4th Stage <On the run>

ピチャン…

どこからか、水面が震える音がする。

僕は目を覚ます。長い眠りから覚めたような、まだ夢の中にいるような感じがする。何かあったような…そうだ、エヴァに乗って、目の前に綾波やカヲル君がいて…

綾波が目の前にいる。

何か身体の感覚がないみたいだ。ここはどこだろう。大きな紅い月がみえる。海の中にいるような不思議な気分だ。

 

「はあーーーーー。あやなみ・・・ココは?」

僕は綾波に声をかける。綾波は相変わらず、表情を変えない。

「ココはLCLの海。生命の源の海の中。ATフィールドを失った、自分の形を失った世界。どこまでが自分で、どこからが他人なのか判らない曖昧な世界。どこまでも自分で、どこにも自分がいなくなっている静寂な世界。」

「僕は死んだの?」

「いいえ。全てが一つになっているだけ。これが、あなたの望んだ世界そのものよ。」

僕はその言葉の意味を感じていた。

ミサトさんからもらったペンダントを見つめていた。

 

手は何のためにあるの?

彼方から綾波の声が聞こえた気がした。

 

 

 蒼い光を浴びた少年が茫然と立ち尽くしている。その右手からは紫色の液体がドクドクと下垂り落ちている。目の前の鏡は無数の破片が四方に飛び散り、鋭利な残骸を留めている。宇宙空間を思わせる無限の暗闇がボッカリと口を開けている。

少年の目からは絶望を湛えた涙が止めど無く流れ、俯いた両肩が間歇的にしゃくりあがる。

ポト…

ポタン…

ポト…

ポタン…

ポト…

透明な雫と粘着質な水滴が地面を少しづつ穿っていく。

 

 

「ねぇ?」

少年はうな垂れたまま、甘えた声で呟き始める。

「何?」

大人の女性を思わせる優しい声色を出す。少年は言葉を続ける。

「夢って、何かな?」

「夢?」

今度は前と違った女の子らしい声で自分に答える。

「そう・・・夢。」

どこか落ち着いた声の少女。鏡の中の少女と良く似た声が響く。

 

少年はその声を発した刹那、思わず顔を上げ、自分の左手を振向く。驚きの表情で三面鏡の真ん中を覗き込む。そして、その壁に向き合うように歩み寄ると、ざわめいた少年の声が醒めた少女の声と絡み合う。

 

「判らない。現実がよく判らないんだ。」

「他人の現実と自分の真実との溝が、正確に把握できないのね。」

 

「幸せが何処にあるのか、判らないんだ。」

「夢の中にしか幸せを見いだせないのね。」

 

「だから、これは現実じゃない。誰もいない世界だ。」

「そう、夢。」

 

喧騒と静寂、緊張と弛緩。少年が独り言を紡ぐ度、右手の傷口が大きく裂け広がる。

 

ポタ…

 

「だから、ココには僕がいない。」

「都合のいい、作り事で現実の復讐をしていたのね。」

 

「いけないのか?」

「虚構に逃げて、真実をごまかしていたのね。」

 

「僕一人の夢を見ちゃいけないのか?」

「それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせよ。」

 

ポタポタ…

 

右腕を伝い液体が地表に吸い込まれていく。

少年の表情から壁を射抜くかのような真剣な眼差しが消え、再び辺りは重苦しい沈黙に包まれる。

どす黒い紫色の水溜まりが少年の足元できらきら煌いている。

 

ポタポタ…

 

ポタポタポタ…

 

ポタポタポタポタ…

 

「うぅっふふふーーーーー」

含笑が木霊する。

 

「うわぁっはははぁーーーーーーーーはぁはぁ」

痴笑が静寂を切り裂く。

 

刃の切っ先は二人の少年、少女に向かう。

「ああ、そうさ、僕の知っている綾波は死んだんだよ。僕をかばって。僕のせいで。でも、綾波がなぜ死んだかなんて僕には分らない。綾波が何を思っていたかも分らない。

でも、僕に優しい綾波がいたはずなんだ!みんなと違った!!」

少年は二人に激声を浴びせると、そのまま俯いてしまう。

 

「だけど、それは見せかけなんだ。自分勝手な思い込みなんだ。祈りみたいなものなんだ。ずっと続くはずないんだ。いつかは裏切られるんだ。・・・僕を見捨てるんだ。」

 

少年はポツリ、ポツリ、内面を吐露する。

「分ってたさ・・・

何も判ってなかったんだ・・・

他人も自分と同じだと一人で思い込んでいたんだ・・・

裏切ったっていう僕の気持ちも・・・最初から自分の勘違い。勝手な思い込みにすぎないことに。」

自分に言い聞かせるかのように、一言、一言、心にこびり付いた固い殻を無理やり剥がすかのように言葉を尽くす。

 

そして、二人にきっと顔を向けると、血染めの指を突き出す。

 

「ここにいる綾波もそうさ。僕の影。僕を責め苛む僕自身だ!」

 

少年は自分の右手にある壁を敵意が篭った目で指差す。ゆっくり二人の方に向き直る。

 少年の瞳に優しい微笑みを浮かべる少年と少女の姿が映る。しかし、二人の右肩は力なく垂れ下がり、白い半袖シャツが赤黒く染め上げられている。少年は思わず自分の左手を高く上げられている右腕にもっていく。手のひらに感じる粘着質の生暖かい感触。少年は左手を握り締めると、自分の目の前に持ってくる。開ききった指と指の隙間から真赤な鮮血が滴り落ちる。口をわなわな震わせ、自分の左手と鏡の中の少年、少女の右腕を何度も、何度も見比べる。その瞳には困惑の黒が浮かび、激痛の赤が全身を包み込んでいく。

 

心は何のためにあるの・・・

指差していた鏡の裏側から呟きが聞える。

 

少年は声の聞えた方によろよろと歩み寄ると、二人から目を背けるように左腕を鏡に叩き付ける。ゆっくり左手を広げ、自分の姿をじっと見つめる。少年には少女の姿が映っている。左手から流れ落ちた赤い雫が少女の目元を通り過ぎる。

 

少年の背中から光りが溢れる。二人の姿が光に包まれるように消え去り、鏡の中に蒼く冴え渡る青空が広がる。

 

ちくしょう!

少年は血まみれの右拳を鏡に叩き付ける。

 

青空に少年の姿が浮かび上がり、その周りに懐かしいみんなの笑顔が浮かんでくる。

 

ちくしょう!

・・・ミサト・・・リツコ・・・加持・・・

ちくしょう!

・・・日向・・・青葉・・・マヤ・・・

 

ピキッ!

ガラスにひびが入る

 

ちくしょう!

・・・ケンスケ・・・トウジ・・・ヒカリ・・・ペンペン・・・

ちくしょう!

 

・・・アスカ・・・

 

赤く染まった拳が幾度も叩き込まれる。

少女の姿は血にまみれ、苦痛に歪む。

 

ちくしょう!

ちくしょう!

グァッシャン!

 

拳が鏡を突き破る。

飛び散りひび割れた鏡に大きく暗い空間が生まれる。

 

少年がVサインを出しながら、にこやかにみんなと共に映っている。その背後から僅かに覗く蒼髪。少年が顔を遮っている。

 

碇シンジが作り出した暗闇の中にぼんやりと影が浮かんでいる。両膝を両手で抱え、額をその膝小僧に付けてじっと俯いている姿。綾波レイが静かに佇んでいる。

 

 

 

 

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