表紙へ  中国シェイクスピア受容史研究のページへ
 
          武漢大学・2008シェイクスピア国際シンポジウムに参加して
                                                                          瀬戸宏

*本小論は、2009年1月「中国文芸研究会会報」に投稿したものである。「王国維《莎士比伝》を読む」に続く内容である。投稿後、同会報編集部より、個人攻撃の要素が強くもうこれ以上掲載できないという理由で、掲載を断られた。1960年代〜70年代日本の学界、文芸界、一般ジャーナリズムで繰り広げられたいくつもの激しい論争とそれがもたらした活況を知っている私は釈然としなかった。本稿は事実に基づかない虚偽の記述ではないし、特定個人のプライバシーを暴露したものでもない。本稿が掲載不能なら、魯迅の雑文のかなりのものも掲載不能となるのではないか。しかし、編集部の意向がそうであるならと従った。この「中国シェイクスピア受容史研究」ページ開設を機に公表することとする。本サイトでの発表が初出となる。文中の糸予はhtmlファィルの都合によるもので、一字である。なお本稿を最初に読む人は、拙稿「林糸予のシェイクスピア観」HP版前書きも併せて読んでいただきたい。(2011.07.03記)
 
 08年11月15日(土)、16日(日)両日、武漢大学で2008シェイクスピア国際シンポジウム(2008莎士比亜国際学術研討会)が開催され、中国国内および香港、台湾、オーストラリア、日本から約70名の研究者が参加した。
 研討会は大会と分会(分科会)に分かれ、中国国内の著名な研究者および外国からの参加者には大会発表が割り当てられ、その他の研究者は分会発表となった。そのほか15日夜には、学生劇団のシェイクスピア劇抜粋上演(英語)および湖北省地方戯曲芸術劇院漢劇団による『リア王』が上演された。この『リア王』は、三人の娘に忠誠を誓わせる場を漢劇の折子戯に改編しての上演である。私は勤務の都合上、14日夜に武漢に到着し、15日午前中に論文発表をおこない、当日は終日シンポジウムに参加し、16日午前の便で武漢を離れた。従ってシンポジウム参加は実質一日だけである。
 
 今回のシンポジウム参加は、上海戯劇学院・曹樹鈞氏の紹介によるものであった。私の勤務先の摂南大学には幸い外国学会での論文発表には旅費を補助する制度があり、経済的にはそれほど問題なかったものの、授業期間中であり、翌週には北京に行かなければならない用事もあり、少し躊躇したが、やはり参加することにした。私の発表内容について、中国人研究者の反応を知りたかったからである。
 私の発表「林糸予的莎士比亜観」は、08年6月に日本現代中国学会関西部会大会で行った報告の前半部分を中国語にしたものである。現中学会での発表内容は『演劇映像学2008』(早稲田大学演劇博物館 09年3月刊行予定)での掲載がすでに決まっている。中国現代文学研究者の目に触れやすいところに投稿しようかとも思ったが、私は早大演劇博物館GCOE客員講師の立場にあり、研究成果を演博刊行物に発表することが求められているらしいので、今回はこちらを優先した次第である。
 
 武漢での私の発表の要旨は、次の通りであった。
「中国でのシェイクスピア受容は、実質的にはラム『シェイクスピア物語』の翻訳である林糸予『吟辺燕語』から始まる。林糸予は1916年にも『リチャード二世』など歴史劇を紹介し、これらは小説体で訳されており、莎士比原著としか記されていなかった。このため、林糸予はシェイクスピアの歴史劇を小説化したという通説が生まれた。最近、日本の樽本照雄氏により林糸予はクイラー・クーチの小説化本を翻訳したことが明らかにされた。これは重要な発見であるが、樽本氏は、通説は林糸予に対する冤罪だとも述べている。しかし、私は冤罪であるとは思わない。林糸予がクイラー・クーチの名を挙げていれば、通説は生まれる筈もなかった。林糸予執筆の『吟辺燕語』序をみると、林糸予はシェイクスピアを劇作家ではなく詩人ととらえており、『吟辺燕語』も彼の詩の要約だと考え、小説として翻訳した。だから、ただシェイクスピアの名しか挙げなかったのである。しかし、戯曲は舞台で俳優がそれを用いて演技できるように作られた文学形式であり、この点で小説とは根本的に異なる。『吟辺燕語』諸編をそのまま用いては、俳優は舞台で演技できない。林糸予は戯曲と小説の違いがわからず、小説化本の翻訳はシェイクスピア作品の翻訳ではないことが理解できなかった。だから、林糸予はシェイクスピア戯曲を小説化したという通説はもう成立しないものの、林糸予がシェイクスピア作品ではないものをシェイクスピア作品として紹介した事実は変わらず、“林糸予は戯曲と小説の違いがわからなかった”という鄭振鐸らの説は訂正する必要がないのである。」
 
 演劇研究者の立場からみると、林糸予は冤罪である、という樽本氏の見解は大いに疑問が持たれる。樽本氏の冤罪説は、林糸予の翻訳それ自体の問題と五四運動前後の新文化運動活動家と林糸予の関係という、性格の異なる二つの部分から成り立っている。私の考えでは、前者はまだ学術討論の対象になり得るのに対して、後者は荒唐無稽に近い。現中学会では二つの問題双方に私見を述べたが、武漢では時間の関係もあり、主に前者の問題に絞った。幸い私の発表は、シェイクスピアを演劇として考えようという人たちが中心の学術集会だから当然かもしれないが、好評であったようである。来年自分の大学で開催するシェイクスピア研討会にぜひ参加して欲しいなどの依頼をいくつか受けた。
 
 林糸予冤罪説、林糸予のシェイクスピア観を巡って、その後も樽本氏とやり取りが続いている。私の論文は3月中に公刊される予定なので、説の当否についてはそれを読んで考えていただきたい。武漢大シンポジウム論文集も、4月には出るようだ。
 だが、樽本氏との論争過程で起きたある事実については、ここで述べておかなければならない。樽本氏の研究姿勢の根本にかかわることだからである。
 
 本会報前々号(325号)に私は「王国維《莎士比伝》を読む」を寄稿し、書店で販売された『清末小説』31号をもとに「さらに、『叙事及抒情之詩』という小見出しをつけた説明がある。ここに見える『詩』は、戯曲を意味していることはいうまでもない。」(p25)という樽本氏の記述は完全に誤りであることを指摘した。印刷版発行から約二ヶ月後の12月13日、HP清末小説研究会にPDF版『清末小説』31号が掲載された。その内容を読んで私は唖然とした。p25の私が問題にした部分がそっくり削除され、行数合わせのため少し後に別の文が挿入されていたのである。さすがに樽本氏も言い逃れできないと判断したらしい。しかし、PDF版には差し替えについてどこにも説明がないのだ。印刷版とPDF版は共に『清末小説』31号と題され、同一内容の筈である。しかも、論争対象の部分である。どうしても訂正したいのなら、一言断りをつけるべきではないか。このような改変は、偽造、改竄ではないか。しかも樽本氏は、これまでこの種の改竄を強く批判していたのではなかったか。これでは樽本氏の学術倫理を疑う声が起きてもやむをえまい。私の個人サイトには、転載した「王国維《莎士比伝》を読む」の文末に、印刷版『清末小説』31号p25を画像にして掲載しておいたので、関心がある人は参照していただきたい。
 
 なお、新たに挿入された部分は「しかも、この4編だけではこの『大詩人』の蘊奥を窺うのは不足する、という。劇作家ということばのなかった時代のイギリスでは、シェイクスピアを詩人と呼んでいた事実をふまえている」である。これがまた大きな問題を含んでいるのであるが、ここでは紙幅の都合でこれ以上触れない。今回の改竄は、樽本氏の林序の詩=劇説の破綻を改めて示すものとなった。樽本氏が自分の説に真に自信があれば、この部分は間違っていた、と公然と訂正すればそれで済む筈だからである。
 この機会に書いておく。この部分を含む樽本氏の論文名は「阿英による林糸予冤罪事件−『吟辺燕語』序をめぐって」という。その主内容は、阿英は「晩清小説目」(1954)で『吟辺燕語』を勝手に蘭姆(ラム)著に変えてしまった、阿英は林糸予がシェイクスピア戯曲そのものを知らないため莎士比著と記したと考えたからであり、後の研究者は阿英の断定を無批判に踏襲している、阿英による林糸予冤罪だ、というものである。少し無理のある論旨だが、それは今は問わない。問題は、この論旨も事実関係の上で成り立たないことである。樽本氏は、商務印書館が阿英「晩清小説目」から約二十年前の1935年にも『吟辺燕語』を刊行し、その版本はCharles Lamb著と明記しているのを知らないようだ。1935年当時は、中国でもシェイクスピアについての知識が普及し、『吟辺燕語』を莎士比著として出版すれば出版社の信用にかかわる恐れがあった。『シェイクスピア物語』とシェイクスピア作品は別物、という認識がすでに中国で一般的になっていた、ということでもある。著者名の変更は、商業出版社としては当然の判断だろう。「林訳では存在しなかったラムが表にでてくるのは、阿英目録の記述からはじまった」(『清末小説』31号p14)という文面は、まず事実の面で正しくないのである。
 
 1935年版『吟辺燕語』は上海図書館に所蔵されており、タイトルだけならインターネットでも検索できる。インターネット蔵書検索では蘭姆となっているが、実際にはCharles Lamb著であることは、私が現物で確認している。樽本氏は論文の根幹にかかわる問題について、インターネットで中国主要図書館の蔵書を調べる程度の文献調査も行っていなかったらしい。今回はこれ以上書かないが、樽本氏の実証ミスはまだほかにもある。「王国維《莎士比伝》を読む」で私は「樽本氏の実証はけっこう杜撰なところもある」と書いた。これが、例外的なミスを捉えてあげつらったものではないことは、読者も理解していただけるだろう。
 樽本氏がかくまで林糸予を擁護するのは、あるいは晩年不遇であった林糸予に自己を重ね合わせ感情移入しているからかもしれない。しかしながら、もし冥界の林糸予が、樽本氏は学術倫理に背いて自分の弁護をおこなっていると知ったら、短気な林糸予は、もう自分に関することは二度と書くな、と樽本氏を怒鳴りつけるのではあるまいか。(2009.1.7)