●「コクリコ坂から」公開初日レポート
The First Day of "From Up on Poppy Hill"

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「コクリコ坂から」の公開初日に関連する出来事をレポートします。

2011年7月16日より、全国457スクリーンで「コクリコ坂から」が封切られた。東京・有楽町のTOHOシネマズスカラ座では初日舞台挨拶が行われ、宮崎吾朗監督、長澤まさみ氏(海役)、岡田准一氏(俊役)、石田ゆり子氏(北斗役)、柊瑠美氏(広小路役)、内藤剛志氏(小野寺船長役)、風間俊介氏(水沼役)、香川照之氏(徳丸理事長役)の各氏が登壇した。手嶌葵氏による主題歌の披露もあった。
司会役は長澤まさみ氏が担当し、役紹介を挟みつつ各出演者が挨拶する形で進行した。会場では何度も拍手や爆笑が巻き起こり、和やかなムードであった。最後に宮崎吾朗監督が登壇したが、時間が押してしまった関係で短時間で切り上げられてしまうハプニングもあった。


●公開初日 朝の様子


●スカラ座 入場開始


●スカラ座 舞台挨拶終了後


●コラム:徳間社長への憧憬─
"未知との遭遇"を求める航海は続く─








●公開初日 朝の様子

公開初日の朝、入場待ちの観客は8:00過ぎに1名、9:00頃でも2人しか並んでいなかった。取材陣の方が目立ったくらいである。舞台挨拶を見るためのチケットは一週間前に売り出されて既に完売しており、しかも全席指定での発売であったため、徹夜組も当日の入場待ちの行列も発生しなかったためである。開場を待つ長い行列があった方が初日らしく絵にもなるのであるが、もうそのような状況が再現されることはないと思われる。スカラ座前は、隣接する東京宝塚劇場の歌劇スターを待つ一団が陣取っていた。9:30頃、チケット売場には指定席券に引き換えるための10名ほどの行列が出来ていた。

TOHOシネマズスカラ座(2011年7月16日 7:39 撮影:S氏*)
徹夜組はなし


7:56*スカラ座前の様子 関係者の打ち合わせ
(*はS氏撮影 以下同じ)

8:00* 準備風景

8:01* 入場待ちの様子 行列は1名

8:13* チケット売場 9:30オープンの張り紙あり


 8:51 9:30オープンの看板 


 8:52 「本日初日」の札つきポスター 


 8:55 劇場スタッフと取材陣の打ち合わせ 


8:57 会場前の様子 宝塚ファンが多い


 9:18 取材風景 


9:27 チケット売場前の様子



●スカラ座 入場開始

9:30AM過ぎに入場が開始された。9:30の開場時に並んでいた観客は8名にとどまった。数百名もの徹夜組が劇場を取り囲んだ「もののけ姫」(1997年)や「千と千尋の神隠し」(2001年)と比べると時代の変化を感じる。10:00までに入場したのは100名ほどであった。10:00過ぎより、岡田准一氏ファンと思われる若い女性が目立つようになり、一時は入場待ちの行列が形成された。開演は10:30であり、10:25頃までにほぼ入場が完了したものと推定される。観客層は、ジャニーズファンを別とすれば全体的に中高年の世代が目立ち、子連れのファミリー層は数えるほどしか見られなかった。今回は、1960年代の時代設定でヒロインも高校生であるため、ファミリー層よりも団塊世代の方に受けが良かったのかもしれない。

9:27 開場直前の様子

9:33 スカラ座 入場開始

9:33 入場風景

9:33 入場風景を取材するカメラマン

9:38 「本日初日」の札つきポスター

9:38 チケット売場の様子 指定席への引き換えなど

10:03 入場風景 次第に混雑してくる

10:14 入場する観客

10:14 入場風景の取材

10:17 入場風景



●スカラ座 舞台挨拶終了後

10:30から15分ほどは予告編等が上映され、「コクリコ坂から」本編は予告終了後に開始された。チケットは完売していたが、目視したところ30席ほどの空席が残っていた。本編上映が始まるとロビーは静かになったが、ほどなく関係者・取材陣が到着して歓談する光景が見られた。12:15頃、上映終了とともに満場が拍手に包まれ、取材陣・記者・ゲストが劇場の両サイドに入場、手嶌葵氏による主題歌の披露ののち、長澤まさみ氏(海役)、岡田准一氏(俊役)、石田ゆり子氏(北斗役)、柊瑠美氏(広小路役)、内藤剛志氏(小野寺船長役)、風間俊介氏(水沼役)、香川照之氏(徳丸理事長役)の各氏が登壇、長澤まさみ氏の司会のもと舞台挨拶が進行した。12:50頃、宮崎吾朗監督が最後に登壇し「監督がいま一番祈りたいこと、一番の願いとは何か?」という質問に対して、被災地へ赴いたことを報告、「被災された方達のこの先の"安全な航海を祈る"というのが願いです」と述べた。時間が押していたため、質問はそこで終了になった。宮崎吾朗監督の出番がほとんどなかったのは残念であった。12:58頃、観客も参加しての写真撮影が行われた。観客には厚紙製のUW旗が配布されており、 会場全体がU旗・W旗で埋まった。これらの模様は、翌日のスポーツ新聞などで報じられた。
舞台挨拶終了後には出口付近で感想を聞くインタビュー風景が見られたが比較的短時間で終わり、2回めの上映が始まる頃には普段通りの様子に戻っていった。

 13:10 舞台挨拶終了、退場風景 

 13:10 退場風景 

 13:10 携帯でポスターを撮影する観客 

 13:11 退場風景 

 13:12 取材の様子 

 13:12 取材の様子 

 13:20 取材の様子 

 13:20 退場風景 

 13:13 スカラ座前 

 13:17 午後のチケットを求める人達 

 13:17 スカラ座前 

 13:23 スカラ座上空の青空 

 13:21 スカラ座前の様子 




●コラム:
徳間社長への憧憬─
"未知との遭遇"を求める航海は続く─


「コクリコ坂から」が完成し、関係者による試写が行われた時、終盤に徳丸社長の秘書が登場したところで、一人の女性が涙を浮かべた。この秘書のモデルになったという女性で、社長室の細やかな描写や登場人物の仕草を見て、「ああ、監督は、こんなにしっかり(私を)見てくれていたんだ」と述べ号泣したという。

『BRUTUS 特別編集号』の特集記事によると、秘書役のみならず、実在するジブリのスタッフの幾人もが、登場人物のモデルになっているという。カルチェラタンに棲む男子の中には、高畑勲氏や宮崎駿氏に似ている生徒までいたりするというからびっくりだ。もちろん、単に登場させるだけではなく、モデルの性格や人となりまで考慮に入れつつ取り入れている。監督の細やかな気遣いを表すエピソードである。

しかし、何と言っても、最も注目するべきは、やはり徳丸書店の徳丸社長であろう。このモデルが故・徳間康快氏であることは明らかである。社長室でのシーンは、社長の威厳というかオーラがビシビシと伝わってきて、ただ映画館の座席に座っているだけなのに、思わずかしこまってしまった。徳丸氏のデザインはイメージボードの初期から固まっていたという。徳丸書店の社長室に飾られていた「真善美」の書は鈴木敏夫プロデューサーが揮毫したものであるという。声を担当した香川照之氏は、徳間氏の追悼映像を見て、話し方を研究したという。宮崎吾朗監督も、徳間氏の人となりを大いに意識しながら演出を加えたと思われる。スタッフ総員の、徳間氏に捧げるオマージュを感じずにはいられないシーンであった。

徳間氏が亡くなって10年あまり、徳間氏を知らない若い世代のファンも増えてきた。あらためて徳間氏の業績を振り返ってみたい。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


徳間康快氏は、1921年、神奈川県横須賀市に生まれた。早稲田大学卒業後の1943年、読売新聞社に入社し社会部記者として活躍。1954年に徳間書店の前身となる「東西芸能出版社」を設立、合併を経て徳間書店の社長に就任、一代で出版・映画・音楽などメディアを幅広く抱える徳間グループを育て上げた。

豪放磊落な性格で、本気とも空想ともつかない常識外れな発言を連発する、「徳間ラッパ」の異名で知られていた。徳間氏の周囲には、いつも記者達の人垣が出来ていた。威勢のいいラッパを聞くためだ。しかし、ラッパの中にも真実があった。ただ怪気炎を上げるだけではなく、実際に交渉を行って発言の幾つかは本当に実現させてしまう豪腕ぶりも見せつけた。壮大な夢を自ら実現させようとする行動力の人であった。この行動力に裏付けられた発言こそ「徳間ラッパ」の神髄であり、進取の気性を文字通り体現する、徳間氏の生き方そのものであった。

1978年に徳間書店から創刊された『アニメージュ』が、徳間氏と鈴木プロデューサー、高畑勲氏、宮崎駿氏の出会いの場となった。徳間氏は、高畑氏・宮崎氏の才能を早くから見いだし、スタジオジブリが設立される以前から積極的に出資した。1985年に徳間書店の子会社としてスタジオジブリが設立されると初代社長に就任し、「天空の城ラピュタ」を制作、続く「となりのトトロ」「火垂るの墓」の配給確保に尽力した。「トトロ」は映画界から高評価を獲得してジブリの社会的な認知度を高めたほか、キャラクター商品も大当たりして、ジブリの稼ぎ頭となった。「火垂るの墓」も終戦の夏に上映される定番になっている。高畑氏・宮崎氏の創造力を世に知らしめたのは、徳間氏の圧倒的な行動力であったも過言ではない。

しかも、資金を出しながらも経営的観点からの要求や作品内容への口出しを一切せず、現場の方針を一貫して信頼した。作品の興行成績がうまくいけば一緒に喜び、うまくいかない時も泰然としていたという。その揺るぎない方針が「もののけ姫」の記録的ヒットを生みだし、「千と千尋の神隠し」の更なる大ヒットと米アカデミー賞受賞へとつながっていく。徳間氏がいなければ、現在へ続くスタジオジブリの躍進もなかっただろう。

徳間氏は、「千尋」の制作作業がたけなわだった2000年9月、その完成を見届けることなく永眠された。「千尋」のアカデミー賞受賞を聞いたとしたら、どんな盛大なラッパを吹かせてくれただろうか。


鈴木プロデューサーは、多忙の合間をぬい、時おり徳間氏の眠る墓を訪れているという。
徳間氏は、自分が徳丸社長のモデルになったと知ったら、どのような反応をするだろうか。
「俺がモデル?そんなに美化するんじゃないよ。それより吾朗君は立派な監督になったか?宮崎駿の新作は順調か?高畑勲はどうだ?」
「そんないっぺんに質問されても困りますよ」
などという会話が交わされている、かもしれない。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


さて、「コクリコ坂から」の初日であるが、舞台挨拶はヒロイン役の長澤まさみ氏の司会で進行した。鈴木プロデューサーが、長澤まさみ氏の持つ"ゆるさや間合い"が司会に向いているとひらめき、オファーしたという。緊張のためか、かなりドタバタの進行になってしまったが、それがかえって会場の爆笑と拍手を呼び起こし、終始和やかなムードで進行したので、まあこのような展開もアリなのだろう。

しかし、俳優陣の舞台が和やかになればなるほど、宮崎吾朗監督の影が薄くなってしまった感が否めない。舞台挨拶の最後に監督が一人で登壇した時には、既に残り時間がなくなっていて、わずか一言の発言で切り上げさせられてしまうという結末になってしまった。翌日の新聞各紙での報道も、見出しは軒並み「長澤まさみ」であり、写真も長澤まさみ氏が中心であり、監督が写った写真を載せたところは1社もないという有様であった。もともと新聞各紙が注目するのは宮崎駿氏ばかりで、若手監督はまったく重視しない報道傾向があるので驚くほどのことではないが、もう少し大きく取り上げても良さそうなものなのに、と思う。

でも、今はそれで良いかもしれない。宮崎駿氏も一朝一夕に今日の注目度を獲得した訳ではない。地道に実績を積み上げていけば、自然と注目が集まるようになり、すべからく大きく取り上げられるようになるだろう。将来、どのように報道のされ方が変わっていくのか、楽しみなところである。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「コクリコ坂から」の宣伝フレーズの一つに「親子二世代にわたる青春」というのがある。澤村・立花・小野寺の親世代から、俊・海への子世代へという「父から子への継承」というテーマが浮かび上がる。それは、宮崎駿(企画・脚本)から宮崎吾朗(監督)への継承とも重なっているようだ。ベテランの世代から若手の世代へ。スタジオジブリは、既に新しい時代を着実に切り開きつつある。

高畑氏・宮崎氏は、長期間にわたって多くの関係者との信頼関係を維持し、作品を送り出し続けてきた。徳間氏も、強引でワンマンな社長と揶揄されながらも、信頼関係を大切にする人物であった。興業がうまくいったときも、うまくはいかなかったときも、関係が崩れることはなかった。その流れが、宮崎吾朗監督をはじめとする若手の世代にも引き継がれていくことに期待したい。

現在、宮崎駿氏が監督を務める新作が既にスタートしているという。高畑勲氏の動向も気になる。かつては引退宣言まで出ていた"旧世代"であるが、まだ現役にとどまりそうだ。一方で若い才能も育ちつつある。宮崎吾朗監督の次回作はいつ頃になるのだろうか。新しいスタッフはどれだけ成長するのだろうか。興味は尽きない。

生前の徳間氏は、「もののけ姫」の大ヒットを"未知との遭遇"になぞらえ、再び"未知との遭遇"がしたいと語っていた。
その種は既に蒔かれ、芽吹いて成長を続けている。

新たなる"未知との遭遇"を目指して、スタジオジブリの航海は続く。

by もーり (2011/07/29)



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