HERE-UPON KEN KAGEYAMA 景山健
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「いま ここ」の出来事、有様をどう認識していくか。目の前に起こっていることをそのまま作品とすることは出来ないか。

HERE-UPON  ここにおいて」

これまでのすべての試みのタイトルにしているこの言葉に、そんな意味を込めて考えようとしてきた。近年、日本でもアートの展開される場面でいわれる機会が多くなった「サイトスペシフィック」よりは「一期一会」ということに近い感覚を覚えている。

1.作品=展示会期中の出来事

 1980年代後半 美大生であった当時、欧米の社会思想、あるいは作者の哲学的背景などを端緒としたコンセプトに傾倒し、理屈が見えすぎる傾向にあった現代美術の作品郡を煩わしく感じていた。美術館等に行って見るものにも刺激を憶えず、そうした有り様とは一線を画し「いま ここ」にただあることに向き合い、立ち会うことで完結する作品をつくりたいと模索していた。

 展示する現地の土を素材として制作した作品( 石川県鶴来町1990、桐生 1995、台湾 1995)では、神事としておこなわれ、日本の国技とされる相撲で使われる土俵の有様に注目した。

 当初、日本大相撲協会に「門外不出」と一蹴された後も各相撲部屋に電話し頼み込んだ揚句、幸運にも両国国技館で開催される横綱千代の富士の引退相撲のための土俵制作に立ち会わせてもらえる機会を得た。

 制作にあたって、呼び出し達(:土俵の制作から管理する役目をする付き人 大相撲開催中は力士を呼び上げる役割を果たす)の間に古くから伝承されている制作にあたっての仕来り(慣例)は非常に興味深いものがあった。

相撲を開催する土地の土と砂と水を混ぜ、たたきしめてつくるため、色が開催する場所によってかなり異なる。

俵の制作および土の仕上げには、ビール瓶を使う。

北を正面と考え、方角に乗っ取ってつくられるはずであるが、実際は会場となる建物の条件が優先され、テレビ写りの都合によってその高さにも若干の違いがある。

制限時間を決めた仕切りが励行されるようになったのはラジオ放送時間の都合が優先された故

 当初神道の儀式であったものが、近年になって一般社会に入り込み伝承されるうちに様々な変化を遂げている点のあることは興味深かった。

92年からはじめた「appearance たたずまい」シリーズでは、地球という惑星上の一点という観点から現場と向き合うことを試みた。自宅のあるエリアと同じ緯度帯、経度帯に位置する任意に選ばれた場で、経度1秒にあたるラインをマーキング。この素材として使用済みの割り箸を用いた。開催する時期に応じた現場の周辺の風景の色との関係を、着物の伝統的色彩対比(:襲(かさね)色目)から選択した色に染めて突きたてていく方法で表した。展覧会として定めた時間内に特化して、場を経験するための装置としてつくることに終始。言葉や数値で具体的に説明される成り立ちや意味付けに、開催期間中実際に現場で経験されることとの隔たりを逆説的に求めていこうとしていた。

設置直後から会期中の変化を認めやすく、現場環境にほとんどダメージを与えず現状復帰する上でも割り箸は大変有効であった。

2.継続的なかかわり

2000年 第1回越後妻有トリエンナーレは新潟県妻有郷の山間地域を舞台に147名にも及ぶ内外で活躍する作家達と共に参加。日本ではもちろん、総面積では世界でも最大規模の芸術祭である。私はこのうち、信濃川の浸食作用等によって形成された9段にも及ぶ雄大な河岸段丘を有する津南を現場に制作した。隆起して出来た土地には石、礫が多く含まれる傾向に有るとのこと。区画整地された地域でも農作に良好な状態の土を得るにはたいへんな手間と時間が必要なことを、土地に触れることであらためて教えられた。

田植え直後から現地に入り、連日手入れされ次第に様子が変化する周辺の風景を見るうち、その後2ヶ月半に及ぶ展覧会の会期中「手入れすることでつくりあげる」制作を継続して行うことに予定を変更。延べ70日テントを張り現地に滞在した。

この間、周辺の集落の人々とのかかわりのうちに、この地に紡いでこられた習慣や祭りなど固有の文化のあり方を感じるのと同時に、近年過疎等の影響で生活時間にあたりまえにあったものが失われつつあることも知ることとなった。

3.素材:使用済み割り箸

当初、使用済み割り箸を素材にするのはその大きさが日本人の手のサイズから割り出されたものであることに対するこだわりを除けば、何より元手がかからず、容易に集められ洗えばきれいに使えるという理由によるところが大きかった。(この時期(80年代後半)日本の割り箸需要が、外食産業の増大に伴って過去最大に増大した時期でもあったらしい)

割り箸が考案されたのは江戸時代、原材料は杉であった。杉は柾目が通ってまっすぐに割れやすく加工しやすい。2本を割り離さず付けておく方が、生産効率が良いというところから現在のような形になったと考えられている。

その後、昭和の初めに割り箸製造機が考案され、本格的に大量生産されるようになり、材料も樺、えぞ松、白松などに変化した。これらの材木は、ほかの産業の端材あるいは余材を利用したもので、間伐材や下枝伐りなど建材用木材を育て、山を管理する結果出た材料を利用した。まさに日本独自の文化の生み出したかたちであった。

一回限り使用の思想は、神事や茶事で用いられる箸をその都度あたらしく削り、一度だけしか用いないところからきている。その後、外食産業の急激な発達に伴い、需要の増大と共に国内生産が追いつかなくなったことに加えて、国内の林業の衰退とともに間伐材など材料の調達が難しくなった。経済的事情を優先した結果、中国ほか近隣の諸外国からの輸入材に頼った方が安価であることから、現在そのほとんどは中国製になった。

現在、中国で割り箸ブームが起こっているそうである。かつての日本がそうであったように、割って使う一回性の使用感と清潔さ、管理の容易さがうけて好景気著しい上海など都市部の習慣として一般に定着しつつあり、この影響で輸出用材の原価が値上がりした。これに対して日本では今、以前にも増して割り箸を森林破壊の元凶として取り上げ、外食店ではプラスチック製箸に移行する動きが出始めている。さらに、マスコミは環境保全をうたい文句に塗り箸を持ち歩くスタイルをあたらしいファッションとして若者向けに紹介する始末。

今こそ、外に向けて声高に紹介すべき自分たちのつくってきた誇らしい文化を、これほどまでにあっけなく、無様にやり過ごしている。経済を優先し、効率と利便性を追求した結果、人の生き様(習慣)を越えた人類の進歩と発展の理想型として、意識がつくりあげた仮想(バーチャル)の世界が日常化された今、生活時間の中で着実に失われ、麻痺していくものが多くあることを振り返るべきではないか。

4.恊働すること 

制作工程に参加してもらう作品、あるいは割り箸を使ったワークショップを通じ、素材としての割り箸に新たな役割を期待した。

源義経が敵に追われて逃れる途中、横切る川にかかる橋の上から千本の箸を流し、下流の敵軍に手勢の非力を悟られないようにしたという日本の故事にもあるように、箸そのものに感じられる手の痕跡を見いだそうと考えた。

2005年エジンバラフェスティバルに参加した折、割り箸を使用して何かつくってほしいと現地の画廊オーナーから依頼に基づいて試みを展開した。スコットランドで日本のように都合良く使用済み割り箸が集められるわけもなく、現地では新品の箸(韓国製 竹製)が用意されていた。素材として使用するためは箸袋から出して割った総数は5万膳。さらに6本一組で4つの輪ゴムでとめてかたちをつくる作業を延々繰り返した。

箸を使う習慣のない現地の人々に、慣れない箸を扱う細かい作業はむずかしかろう心配していたのは全くの見込み違い。ニット制作などで細かな手作業を楽しみながらやるのは慣れているという言葉通り、器用に、スピーディーにみんなで楽しんでやってくれた。こうした興味深いやり取りの末、「手間」と名付けたワークショッププロジェクトに発展。約1ヶ月のフェスティバル会期中、屋外のまちの中心にある公園を会場に、訪れた観光客も巻き込んで続けられた仮設オブジェは最大6m近くの高さにまでなった。

会期終了後、搬出もかねて割り箸をすべてそばの海岸に持ち出し再度組み上げ、会期中にこれに関わった人達の間に芽生えた「火をつけてみたい」という衝動を敢行。私のリクエストにはなかったこの様子は、後日興奮気味の手記と共にメールで送られてきた。 

5.かかわりによって果たされたこと

2006年第3回大地の芸術祭では、割り箸を使った作品の集大成のような意味をも含め、再度「かかわりの契機」として素材(:使用済み割り箸)を考えた。2005年から現地へ赴き割り箸回収協力を求め、2006年夏場の制作や、会期中のワークショップなどを経て、収穫を終えた秋 地元の人々に「河岸段丘花火」と呼ばれて開催した試みに至るまで、現場での一連のかかわりを作品としてつくっていった。 

河岸段丘花火:圧倒的に水田や農地にそのほとんどを使用している地域の特徴から、周辺は雄大な暗闇が保たれている。これを舞台にこの地の経度5分(約7480m)を61発の花火を使って顕在化。予算の回収から実行にいたるまで、まちの人々と恊働することによってかたちづくっていった

1年あまりの時間をかけ奇跡的に多くの協力者得て、かかわってくれたみんなの期待を集めて出来上がったものは、たった33秒で完全終了。しかし、それはほんの一瞬だからこそ確からしく印象づけられたように感じた。

翌年から河岸段丘花火は津南で実行委員会が立ち上がり、地元若者を中心とした有志の企画として行われることになった。まちの人自身が楽しむことを目的に、毎年新しい企画を検討し発展的に考えてやっていこうと方針が決定。盛り上がりも最高潮で当日を迎えた。

この日は、一晩で40cmの積雪を観測するこの年の初雪が降った。企画されていた野外イベントなどは規模を縮小せざるを得ない状況。それでも花火は予定通り打ち上げを敢行。降りしきる雪に明るく反射して辺りを明るく照らしながら上空にのぼって行くその様子は、文字通り感動的な光景だった。私も含め、打ち上げ役で現場に居合わせた数人にしか見えない贅沢な催しは終了。直後にあった会合では「またやろう」と興奮した声が上がっていた。不運にも会場に訪れることさえままならなかった観客も多くいたであろうこの日の企画は、それぞれの中で自分のものとして消化され、新たな展開に向けて動き始めていることを感じた。

今年、昨年のリベンジとばかり昨年果たせなかった強い思いを乗せて、毎年1発増やしていく企画を加えて実行。33秒間の出来事は見事実現された。

6.自然とかかわりの内につくられる生活=文化を考える

アートを介してのコミュニケーションをまちづくりや福祉、さらに幼児教育の場面に活かしていこうとする企画がこのところ年々増えてきている。

アートっぽいイメージ、ニュアンスだけでその目的は曖昧、無責任なまま。それらしい作業に終止。手工芸的要素の強いお土産が出来上がり参加者を満足させる。

金、モノ、経済と効率優先にしつらえられた環境で行われるワークショップ等の機会に、アーティストに何を期待するのだろうか。

幼児の行動にも明らかなとおり、朝と夕方にも違いを認められる成長の過程では、言葉で意味付けされる外にあることとのかかわりにおいて自らの認識と実感を形成していく。こうして各人が育んでいく情操面の発達の機会を損なわぬよう、就学以降も個々の内的本性の開発を求めていこうとするのが本来の教育の目的となるべきところだろう。

より良く育てるには手入れするのがあたり前。日々刻々相手がどう育っているかを見定めつつ、しばらく先の天候等予測しながら最善最良の対応を試みる。まんまとうまくいけば豊作。万が一の多少のアクシデントは受け入れて、その先の肥やしにしていこうとするくらいの肝っ玉も必要。いずれにしろ、こちらの心づもりだけでどうにかなることではない。度々のやり取りの末、共に生きていく過程によってつくられ育てていく。ここまでは良くても、先はやってみなけりゃわからない。だからおもしろい。

この数年、津南で続けて来られたこの環境でのかかわりの中で教わったことである。これまでどう生きてきたかを今もって体現している人と場所=環境でのかかわりは、尽きることなく先の展望を楽しみにさせてくれている。

子どもを相手にする大人達が果たすべきは、指導するおこがましさを自覚し彼らが構えずに居られる場所と時間を保証してやることだけだろう。こうした場にアーティストが活きることがあるとすれば、なによりそうした環境の必要性を望んでいるのは彼らであるが故である。

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