暁の出撃 ★★☆
(Darling Lili)

1970 US
監督:ブレイク・エドワーズ
出演:ジュリー・アンドリュース、ロック・ハドソン、ジェレミー・ケンプ、ジャック・マラン

左:ロック・ハドソン、右:ジュリー・アンドリュース

いわゆるひとつのbox office flop(興行的大失敗)と言われた作品ですが、しかし現在でもこの映画にはかなりの人気があるであろうことは、たまにこの映画に関するメイルを貰ったりすることからうかがえます。内容的には極めてエンターテイニングであり、ジュリー・アンドリュースが歌を歌っているシーンもかなりあります(勿論裸になったりはしませんが、何とア・ラ・ストリップティーズなアンドリュースの歌と踊りのシーンもあります)。基本的に私めはミュージカルを好んで見ることはありませんが、この作品はジュリー・アンドリュースが歌を歌っているとはいえどもミュージカルの範疇に入る作品ではありません。というのも、彼女が歌を歌っているシーンは、たとえば劇中劇の舞台上であるなど要するにストーリー中で歌を歌うことが正当化され得る箇所においてのみだからです。この映画を見ていると、何故私めはミュージカルが好きではないのかという理由がチラっと理解出来たような気がします。基本的に私めは映画は大好きであり、且つ歌を聞くことが嫌いなわけではありません。そもそも、日本人による数少ない偉大なる世界的発明の1つであるカラオケで無理ゴリ歌わされるのはいやだという人はたくさんいても、歌そのものが全く好きではないという人はほとんどいないはずです。カラオケで思い出しましたが、カラオケが日本人の発明であることは、実は偶然ではないと考えていて、要するにあれは一種の自己表現の手段なのではないでしょうか。典型的にはアメリカのような国では、小さい頃から自己表現することが当たり前であるような環境で育てられるということらしいですが、日本では逆にそれが抑圧されるのが普通であり、まあその丁度良いハケ口がカラオケなのではないかということです。昨今のホームページ、掲示板、ブログ等のインターネットによるコミュニケーション手段の発達は、自己表現の別のハケ口を提供するものであり、まあカラオケの好敵手が現れたということかもしれません。こう言っては何ですが、カラオケは衆人環視のもとで歌うのが普通とはいえ、基本的にあれは自己満足の世界であり(まあプロでもない他人の歌をマジで聞く輩はそもそもほとんどいないわけです)、「自己表現=ひとさまに役立つ情報提供」という図式が重要な鍵となる(そうでなければ、他人のホームページやブログなど誰も見ないのですね)インターネット上での自己表現よりはより子供っぽく見えたとしても何の不思議もないでしょう。あれれ!話が快調に本筋から逸れていますね。もとい。そのように映画+歌という単純に考えれば楽しみが倍加するように見えるミュージカルが、少なくとも私めにはイマイチに思えてしまうのは(歌は好きでもミュージカルはどうもと思っている人はかなりいるはずです)、歌を歌うシーンがスクリーン上に展開され、それが同時にセリフの代わりでもあることがどうしても不自然に見えてしまうからです。たとえば映画にはナレーションという手段があって、作品中の登場人物ではないナレーターがストーリーに関する説明をしたりすることがありますが、これを不自然であると思う人はまずいないでしょう。ところがミュージカルの場合、歌がある意味でこのナレーションの役割を果たすことになるわけですが、それがまさに登場人物自身によって行われるのですね(従ってミュージカルの場合、セリフが歌で歌われるというようよりは、ナレーションが歌われると考えた方が正しいのではないかと個人的には考えています)。つまり状況説明であるとか主人公達が主観的にどう考えているかというような、ストーリーが進行する次元よりはより高次のレベルに属する言説が、登場人物自身によって行われていることになるわけです。これはすなわち極端な言い方をすれば、登場人物を演ずる役者達自身が劇中で突然カメラの方向を向いて、状況説明や或いは自分が演じている人物がその時何を考えているかを説明し始めるのと大差がないわけです。もう少し高尚な言い廻しを用いれば、ここにはバートランド・ラッセル流に言えば異なるクラスに属する言説間の混同(クレタ人は皆嘘つきだと述べるクレタ人に関するアネクドートは有名ですね)、或いはグレゴリー・ベイトソン流に言えばロジカルタイピングのミスがあるように思えてしまうわけです。勿論必ずしもロジカルタイピングのミス自体が問題の焦点であるわけではありません。たとえば、小説などではこのようなロジカルタイピングの違いを利用したレトリックが駆使されていることが多いわけですが(これに関してはウエイン・C・ブースの著書などがお薦めです)、小説の場合はそれがむしろ慣習として存在する為、通常読者がある特定の言説がどのレベルに属するかを明確に見分けることは比較的容易なのですね(但し現代の小説にもこのことがすべからく同様に当て嵌まるとは言えないかもしれませんが)。従って、小説の中では主人公が自己省察的な独り言を言うシーンがあってもそう不思議ではなく、またもっと良い例を挙げれば舞台劇などでは自己省察的モノローグが普通に行われますが、それは舞台劇という形式そのものがそのようなロジカルタイピングの意図的な混同を予めその道具立てとして包摂しているが故に不思議には見えないどころかそれが常套的に行われているわけです。またオペラはミュージカルと形式的には似ていますが、前者はあくまでも舞台上でパフォーマンスが行われるところが後者と大きく違うところであり(ミュージカルでも舞台ミュージカルはオペラに近いのかもしれませんが見たことがないので何とも言えません)、舞台という狭い空間が前提とされる場合、逆にそのようなロジカルタイピングの混同自体が奨励され、またオーディエンスもそれを矛盾として捉えることはないと言う方が正しいのではないでしょうか。ところが舞台空間が限定されることのない映画では(スクリーン上に投射されるという別の限定はありますが、そこに投影される映像の舞台そのものがそれによって限定されるわけではありません)、スクリーン上で展開するシーンはナチュラルで一次元的でなければならない、或いは正確に言えばナチュラルで一次元的でなければならないことが製作者とオーディエンスの間の暗黙と前提として存在するのです。たまに映画などでも、主人公がカメラの方向を向いて語りかけるシーンがありますが、これはそのような暗黙の前提を意図的に侵犯して特殊な効果を得ようとしているのであり、暗黙の前提が存在するということ自体が前提となったメタメタレベルでの操作であると言えるわけです。ミュージカルでは、このメタメタレベルでの操作が常套的に行われるわけであり、常套的に行われるわけではないが故に効果があることを常套的に行うという一種の矛盾がここにはあるのですね。なななんと!「暁の出撃」のレビューが何という方向に・・・(この「なななんと!「暁の出撃」のレビューが何という方向に・・・」という言説は、ロジカルタイピングの違いを利用したレトリックの一例です)。要するに言いたいことは、「暁の出撃」では歌が歌われる箇所がふんだんにあるけれども(もしかすると歌の数がそれ程多くはないミュージカルよりも多いかもしれません)、それらは全て歌を歌うことがストーリー上の矛盾ではない箇所で歌われるが故に、通常のミュージカルには大きな違和感を感ずる私めなどにも全く不自然さを感ぜさせることなく、しかも極めてエンターテイニングであるような印象を与えるということです。但し「暁の出撃」で残念なのは、中途半端にコメディシーンが散りばめられていることであり、シリアスな部分とコミカルな部分が互いに補完するような仕方ではなく無造作に併置されているような印象があり、どうもアンバランスであるように感ぜざるを得ないことです。しかしながらよくよく考えてみると、イギリスの舞台ミュージカルで活躍する主人公(ジュリー・アンドリュース)がドイツのスパイであるというストーリーは、真面目に追ってしまうと結構馬鹿馬鹿しいところもあり、だからこそコメディシーンがないと釣り合いが取れないということなのかもしれません。要するに少し無理があるのですね。ロック・ハドソンとジュリー・アンドリュースのインタラクションにも、1950年代末から1960年代前半のロック・ハドソンとドリス・デイのロマコメシーンを髣髴とさせる箇所がいくつかありますが(殊に別荘の暖炉の前でのシーン(上掲画像参照)は「夜を楽しく」(1959)での同様なシーンを思い出させ、このシーンでのロック・ハドソンの目付きはいかにも往年のロック・ハドソンという風情があります)、それ以上にジャック・マラン演ずるフランス警察の刑事が、同じくブレーク・エドワーズが監督した「ピンク・パンサー」シリーズのクルーゾー警部なみのスラップスティックに走ります。そう言えばジャック・マランはあの「シャレード」(1963)でもフランス警察の警部をコミカルに演じていました。しかしいずれにしても、この作品がエンターテイニングであることに変わりはなく(いかにもマンシーニというヘンリー・マンシーニの音楽も極めてエンターテイニングです)、殊にジュリー・アンドリュースのファンは必見の作品でしょう。またこの作品は型くずれのロマンティックコメディとして見ることも可能であり(何故型くずれかと言うと、この作品本来的にはよりシリアスなドラマが意図されていたように思われるからです)、そのような観点から見るとロック・ハドソン+ジュリー・アンドリュースというコンビは極めて新鮮だと言えるでしょう。


2006/06/10 by Hiroshi Iruma
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