ハタリ! ★★★
(Hatari!)

1962 US
監督:ハワード・ホークス
出演:ジョン・ウエイン、エルザ・マルティネリ、ハーディ・クリューガー、レッド・バトンズ

上:パワフル且つ不細工な犀の突進

 1950年代前半には、その頃本格化しつつあったカラー映画の恩恵を最大限に享受する為に、アジアやアフリカを舞台としエキゾチックな色合いに満ち溢れた映画が数多く製作されるようになったことはこれまでも度々述べた。「ハタリ!」も同様に全編アフリカが舞台になっているが、「キング・ソロモン」(1950)より10年以上経過した後に製作されたこともあり、同じアフリカを舞台とした映画であっても明らかな相違がある。どのような点においてであるかと言うと、「キング・ソロモン」などの1950年代前半のアフリカが舞台となる作品は基本的には冒険映画であったのに対し、「ハタリ!」は冒険映画などでは全くなく、猛獣狩りという危険ななりわいを営んでいるとはいえ既にアフリカを本拠地として暮らす人々が描かれているという点においてである。当たり前ではあるが敢えて指摘すると、実際にリビングストンやスタンレーのような探検家達が当時暗黒大陸と呼ばれていたアフリカ大陸を探検していたのは遥か昔の19世紀のことであり、1950年代前半であろうが1960年代前半であろうが西欧人の目から見たアフリカ情勢が大きく変わったはずはない。変わったのはアフリカではなく、映画の方である。映画で表現されるアフリカが10年を隔てて大きく異なるのは、1950年代前半においては、カラー映画をアフリカで撮ること自体が既に1つのパイオニア的な冒険或いはチャレンジであり、好むと好まざるとに関わらずそれが映画の内容にも大きく反映されたのに対し、1960年代ともなるとそのようなパイオニア精神はかなり後退していたからではなかろうか。そのことは、1950年代には供給過剰とも思える程製作されていた冒険活劇映画が、1960年近辺を境としてほとんど製作されなくなったことからも推測される。

 それでは、アフリカを舞台としながら冒険映画ではないとすると、「ハタリ!」という作品には、一体何が描かれているのであろうか。結論を先取りすると、この作品には、アフリカという広大な背景を舞台として、世界各国から集まってきた多彩な人々が織り成すアドベンチャラス且つ仲間意識(camaraderie)と充実感に溢れた生活が描かれているのである。ここで言うアドベンチャラスな生活とは、必ずしもリビングストンやスタンレーが送っていたような冒険生活そのものを指すのではなく、都会で生活する我々のように毎日毎日決まりきったことを繰り返すのではなく、常に何か新しい発見があり予期せぬことがいつ何時でも起こり得るような生活のことを指す。誰しも一度は、それがどれ程困難であるかはひとまず棚上げしておいてアフリカの大自然の中で気侭に暮らしてみたいと夢想したことがあるはずだが、そのような憧憬を掻き立てる映画の一番手が「ハタリ!」であると言えば、この映画の何たるかが理解出来よう。

 まず、冒頭のいかにもパワフル且つ不細工な犀を追いかけるシーンからして見る者のド肝を抜くが、犀がトラックの横腹に体当たりしてドカンドカンという音を立てるシーンには本物のド迫力がある。当時は現在のようにコンピュータ関連技術が進歩していなかったことを考えると、相当な危険を冒して撮影されたであろうことが画面を通しても良く分かる。冒頭のこのシーンだけを見ていると、この映画は危険な猛獣狩りを描いたシリアスな作品ではないかという印象すら受けるが、勿論そういう側面がないわけではないとは言え、冒頭のシーンが過ぎ去るとトーンが次第に軽くなり、実は必ずしもシリアスなアクションを描くことがこの映画の焦点ではないことがすぐに明白になる。この映画が素晴らしいのは、かくしてシリアス且つ危険なアクションシーンがありながらも、明るく軽妙洒脱且つハワード・ホークス的に骨太で無器用なコミックトーンが常に通奏低音として流れている点であり、それが故にオーディエンスのアフリカに対する憧憬を抗い難く誘う点においてである。またジョン・ウエイン(米)、エルザ・マルティネリ(伊)、ハーディ・クリューガー(独)、ミシェル・ジラルドン(仏)というようなインターナショナルなキャストによる仲間意識の描写が見事であり、この映画を見て「人間関係がギスギスしたこんなつまらない会社を辞めて俺もアフリカへ行きたい」という誘惑を心の片隅に感じたとしても、それを不道徳であると責めることは出来ないであろう。フロンティア的な生活の特徴として無国籍的ということが挙げられるが、全く考え方や習慣が異なる人々が1つの危険な環境を前にして一致団結するというような生活は、同じような考え方を持った人々が集まって毎日毎日決まりきった作業を繰り返す生活に辟易した人々には一種の憧れのようなものとして映ることは間違いがないところだろう。このように、見る者の心理を巧妙にくすぐる魔術がこの作品にはあり、ハワード・ホークス老いたりといえども未だ健在なりを証明する素晴らしい作品である。


※当レビューは、「ITエンジニアの目で見た映画文化史」として一旦書籍化された内容により再更新した為、他の多くのレビューとは異なり「だ、である」調で書かれています。


2004/05/15 by 雷小僧
(2008/10/16 revised by Hiroshi Iruma)
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