ザ・セブン・アップス ★☆☆
(The Seven-Ups)

1973 US
監督:フィリップ・ダントニ
出演:ロイ・シャイダー、トニー・ロー・ビアンコ、ラリー・ヘインズ、リチャード・リンチ

左:ロイ・シャイダー、右:トニー・ロー・ビアンコ

何やらどこかの清涼飲料水メーカーから宣伝料を貰っているのではないかと疑いたくなるようなタイトルが付けられていますが、ここでいうセブンアップスとは警察の隠密捜査部隊のことを指します。ということで、「ザ・セブン・アップス」は、「ダーティ・ハリー」シリーズや「フレンチ・コネクション」シリーズに感化されて70年代流行っていた刑事もの、それもワルどもとほとんど区別がつかない程暴力的な行動に走る刑事を主人公とした作品です。実際、映画評論家のレオナルド・マルティン氏はこの作品を「フレンチ・コネクション」(1971)の「unofficial sequel(非公式の続編)」であると見なしているようです。加えて忘れてはならないことは、実にとっぽいカーチェイスシーンが目玉になっていることです。はっきり言ってしまえば、「ザ・セブン・アップス」は、ピーター・イエーツの「ブリット」(1968)以来のカーチェイスシーンを極北まで押し詰めたような作品であり、まさにカーチェイスを見せる為に製作された映画であるとも見なせます。とはいえども、これは必ずしも現代のアクション映画のようにカーチェイスシーンが全編に渡って万遍なく散りばめられているということを意味するわけではなく、それどころかカーチェイスシーンそのものはただ一箇所すなわちほぼ中間部分の10分間程度を占めるにすぎません。しかし、まさにそれだからこそ、余計にこの作品がカーチェイスを見せることを主目的としてその周りにドラマが組み立てられているような印象を与えるのですね。ガレージや洗車場などというクルマに関係する舞台が巧妙に(それとも強引に?)利用されているということは別としても、クライマックスをなす中間部のカーチェイスシーンの派手さ華々しさに比べると、その前後のドラマ部分はストイックと言えるほどまでに地味であり、それはあたかもカーチェイスシーンを浮き彫りにする為にわざと前後の展開が目立たないように地味に扱われているのではないかという印象すらあります。何しろ、この手の作品ではお飾りにしろピチピチギャルたちが何人かは登場するのが普通ですが、野郎しか見そうもない映画でありながら野郎向けファンサービスのお色気は全くのゼロ、ニル、ナル、ナンであるほどに華々しさに欠けています。まあ、カーチェイスシーンが図(フォアグラウンド)であるとするならば、その前後のドラマは地(バックグラウンド)のようなものだと云えるでしょう。その意味で、この作品はまさに究極のカーチェイス映画であるものと見なせます。そこで、ここでもう少し現在では全く当たり前になっているカーチェイスシーンとは何かについて考えてみましょう。カーチェイスシーンがアクション映画の1つのウリとなったのは、恐らくピーター・イエーツの「ブリット」(1968)が最初でしょうね(もしかすると007シリーズに既にカーチェイスシーンがあったかもしれませんが)。言うまでもなく、クルマ自体が映画に登場するのは、それよりも遥か昔に遡るわけですが、しかしながらクルマ自体にメインの焦点が当たることはまずありませんでした。勿論、たとえば50年代以後であれば、たとえば「Genevieve」(1953)や「おかしなおかしなおかしな世界」(1963)、「グランプリ」(1966)等の自動車レース或いはそれに近いテーマが扱われる作品はあるにはありました。しかしながらこれらの作品ではドラマ或いはコメディを展開することに主要な焦点があり、疾走するクルマ自体が前面に押し出されあたかもそれが図(フォアグラウンド)であるかのように扱われることはありませんでした。「グランプリ」はもろにカーレース映画だぞと思われるかもしれませんが、「グランプリ」は舞台がレース場であるドラマ映画と捉えるべきでありアクション映画とは異なる範疇に属する作品です。ここで少し視点を変えてみましょう。「ブリット」同様、坂の多いサンフランシスコを舞台とするヒチコックの名作「めまい」(1958)には、ジェームズ・スチュワート演ずる主人公がクルマでキム・ノバク演ずるヒロインの乗ったクルマを尾行する、すなわちチェイスするシーンがありますが、カタツムリの方がまだ速いくらいにノロノロ運転です。まあ、チェイスされている方が女性ドライバーであることはひとまずおいておいたとしても、いやいや「めまい」ではチェイスしているジェームズ・スチュワートは、チェイスされているキム・ノバクに気付かれないようにチェイスしているのだから、「ブリット」や「ザ・セブン・アップス」のような鬼のようなスピードでチェイスするシーンにはなるはずがないと思われるかもしれません。しかし、そこが1つのポイントなのですね。つまり、単なる尾行では爆走するクルマ同士のチェイスシーンには絶対にならないのであり、そのようなシーンが提示されるにはそれが可能になるコンテクストが必要であり、疾走するクルマのチェイスシーンが正当化されるような仕方でシナリオの展開自体が構成されなければならないのです。すなわち、極めて当たり前な話ですが「めまい」ではクルマ同士の狂乱的な追いかけっこをウリにする意図など最初から間違っても存在しなかったということです。それに対して、「ザ・セブン・アップス」では高々10分程度のカーチェイスシーンが最大に機能するようなコンテクストが作品全体によってわざわざ作り出されているのです。繰り返しになりますが、まさにこの意味において、「ザ・セブン・アップス」はカーチェイスシーンを見せるためにあるような作品だったと云えるのです。まあ、監督のフィリップ・ダントニは、プロデューサーとして既に「ブリット」にも「フレンチ・コネクション」にも関わっていたので、この手のシーンはお手のものだったはずであり、洗練の度を増してきたということかもしれません。しかしながら、この誉め言葉が同時にこの作品の大きな欠陥を示唆することにもなります。つまり、カーチェイスシーンに力が入り過ぎたのかそれを地(バックグラウンド)として支えるべきドラマの展開がイマイチであると言わざるを得ません。リアルと言えばリアルではあるのかもしれませんが、そもそも悪役がチンピラや腹の出たオッサンばかりでチンケすぎるのですね。たとえば、「フレンチ・コネクション」のフェルナンド・レイ演ずる悪漢のように、優雅な外面の奥に巨悪が宿っているというような迫力が全くなく、ほとんどセセコマシくすら見えます。「フレンチ・コネクション」でジーン・ハックマン演ずるポパイ刑事の相棒を演じていたロイ・シャイダーを主演に据えたのはアイデアとして悪くはなかったかもしれません。彼は面長で精悍な顔つきをしており、寄る年波に逆らって現在でもロッキーやランボーなどという20年前30年前の亡霊を甦らせて悦に入っているシルベスター・スタローンに少し似ているように見えるところすらありますから。しかしやはり、主演を張るにはややもの足りないところがあるのも確かです。すなわち、ジーン・ハックマン演ずるポパイ刑事同様規則通りのやり方を嫌う刑事として描かれていながら、結局ハックマン程のアクはなく、やや中途半端な結果に終わっているように見えます。そのあたりについては、カーチェイスシーンでの両者の表情を比較してみれば明瞭になります。ハックマンの表情がマジに狂気を感じさせるのに対し、シャイダーのそれはいかにもわざとらしく見え、悪く言えば気の抜けたセブンアップのようにも見えてしまいます。追っかけているのはクルマではなく高架上を走る地下鉄であることは別としても、「フレンチ・コネクション」の場合には、必ずしもカーチェイスシーンが単なるカーチェイスに終わっているわけではなく、ポパイ刑事の分身がクルマにも乗り移って執念で路上を走っているような印象を終始与えるのに対し、「ザ・セブン・アップス」の場合には、ただクルマが突っ走っている印象が避けられず、それはそれで1つの長所とも見なせないことはありませんが要するに或る意味でスマート過ぎるのですね。端的に云うと、「フレンチ・コネクション」に比べてこの作品に何が足りなかったかった云うと、それはウィリアム・フリードキンやジーン・ハックマンのようなタレントが有していたアクの強さなのです。しかしそうであっても、「ザ・セブン・アップス」は「ブリット」以来のカーチェイスシーンを一つの究極の形に集約した作品であることには間違いがなく、その意味において評価できるように思います。また、現在ではアクション映画にカーチェイスシーンは付き物と言っても良い程クリーシェ化していますが(何せ70年代の後半になるとディズニー映画にすらド派手なカーチェイスシーンが組込まれるようになります)、「ブリット」や「フレンチ・コネクション」という先例はあったにしても70年代前半当時はまだまだ新鮮に見えたということかもしれませんね。


2008/05/15 by Hiroshi Iruma
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