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《シ解外奇譚》 について
 
 
             瀬戸宏
 
*「中国文芸研究会会報」第322号 (2008.8.31)原載
 
 
中国におけるシェイクスピアの実質的紹介はラム『シェイクスピア物語』の翻訳である林糸予(糸予は一字、難字1 林琴南)・魏易訳《吟辺燕語》(1904)から始まるが、実はその前年に『シェイクスピア物語』の翻訳紹介はあった。訳者無記名《シ解外奇譚》である(シ解は一字、難字2)。奥付には著者英国索士比亜著、総発行所上海達文社、光緒二九年十一月付印、出版とある。
 《シ解外奇譚》の存在は孟憲強《中国莎学簡史》などで知ってはいたが、実際の刊本をみる機会はなかった。樽本照雄『新編増補清末民初小説目録』には《海外奇譚》とある。意味は同じだが、どちらが正しいのか。
 
 先日、日本現代中国学会関西部会大会で「林糸予のシェイクスピア観−林糸予は冤罪か」という報告をする機会があった。この報告の主内容は近く論文化することが決まっているのでここでは触れないが、報告の機会に《シ解外奇譚》について調査したところ、北京・中国国家図書館が所蔵しているのを発見することができた。私の知る限り日本では《シ解外奇譚》についての具体的な紹介はまだないので、私の調査結果をここで記したい。
 《シ解外奇譚》について調べたのは、今回が初めてではない。過去にも、中国国家図書館、上海図書館、上海戯劇学院図書館、中央戯劇学院図書館を調べたことがあるが、見つけ出せなかった。今回も諦めかけていたが、中国国家図書館の蔵書検索システムに《海外奇譚》がありシステムには刊行年が195?(?はママ)と出てくる。建国後に出された本だろうと思ったが、念のために閲覧手続きをとった。ところが、出てきた実物をみると、何と《シ解外奇譚》そのものであった。なぜ《シ解外奇譚》《海外奇譚》とタイトル表記が分かれているのか、その疑問も氷解した。表紙は《シ解外奇譚》だが、目次や本文、奥付は《海外奇譚》だったのである。本文では《シ解外奇譚》で統一する。(現在は縮微でもみることができるが、私の調査時にはまだなかった。)
 
 冒頭につけられた叙例によれば、《シ解外奇譚》はラム『シェイクスピア物語』から「最もよいもの十章を選んで翻訳した」ものである。「書中の人名はすべて意をもって訳し、中国の姓名に似せた」とある。各章には中国章回小説風の題名がつけられ、その内容は次の通りである。
第一章 蒲魯薩貪色背良朋(ベローナの二紳士)
第二章 燕敦里借債約割肉(ベニスの商人)
第三章 武歴維錯愛luan(難字3)生女(十二夜)
第四章 畢楚里馴服悪癖娘(じゃじゃ馬ならし)
第五章 錯中錯埃国出奇聞(間違いの喜劇)
第六章 計上計情妻偸戒指(終わりよければすべてよし)
第七章 冒険尋夫終諧伉儷(シンベリン)
第八章 苦心救弟堅守貞操(尺には尺を)
第九章 懐妬心李安徳棄妻(冬物語)
第十章 報大仇韓利徳殺叔(ハムレット)
 
 《シ解外奇譚》の訳文はどうか。第十章「大仇に報いて韓利徳はおじを殺す」の冒頭部分をみてみよう。
 
朱通烏丹麦王之后也。帰於王有年。生子韓利徳。某年月。丹王暴卒。卒未両月。后即贅葛洛兆為壻。葛洛兆者、前国王之弟也。其人性情智慧遠遜前王。而流品之汚下卑鄙。人咸賤之。后独屈身以事。親愛較前王尤篤。於是前王死事。人多疑之。挙国咸知曖昧之端。不可思議。而葛洛兆弑兄妻嫂、僭竊帝位之名。乃自是而定。
 
『シェイクスピア物語』の該当部分を記してみよう。
 
GETRUDE,queen of Denmark,ecoming a widow by the sudden death of king Hamlet,in less than two months after his death married his brother Claudius,which was noted by all people at the time for a strange act of indiscretion,or unfeelingness,or worse:for this Cloudius did no ways resemble her late hasband in the qualities of his person or his mind,but was as contemptible in out-ward appearance,as he was base and unworthy in disposition;and suspicions did not fail to arise in the minds of some,that he had privately made away with his brother,the late king,with the view of marrying his widow,and ascending throne of Denmark,to the exclusion of young Hamlet,the son of the buried king,and lawful successor to the throne.
(デンマークの王妃ガートルードは、ハムレット王が急死して未亡人となった。彼の死から二ヶ月たたないうちに彼の弟クローディアスと結婚したが、当時のすべての人々に無分別な、人情味のない、あるいはそれ以上の奇行だと思われた。なぜならこのクローディアスは、人柄も心も彼女の夫としてふさわしくなく、外見も心も卑しかったからである。そこで何人かの人の心に必然的に疑いが生じた。彼は未亡人と結婚し、デンマークの王座につくために、彼の兄である先王を殺害したのではないか。正当な王位継承者で亡くなった王の息子である若いハムレットを除外して。)
 
両者を比較すると、《シ解外奇譚》の訳文には意訳部分などはあるが、基本的には英語原文の内容を正しく伝えていることがわかる。しかし、国名は丹麦としながら人名は韓利徳、葛洛兆など中国風にするのは、やはりおかしい。
 念のため、林糸予・魏易訳《吟辺燕語》の該当部分を引いてみよう。《吟辺燕語》では『ハムレット』は《鬼詔》という題名がつけられている。
 
丹麦王后傑徳魯新喪其王漢姆来徳未二月,即下嫁王弟克老diu(難字4),国人咸謂后之侍王未有情su(難字5)也。克老diu儀表猥陋,識者疑前王之喪,殆克老diu薬之。既図得后,且覬非常。
 
これをみると、《吟辺燕語》でも意訳、省略はあるが、ラムの原著の内容は基本的に正しく伝えられ、中国語古文としてはるかに簡潔に訳されていることがわかる。中国語の文章としては、明らかに《吟辺燕語》は《シ解外奇譚》よりも上であろう。
 
 《シ解外奇譚》にはほかにも問題がある。『ロミオとジュリエット』『マクベス』『オセロー』『リア王』など悲劇系の名作の大半が収録されていないのである。今では誰ともわからない《シ解外奇譚》の訳者は、喜劇系作品が好みだったのか。しかし四大悲劇の三つやシェイクスピア作品として恐らく『ハムレット』と並んで最も人口に膾炙した『ロミオとジュリエット』を落としたことは、《シ解外奇譚》をシェイクスピア紹介としては致命的な弱点を背負ったものにしてしまった。表紙と目次・奥付の書名が異なっているのも、本書が十分な校正もなくあわただしく刊行されたことを示していると思われる。一年とたたずに『シェイクスピア物語』全訳である《吟辺燕語》が出版されたこともあり、《シ解外奇譚》がほとんど影響力を発揮できず忘れられていったのは当然ともいえる。
 
 ただし、《シ解外奇譚》は《吟辺燕語》に比べて非常に優れた点がある。叙例で「是書原係詩體。經英儒蘭卜行以散文,定名曰 Tales From Shakespere 茲選譯其最佳者十章。名以今名。」と述べ、底本がラム『シェイクスピア物語』であることを明らかにしているのである。これに対して、《吟辺燕語》やその後の林糸予のシェイクスピア歴史劇紹介は翻訳の底本を記していない。これが何を意味するかは、別稿「林糸予のシェイクスピア観」で述べる予定であるので、ここでは触れない。
 
 なお、叙例の「是書原係詩體」の詩は、すぐ後に「經英儒蘭卜行以散文・・」とあるところからみても、明らかに韻文の意味であろう。これに関連するが、現中学会関西部会大会での私の発表の際にコメンテーターを担当した樽本照雄氏は、《シ解外奇譚》の翌年発行された《吟辺燕語》序の“詩”はこの時代には劇を指す、という新説を提示した。樽本氏の提示は十分な根拠を示さず、氏の著書『林糸予冤罪事件簿』でもまったく述べられていない。《吟辺燕語》序には「莎氏之詩,直抗吾國之杜甫」とあるが、詩が劇の意味であるなら林糸予は杜甫ではなく関漢卿や湯顕祖をあげたであろう。「詩家之莎士比」も、すぐ前の「英文家之哈葛得」と対になっており、中国の伝統的な文学概念である詩文のそれぞれの代表としてハガードとシェイクスピアを並べたのである。(ハガードとシェイクスピアを並列することの是非はここでは問わない)。何より、樽本氏が林糸予冤罪の原点とみなす劉半農《復王敬軒書》の一節「吟辺燕語本来是部英国的戯考,林先生於“詩”“戯”両項,尚未辨明」は、詩と劇が同義であるなら意味をなさなくなる。もし劉半農が林糸予の記述を誤解していたというなら『林糸予冤罪事件簿』で指摘しなければならないのに、樽本氏は同書の中でまったくそれをおこなっていない。以上から、現時点では私は、《吟辺燕語》序の詩は劇の意味であるという樽本氏の新説は無理ではないかと判断している。ただし、氏の個人サイト「清末小説研究会」には「阿英による林〓(ママ)冤罪事件――『吟辺燕語』序をめぐって」の発表が予告されており、一定の根拠が示されるのかもしれない。この問題はそれを待ってもう少し考えてみたい。
*『 』「 」は日本語文献を、《 》は中国語文献を指す。文中のシェイクスピア物語・ハムレットの訳は、各種既訳を参照した拙訳。(7月2日執筆、8月10日修正)
 
追記
この文章について、樽本照雄氏が氏の個人サイト「清末小説研究会」お知らせ・08年9月6日の項で言及している。樽本氏の言及はこれまでと同様に感情的な色彩が濃厚だが、氏の言及のポイントは、十分な根拠となる文献を当日示した、というところにある。樽本氏が現中学会関西部会大会の席上、王国維に言及したことは、もちろん記憶している。氏の9月6日付言及は文献著者名を●●●としているが、もし王国維《莎士比伝》を「《吟辺燕語》序の“詩”はこの時代には劇を指す」ことの「十分な根拠」と考えているのであれば、それは樽本氏が『林糸予冤罪事件簿』で劉半農《復王敬軒書》の“戯考”を戯曲(劇本)と誤読した(この点は現中学会関西部会大会報告で指摘し、近く公表の論文でも触れる予定)のと同様に、誤読である。なぜ誤読なのかは、樽本氏の反論が全文公表されてから述べることにしたい。上述のように、《吟辺燕語》序の“詩”を劇(戯曲)と解するのは序の内容などからも困難なのだが、樽本氏の言及はこの点にはまったく触れていない。(2008.9.17)
追記2
王国維《莎士比伝》を読む」で、誤読の理由を示した(2008.12.2)。
 
 
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