更新日時 内容
2001/9/1 「検証・石田三成」に、三成の忍城攻めに関し、99年秋田書店「歴史と旅」に寄稿した文章を掲載。
2001/9/8 「石田三成・史跡と生涯を追う」に武蔵・忍の記事を追加。
「検証・石田三成−北政所は西軍決起に反対していたのか!?」を一部追加修正。
2001/9/22 「石田三成・史跡と生涯を追う」に肥前・名護屋の記事を追加。
2001/10/27 オンライン三成会会員の方々のHP等とリンクをはりました。
2002/6/16 「検証・石田三成」に三成史書・伝記のページを追加しました
2002/7/31 「検証・石田三成」に「5分で分かる石田三成」「石田三成逸話集」を追加しました。


これは、戦国史関係の最近のニュース・イベントなどを拾ってきたものです。特に石田三成関係に限定したものではありませんが、ご参考になれば幸いです。


湯築城跡、国の史跡に

 松山市にある十四世紀に築城された守護大名、河野氏の城跡、「湯築城跡(ユズキジョウアト)」が、武家屋敷などの遺構が良好な状態で保存されていることなどから、国の史跡として指定されることになりました。
 これは、国の文化審議会がきょう、遠山文部科学大臣に答申したもので湯築城跡は今回、新たに国の史跡への指定が決まった五件の遺跡うちの一つに選ばれました。
 湯築城跡は松山市の道後温泉の入り口にある城跡で、城は十四世紀前半に伊予国の守護大名、河野通盛(ミチモリ)が築いたといわれ、その後およそ二百五十年にわたって存続しました。
 昭和六十二年にそれまであった動物園が移転したのに伴い、発掘調査を行ったところ、十六世紀を中心とした家臣団の屋敷などの遺構が良好な状態で保存されているのがわかり、中世の遺跡として重要な価値があるとして今回、国の史跡として指定されることになったものです。
 愛媛県内の遺跡が国の史跡の指定を受けるのは、平成九年に松野町にある「河後森城跡(カゴモリジョウアト)」が指定されて以来で、今回が九件目になります。[2002-06-21]


「旧彦根藩松原下屋敷」を名勝に

 文化審議会(高階秀爾会長)は16日、滋賀県彦根市の「旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)庭園」を名勝に、千葉県銚子市の「犬吠埼の白亜紀浅海堆積物」、同県印西市の「木下(きおろし)貝層」の2件を天然記念物に、新潟県糸魚川市の「松本街道」、福島県下郷町の「下野(しもつけ)街道」など10件を史跡に指定するよう、遠山文部科学相に答申した。
 また、東京都中央区の「歌舞伎座」など、江戸時代後期から昭和初期に建てられた159件の文化財建造物への登録も答申した。
 史跡に指定される他の8件は次の通り。
 伊勢国府跡(三重県鈴鹿市)▽下之郷遺跡(滋賀県守山市)▽植山古墳(奈良県橿原市)▽吉備池廃寺跡(同桜井市)▽尼寺(にんじ)廃寺跡(同香芝市)▽田中城跡(熊本県三加和町)▽大島畠田遺跡(宮崎県都城市)▽穆佐(むかさ)城跡(同高岡町)
[2001-11-16]


大雨の影響か、松江城の石垣崩れる

 15日午前7時ごろ、松江市殿町、松江城二の丸の北東側で、石垣の一部が崩れているのを通行人が見つけ、松江市に通報した。
 調べでは、高さ3メートル、幅4メートルにわたって崩れ、50センチ四方を最大に約30個の石が落下していた。以前から落石防護ネットが張ってある場所で、昨年の鳥取県西部地震の際にも石が数個落ちた。
 現場は国の史跡内だが、天守閣を中心とした城山公園の外れで観光ルートにはなっておらず、けが人や周囲への影響はなかった。同市では、昨夜からの雨で石垣が緩んだとみている。
 秋雨前線の南下に伴い、島根県内には大雨洪水警報が発令され、松江市では13日夜から15日午前8時までに124ミリの降雨を記録。15日早朝には、1時間で28ミリの強い雨に見舞われていた。[2001-09-15]


TV紹介の”心霊”見たさ? 荒らされる八王寺城跡


 東京・八王子市西郊の国史跡「八王子城跡」で夜間、若者が立ち入り禁止の場所に無断で入り込むケースが増え、案内標識を壊されるなどの被害も出ている。猛暑のためか、「心霊スポット」として例年以上にテレビなどで取り上げられた影響と見られるが、市では対策に頭を痛めている。
 八王子城跡で18日、重さ約50キロの案内標識がコンクリートの根元から引き抜かれ、木製の車止めも壊されているのが見つかった。今夏は車で乗り付けた若者グループが敷地内で騒ぎ、住民の苦情も相次いだ。
 八王子城は、戦国時代末期、北条氏康の子・氏照が築いた城で、豊臣秀吉に攻められ落城した。管理する同市郷土資料館によると、城跡は7月ごろから、テレビや雑誌で心霊スポットとして取り上げられた。テレビ番組は10数件あったと見られ、案内地図まで紹介された。夜中に入り込んだ若者がインターネット上で、「馬の足音が聞こえる。鎧(よろい)武者の霊が浮遊している」と、体験談を書き込む例もあった。
 資料館では案内標識の破損などについて、高尾署に被害届を出す一方、城跡入り口に夜間立ち入り禁止の看板を立てるなどしたが、昔ながらの景観を守るため、照明のない場所も多く、暗闇では高さ約5メートルの沢に転落しかねない場所もある。
 同館では「都心から近いため、車ですぐ来られるからかもしれないが、戦国時代のガラス製品が発掘されるなど学術的にも注目されている。これ以上被害が続くようなら、警察に巡回を依頼する」と憤っている。[2001-08-24]



仙台城、櫓復元場所で考古学協会が申し入れ

 仙台城跡に伊達政宗の時代のやぐらを今の石垣の上に復元する仙台市の計画について、日本考古学協会はきょう建設場所が史実に反しているうえ古い石垣が壊されるおそれがあるとして計画の撤回を申し入れました。
 仙台市は、政宗の時代に仙台城の本丸の北東の角にあった三層のやぐらを、今の石垣の上に復元する計画で準備の工事を進めています。
 これについて考古学者の全国組織である日本考古学協会は、きょう埋蔵文化財保護対策委員会の近藤英夫(コンドウヒデオ)事務局長らが仙台市を訪れ、佐藤収入役に対し計画を撤回し、学術調査などを充分行ったうえ
で建設位置を再検討するよう求めました。
 このなかで近藤事務局長は、「やぐらは今の石垣の内側から見つかった古い石垣の上に建っていたもので、今の石垣の上に建てるのでは史実に反する。また、やぐらの建設によって地中にある古い石垣を損なうおそれがあるうえ、仙台市が目指している仙台城の国の史跡指定の障害にもなる」としています。
 今回の申し入れは、今月十九日の日本考古学協会の総会決議を踏まえて行われたもので、申し入れに対し佐藤収入役は「国の史跡指定も視野に入れて仙台城全体の学術調査を今年度から行うことにしているが、やぐらの位置は仙台城の歴史的経緯や市民のシンボルとしての位置づけなど、総合的に判断したもので理解してほしい」と述べました。[2001-05-30]