Compulsion ★★☆

1959 US
監督:リチャード・フライシャー
出演:ディーン・ストックウエル、ブラッドフォード・ディルマン、オーソン・ウェルズ

左:ディーン・ストックウエル、右:ブラッドフォード・ディルマン

ヒッチコックの「ロープ」(1948)などでも取り上げられている「レオポルド−ローブ事件」を題材とする作品であり、自らの能力を過信した二人の若者が、完全犯罪が可能であることを証明する為だけに、実際に殺人を犯すという陰惨なストーリーが繰り広げられます。最近も「完全犯罪クラブ」(2002)というこの手の作品がありましたが、これはあまり面白くありませんでした。「Compulsion」で自信に満ちた二人の若者を演じているのは、ディーン・ストックウエルとブラッドフォード・ディルマンです。前者は傲慢ではあるけれどもセンシティブでナイーブな若者のジャドを、後者はただひたすら傲慢で挑戦的な若者のアーサーを演じ、二人の対照的なパフォーマンスが極めて印象的です。また、ジャドが殺人を犯した事実を知った後でも、彼を理解しようとする同級生のルースを演じているダイアン・バーシが、なかなかセンシティブで素晴らしい。というのも、作品全体としてかなり舞台劇的でフォーマルな印象が際立つ中にあって、彼女のパフォーマンスだけは、極めてナチュラルで、どこか素人的とすらいえるところがあり、それが極めて効果的であるように思われるからです。これら三者の好演もあり、「Compulsion」は、全体の1/4ほどにあたる最後の法廷シーンを除けば、3つ星(★★★)に値しますが、名優オーソン・ウェルズが登場する最後の法廷シーンがイマイチに見えるので2つ星(★★☆)の評価に留っています。なぜイマイチに見えるかというと、丁々発止の論戦が期待される法廷シーンであるにも関わらず、オーソン・ウェルズのモノローグにほとんど終始するからです。しかも、ここでのオーソン・ウェルズは、ほとんど聞き取れないつぶやき声で独白するのです。舞台劇を元にした作品は、個人的に三度のメシよりも好きであるとはいえ、しかしながら「ジュリアス・シーザー」(1953)のレビューで述べたように、モノローグという技法は演劇では普通であっても映画では全く不向きなのです。つまり、演劇の場合には、演技者同士の会話の中に織り込めないメッセージ、たとえば主人公の心の中の本音をオーディエンスに伝える為に、モノローグという特殊な装置が生み出すメタ空間が利用され、そのような装置の利用は演劇では慣例化されているがゆえに、観客の方でも自然にモノローグが受け入れられるのに対して、映画の場合には、たとえばモンタージュ技法を駆使して全く別のエピソードを挿入するなどの手段によりモノローグと同じ効果を得ることが期待されるのです。裏を返せば、映画の場合には、登場人物のモノローグ、或いはそこまであからさまでなくとも何げなく吐かれた独り言を通してオーディエンスに特定の情報が開示されるようであれば、スタッフが無能だからそうせざるを得なかったと取られるのが普通です。勿論、「Compulsion」の場合には、オーソン・ウェルズが法廷で行う最後の演説がモノローグ的に語られているのであり、それ自体については現実世界でも確かにあり得ることなので、スタッフが無能であったとは言えないとしても、法廷シーンに期待されるのは、モノローグなどでは全くありません。法廷シーンの白眉は、何と言っても原告側と弁護側が丁々発止のスリリングな論戦を展開するところにあり、それがモノローグと化してしまっては折角の醍醐味が消え失せてしまうというものです。オーソン・ウェルズの肥大化したエゴがそうさせたのではないかとすら疑いたくもなります。そのような法廷劇の醍醐味をピュアな形で見せてくれる典型的な作品が、シドニー・ルメットの「十二人の怒れる男」(1957)やスタンリー・クレイマーの「風の遺産」(1960)であり、これらの作品を無闇矢鱈に好む小生としては、「Compulsion」の法廷シーンにはどうしても不満が残ります。ということで、ラスト1/4の法廷シーンが今イチに見えるのは確かであるとしても、それ以外は素晴らしい作品であると評価できます。付け加えておくと、「Compulsion」で犯人が逮捕されるきっかけになるのは犯人が現場に落としていった眼鏡ですが、捜査官を演じているE・G・マーシャルが、容疑者を尋問後に「この眼鏡がどうしても気になるんだよ(These glasses keep bothering me)」と同僚にのたまうのには思わず笑ってしまいました。勿論、「十二人の怒れる男」を思い出したからです。E・G・マーシャルは、最後まで容疑者の有罪を主張する陪審員の一人をそこで演じており、その彼が容疑者が無罪であると(正確には有罪の判決は下せないことを)納得するのは、犯罪シーンを起きぬけに遠くから目撃した証人の一人が実は眼鏡の常用者であることが後から判明したからです。きっと「Compulsion」の彼のセリフは、「十二人の怒れる男」が念頭に置かれているのでしょう。


2002/12/28 by 雷小僧
(2009/01/21 revised by Hiroshi Iruma)
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