北海の果て ★★☆
(Ice Palace)

1960 US
監督:ビンセント・シャーマン
出演:リチャード・バートン、ロバート・ライアン、キャロリン・ジョーンズマーサ・ハイヤー



<一口プロット解説>
近代的な乱獲漁法によってアラスカで一財産を築き上げるゼブ(リチャード・バートン)と、それに執拗に反対するソール(ロバート・ライアン)の争いを通して、アラスカの州としての独立が勝ち取られていく様子を描く。
<入間洋のコメント>
 エドナ・ファーバーの映画化ですが、ファーバーの映画化作品として最も有名なのは、あのジェームズ・ディーンが最後に出演した「ジャイアンツ」(1956)でしょう。原作を読んだわけではありませんが、映画化作品で見る限り、どちらの作品もとても女性が書いたとは思えないような大規模でパワフルなストーリーが展開されています。「ジャイアンツ」では、テキサスのまさに渇き切った大地で親子2代に渡って繰り広げられるサバイバル闘争が描かれているのに対して、「北海の果て」では、厳寒の地アラスカにおける親子3代に渡る愛憎の物語を通してアラスカが州として独立する歴史が語られています。
 ところで、2つの映画に共通する点は大河的であるという面に限られるわけではなく、他にもいくつかあります。1つは、原作が女性によって書かれたからか、骨肉相食む野郎の主人公たちの間に割って入って重要な役割を果たす女性が登場する点であり、両作品が描く近代化の力動的なプロセスに重要なモーメントを与えるのが実はこれらの女性登場人物達なのです。「ジャイアンツ」では勿論エリザベス・テイラーがそれにあたり、「北海の果て」ではキャロリン・ジョーンズがその役を果たしています。キャロリン・ジョーンズは、エリザベス・テイラーに比べれば遥かにネームバリューに欠ける女優さんであるとはいえ、何かを言いたげだけれども何かを隠しているというような印象を与えるミステリアスな目が恐ろしく魅力的であり、このような作品では見事に機能する女優さんであると評せます。
 第2の共通点として、前近代的な社会から近代化された社会への移行というダイナミックなプロセスが、ある1つの家族の変遷を通して描かれていることが挙げられます。「北海の果て」の場合には、アラスカの州としての独立が最後に勝ち取られますが、面白いのは、そのプロセスがアラスカの独立とは何ら関係のない、ある意味で極めてエゴイスティックな2人(リチャード・バートン&ロバート・ライアン)の骨肉相食む争いと、その間に立って微妙に彼らの運命を左右する女性(キャロリン・ジョーンズ)の存在を通して、そのような政治的な変遷が描写されている点です。「ジャイアンツ」の場合には、民族的な偏見を含めた古い慣習が打ち破られていく様が、最初はそのような古い偏見に捕らわれている主人公(ロック・ハドソン)と、その彼を次第に変えていく女性(エリザベス・テイラー)の姿を通じて描かれています。歴史の流れとは、何もフランス革命のように一夜にして発生するのが普通であるわけではなく(革命といえどもそれが熟する迄には長い時間を要するのは言うまでもないことですが)、あるはっきりした目標に向かって邁進していく全員一丸野球的なプロセスであるよりは、もっと拡散的に徐々に変化していくプロセスであるというのが本当のところでしょう。すなわち、個人の意志や計画を越えた歴史的な必然というものがまず先にあるのであり、歴史的に重要なイベントとは、たとえ決定的な一瞬にリーダーとしての役割を果たすある個人が存在したとしても、歴史的なモーメンタムが蓄えられることを通じて発生するのではないでしょうか。そのような点において、歴史的に重要なイベントそのものを直接描写するのではなく、ある一家族の変遷を通して、それと並行して歴史の変化を描く「ジュアイアンツ」や「北海の果て」の手法は、実に巧みであるように思われます。但し、「ジャイアンツ」の方は舞台がアメリカ南部であるだけに民族差別に関するテーマが色濃く表に現れているのに対し、「北海の果て」に関しては、エスキモーが登場するとはいえ、民族差別的な色合いはほとんど感じられないことを最後に指摘しておきます。

2000/05/05 by 雷小僧
(2009/06/11 revised by Hiroshi Iruma)
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