資料庫へ  曹禺研究へ  表紙へ
 
                       講義メモ・ 曹禺『雷雨』  PDF版(ワンドライブに収録)  
*このメモは摂南大学外国語学部・中国現代文学の授業で配布したメモを一部修正したものです。公表を予期したものではありませんが、インターネット(日本語環境)上で流布されている曹禺『雷雨』情報は不十分なものが多いので、掲載します。レポートなどへの引用は自由ですが、著作権はありますので注意してください。(摂南大学外国語学部・瀬戸宏  2010年、2022年6月15日、8月30日,9月22日、2024年4月30日修正)
*html版(このページ)では、一部の漢字が示せないのでカタカナで表記してあります。正しい漢字表記はpdf版をみてください。
 
作者
曹禺(そう・ぐう Cao Yu  1910.9.24〜1996.12.13)
二十世紀中国を代表する劇作家。天津生まれ、本名は万家宝。本籍は湖北省潜江市。天津・南開中学に入学、南開新劇団に参加。清華大学在学中の1934年7月『雷雨』を『文学季刊』第3期に発表。そのほかの作品には『日出』『原野』『北京人』などがある。
*禺はグとよむが、曹禺の場合は慣用的にソウグウと読む。「曹禺は“そうぐう”か“そうぐ”か」参照。
 
 
『雷雨』基礎データー
初出 『文学季刊』第3期(1934年7月)
初演 浙江省上虞・春暉中学(1934年12月、曹樹鈞『曹禺劇作演出史』中国戯劇出版社 2007)。
実質的な初演は、1935年4月27日〜29日、中国人留学生の団体・中華話劇同好会が東京・一橋講堂で上演。

以後、文化大革命期の中国大陸と戒厳令期の台湾を除き、中国語文化圏のあらゆる時期、地域で演じられ続ける。中国語で書かれた戯曲の中で、最も上演回数の多い作品と言ってよい。
 中国国内では、北京人民芸術劇院(北京人芸)の上演(1954年6月初演、夏淳演出)が21世紀の今日まで四代の俳優によって演じられ、中国を代表する上演の位置を獲得している。北京人芸は21世紀に入ってほぼ毎年『雷雨』を一週間から10日程度上演している。
 
『雷雨』テキスト
『雷雨』には次の四種類のテキストがある。
1.文化生活出版社版(1936年1月初版)
『文学季刊』第3期の初出とほぼ同じ。序幕・尾声がある。厳密には1937年5月までの第八版と同月発行の第九版の間で小さな差異がある。現在は第九版以降が文化生活出版社版とされている。中華人民共和国建国まではこのテキストしかなかった。1988年12月刊行の『曹禺文集』第一巻(中国戯劇出版社)が曹禺の確認を得てこのテキストを収録して以降に中国で出版されたテキストはほぼすべてこの版に基づいており、『雷雨』の定本。

2.開明書店『曹禺選集』版(1951年8月)
中華人民共和国建国直後の思想状況に基づき、序幕・尾声を削除したほか「階級闘争」強調のため大幅に手をいれたもの。まもなく廃棄された。
 
3.人民文学出版社『曹禺劇本選』版(1954年6月)
内容をほぼ文化生活出版社版に戻したもの。ただし序幕・尾声は復活しなかった。

 
4.中国戯劇出版社、単行本『雷雨』第二版(1959年9月)
『雷雨』圧縮版。序幕・尾声はない。文革終結後最初の『曹禺選集』(人民文学出版社、1961年5月第一版、1978年4月第三次印刷)にも収録され、一時は『雷雨』定本であったが、1980年代後半以降は文化生活出版社版にその地位を譲った。ただし、北京人民芸術劇院上演台本とほぼ同一内容であり、今日も一部で出版されることもある(解放軍文芸出版社『曹禺劇本選』2000年7月 など)。
 
あらすじ(序幕・尾声はほとんど上演されない)
 ある冬の日。教会付属病院の特別客間。老人が入院している二人の女性を見舞いに来る。二人の女性はいずれも気が違っている。少年と少女が紛れ込み、修道女たちが十年前この部屋で一晩に三人の男女が死んだと話していたのを聞いてしまう。(序幕)

 ある夏の日。北京人芸上演台本などはいずれも一九二二年と推定している。舞台は主として資本家(石炭会社会長)周樸園(しゅう・ぼくえん Zhou Puyuan、朴は簡体字)の邸宅の客間。登場人物の台詞などから、天津と推定される。周家の長男周萍(しゅう・へい zhou Ping)は召使いの四鳳(しほう Sifeng)と愛し合い、継母のハンイ(はんい Fanyi 漢字はpdf版参照)とも道ならぬ関係にある。萍の異母弟周冲(しゅう・ちゅう Zhou Chong)も四鳳を慕っている。四鳳の父で俗物の魯貴(ろ・き Lu Gui)も周家の召使いとして勤め、母侍萍(じへい Shiping)は済南のある学校の用務員、四鳳の異父兄の魯大海(ろ・だいかい Lu Dahai)は周樸園の炭鉱のストライキ指導者になっている。周樸園は強権的な家長で、ハンイに薬を無理矢理飲ませたりする。(一幕)

 萍と四鳳の仲に嫉妬したハンイは四鳳を解雇しようとし母親の侍萍を呼びつけたことで、侍萍は周樸園と顔を合わせる。実は、二人は三十年前には若主人と召使いであり、しかも愛し合い二人の子までもうけていた。後に周樸園は金持ちの娘と結婚するため侍萍を棄てた。侍萍は、一人の子は家に残し、もう一人の子を連れて川に身投げしてしまう。周樸園は、侍萍は死んだと思っていた。だが、実は侍萍は助けられ、生きるために最下層の生活を送り、魯貴と結婚し、四鳳を生み、そしてこの日初めて周樸園と再会したのだった。周樸園は初め彼女が侍萍だとはまったく気がつかなかったが、対話を重ねる内にしだいに気がついていく。二人の間の子は、魯大海と周萍だった。その直後に、魯大海が客間に乱入し周樸園を罵る。周樸園は、大海が知らぬ間にストはすでに収束し会社は大海を解雇したことを告げる。(二幕)

 場面は一転して魯貴の家。魯貴、四鳳も周家から解雇され、魯貴は家族に向かって周家を罵っている。冲がわびにやってくるが、大海に追い返される。侍萍は四鳳に、周家で何があったのかと問い詰めるが、四鳳は自分を信じてくれと言うばかりである。雷雨の中を、萍が四鳳に会いに来る。四鳳はこっそりと彼を家に入れてしまうが、後をつけてきたハンイに窓を閉められ閉じこめられてしまう。大海にみつかった萍は、なんとか魯家から逃げ出す。(三幕)

 最後に、深夜全員が周家の客間に集まる。異父兄萍の子をすでに身ごもっていた四鳳は真相を知り、狂ったように雷雨の屋外に飛び出し電線に触れて死に、助けようとした冲も感電死してしまう。萍は拳銃で自殺し、侍萍とハンイもショックで気がふれて廃人となり、一人周樸園が取り残される。(四幕)

 序幕の時間に戻る。入院している二人の狂女は侍萍とハンイ、見舞った老人は周樸園、特別客間は周家の客間であることが明らかになる。バッハのミサ曲が流れ、修道女が聖書を音読する中で幕となる。(尾声)
 
『雷雨』の内容、形式、主題
 『雷雨』の場所は、第三幕が魯家である以外は周家の客間に固定されている。
 『雷雨』の内容は、遡れば約三十年前、直接には三年前から周家に起こっている衝突の帰結である。劇が直接描いているのは、ある夏の日の午前から翌日の深夜午前二時までという二十四時間に満たない時間だが、その背後には三十年に及ぶ時間の堆積がある。三十年間の人間関係を二十四時間以内に合理的に緊密に圧縮することによって、『雷雨』には強い緊迫感が生まれ、観客に知的刺激をもたらす。
 劇中には回想や想像はなく、序幕・尾声を別にすれば、時間は直線的に進む。日常的な台詞とそれに基づく身体動作だけで構成され、歌舞はまったくない。主要登場人物はみな、名前(固有名詞)と鮮明な個性をもっている。
 文学面では、『雷雨』の筋は偶然に頼りすぎた技巧のあざとさを指摘されることが多いが、舞台ではそれが逆に劇的な盛り上がりとなって観客を引きつける。
 『雷雨』の主題については、ギリシャ悲劇にならって人間と運命の関係を描いた、封建大家庭とそれに反抗する人間を描いたなど、さまざまな解釈がなされている。読む人の立場によって解釈は異なり、複数の解釈があってよい。私は、五四運動期の問題意識を引き継ぎ人間性解放の要求を悲劇の形式で強く訴えた劇ととらえたい。
     
『雷雨』の事件
*『雷雨』には時間の指定はないが、第二幕に三十年前の光緒二〇年に無錫である事件が起きたとあり、だいたいの時間が分かる。「三〇年前」を厳格にとれば、『雷雨』の事件発生は一九二四年だが、北京人芸などでは概数ととり、一九二二年としている。
 一八六七(同治六)年 周樸園生まれる
一八七四(同治一三)年 魯貴生まれる
一八七五(同治一四)年 侍萍生まれる
一八八七(光緒一三)年 ハンイ生まれる
一八九〇(光緒一六)年 周樸園この頃ドイツ留学、数年して帰国。
一八九三(光緒一九)年 周樸園この頃侍萍と愛し合う
一八九四(光緒二〇)年 周萍生まれる
一八九四(光緒二〇)年 旧暦大晦日(一八九五年一月二十五日)周朴園は“お金も地位もあるお嬢さん”と結婚のため侍萍は周萍を残し屋敷を追い出され、生まれて三日後の魯大海を連れて身投げ。
一九〇二(光緒二八)年 周樸園、南方から北方へ転居
一九〇三(光緒二九)年 侍萍と魯貴この頃結婚
一九〇四(光緒三〇)年 四鳳生まれる。周樸園とハンイ結婚。
一九〇五(光緒三一)年 周冲生まれる
一九〇七(光緒三三)年 周樸園、ハンイに侍萍のことを“良家姑娘”と偽り告白
一九一九(民国 八)年 周萍いなかから出てくる。まもなくハンイと関係
一九二〇(民国 九)年 この頃周樸園は炭鉱に行き、『雷雨』の事件の二日前にようやく帰宅。魯貴、周家に召使として勤めはじめる。侍萍、済南のある女学校の住み込み職員となる。秋、魯貴「幽霊が出る」のを見る。魯貴が勤めだして数カ月とたたず、四鳳も周家にあがり魯大海は周朴園の炭鉱で働きだす。
一九二一(民国 一〇) 夏頃から、周萍は四鳳を意識し始めるか。この年の暮れまたは二二年初に周萍とハンイの関係は最終的に切れ、二人はよそよそしい間柄に。
一九二二(民国一一)年 夏、『雷雨』の事件起きる
一九三二(民国二一)年 序幕、尾声の現在。
 
日本語訳(公刊されたもの)
影山三郎・ケイ振鐸訳『雷雨』 サイレン社 1936
多摩松也訳『大陸の雷雨』 天松堂 1939
影山三郎訳『雷雨』 未来社 1953
内山鶉訳『雷雨』 『悲劇喜劇』1994年6月号〜8月号
飯塚容訳『雷雨』 『中国現代戯曲集』第8集・曹禺特集上 晩成書房 2009