縄文の森・白神1 白神2 白神3
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 山越えを断念、縄文の森との別れを惜しむかのようにゆっくり下った。水と語らい、巨木と語らい、花と語らい、岩魚と遊ぶ・・・
 生かしたままキープした岩魚は8匹(ちょうど1人2匹)。テン場の傍らに生け簀を作って撮影してみたが・・・。感度のいいデジカメでも暗くシャッターブレを起こしてしまった。デジカメだって、PLフィルターや三脚が必要なことを痛感した。水の風景に心惹かれるとは言っても、そこに岩魚が生息していなければ、何故か生命の躍動感を感じない。私にとって、縄文の森と清冽な流れに遊ぶ縄文岩魚の存在・・・これこそが、「生命の源流」・白神のシンボルそのものだと強く感じている。だからこそ大切にしたい。
 テン場の設営を終えた後、長谷川副会長がかつての天然釣り堀で岩魚と遊んだ。中村会長は、デジタルビデオ、私はデジカメでその様子を記録した。右奥の石の下から大物が竿を絞った。最初は根掛かりでもしたのかと思ったが、岩魚だった。竿は満月状態となったが、岩魚が顔を出した瞬間に見事にバラしてしまった。以降、釣れてくるのはリリースサイズの小物ばかり・・・。魚止めの主はリリースとは言うものの、顔を見ずに終わってしまった。次回の楽しみにとっておこう。
 巨大なシャワーとなって垂直に落ちる滝に、光が斜めに射し込んだ。すると、美しい虹の橋が架かった。  右岸の壁は、見事な垂直の壁が連なっている。巨岩のゴーロの沢には、決まってこうした屹立する壁がある。
 巨大な倒木をノコギリで切って焚き火にした。これは中村会長が切ったのだが、余りの大きさにノコギリの取っ手が取れるほどだった。それにしても諦めずによく切ったものだ。会長の執念に脱帽。  岩魚は、刺身と皮の空揚げ、三枚におろしてフライパンで揚げた岩魚料理。その残りを焚き火に吊るし燻製にした。飴色に輝いた岩魚の燻製は、骨酒に最高だ。
 二日目、数百mの落差をもつ急階段のゴーロを下った。来年こそ、山越えをしたい・・・。  下る途中、水が織り成す美しさに思わずカメラを取り出した長谷川副会長。
 右の写真は、大きな岩穴から流れ出す源流水。一体は緑の苔に覆われ太古の息吹に溢れていた。左はその聖なる水を彩るダイモンジソウ・・・。
 期待したキノコの芸術品がなかったので、流れとダイモンジソウの群ればかり撮影していた。水と苔とダイモンジソウが造り出す自然の造形美は、何度見ても新鮮な喜びを与えてくれる。
 巨岩の隙間を流れ下る小滝。この滝壷には、いつも岩魚が群れている。 斜面には、ブナの巨木が林立している。
 手前に苔と共生するブナ、右奥にはカツラの巨木、その間を聖なる水が蛇行しながら流れ下っている。薄暗く豊潤な空間がたまらない。  苔生した岩と流木、ダイモンジソウ、シダ類、透明な水の躍動、白泡の中には縄文岩魚が潜む・・・求めてやまない日本人の原風景みたいなものを感じる。
 垂直の滝を下れば、縄文の森と渓のフィナーレだ。たった二日間だったが、心の原風景に酔いしれることができた。白神は、源流へ誘う不思議な力をもち、共生の心を培う力をもっている。今度こそ、沢を登り、ヤブをかき分け稜線を越えて源流へ行ってみたい・・・何度訪れてもその新鮮な衝動は抑えることができない。

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