名器 平蜘蛛の行方

 

1577年、戦国時代きっての大悪人である松永久秀が名器 平蜘蛛の茶釜
もろとも信貴山城にて自爆して以来、その名器平蜘蛛については
十分な探索がなされないまま今日に至っている。

その人類最大ともいうべき謎を解くという我々の使命が、
ずしりと我々の肩にのしかかっていた。

 

1997年9月6日 朝、いや昼前の11時に我々は JR関西線王子駅にて待ち合わせた。
早速、偉大なる鈴木大納言博士は11時頃いらっしゃたが、
こーへいちゃんが来ない………。

どないしたんやろうなあと思いつつ、鈴木大納言博士と
共に駅前のマクドでハンバーガー(今現在90円である)にかじりついていた頃、
ようやくこーへいちゃんが登場。

しかも、我々の今回の探検の「重要な足」ともなる愛車シビックに乗って登場。
しかしこのシビック、
ミッションである。
即ち、オートマではないのである。

「ミッションの車」との恐怖を予感しながらも、

王子駅を出発し
我々は誰も未だ成し遂げたことのない「偉大なる奇跡」の
第一歩を踏み出していったのであった。

 


<王子〜信貴山>

通常、車で10分程だとの話ではあるが、何故か迷いつつ
倍近くの時間を浪費してしまった。
ここで特筆すべきは、やはりこーへいちゃんの素晴らしい
ドライビングテクニックであろう。
何故、オートマ車を購入しなかったのか??

この探検とは全く関係無いのだが、助手席に鎮座していた私は当初、
迫り来る恐怖と緊迫感で手に汗を握り締めていたのである。
が、私の感じていた恐怖とは裏腹に

こーへいちゃんは平然としていた……

平然と運転をする こーへいちゃんの図


<信貴山>

信貴山に到着し、案内の看板を見たが「信貴山城」など、見つからない。
聞けばこの信貴山、毘沙門を奉っているとのことで(詳しくはわからんが)
松永久秀の松の字も見当たらない。

しかし、ついに我々は案内板の上の方に剥げかかった

「信貴山城跡」の文字を発見した!!!


「見よ、あれが我々の目指す信貴山城跡だ!」
と感動のあまり、指を差す左衛門佐ともーか氏と こーへいちゃんの図


そして我々は、「登山モード」に入った。
「登山」とくれば高校時代、山岳部の代表であった こ―へいちゃんは
前回、信州上田にて行った「上田&松代ツアー」でもその本領を
発揮した事からも明らかである通り、さすがに早かった。
まるで猿飛佐助か霧隠才蔵かとばかりに険しい山道を登っていったのである。
そして途中、我々は偉大なるお方を発見した。

毘沙門天の化身、上杉謙信公ではないか!!

と思ったら、妙に愛敬のある毘沙門天の像であった…

 


<信貴山城>

雨の降る中、やっとの思いで信貴山城跡に到着した我々であったが、
そこには何やらさみしく「信貴山城跡」の碑が残っているだけであった。
もう少し松永久秀を宣伝してもいいのに…と思いつつ、
我々は「名器 平蜘蛛」のかけらを探す事にした。
「名器 平蜘蛛」のかけらを探す事数時間、なかなかその正体を
現さない平蜘蛛に我々探検隊の士気は衰えるかに思われた瞬間。

ついに、その破片らしき物体を発見した!

驚きと興奮のあまり大声で叫ぶ左衛門佐ともーか氏の図

 

そして数分後、鈴木大納言博士もまた同様に

その破片らしきものを発見したのであった!

驚きのあまり、興奮さめやらぬ鈴木大納言博士と左衛門佐ともーか氏

 

ついに我々は、歴史的な奇跡をなしとげたのであった。

これは人類始まって以来の発見である。

と、思い込んでいるだけかもしれないが…

 

とにかく、僅か数時間ではあったが、信貴山での探検による成果は、
我々の歴史を塗り変えることとなるかもしれない。

しかし、この「戦国一の梟雄」松永久秀について、殆ど信貴山では案内が
なされていない。確かに「悪人」扱いをされてはいるものの、もう少し何らかの
情報があってもよいものではないかと思う今日このごろである。

我々の偉大なる発見を生み出した信貴山に対し、思いをはせる鈴木大納言博士

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