2004年4月24日上程(初出:銀座東だより 2003年1月10日号)
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雑感

日朝交渉を見ていて考えたこと

 2002年に世間の耳目を集めた出来事といえば、前半はサッカーのワールドカップ、後半は日朝国交正常化交渉過程での、強制連行被害者の日本帰国である。

 ところで、彼ら帰国者を含めて巷間話題となっている被害者は、いずれも日本国籍保有者である。朝鮮籍や韓国国籍の人についても日本国内から強制連行された人がいるとの噂もあるが、この人たちが同様に取り上げられないのはなぜなのか。被害者という点では国籍による違いはないはずである。また、帰国した被害者の家族、特に子どもについて、日本に来させるべきとの主張がある。しかし、強制連行被害者本人が日本国籍保有者であっても、その子どもも当然に日本国民であるから日本に来るのが当然というのはおかしい。子ども達が朝鮮国籍ないし第三国の国籍を有している可能性は法制度上否定できないのである。そのような子ども達を本人の意思を考慮せずに当然に日本に来るべきものとするのは、国際法上成り立つ理屈ではない。朝鮮では本人の自由な意思が表明できないから日本に来てもらうのだという議論もあるが、マスコミや「被害者救済団体」等による怒濤のような「説得」にあふれた日本の状況が、朝鮮に比べどれだけ自由な意思の表明できる環境と言えるかどうかは疑問である。

 *その後、在日韓国・朝鮮人の強制連行被害者や帰国運動についても集会が開かれるなどの動きがあったようだ。ただし、日本国籍の被害者に比べると、その関心は強くはない。

 また、国交正常化交渉の合意内容でおかしいのは、個人に対する補償を行う代わりに、国に対する経済援助で済ませるとしている点である。国家が国民の補償請求権を勝手に経済援助にすりかえることが許されるのであろうか。戦前の植民地支配によって被害を受けたのは個々の人びとなのだから、個々人に対する補償をすべきなのではないか。個々人にわたるか否か不安であれば、朝鮮の全人民を順次何万人かずつ日本にホームステイで招待した上で賠償金を手渡すという案はどうだろう。朝鮮の人々に日本の現状を見てもらえば、それまで抱いていたイメージと違うと感じ、その後の交流にもよい影響をもたらすのではないだろうか。

 イメージ改善のためには、現在店晒しになっている、定住外国人に地方参政権を与えるか否かの議論も解決する必要があるだろう。定住外国人のうち特別永住者については、彼らが日本に定住するに至った歴史的経緯を考えれば、国政、地方政治とも直ちに選挙権、被選挙権を認めるべきだろう。否定論者は、外国に強制連行された日本国民が当該外国で選挙権を認められないということについても無頓着でいられるのだろうか。

 有事法案が国会に上程されるようになった今日、今回の国交正常化交渉の過程は、日本国民が過去の歴史と直面し、その償いをいかにしていくか真摯に考える最後の機会のように思う。この機会を逃して経済・軍事面で「普通の国」をめざすようになっては、平和の創建などはお題目にすぎないようになってしまうだろう。

 *有事法制についてはその後3法が成立したが、「国民保護法」などの各法案が今後国会で審議にかかることとなっており、論戦の場はまだ続いている。

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