石野卓球氏、最後のプロデュース

1997.09.06

 歌手「篠原ともえ」の生みの親とも言える、石野卓球氏。その石野氏が、4枚目のシングルCD「ウルトラリラックス」を最後に、彼女のプロデュースを離れました。石野氏を師と仰ぎ、慕ってきた彼女には、相当のショックでした。彼女自身、その時の心境を「もう私の芸能界での命は終わりだ」(月刊カドカワ9月号)と語っています。

 石野氏が、プロデュースを降りた第1の理由。これはもちろん、ミュージシャンとしての活動が多忙になったことでしょう(この後、電気グルーヴは、シングルCD「Shangri−La」、アルバム「A」をリリースしています)。しかし、単に多忙という理由にとどまらず、これ以上のプロデュースは「篠原ともえ」の成長にとって、決してプラスにならないと判断したのではないでしょうか?

 デビュー前から誰に教えられるでもなく、自分自身を演出する彼女を、石野氏は見てきたわけです。単なる歌い手では、おさまらないモノを感じていたのではないでしょうか。そして、早い段階から、彼女自身にプロデュースの才能がある事を、見抜いていたのでは?

 プロデュースとは、もちろんプロデュースする対象も重要ですが、それ以上に、プロデューサー自身の表現の場だと思います。プロデューサにとって、歌手やタレントは素材であって、その素材を通して表現することが、プロデュースでしょう。これは、指揮者や舞台監督も同じだと思います。従って、同じ素材でも、プロデューサーが違えば、表現したいものは違ってきます。

 そう考えたとき、近い将来、彼女自身の表現したい事と、石野氏のそれがぶつかることも起こり得ます。いや、ぶつかるならまだしも、そうなった時、彼女が自分自身の表現したい事を、押し殺してしまうのでは? プロデューサーとして石野氏がそばにいる限り、彼女は「歌手」として、全力でそれに答えようとするはずです。

 意識するしないに関わらず、彼女は自分のアイデアよりも、石野氏の意見を優先するでしょう。それは、クリエーターとしての彼女の才能の芽を、摘んでしまう事にもなりかねません。・・・彼女が、自由に創造の翼をはばたかせ飛べるように。そして、その時までは自らの羽の庇護下で、見守り育ててきた。そんな印象すら感じるのです。

 すべては、勝手な推測です。が、こうして空想の翼を広げるのも、ファンの楽しみとして、お許し頂きたいと思います。そして、もしほんの少しでも真実があったとすれば・・・、石野氏の慧眼に脱帽し、また彼女のファンとして感謝したいと思います。

メルヘン・プロフィール


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