悪の英雄 松永久秀と信貴山
さて、旅程に行く前にやはり、松永久秀について少しばかり
解説しておかねばならない。でなければ、このホームページをご覧になられた方々の
頭のなかにクエスチョンマークが嫌ほどつくであろう。
松永久秀:(1510〜1577)
元々は阿波細川家の家老、三好長慶に仕え、長慶の信頼を受けていたが
結局、主家三好氏に反逆。
まず、当主長慶の嫡子・義興を毒殺する。
その後、室町幕府13代将軍足利義輝を暗殺、三好3人衆らと戦って大仏殿を
焼き払い、まさに「悪徳の限り」を尽くした武将ともいえる。
しかしながら信長が足利義昭を第15代将軍として擁立し、上洛すると
朝敵となった久秀はやむなく信長に降参。
家宝の一つである「九十九髪茄子茶入」を信長に献上し、
降参の意をあらわした。
「傀儡将軍」足利義昭の陰謀とも言うべき「信長包囲網」により、
上杉謙信の上洛が決定した時、松永久秀はそれに呼応し、最後の反乱を起こす。
しかし、謙信は脳卒中で突然世を去ってしまう。
彼は信貴山城に籠もり、名器「平蜘蛛」茶釜に爆薬を詰め、
天守閣もろとも吹っ飛ばして壮絶な死を遂げた。
・「信貴山」:
信貴山城は河内と大和の国を結ぶ要所として667年 天智天皇の
代に築城され、その後幾たびか戦乱により築城が繰り返されたが
中世に至り大塔宮護良親王が鎌倉幕府軍への対抗拠点とするなど
戦略的に重要な位置とし、楠正成も一時この城に拠ったという。
その後河内の国の木沢長政や松永久秀が城を大修築し、近畿一円に
君臨すること十数年に及んだが、遂に織田信長の軍に攻められ、
1577年落城し、今日に至る。
なんかえらく真面目に書いてしまった。
真田関係以外でこれほど書くのは我ながら初めてである。