2000年6月9日上程
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雑感

再起制限社会は御免こうむる

 以下の文章は2000年11月上旬に作成したものなので、話題が古いのはお許しください。

 盗聴法反対やエシュロンの実態調査などで有名な河上イチロー氏のサイトが閉鎖された。氏が元オウム信者だったことが発覚したのがきっかけで,掲示板での攻撃や実名暴露などの目に遭ったことによるもののようだ。

 河上氏のサイトは,「違法ではないが誰もやらないことをやる。」ことをモットーとしているサイトであった。宣言されているだけあって,サイトの内容もその宣言に違わず,過激なものが多かった。私自身,あまり愉快な気がしなかった内容のものも多い。

 しかし,Nシステムの配置場所マップやエシュロンについての海外論文の紹介など,一般誌に書かれない貴重な情報が得られる場所であった。そしてそのスタンスも,本人の意思がどうかはとにかく,権力,タブーに対峙すると見られるものが多かった。こうしたことを考えると,今回の素性の暴露は権力の陰謀ではないかと思ってしまう。そして,それに乗っかって騒ぐマスコミは,自分たちのできないやり方で権力を監視しようという人をつるし上げることによって,自分の首を絞めているのではないか,とも。

 ところで,この事態について興味深いのは,問題とされているのが,河上氏が元オウム信者だったという点であることだ。地下鉄サリン事件から5年,確かに当時の教団幹部連は悪いことをしたのだろう。しかし,一般信者だった人間,オウムによるとされる一連の犯罪に加功したとは認められたわけではない人間が,元オウム信者だったということだけで,自らのウェブページを閉鎖するに追い込まれるというのはおかしなことではないか。このような扱いは元オウム信者の社会復帰の途を不当に妨げるものだと思う。

 *もっとも,この点に関しては,河上氏は教団上層部の意を受けて行っていたものとする報道もある。ただ,仮にそうだとしても,閉鎖すべきか否かはあくまでもウェブページの内容に即するべきであって,オウム信者だという身分だけで閉鎖を強要するのはおかしいだろう。


 そういえば,先日少年法「改正」案が衆議院を通過した。刑事罰を受ける可能性のある年齢が14歳以上へと引き下げられ,また,重大犯罪をした者については,16歳以上であれば原則として家裁から検察官に逆送されるという案である。罪を犯した者は少年であっても「教育」ではなく「刑罰による矯正」にさらそうというものだ。少年を一人前の犯罪者として扱おうということで,それによって被害者保護を図るということなんだろうけど,本当にこれって被害者保護?被害者の方もマスコミに乗らされていないか?応報感情を満たすというのであれば,国による刑罰によらずに,自らの手で報復できる途(要するに「仇討ち」ですな。)を開いた方が「自己責任」の世の中に合っている様な気がするけど・・。それと,少年に前科者というレッテルを貼るっていうことは,一般人として再起する機会を奪うということだよね,事実上。

 *その後少年法「改正」案は参議院も通過し、「改正」法として成立した。検察官立会の事例も登場してきているようだ。


 それから,先日の日弁連臨時総会(2000年11月1日)で可決された決議の提案理由では,法科大学院卒業が司法試験受験の要件とされ,さらに,司法試験受験回数についても3回程度の回数制限を設けることが合理的とされている。はっきりいってむかつく制限である。社会人が職を捨てて年数百万の授業料を2,3年にわたって支払いながら法科大学院に通う時間的,金銭的余裕がどれほどあると思っているのか。教育ローンや奨学金制度の充実というけど,どちらも返さなければならないものだ(返さなくていい奨学金を受けられる人なんて今でもかなり限られている。)。夜学の設置も,多忙な職業生活を送りながら,休日や通勤時間を使って勉強している人(私もかってはそうだった・・。)には意味がない。「通わせる」と言うこと自体が大きなおせっかいであり,意に反した苦役以外のなにものでもない。事実上新卒の人のみが司法試験受験生となるシステムが作り上げられ,一旦社会に出た後に,一念発起して司法試験を受験という途が,事実上閉ざされることになると思う。

 司法試験受験回数の制限については,現在の丙案より悪質な制限である。受験に3回失敗したらもう受けられなくなってしまうのである。法科大学院を出れば7,8割が合格できる試験にするということなので,3回連続で落ちる人はあきらめてもらっても仕方がないということなんだろう。でも,合格率7割としたら,(1−0.7)の3乗つまり2.7%の人が法曹となる途を永久に閉ざされるわけである。法科大学院の卒業生が毎年4000人とすれば,毎年108人が再起の目を断たれることになるんだけど,少数の人のことだからって無視していいの?重大な人権侵害じゃない?そもそも,資格試験に受験回数制限を設けていいの?

 しかし,河上氏の一件にしても,少年法「改正」にしても,司法試験の受験回数制限にしても,いったん「失敗」(河上氏は「失敗」したと言えるか疑問だが・・。)した人が再起する途がどんどん閉ざされていく気がする。競争社会は,いったん失敗した人が再起する途が開かれていないととても悲惨な社会になると思うのだが,その辺まで配慮する余裕が人びとに無くなっているということなのだろうか。それとも,「敗者」には自分はなりっこないと高をくくっているだけなのだろうか?

 いずれにせよ,弁護士の仕事には過ちは許されないんだけれども・・。

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