芝生は緑 ★★★
(The Grass Is Greener)

1960 US
監督:スタンリー・ドーネン
出演:ケーリー・グラント、デボラ・カー、ロバート・ミッチャム、ジーン・シモンズ



<一口プロット解説>
ケーリー・グラントとデボラ・カーの住む屋敷にアメリカ人ツーリストのロバート・ミッチャムが現れ、カーと懇ろになる。
<雷小僧のコメント>
どうも私目はこういう映画が好きなのですね。ほとんどのシーンは室内で撮影され、出演俳優もケーリー・グラント、デボラ・カー、ロバート・ミッチャム、ジーン・シモンズにあと執事役の私目の知らない俳優が加わった5人だけであると言ってよいでしょう。それにしても、このキャストの豪華さはどうでしょう。当時のスター俳優がずらっと並んでいます。まあ、今から見ればミッチャムを除くと既に下り坂にかかっていた人とか下りきりそうな人ばかりですが、それでもこの4人のやりとりをたっぷりと2時間近く楽しめるのだから素晴らしいではないですか。
少しこの4人の紹介をすると、まずケーリー・グラントは言わずもがなの俳優さんですが、この映画の後3、4本しか映画は撮っていませんが、その中にはこの映画と同様スタンリー・ドーネンの手による私目の好きな「シャレード」(1963)が含まれます。デボラ・カーは、この時迄に既に6回オスカーにノミネートされながら1度も受賞することが出来ませんでした。非常に高貴且つ優雅な印象を与える人なのですが、この「芝生は緑」のようなコメディでも悪くはないですね。ジーン・シモンズは、現在でも時々映画に顔を見せるのですが、基本的にこの人は50年代前半の「聖衣」(1953)等のド派手時代劇のヒロインだった人であり、一部では正統派美人女優であるように言われているようですが、私目にはこの人の顔には若干エキセントリックな風貌があるような気がします。そう思って見ていると、なんとなくあの「サイコ」(1960)のアンソニー・パーキンスに少し似ているではありませんか(とは大変失礼をば致しました)。ロバート・ミッチャムは最近迄映画出演していましたから実際映画館で見た人も多いのではないでしょうか。まあ、あのジミー・スチュワートと相次いで死んでしまったのが運の尽きでしょうね。
皆さんも恐らくよくご存じであろう俳優さん達の紹介はこれ位にして、この「芝生は緑」の見どころの1つを挙げると、ケーリー・グラントとデボラ・カーが英国人夫婦を演じているのに対し(どちらもアメリカ映画にも数多く出演していますが、二人とも英国生まれです)、ロバート・ミッチャムはアメリカ人を演じていて(勿論自身アメリカ人です)、その対照が面白可笑しく描かれている点です。たとえばあるシーンで、女性を誉める時、フランス人は何の躊躇もなく行うが、アメリカ人は一瞬ためらってから口に出すという話が出て、それでは英国人はどうするかとミッチャムが尋ねると、まず旦那に言うとカーは答えます。そのこころは、旦那は後で必ず妻に報告するはずだからということなのですが、これが可笑しいのは、英国男性はそんな話ですら律義に自分の妻に報告するということが前提になっているという点であり、グラント演じる英国紳士はまさにそういう律義さというか大仰さの権化のように描かれています。特に、ミッチャムにカーを取られそうになって決闘を挑むシーンはいかにも形式にこだわる英国人という雰囲気がありますね。又あるシーンでケーリー・グラントが言った言葉をシモンズが思い出そうとしていた時、自由の女神について何か言っていたのを思い出すのですが、最初にシモンズはthe statue of libertyと言った後で、the statue of libertineと言ったかなと言い直します。その時、デボラ・カーが間髪を入れずに「大仰な英国人ね」と言います。この辺の機微は、日本人の私目にはよく分からないのですが※、こういう細かいアメリカ人と英国人の相違をあてこするような箇所が他にも色々とあるようです。まあそういう様に、文化の相違というものを出汁にしてコメディに仕立てているところが非常に面白いのですが、英語圏に属さない我々日本人から見れば英国人も米国人もそう大差はないように思えても、彼ら自身には結構意識しているところがあることがこういう映画を見ているとよく分かるような気がします。
まあそういうことを考えなかったとしても、この4人+執事のやりとりは、今から見れば古風にも思えるのですが、馬鹿馬鹿しくもなかなか洒落ていて非常に面白いと言えます。特にケーリー・グラントという俳優さんは、そういう特質を持っているのですね。つまり、他愛のない会話ですら何か洗練されて優雅な印象を与えるという希有の特質を。だから、万人が彼を好むのでしょう。但し、やはり映画自体に関しては万人向きであるとはとても言えないので、舞台劇のような映画が好きな人は(但しこの映画に緊張感はありませんが)、気に入るのではないでしょうか。
※後でよくよく考えてみると、英国人であるケーリー・グラントがアメリカの象徴である自由の女神を「the statue of libertine」と呼んだとすると、これは要するに彼がアメリカという国は放蕩者の集まりである(それに対してイギリスは紳士的な国である)と考えているということであり、かくしてグラントがイギリスの伝統に縛られているのを茶化して「大仰な英国人ね」と言ったということでしょうね。

1999/04/10 by 雷小僧
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