セルフプロデュース/『MEGAPHONE SPEAKS』

by. 明(めい)こと 田原 美郷
1998年9月27日

『MEGAPHONE SPEAKS』は、ミュージシャン<篠原ともえ>の新しい扉を開いたアルバムと言う気がします。これから先、もっともっと、ずっと先まで素晴らしい音楽を、生み出してくれそうな、そんな気持ちにさせてくれます。

雑誌等で、音楽的にも好意的な評価を見かけます。それはそれで、嬉しいことではあるのですが、彼女が本当に評価されていないのと思うのは、プロデュース力だと思います。ファッションやデザインから、企画、音楽プロデュースまで幅広く参加し、構築していく力が並外れています。

石野卓球さんは、彼女のこうした可能性に、もっとも早く気がついていた人のひとりだと思います(あくまで、個人的な推測ですが)。この辺のことは、「石野卓球氏、最後のプロデュース (1997.09.06)」につらつらと(^^;書いてありますので、よろしければ一度ご覧頂ければと思います。

とにかく、こういう面は、あまり表に出てはきません。例えば純粋な歌い手が、言われるままに歌だけ歌ってできたCDがあるとします。こうしたCDと彼女のCDとは、世間一般から「歌手」としてだけ見た時、同列にしか見えないんです。CDに「produced by 〜」とクレジットされることの意味は、本当は歌い手自身であること以上に、大変なことなのだと思うのです。

反面、純粋に「歌い手」としての彼女の力は、個人的には、まだそれほどでもないと思っています。プロ歌手として客観的に見た時、声量、声域、音感、リズム感、歌唱技術、喉の強さといったものは、決して飛び抜けたものではないと感じています。まだまだこれからだと言ってもいいでしょう。

特に今回のアルバムでは、彼女自身の持つ音楽性の広がりに、歌い手としての彼女が、ついていけていない曲が少なくないと思います。ミュージシャンやプロデューサーとしての、<篠原ともえ>が要求するレベルに、歌い手の<篠原ともえ>が達していない。そんな感じです。
もっともこれは、純粋に歌の技術的な一面であって、歌の魅力や「伝わる」ものの多さは、並大抵のものではないとも思っています。

『MEGAPHONE SPEAKS』の音楽は、まだまだ未成熟と言うところもあるでしょう。彼女自身が、はからずも「ひとりのミュージシャンとしてこれがデビュー作!」と感じたのは、まさに的を射ていると思います。音楽的には、まだまだだったり、不満や疑問を感じる部分もあると思います。でも、なにも今この時に、完璧な音楽を望んでいるわけでもないし、今の彼女のすべてをつぎ込んだ作品であることは、痛いほど感じます。

そして、そんなこのアルバムが大好きです。もう、何百回となく聴きましたが、飽きません…。

[メルヘン・プロフィールMEGAPHONE SPEAKSクルクルCD情報]


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