セント・アイブス ★☆☆
(St. Ives)

1976 US
監督:J・リー・トンプソン
出演:チャールズ・ブロンソン、ジャクリーン・ビセット、マクシミリアン・シェル、ジョン・ハウスマン

左:マクシミリアン・シェル、中:ジャクリーン・ビセット、右:チャールズ・ブロンソン

1970年代を代表する或いは典型的に1970年代的な俳優さんと云えば、皆さんは誰を思い浮かべるでしょうか。勿論、人により見解が異なるのは当然であるとしても、恐らくチャールズ・ブロンソンがその一人として数えられないと考える人は少ないのではないでしょうか。個人的な印象としても、コメディ系のジョージ・シーガルとともにチャールズ・ブロンソンが真っ先にそのような俳優さんとして思い浮かびます。実は1970年代と云えば、彼らよりもビッグなスターであったポール・ニューマン、スティーブ・マックイーン、ロバート・レッドフォード達がバリバリに活躍していた時代であった上、カーク・ダグラス、バート・ランカスター、マーロン・ブランドなどのそれよりも古いスーパースター達(その意味では主演を張っていたか否かは別とすればジョン・ウエイン、ジェームズ・スチュワート、ヘンリー・フォンダ、ロバート・ミッチャム、ローレンス・オリビエといったような伝説的なスターですらまだ現役でした)も活躍していたし、それと同時にダスティン・ホフマン、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ等の新しいスターが出現しつつあった頃でもありました。それにも関わらず、時代性という観点から眺めた場合には、これらのビッグスター達は、殊更1970年代的であると呼べるような俳優さん達ではありませんでした。活躍の年代が1970年代に限られるわけではないという点は勿論のこと、もともと彼らのイメージ自体が特定の期間に縛られるよりは、より普遍性を帯びていたと云えるからです。その意味では、1960年代にも多くの出演作があるジョージ・シーガルは勿論のこと、1950年代前半から出演作があり1960年代には未だに人気の衰えぬジョン・スタージェスの二本の痛快娯楽大作すなわち「荒野の七人」(1960)と「大脱走」(1963)に出演しているチャールズ・ブロンソンにしても、確かに必ずしも出演作が1970年代に限られるわけではありません。にも関わらず、シーガルとともにブロンソンには1970年代的なイメージが強く結び付いています。というのもブロンソンがブロンソンのスタイルを確立したのは、端役やオールスターキャストの中のone of themの一人として出演していた1950年代や1960年代の作品においてではなく、やはり1970年代の作品においてだからです。実を云えば、個人的にはチャールズ・ブロンソンの1970年代の作品を現在繰り返して見ることはほとんどありません。というのも、彼の1970年代の作品にはあまりにもブロンソンのパーソナリティに依存し過ぎている傾向が見受けられ、そのブロンソンが天国に召されてしまった現在の目で見るとイマイチと思える点が多いからです。このことは逆の見方をすれば、それだけに尚更、チャールズ・ブロンソンは典型的に1970年代的な価値観と強く結び付いていた俳優さんであったと云えるかもしれません。そのようなブロンソンには、現在の映画スターの基準から見れば、かなり特異に見える点が2つありました。1つは、1970年代に大ブレークした時に、彼は既に50才代に突入していたことです。脇役などでは有り得ないことではないとしても、恐らく彼のようなトップスターで、50才を越えて俄然人気が沸騰した俳優さんは、後にも先にも彼をおいて他にはいないように思われます。しかも、1970年代に彼が出演していた作品は、アクション系に分類される作品が多く、肉体的なパワーが要求されるアクション映画のヒーローに50才を越えてなるというのは尋常ならざるものがあります。勿論、それが可能になった1つの理由には、1970年代にもなるとかつての貴公子的なスターよりも、彼のようなクセのある俳優さんが主演としても重宝されるようになったという時代的な背景も存在しますが、彼の持つニヒルなキャラクターという個人的な魅力が光っていたことも間違いのないところでしょう。推測ですが、彼は女性映画ファンよりも男性映画ファンに大きな人気があったのではないでしょうか。2つ目の特異な点は、私めもその中の一人でしたが、その50才を越えた彼のファンには中高校生などの若年層も多く含まれていたということです。これに対して、現在の中高校生でたとえばデ・ニーロやパチーノ或いはもう少し若い世代でトム・ハンクス(「スプラッシュ」(1984)の坊やももう50才を過ぎてしまいました)を見る為にわざわざ映画を見に行く人がどれくらいいるのでしょうか。恐らくほとんどいないのではないでしょうか。敢えて云えば、ブルース・ウィリスは若年層にも人気があるのかもしれませんが、その彼ですら後述のように中高校生が着るTシャツのプリント画になる程の強烈なアイコン的イメージを有しているわけでは決してなく、そもそもそんなものを着ていたならばダッセーと云われて村八分になるのがオチでしょう。しかも、彼は既に20年近くも前から人気トップスターとしての地位を確立していたのであり、その点では下積み時代が長く50才になってやっとトップスターの地位を手にしたブロンソンとは大きな違いがあります。いずれにせよ、確かにブラピ君だディカプリ君だと一時期もてはやされる俳優が出現することはあるとはいえども、現在の若年層の映画ファンは、そもそもあまり主演俳優が誰であるかということにはそれ程執着してはいないようなところがあるのかもしれませんね。しかしながら、1970年代には、50才代に突入したチャールズ・ブロンソンをわざわざ拝む為に中高校生が彼の出演作を見たのです。かくいう私めも、彼がTVコマーシャルに出演していた資生堂マンダム(脚注参照)の景品(勿論商品を買ったのは私めではありません)として手に入れた彼の似顔絵がプリントされたTシャツを後生大事に持っていた程です。この点に関しては、1970年代は現在程映画のターゲット年齢層が低下してはいなかったので中高校生と云えども50才代のおっさんが主演しているアクション映画をいやでも見ざるを得なかったという時代状況も勿論ありますが、いずれにせよ他の俳優さんと比べても中高校生の間でのブロンソン人気が圧倒的に高かったことも間違いのないところです。その中高校生にも絶大な人気のあった中年おじさんチャールズ・ブロンソンが主演しているのが「セント・アイブス」です。チャールズ・ブロンソンの1970年代の作品を現在見ることはほとんどないと先程書きましたが、実を云えば「セント・アイブス」はその中では「軍用列車」(1976)とともによく見る方に分類される作品です。というのも、この作品にはいかにも1970年代のブロンソンという彼が持つ特異な特徴に加えて、ややそれとは異なる要素がミックスされており、その配合具合がなかなか絶妙だからです。では、その「ややそれとはとは異なる要素」とは何であるかと云うと、それは1940年代から1950年代前半に全盛期を迎えたフィルム・ノワールに見られるノワール的な要素です。確かに1970年代のカラー作品である「セント・アイブス」に、たとえば光と影のコントラストを強調するなどというようなビジュアルな表現スタイルとしてのノワール性を見出すことは容易ではないとしても、内容的な面ではかなりノワール的な要素を見出すことができます。まず第一に、これのみはビジュアルな表現スタイルとも関係しますが、戸外を含め夜間シーンが極めて多く、典型的にノワールチックな印象を与えることです。しかも、犯罪シーンを含めアクションシーンの多くが夜間であることです。現在のアクション映画を見ても分る通り、ビジュアルがどうしても曖昧にならざるを得ない夜間に殊に戸外でアクションシーンを撮影することは敬遠される傾向にあるように思われますが、フィルム・ノワールではその曖昧さもまた1つの材料として機能するが故に、逆に夜間の戸外シーンが極めて多いのはよく知られたところです。第二点として、、チャールズ・ブロンソン演ずる主人公が、自分の足で血腥い事件のネタを嗅ぎ回るノンフィクション作家であることが挙げられます。これは、「マルタの鷹」(1941)を始めとして多くのフィルム・ノワールに登場するハードボイルドな私立探偵を思い起させるからです。ノンフィクション作家と私立探偵は違うとは云え、警察という権威筋の組織に属しているわけではないのに一匹狼として滅多矢鱈に事件を嗅ぎ回り、自らが歩いた後には自分が殺したというわけでもないのにどういうわけか死体がゴロゴロ転がりまくるという点では共通しており、現実世界において如何であるかは別としても少なくとも映画というフィクションの中にあっては、この2つの職業間での唯一の相違点とは、一方の私立探偵が依頼主たる個々のクライアントからおゼゼを報酬として頂戴するのに対して、他方のノンフィクション作家が一般大衆から印税としておゼゼを頂くという点のみであるように思われます。第三点として、この作品にはノワール映画の重要なアセットの1つであったファム・ファタル的な悪女が登場します。それからノワール映画の重要なアセットの1つという点では、汚職警官も登場します。更に、プロットのひねくれ方にもノワール映画に近いものがあります。勿論、これらの個々の要素のみを取り上げれば、それらは何もノワール映画にのみ特権的に適用される要素であるというわけではありませんが、しかしノワール映画の特徴的な要素が何点も含まれていることを鑑みると、やはりこの作品は製作にあたってノワール映画がどこかで意識されていたのではないかと思わざるを得ないところです。1つ決定的な証拠を挙げましょう。それは、この作品にはノワールリトマス試験紙とでもいうべき俳優さんであったイライジャ・クックがちらりと顔を見せていることです。彼は前述の「マルタの鷹」を始めとして1940年代から1950年代にかけて数多くのノワール作品への出演実績がありますが、ノワールが終焉を迎えた1960年代を越え1970年代になっても或いはそれどころか1980年代になってすら、ノワール的な残り香を持つ作品にカメオとして出演しており、彼の顔を見掛けると思わずノワール性がそこはかとなく意識させられます。しかしその一方で、かつての意味において純粋にノワール的であるとは言えない面も「セント・アイブス」には多々あります。そもそもニヒルではありながらも中高校生にすら人気がある程の親しみ易さも一方では有する主演のチャールズ・ブロンソン自体がノワール的なスタイルとは大きくかけ離れた独自のスタイルを持っていることからもそのことは明らかですが、もっと些細な点にも見て取ることができます。たとえば、この作品にはまだまだ無名の頃のジェフ・ゴールドブラムがチンピラ役で出演していますが、彼はノワール的なスタイルや悪の美学とは全く無縁なチンケなチンピラを演じています。勿論かつてのフィルム・ノワールにチンピラが全く登場しなかったというわけではなく、かつてのフィルム・ノワールに登場するチンピラやギャングは独自なノワール的スタイルを体現していて、その意味ではフィクション的な存在であることが明瞭であったのに対し(たとえば前述したイライジャ・クックや或いはピーター・ローレ、シドニー・グリーンストリートあたりを思い浮かべてみればよいでしょう)、後の蠅男ジェフ・ゴールドブラム演ずるチンピラはその辺の街角を実際に徘徊している生のチンピラそのものという印象が避けられないのですね。同じくブロンソン主演の「狼よさらば」(1974)でもレイプ常習犯のチンピラを演じていましたが、レイプはノワールの悪の美学とは相容れないところがあります。そもそもノワールが製作されていた頃は、コード規制が厳しかったという事情もありますが、それがなかったとしてもスタイルとは無縁のレイプシーンはいずれにせよフィルム・ノワールには全く相応しくなかったでしょう。そのような生のチンピラを演ずるジェフ・ゴールドブラムと、ミスター・ノワールとも称すべきイライジャ・クックが同じ映画に出演しているのはどうにも不思議な光景であると同時に、まさに「セント・アイブス」という作品が1970年代的な新しい要素とノワールというクラシックな要素をミックスさせた作品であることの象徴であるようにも思われます。それから「セント・アイブス」でファム・ファタル的役割を演じているのはジャクリーン・ビセットですが、かつてのフィルム・ノワール作品における理想的なファム・ファタル像とはやや異なるイメージが彼女に存在することも確かです。というのも、勿論主演のブロンソンからして悪女に出し抜かれるようなキャラクターを演じているわけではないということは別としても、ジャクリーン・ビセットという女優さんは、どこか優雅で貴族的とも云える雰囲気を有しており、骨の髄まで悪のエキスが浸透しているが故に助平根性を丸出しにして近寄ってきた野郎どもにすべからく悪運が降りかかるなどというような、フィルム・ノワールのファム・ファタルに特徴的な存在の根幹から実存的に腐食しているが如くの印象を与えることが決してないからです。むしろ輪郭が明瞭で行動的な透明度の極めて高い悪女を演じていて、その点では何を考えているのかオーディエンスにすら全く予断を許さない透明度が低いフィルム・ノワールのファム・ファタルとは一線を画すると云わざるを得ないでしょう。まあ、そもそも考えてみればブロンソンが典型的な1970年代の男優さんであったとするならば、ジャクリーン・ビセットは典型的な1970年代の女優さんだったのですね。というわけで、「セント・アイブス」という作品には、いかにも1970年代的な要素に加え、懐かしきフィルム・ノワール的なエッセンスも見出すことができ、「狼よさらば」に代表されるようないつものブロンソン映画とはやや異なる側面を含み、現在の目でもそれなりに興味深く鑑賞できる作品であると云えるでしょう。

脚注:資生堂マンダムとは当方の記憶違いであり、マンダムは丹頂(後マンダムに社名変更)という会社の製品であったというご指摘がありました。Wikipediaには、丹頂がチャールズ・ブロンソンを起用したコマーシャルを流したのが1970年で、丹頂がマンダムに社名変更したのが1971年とあります。(2008/04/27 追記)


2008/01/15 by Hiroshi Iruma
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