決死圏SOS宇宙船 ★★☆
(Journey to the Far Side of the Sun)

1969 UK
監督:ロバート・パリッシュ
出演:ロイ・シネス、パトリック・ワイマーク、イアン・ヘンドリー、ハーバート・ロム

左:ロイ・シネス、右:パトリック・ワイマーク

ビデオでは日本国内でも販売されているようですが、劇場では国内未公開作品のようです。「決死圏SOS宇宙船」という邦題からは、テレビ放映用のタイトルであるか、或いはビデオ販売用のタイトルであるかのような雰囲気がプンプン漂ってきます。アメリカ公開時のタイトル「Journey to the Far Side of the Sun」(オリジナルのイギリス版タイトルは「Doppelganger」です)が示すように、太陽をはさんで地球と正反対の宇宙空間に新たな惑星が発見されたので、探査の為に有人ロケットを打ち上げるところからメインストーリーは開始されます(ここで「メインストーリー」と述べたことには理由がありますが、それについては後で明らかになります)。実は、まさにそのような説を信じていた人々が中世の時代にはいたそうなので、まったく荒唐無稽な設定というわけではなく、そのようなところからアイデアが取られたのでしょう。しかし、「決死圏SOS宇宙船」が、俄然面白くなるのはミステリー色が濃厚になるこの後からですが、レビューでミステリーの内容について言及するのは反則なので、ここではそれは見てのお楽しみとしておきます。そのようなプロット展開の妙味はさておき、「決死圏SOS宇宙船」の素晴らしさは、ビジュアル効果と音楽にもあります。この手のSF映画には、時として画面に映し出される画像が極めて無機質であるにも関わらず、まさにそれが故にビューティフルである作品があり、代表的な作品としてスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」(1968)が挙げられますが、「決死圏SOS宇宙船」もまさにそのタイプの作品です。人間臭いドラマが極力排除され、相当に抽象化されたイメージがあります。それ故か、視覚効果と音響効果に大きな注意が払われており、視覚効果に関しては同じく60年代後半に製作されたフランソワ・トリュフォーの「華氏451」(1966)に近いものがあると思いつつ見ていたところ、ビデオの最後に「華氏451」の宣伝が収録されていたので、偶然ではなかろうと一人ほくそ笑んだ次第です。「決死圏SOS宇宙船」が、人間臭いドラマとはいかに縁遠い作品であるかは、主人公(ロイ・シネス)が宇宙船もろとも反地球に墜落する悲惨な最期が、平然と描かれていることからも分かります。主人公のこの悲惨な最期にクレームをつけている評もあるようですが、そもそもヒューマンドラマに焦点が置かれているわけではない作品に対して、主人公がとてもヒューマンであるとはいえない最期を遂げたからといってクレームをつけても仕方がないでしょう。それよりも、主人公が悲惨な最期を遂げた後のシーン、すなわち事件から何年かが経過し、年老いて車椅子に頼らざるを得なくなった宇宙基地の司令官(パトリック・ワイマーク)が、鏡に向かって突進するシーンの方に、「イマイチ良く分からない」とクレームをつけたくなります。鏡像世界と鏡のアナロジーということかもしれませんが、少し無理があり過ぎるように思われます。いわば、オーディエンスを煙にまく点では、「2001年宇宙の旅」のラストと似たようなものでしょうか。いずれにせよ、無機的なビジュアルにつられて抽象化が昂じ、それがプロットに影響すると、商業映画であるにも関わらずエニグマティックな表現が出現し易くなることがよく分かります。勿論、それは悪いことであると必ずしも主張したいわけではなく、ましてやそれによってビジュアルの価値が損なわれると言いたいわけでもありません。むしろそのような抽象化にも関わらず、ビジュアルは素晴らしいことを強調したいのです。ビジュアルに加えて、音楽が実に素晴らしい。少し大袈裟な音楽であるとはいえ、醸し出す雰囲気は作品の無機的なテクスチャーと見事にマッチしています。というわけで、ビジュアル/サウンド両面における異色さに興味が惹かれる作品ですが、それとは別に、もう1つ指摘しておきたいことがあります。それは、50年代以降繰り広げられた宇宙開発事業は、単なる科学的なプロジェクトであったのみではなく、米ソ二大国によるパワーポリティクスに大きく関与していたことが、前半部のストーリーから伝ってくることです。60年代当時は、第三世界で米ソ両国が代理戦争を繰り返していたのと同じように、宇宙事業でも両者が武器を使用しない代理戦争を繰り返していたようなものなのです。「決死圏SOS宇宙船」では、ソビエトのスパイ(ハーバート・ロム)が登場したり(直接ソビエトとは言及されていませんが明白でしょう)、宇宙基地の司令官達が太陽の反対側に別の惑星を発見した情報が東側に漏洩することを恐れていたりします。もし宇宙事業がニュートラルな事業であるとするならば、かくも重要な情報は白日の元に公開すべきなのに、それとは全く逆のことをしているわけです。先程、「前半部のストーリー」と述べましたが、実はそのような指摘は冒頭付近の展開にのみ当て嵌まり、それ以後はミステリーサスペンスの様相が濃厚になり、そもそもストーリーとは何の関係もないソビエトのスパイなどなぜわざわざメインストーリーが開始される前に登場させたのかという疑問すら湧いてきます。ソビエトが崩壊した今、「決死圏SOS宇宙船」がリメイクされるとすれば、恐らくメインストーリーが開始される前のスパイに関するくだりは全てカットされるでしょう。しかしながら、現在から見れば削除して然るべきシーンがわざわざ挿入されているという事実は、裏を返せば、60年代当時宇宙事業にはパワーポリティクスが関与せざるを得なかったことが意図されずして示されているとも考えられるのです。この点については、ディズニー映画「ムーン・パイロット」(1962)のレビューもご参照下さい。


2002/10/12 by 雷小僧
(2008/11/10 revised by Hiroshi Iruma)
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