スター・ウォーズ ★☆☆
(Star Wars)

1977 US
監督:ジョージ・ルーカス
出演:マーク・ハミル、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー、アレック・ギネス

左から:宇宙のライオン丸(?)チューバッカ、マーク・ハミル、ハリソン・フォード、アレック・ギネス

実は、恐るべき事実を告白しなければなりません。あまりにもポピュラーなこの作品を、先日初めて見ました。プー太郎になって暇もできたことだし、「1950-70年代の米英映画と女優に再フォーカスするページ」などというフレーズをホームページのサブタイトルに付加しているにも関わらず、この作品を見ていないというのではカッコがつかないと猛烈に反省し、いそいそとレンタル屋で借りて見たという次第です。つまり、他のシリーズ作品すべてを含め、劇場でも、テレビ放映でも、ビデオでも、DVDでも、それまでは全く見たことがありませんでした。これまで見なかった理由は、いくつかのレビューで述べているように、宇宙を舞台とする映画が個人的にあまり好きではないからです。よって、もう1つ告白しなければならないのは、当作品はまだ一度しか見ていないことです。通常は一度しか見ていない作品をレビューとして取り上げることはまずありませんが、「スター・ウォーズ」の場合には、あまりにもポピュラーであり、なお且つ内容的な面においても、ハリウッド映画の流れの中に占める位置という面においても、あるいは他のいかなる側面においても、そこに表現されているものがあまりにも明白なので、その点を述べたいがために敢えて例外的に取り上げた次第です。それが良いか悪いかに関する判断は別として、子供が見ても一目でそこに何が描かれているかが分かるような、つまり思考過程を介在させる必要がほとんどない究極の娯楽性がこの作品には存在するということです。ということでまず、ほとんど結果は分かりきっているので余計な作業になるかもしれませんが、作品の一般的な評価について確認しておきましょう。いうまでもなく、一般的な映画ガイドでは、最高点か悪くともその1つ下の評価が下されています。IMDbのユーザ評では、これを書いている時点で10ポイント中の8.8であり、不特定多数のユーザによる投票平均としては、ほぼ最高の評価が与えられています。参考に、映画評論家レオナルド・マルティン氏(4ポイント中の3.5)のコメントを以下に抜粋しておきます。

◎この想像力に溢れよく出来たフラッシュ・ゴードンのニューバージョンは、映画史上最もポピュラーな作品の1つになった。この作品は、B級映画の倫理とヒロイズムに捧げられた宇宙時代のいかしたオマージュであり、そこでは嘴の黄色い若者(ハミル)が、他の人々やロボットの友人達の助力を得て宇宙のヒーローになる姿が描かれている。
(Elaborate, imaginative update of Flash Gordon incredibly became one of the most popular films of all time. It's a hip homeage to B-movie ethics and heroism in the space age, as a callow youth (Hamill) becomes an interplanetary hero with the help of some human and robot friends.)


因みに、英語の「homage」をカッコつけて近頃はやりのおふらんす語読み「オマージュ」と訳しましたが、ピーター・ボグダノビッチがどこかで述べていたように、このおしゃれな語は、実は極めて便利な用語で、昔であれば剽窃(plagiarism)と言うべきところを現在ではオマージュと言えば何やら途轍もなく素晴らしいものがそこには宿っているように思われるのです。いずれにしても、上記コメントには反論の余地がないように思われ、他のプロの評者達も多かれ少なかれ似たようなコメントを残しています。残念ながらフラッシュ・ゴードンという名高いアメコミ作品を読んだことはありませんが、個人的にも、この映画を内容面において評価するとすれば、ヒーローが八面六臂の活躍をする古き良き劇画世界へのオマージュという点に、その最大の特徴が求められるべきだと考えています。ところが、「スター・ウォーズ」は、あにはからんや過去へのオマージュどころかその後のハリウッド映画の進むべき方向までをも大きく変えてしまったのです。実を言えば、まさにこの点に関して「スター・ウォーズ」という作品と、監督のジョージ・ルーカスを思い切り糾弾する人もいます。中には、彼とこの作品がその後の(少なくとも)ハリウッド映画を駄目にした元凶であるとはっきり明言する人もいます。個人的には、作品を実際に見るまでは、いくら何でもそれは少しオーバーではないかと思っていました。「スター・ウォーズ」のファンは多いはずなので、いらんことを言うと総スカンを食らいそうですが、嘘をついても仕方がないので今回初めて見た正直な感想をいえば、後述するような留保は必要であるとしても、必ずしもそのような否定的な見解が大きく的をはずしているわけではないという印象を受けました。まず第一印象は、「ここまでお子ちゃま映画だとは思っていなかった」というものでした。確かに、オーディエンスのターゲット年齢層が恐ろしく低下し、なお且つ映画に対する関心そのものが低年齢層のテイストを基準として再構成されるようになった今日では、たとえば「スパイダーマン」シリーズや「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズなどの、お子ちゃま映画かそうでないかが判然としない作品が巷に氾濫している中にこの「スター・ウォーズ」を置いてみたところで、それがお子ちゃま向けであるような際立った印象を受けることはあまりないかもしれません。しかしながら、「スター・ウォーズ」シリースの第一作が製作された70年代後半当時、あるいはそれ以前には、このようなタイプの作品は個人的に思いつく限りにおいては存在しません。勿論、ディズニーが長い間子供向けの映画を製作していたことは誰もが知るところであり、また、個人的に賞賛してやまない「トマシーナの三つの生命」(1964)のような大人が見ても面白い作品がその中にあったとはいえ、作品のターゲットが子供であることは誰の目にも明らかだったのです。同じディズニー製作の作品でも、今日の「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズは、専らお子ちゃまのみをターゲットとして製作されたとは言い切れないところがあります。また、「タワーリング・インフェルノ」(1974)やスティーブン・スピルバーグの「ジョーズ」(1975)のような、お年を召して心肺機能が低下している人が見れば心臓が停止しかねないほど、ド派手で扇情的な側面が大きくクローズアップされたエンターテインメント作品も既にそれ以前から徐々に出現しつつあったとしても、それらの作品はどのような意味においても子供向けではありませんでした。その意味においては、基本的にアクション映画であるボンドシリーズですら、子供が見ても面白いとはいえ、決して「子供向け」ではなく「大人向け」でした。ところが「スター・ウォーズ」は、それが良いことであったか否かに関する裁定はとりあえず棚に上げておくとしても、子供向け映画と大人向け映画という区別を恐ろしく曖昧にしてしまったのです。「スター・ウォーズ」が公開されたのは、小生が高校生の時分でしたが、内容にも関わらず子供が見る作品として扱われていた記憶は全くなく、そのようなものとして分類する人もほとんどいないのではないでしょうか。すなわち、この決定的にアメコミチックな作品が、「ジョーズ」や「タワーリング・インフェルノ」などの他のエンターテインメント作品と全く同列であるように扱われていたはずであり、それは21世紀の現在でも同様でしょう。大袈裟にいえば、「スター・ウォーズ」は、それまでの基準に照らせば内容的にはせいぜい中高生程度までの子供が見て然るべき作品であったにも関わらず、プレゼンテーションという面において空前の特殊効果を駆使してオーディエンスを魅了したがゆえに、子供ばかりでなく大人も他人の白い目を気にすることなく劇場で安心して一人で見られるようなエンターテインメント映画の模範であるかのごとく見なされるようになり、かくしてオーディエンスの映画に対する見方を決定的に変えてしまったのです。もう一度繰り返すと、映画に対する関心そのものが低年齢層のテイストを基準として再構成される傾向を生み出す決定的な端緒になったのが「スター・ウォーズ」であり、その傾向が現在の「スパイダーマン」シリーズや「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズなどに流れ込んでいるのです。とはいえ、勿論「スター・ウォーズ」が公開されてすぐにそのような傾向がわが世の春を謳歌するようになったわけではなく、それは、その後の「スター・ウォーズ」シリーズ作品や「インディ・ジョーンズ」シリーズなどのジョージ・ルーカスが製作や監督で関与した作品を中心として、80年代に入ってから徐々に最早避けられないものとして明瞭化するのです。まさにそれゆえに、ルーカスがその後の映画を駄目にしたという人が少なからずいるのであり、前述の通り今回見た印象では個人的にもその見解からそれ程遠くはありません。但し、誤解を避ける為に付け加えておくと、だから「スター・ウォーズ」という作品そのものが見るに値しないと主張したいのではありません。「スター・ウォーズ」が画期的であった事実は否定できないことであり、ルーカス自身にしてもオーディエンスが面白いと思うであろう作品を製作しただけであって、本人もそれがその後の映画の大きな趨勢になるとは思っていなかったのかもしれません。つまり、業界とオーディエンスの方がそのようなバンドワゴンに乗ってしまったのであり、本人が望もうが望むまいが、トリガーの役を果たしてしまったのがルーカスであったというのが真相ではなかろうかということです。最大の問題は、そのような傾向が一面化してしまったことの方なのです。そのような一面化によってもたらされる害悪は、殊に最近数年間で際立ってきており、我が家の隣のシネコンで上映されている洋画の多くは、極端な言い方をすれば、ほとんど「スター・ウォーズ」の亜流作品のように見えるほどです。そのような現代の並居るアクション映画も影響を受けたであろう、「スター・ウォーズ」のクライマックスの宇宙戦闘のシーンなどは、シューティングゲームの感覚で充ちている、というよりモロにシューティングゲームそのものです(※)。公開当時は、ようやくインベーダーゲームが出回り始めていたばかりの頃だったはずであり、その意味でも未来先駆的であったと言えますが、もしかするとこれはむしろ言い方が逆であって、シューティングゲームの方が「スター・ウォーズ」の影響を受けたということかもしれません。もしそうであれば、この映画の影響力は映画というメディアを遥かに越えていたことになります。それでは、かくいう自分は、「スター・ウォーズ」をどのように位置付けるべきか、あるいはどのように位置付けるべきであったかについてどのように考えているかというと、それは、もともとアメコミ的な内容が強調されて然るべきであった点を考慮しても、メインラインの映画としてではなく、製作費がかかっているとはいえ、むしろいわゆるカルト的な系列に属する作品であると見なすべきではなかったかと考えています。そのように捉え直すと、まるでロンパールームではないかと思えるぬいぐるみキャラクターやロボットの氾濫も、あるいはシューティングゲームのようなアクションシーンも、全てがパーフェクトにフィットするように思われます。ところで、それにしても、お子ちゃまにはとても理解できないようなイーリング・スタジオのシニカルな作品にかつて主演していたアレック・ギネスが、当作品にオビ・ワン役で出演し、チャンバラ劇を演じているのは、個人的にはほとんど一種のアイロニーであるかのように見えました。それを見ていて、最近も「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズで老体に鞭打ってクリストファー・”ドラキュラ”・リーがチャンバラ劇を演じていたのを思い出しましたが、それでさらに思い出したのが、ハマー映画を代表するもう一人のドラキュラ役者であったピーター・カッシングも「スター・ウォーズ」に出演していることです。安手のハマー映画の看板スターの一人であった彼が、このゴージャスな作品に出演しているところを見ると、殊に奇妙で場違いな印象を受けます。彼は、一見紳士風に見えるとはいえ、上半身と下半身のプロポーションがアンバランスであり、それもあってかホラー映画の主人公を演じて評価が高かったわけですが、当作品におけるようなストレートな悪役にはあまり向かないように思われます。最後にもう一度繰り返すと、良い方向か悪い方向かは人によって判断が180度変わるとしても、明らかに「スター・ウォーズ」がその後の映画の流れを変えたのは間違いのないところであり、その意味では、それは、批判そのものですら作品がエポックメイキングであったことを証明するほどのモーメンタムを持った作品であったことは間違いのないところです。

※「スター・ウォーズ」の持つビジュアル面の特殊性については、当レビューを書いた後、「ブレードランナー」(1982)のレビューでより詳細に述べましたので、そちらも参照して下さい。(2009/03/15 追記)


2007/07/14 by Hisoshi Iruma
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