室の戸を開ける。
 みなシンジの方を振り向き、驚く。
 誰もがシンジを今までとは違う目で見ていた。
 シンジはその目線に気付かず、カバンを机のうえに置く。
 「よく学校にこれたわね。」
 シンジにいきなり話し掛けたのはヒカリだった。
 「やめなよ、ヒカリ。」
 ヒカリを止めようとするのはアスカだった。
 「返してよ、返して。」
 ヒカリはシンジのシャツのえりをつかみ、前後に力一杯ふる。
 「え?」
 シンジは何が何だかわからなかったが、とても恐かった。
 「トウジ君を返してよ、トウジ君を返してよ。
  人殺し、あんたがトウジ君を握り潰したんでしょ。」
 シンジの顔は真っ青になっている。
 手に、あの感覚がよみがえる。
 シンジはただ、恐くてしょうがなかった。
 「違うよ、ヒカリ。シンジが悪いんじゃないの。」
 アスカの声はもはやヒカリには聞こえない。
 「人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し。」
 ヒカリはシンジに弁当箱を投げ付けたあと、
 床に膝をつき、そのあとは両手で顔を押さえ大声で泣きはじめる。
 まわりの者は、ヒカリの叫びを黙って聞くしかなかった。
 『人殺し』その言葉がシンジの頭の中をグルグル回る。
 「うわぁぁぁぁぁぁぁ。」
 シンジはたまらなくなって、教室を飛び出す。
 「シンジ!」
 アスカの声は虚しく鳴り響く。
 授業道具をカバンにしまいこんだレイは、ゆっくりと教室を後にする。
 「お願い、誰か、・・・・・・・・・・・・トウジ君を返して。」
 まわりの者は、その願をかなえてあげれる人はいない。
 教室からヒカリ以外の女子にも泣き声が聞こえる。
 ヒカリの涙は次々に落ちて行く。
 涙は、弁当箱からこぼれ落ちたそぼろご飯、タコの形のウインナー、
 ウサギの形のリンゴにぶつかってはじける。
 弁当箱の中のそぼろご飯は、海苔で『スキ』と書かれてあった。

− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − 
 「僕は人殺しだ、間違えない。この手で友達を殺した殺人者だ。」
 シンジは走る。
 学校を上履きのまま飛び出し、あてもなく走る。
 『人殺し、人殺し、人殺し。』
 ヒカリの声が何度も聞こえる。
 それを振り払おうとひたすら走る。
 血だらけのトウジの顔が思い出される。
 シンジは力一杯走るしかなかった。
 
 力つきた時には高台の公園まで来ていた。
 ちょうど夕日が、ビルとビルの間から顔を出している。
 振りきったはずのトウジの顔がまた出て来る。
 夕日にあたったその涙は悲しみと絶望を流してはくれなかった。
 ベンチに座り、茜色の空を見渡す。
 上を向いても涙は次々に出て来る。
 「僕は、僕はどうしたら・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 その時、後から誰かが近付く気配がする。
 レイだった。
 彼女はシンジの隣にすわり、夕日を眺める。
 シンジはレイの息が上がているのをわかっていた。
 はぁはぁという彼女の息遣いは、今までのシンジに聞いたことのないものだった。
 夕日はだんだんと落ちて行く。
 空には一番星、二番星が見えはじめる。
 暗やみにひとつだけ浮き出た月は、二人を優しく見守る。
 公園の街頭に明かりが灯り、そこに蚊が集まる。
 眼下に映る大都市は、自分たちの存在を示そうと灯りを放つ。
 その存在感の固まりは、人によってはきれいだったり、醜かったりする。
 シンジの涙は止まっていた。
 少年はこれらのあらゆるものを黙って眺める。
 二人の沈黙は果てしなく続くが、不安な気持ちはどこにもない。
 互いに必要な人物がすでにそこにいた。
 シンジはふとレイの足元を見ると、ぼろぼろになった中学校の上履きがある。
 レイはシンジの目線に気付き、自分もそれを見る。
 やっと自分が上履きのまま飛び出したことに気付く。
 シンジはずっとそれを見ている。            
 なんだかおかしくなってくる。
 シンジは思わず微笑してしまった。
 レイはいきなりの微笑に胸を突かれる。
 そして、ふとシンジの足元を見ると、そこにも上履きがあった。
 レイの微笑みはシンジに向けられた。
 微笑みあう二人。
 二人の胸の中には、今までに感じたことのない感情が芽生えはじめていた。

 


 

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