Dream Wife ★★☆

1953 US
監督:シドニー・シェルダン
出演:ケーリー・グラント、デボラ・カー、ウォルター・ピジョン、ベッタ・セント・ジョン

左:デボラ・カー、右:ケーリー・グラント

監督の名前を見て「おや?」と思った人も多いことでしょう。そうです、シドニー・シェルダンとは、日本ではあの「超訳」というわけのわかならい宣伝文句で有名なベストセラー作家シドニー・シェルダンのことです。彼は、作家として頭角を表したのは70年代に入ってからであり、それまではシナリオライターとして活躍していたのです。但し、シナリオライターとしてオスカーを受賞したことがあるとはいえ、一般には独自の才能を持った脚本家であるとは見なされていなかったようです。2本程監督作もあり、「Dream Wife」はその内の一本です。さて、「Dream Wife」の主演はケーリー・グラントとデボラ・カーであり、それまで監督経験がなかったはずのシドニー・シェルダンの監督作品に二人の大スターが出演している事実には少なからず驚かされるとはいえ、この典型的な艶笑コメディがそれにも関わらずまずまず面白いのは、やはりこの二人のおかげでしょう。ケーリー・グラントとデボラ・カーは、この後も「めぐり逢い」(1957)と「芝生は緑」(1960)で二度に渡って共演し、良くも悪くもいわくありげなカップルを嬉々として演じています。「Dream Wife」で最も興味深い点は、アメリカにおける女尊男卑の習慣に対する、或いはそれが言い過ぎであれば男性が女性に常に気を遣わなければならない社会慣習に対する男の側からの一種の皮肉が込められているところにあります。それは、ケーリー・グラント演ずる主人公が両手一杯に荷物を抱えてエレベーターに乗ったところ女性が同乗しているので帽子をとろうとするにも関わらず、必死になって帽子をとった頃にはくだんの女性はエレベーターを既に降りるところであったという冒頭付近のシーンから早くも明瞭になります。また、タイトルの「Dream Wife」の意味は、夫に完璧なる忠誠を尽くすようしつけられた(男尊女卑社会の)夢のような妻というようなところで、外交官としての仕事を優先させる男まさりのフィアンセのエフィー(デボラ・カー)に「Dream Wife」たる資格を見出せなかった主人公は、まさに「Dream Wife」の具現のような東洋の王女様(ベッタ・セント・ジョン)に結婚を申し込むのです。きっと西洋の野郎どもは東洋の国を男尊女卑の夢のような世界であると思い込んでいるのかもしれず、いずれにしてもそのようなストーリー展開に、普段は抑圧されている西洋の野郎どものいびつな願望が見え隠れしているようにも見えます。最後は結局、主人公二人が目出度し目出度しとなって丸く収まるのは、この手の作品では当然であると言えば当然ですが、折角前述のような皮肉が含まれているにもかかわらず、どうにも矛先が鈍ったように見え、イマイチ感があるのは否めないところです。最後は、東洋の王女様の方が解放された女性を気取るようになるのに対し、エフィーの方が「Dream Wife」のように振る舞うようになり、二人の役回りが入れ替わって万事が都合よく収まるのは、余りにもお気楽であるとはいえ、結局アメリカでも野郎の本音は男尊女卑なのだろうと思わせてくれます。いずれにしても、ケーリー・グラントが主演だと、必然的にこのような結末にならざるを得ないのかもしれません。「Dream Wife」が面白いか否かは、見る人によって、殊に男女の別によって当然異なるはずですが、会話が豊富な作品が好きな小生にとっては嫌いな作品ではないですね。


2002/07/14 by 雷小僧
(2008/12/23 revised by Hiroshi Iruma)
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