海賊大将 ★★☆
(A High Wind in Jamaica)

1965 UK
監督:アレクサンダー・マッケンドリック
出演:アンソニー・クイン、ジェームズ・コバーン、デボラ・バクスター、デニス・プライス

左:ジェームズ・コバーン、右:アンソニー・クイン

アレクサンダー・マッケンドリックといえば、「Whisky Galore」(1949)、「The Man in the White Suit」(1951)、「マダムと泥棒」(1955)など、イーリング・コメディと称される一連の作品群を手掛けていた監督の一人ですが、彼の60年代以後の最も優れた作品がここに取り上げる「海賊大将」です。実際、手元にある「Times Film & Video Guide」というビデオガイドの採点では満点の5つ★が打たれています。「風と共に去りぬ」あたりでも4つ★なのでその評価の程が窺えますが、実はこのビデオガイドはイギリス産なので少し手前味噌な面があるのかもしれません。後述するように、プロットに関しては個人的には不満があるものの、「海賊大将」には2つの素晴らしいアセットがあります。1つは、「A High Wind in Jamaica」という原題が示す通り、ほとんどのシーンが実際にジャマイカ界隈で撮影されたようで、まばゆいばかりの空と海が的確にカメラに収められていることです。もう1つは、キャストです。7人の子供達を意図せずして誘拐しなければならない嵌めに陥り、逆に子供達に持て遊ばれる人の良い海賊を演ずるアンソニー・クインとジェームズ・コバーンはなかなか愉快であり、大陸的で茫洋とした印象のあるアンソニー・クインとアグレッシブなジェームズ・コバーンのコンビは、漫才に喩えればボケとツッコミのような妙味があってユーモラスです。しかし、この作品の最大の発見は何と言っても、7人の子供達の内の一人エミリー・ソーントンを演ずる子役のデボラ・バクスターであり、実に子供らしく生き生きとして表情豊かな彼女は、むしろ感動的ですらあります。DVDのパッケージには、「mesmerizing(催眠術にかけるがごとくうっとりさせる)」と記されていますが、これは単なる宣伝文句ではなく、実際に彼女にはそのような印象を受けます。前述のビデオガイドには、「海賊大将」のデボラ・バクスターは、「追いつめられて・・・」(1959)のヘイリー・ミルズ以来の素晴らしい子役演技であると評されています。「追いつめられて・・・」のヘイリー・ミルズがどれ程素晴らしかったかについては忘れましたが、「海賊大将」のデボラ・バクスターは子役時代のヘイリー・ミルズを遥かに凌駕すると言っても過言ではありません。ただ残念なことに、IMDBで調べても彼女は「海賊大将」とジョン・ミリアスの「風とライオン」(1975)にしか出演していないようです。後者出演時は、勿論既に子役などではなく、ブライアン・キース演ずるルーズベルト大統領のお年頃の娘を演じて、成人してからの出演作がこれ以外ないことが納得できる凡庸な女優さんに成り下がっています。要するに、ヘイリー・ミルズ同様、典型的に子役タイプの女優さんであったということです。一番頃合いの良い時に「海賊大将」にしか出演していないのは、そこでの彼女が余りにも素晴らしいこともあり、実に残念でもあり、また不思議でもあります。ところで、「海賊大将」はプロット的には不満が残ると前述したのは、専らラスト10分間に問題があるからです。終わり良ければすべて良しとは逆に、終わりイマイチによってそれまでの良さが帳消しになった印象があります。まず第1点は、最後の法廷シーンでエミリーの証言によって二人のお人よしの海賊が絞首台送りになりますが(絞首刑そのもののシーンはありません)、それまでの子供らしい彼女の無邪気さから考えるとどうしても違和感があります。そもそも、彼らの罪状となるオランダ船船長殺害(ゲルト・フレーベ)は、朦朧としたエミリー自身の手によってなされたのです。彼女の法廷での証言は極めて曖昧であるとはいえ、結果としてそれによって海賊達は絞首台行きになってしまうのであり、それまでの展開から考えれば奇妙な感は免れないところです。確かに、「海賊大将」は、ヘイリー・ミルズが出演していたようなディズニー映画ではないので、イギリス的皮肉が込められていると見なせないことはありません。しかしながら、最後の10分間はそれまでの冒険活劇的なストーリー展開と比べると遥かにエモーショナルなトーンが前面化する為、ドライなイギリスのユーモア感覚として捉えることは極めて困難です。また、エミリーが本国のイギリスに戻って平和に暮らすシーンで作品はジエンドを迎えますが、あれだけの大冒険をした後で平凡な生活に戻り、小市民的な生活にどっぷり漬かっている彼女の様子が描かれて終わるのは、それまでの展開から考えればこれまたどうしても奇妙に見えざるを得ません。通常の冒険小説でいえば、大冒険を通して主人公が成長し、大冒険を終えて主人公が一回り大きくなって我が家へ帰ってくるというパターンが普通ですが、「海賊大将」では、主人公は大冒険を終えたあと、元の木阿弥どころか飼いならされた猫のような生活に落ち込んでしまったように見えます。すなわち、もともとインデペンデントで快活なエミリーが最後は従順なエミリーになったような、通常の冒険小説の読後感とは逆の印象を受けざるを得ないのです。それどころか、ラストシーンからの逆照射によって、まるでかつての快活なエミリーは社会に適合する為に飼いならされねばならない野蛮人であったかにすら見えてしまうのです。いずれにしても、最後の10分間はそれまでのコミカルな展開とは打って変わってエモーショナルな展開に急転してしまうので、一貫性がないようにどうしても思えてしまうところが、「海賊大将」の最大の欠陥でしょう。「青い目の蝶々さん」(1962)など、60年代には、このように途中でシナリオライターが交代したのではないかとすら疑いたくなるアンバランスな作品が時々見られます。この点が改善されていたならば、「海賊大将」は冒険映画の傑作たり得たと評価できます。


2004/05/15 by 雷小僧
(2008/10/27 revised by Hiroshi Iruma)
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