2015年の初頭において思うこと

森本 優

2015/1/10


経済成長と雇用

 

 最近、経済成長を進め雇用を確保したいといった論調の政策提言が目に付く。

 しかし、本当に雇用を創出するには経済成長が必要なのだろうか

 

 経済成長とは何か。

 生産から消費に至る過程において、モノ・サービスに付加価値を付けて販売し、その販売総額を膨らませてゆくことと定義すると、確かに、その販売総額が拡大しているとするなら、仕事量も大きくなっているはずだし、従って雇用の機会も増えているはずだと考えるのが普通かもしれない。

 しかし、大規模化や最新技術の導入による効率化などにより、人の仕事はますます減り、更に、お金も地元に落ちず国外に持ち去られてしまうような場合には、経済成長がイコール雇用の増大につながるとは到底いえない。

 却って、大企業・多国籍企業が主導する経済成長は、地域社会のコミュニティーを分断し、個々の住民を、生産者としても、また消費者としても、企業利益追求のための手段・道具、言い換えれば、ケージ飼いのブロイラーとしてしまう。

 彼らにとって、経済的利益が至上目的なのだから、人間も家畜と同じ扱いにならざるを得ない。効率性を求めた家畜工場の有様は、人間社会にも見出されるはず。

 

 以上のことを、農について述べよう。

 大企業・多国籍企業群は、種を特許権で縛り、大量の遺伝子組み換え作物を大量の化学物質を投入して生産し加工する。そして大量に流通に乗せるなら、確かに大きく経済成長に貢献することになる。

 しかし、そこで働く契約労働者にとって、特に主体性・自立性を失った農民にとって、そこでの雇用は不安定なものになりかねない。経済効率と利益追求を第一とする企業にあっては、首切りによる人件費削減の恐れは常につきまとうから。更に、お金が地域を回って住民を潤すことなく海外に持ち出されてしまっては、地域社会は疲弊してゆかざるを得ない。

 

大きな分岐点

 

 今私たちは、大きな分岐点に立たされている。

 コミュニティーから分断され、人としての尊厳を失い、企業の囲いの中で搾取され続けるのか、それとも、地域コミュニティーを循環型社会として再構築し、自給経済圏の中で主体性・自立性を鍛えて、人としての尊厳を保持してゆくことが出来るか、の分岐点。

 「経済成長」のドグマにどっぷりとはまり込み、TPP締結を進めながら禿げ鷹のような巨大資本の国内参入を準備している官僚・政治家・企業・マスコミ等は、目先の己の利益に踊らされ、既に国民を売り渡してしまっている。

 国政レベルではどうにもならない所にまで来ている。

 「第二の開国」による「経済成長」というが、その言葉面が醸し出す好印象とは裏腹に、実態は、国が国民保護という義務を放棄して、国民を、丸裸のままの状態で遺棄し、大企業・多国籍企業群の家畜を扱うような管理・支配に委ねることに他ならない。

 そのような、彼らが主導する「経済成長」の内実を知り、適切に対応することが今私たちに求められている。

 私たちに出来ることは、足元の地域コミュニティーを再構築して、極力基本的なモノ・コトは自給する経済圏を築いて保塁となし、それぞれ連携してゆくこと。そして人として生きられる空間を守ってゆくこと。

 確かにその保塁は、資本参入にとっての非関税障壁として、ISD条項により訴訟を打たれる可能性がある。しかし、全国各地でこのような草の根の運動が数多く展開するなら、総てを狙い撃つことはできない。また、見せしめに数箇所を拾い上げ訴訟沙汰に及べば、その資本の横暴さを全世界に示すことになる。そして、その「経済成長」の裏に隠れ暗躍しているものの正体を白日の下に晒すことができるはず。

 

 ここ数年が大きな分岐点となるでしょう。

 皆さん、自覚的に行動してゆきましょう。

 

以上


参照資料

※「おらんとうはエテ公?それともブロイラー?人間ちゅう選択肢はねえのけ?」

 http://www.asahi-net.or.jp/~jh4m-mrmt/D.new/d-44.html

※「天災・人災に備えた村づくり町づくり」

 http://www.asahi-net.or.jp/~jh4m-mrmt/D.new/d-45.html

※「な ぜ 自 給 組 合 な の か」

 http://www.asahi-net.or.jp/~jh4m-mrmt/C.stored/c-a-2.html

その他


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