The Man in the White Suit ★★☆

1951 UK
監督:アレクサンダー・マッケンドリック
出演:アレック・ギネス、ジョーン・グリーンウッド、セシル・パーカー

左:ジョーン・グリーンウッド、右:アレック・ギネス

40年代後半から50年代にかけて、これぞイギリス的と呼べるオフビートで皮肉に充ちたコメディを製作していたイーリング・スタジオと称される映画スタジオがありました。イーリング・スタジオによって製作された作品の中では、日本では「マダムと泥棒」(1955)が最もよく知られていますが、ヘンリー・コーネリアス、ロバート・ハマー、アレクサンダー・マッケンドリック、チャールズ・クライトンなどの監督達によって製作されたイーリング・スタジオブランドの作品群は、そのユニークさによって当時は英国内のみならず世界的に独自の名声を馳せていました。「The Man in the White Suit」もイーリング・スタジオによって製作されたイーリング・コメディの一作であり、典型的にイギリス的な作品です。織物工場に勤める天才的な従業員(アレック・ギネス)が、決して汚れることがなく永久に損耗することすらない繊維を発明し、この世紀の大発明でさあ名声を博そうとしますが、繊維業界を牛耳る資本家ばかりか、繊維工場で働く労働者達まで彼の大発明をもみ消そうとします。というのも、資本家はそんな製品で儲けの機会を失うことは望んでもいないし、労働者はそんな製品で職を失っては元も子もないことを察知しているからです。すなわち、永久に損耗しない衣類が一度世に出れば、後は資本家も労働者も用済みになろうことは自明なのです。ボードリヤール的にいえば、大量消費社会においてはモノそのよりも社会的な指標となるモノの間の差異が問題なので、たとえ永久に損耗しない衣服が出回ろうが、資本家も労働者も決して用済みになるわけではないはずであるとはいえ、当作品が公開された50年代は、そもそもボードリヤールの著書は影も形もなかったことは別としても、まだ大量消費社会に突入したとはとてもいえない時代でした。かくして、「The Man in the White Suit」のイギリス的に皮肉っぽい眼差しは次の2点に向けられていると考えられます。まず第1点は、独創的なアイデアが必ずしも即座に社会に受け入れられるわけではないことが示唆されている点です。科学史家トマス・クーンは、有名な著書「科学革命の構造」の中で、科学に関する新たなパラダイムは、特定の潜伏期間を経て特定の条件が揃ったところで始めて一斉に開花すると述べています。すなわち、それがどんなに独創的且つ革新的なアイデアであったとしても、受け入れる社会の側で準備が整っていなければそれは有効に機能しないということであり、「The Man in the White Suit」ではその点が実に皮肉っぽく且つ辛辣に描かれているのです。皮肉な眼差しの第2点は、イギリス人の階級意識に向けられています。普通は対立関係にある労使の間で、ひょんなことから利害が一致し、双方が結託して新たなアイデアというパンドラの箱を閉じたままにしようとするのです。すなわち、階級意識といえば階級間の闘争であると通常は見なされるところを、ベクトルを逆にして階級間の共闘という形でイギリス人の階級意識が浮き彫りにされている点がユニーク且つ皮肉っぽいところなのです。ということで、全体的にイギリス映画特有のオフビートさがありますが、この手の映画が好きな人には堪えられない一編でしょう。


2004/04/03 by 雷小僧
(2008/12/21 revised by Hiroshi Iruma)
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