縄文の森・白神1 白神2 白神3
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縄文の森・白神山地
 白神山地は、「ブナ原生林」とか「原始の森」とか言われているが、私は「縄文の森」という言葉が何となくピッタリという感じがする。そこに生息する岩魚は、当然「縄文岩魚」と呼んでいる。この縄文の森を彷徨い、焚き火を囲んで山の命をいただく瞬間は、自然に全面依存して生きるしかなかった狩猟採集時代の世界を味わうことが出来る。そこには、富も名誉も差別も存在しない。皆平等なのだ。人間は、この世に存在しないユートピア、あるいは桃源郷の世界を想像したが、白神には、現実にそうした世界が存在するのだ。

 9月中旬、沢を登り、山越えをしながら白神の森と渓を4日間ゆっくり旅する予定だった。ところが、第1キャンプで、仲間の持病が悪化してしまった。これまで、会結成以来寝食を共にしてきた仲間である。二日目、あっさり山越えを断念、仲間の健康回復を祈って下山した。目に焼きつくほどお世話になった白神の森と渓、たった二日間だったが、釣りを忘れて沢を歩く気分は爽快だった。
 初めてこの沢を訪れたときは、暗く鬱蒼とした森に圧倒された。さらに、激甚の落差を伴うゴーロが延々と連なり、伏流で水が流れていない区間が数百mもあった。まさかこの上に岩魚はいないだろう・・・と思って岩の階段を上ったら、突然行く手を阻む大滝が現れた。小さな滝壷だったが、そこは天然の釣り堀だった。その時、滝の飛沫に濡れながら、岩魚を握る手が震えるほどの感動を覚えた。以来、我々はこの沢の虜になった。
 台風が過ぎ去ったばかりだが、水は意外に少なかった。午前7時30分、いよいよ遡行開始。下流から遡行するのは何年ぶりだろうか。歩くたびに、懐かしさがこみあげてきた。
 いきなり深い淵、ツルツルの岩盤を慎重にヘツル中村会長。私は、フェルトにスパイクがついた渓流用足袋を履いていたが、こうしたツルツルの岩盤では滑って危険極まりなかった。フェルトにスパイクは、一見素晴らしいアイデアのように思ったが、実践では使い物にならなかった。 渓は、ブナにすっぽり覆われ暗い。小滝と壷が連続している。素晴らしいポイントが連続しているが、走る魚影は少なかった。
苔に覆われたブナの流木。そろそろキノコの季節だが、今年は残暑が厳しく、寒暖の差がなかったためか、どこを見渡しても食えそうなキノコは皆無だった。 左岸から枝沢が合流する地点。大滝も近い。
 今回のメンバーは、左から中村会長、高橋コック長、長谷川副会長、そして写真を撮っている私の4名。狭い両岸に轟音を発して流れる大滝は、何度見ても迫力がある。滝の傍では、瀑風で休憩などしていられない。その下流の河原で遅い朝食をとる。
 大滝右岸のガレ沢を登り、大高巻きを開始。浮石が多いので、下に転がさないよう慎重な配慮が必要だ。ここは、小さく巻こうと思えば、すぐに絶壁の壁にぶつかってしまう。大滝の落差の倍ほど登れば、横にトラパースした踏み跡がある。かつては目印も何もなかったが、高巻きルートには、白いテープがあった。

 沢登りでザックカバーをしている人はほとんどいない。ところが我々は、全員ザックカバーをしている。これは単に雨でザックが濡れないようにしているのではない。白神の沢はヤブこぎが必須だ。ザックの回りに小物を吊るしても、このカバーをしていれば、ヤブで引っ掛かることもない。ザックカバーは、ヤブこぎでこそ、その真価を発揮する。
小躍りしながら、急斜面を下り、再び沢に降りる。 最大の難所には、ロープが残っていた。直に近い岩盤、頼りになる木もなく足場も悪い。遥か下には、圧縮された流れと滝が・・・慎重に下る。
 右にカーブした流れは4つの滝が連続している。かつて下段の滝壷には、ブナの流木が突き刺さっていたが、今は流されて跡形もなかった。ここは、左岸を大きく巻いて進む。変化に富む渓を味わいながら源流をめざすのは、やっぱり楽しいものだ。
蛇行したゴーロ帯は、歩きづらい。右岸の緩い斜面を巻きながら進む。  午前中は雨がパラついていたが、幸い止んだ。二又右の沢から、中村会長が竿を出す。苦笑いするようなリリースサイズの小岩魚だった。
 苔にびっしり覆われた岩盤と滝の流れ。なぜか心潤う光景だ。この滝を越えると、いよいよ縄文の森へ・・・。

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