勇者のみ ★☆☆
(None But the Brave)

1965 US
監督:フランク・シナトラ
出演:フランク・シナトラ、クリント・ウォーカー、三橋達也、ブラッド・デクスター

左:フランク・シナトラ、右:三橋達也

フランク・シナトラがアカデミー主演男優賞にノミネートされた「黄金の腕」(1955)を先週レビューしたので、今回も続けて彼の出演作を取り上げることにしました。しかも、なななななんと!「勇者のみ」は、個人的に知る限りでは、彼が監督した唯一の作品なのです(間違っていたらゴメンなさい)。フランク・シナトラの監督作品と聞いて、ミュージカルやコメディではないかと想像される向きも多いと思われますが、またしても、なななななんと!「勇者のみ」は、タイトルからもわずかながらも推測されるように正真正銘の戦争映画なのです。確かにフランク・シナトラは、50年代後半に「Kings Go Forth」(1958)や「戦雲」(1959)で、マジな戦争映画への出演実績があるとはいえ、これらの作品はとてもオーソドックスな戦争映画であるとは見なせないところがありました。また、有名なフレッド・ジンネマンの「地上より永遠に」(1953)も、戦争が大いに関係する作品ではあれども、舞台が戦地に置かれているわけではありませんでした。従って、「勇者のみ」は、彼が出演した唯一の戦争映画らしい戦争映画であると見なせます。何しろ、わずかなフラッシュバックシーンを除けば野郎しか登場しない作品であり、よくこれで色男のシナトラが辛抱できたものだと感心させられることしきりです。さらに特筆すべきは、第二次世界大戦の南太平洋の孤島に舞台が置かれ、フランク・シナトラ演ずる軍医達が対戦する相手は、我らが三橋達也演ずる部隊長が率いる日本軍であることです。冒頭いきなり、真っ赤な文字で「勇者のみ」と作品タイトルが現れるのを見ていると、アメリカを代表するエンターテイナーの一人であったあのフランク・シナトラが監督した唯一の映画のメインタイトルが日本語ででかでかと表示される事態に、奇妙な感慨を覚えざるを得ません。クレジットに関して一つ付け加えておくと、フランク・シナトラの名前は確かにクレジットタイトルの先頭に現れますが、実質的な主演は、酔いどれ軍医を演じている彼ではなく、アメリカ軍の隊長を演じているクリント・ウォーカーと日本軍の隊長を演じている三橋達也であると見なすべきでしょう。恐らく、エゴの肥大化したフランク・シナトラではあっても、さすがに初めての監督業とあって、そちらに力を注ぎたかったということかもしれません。この作品は、三橋達也のナレーションによって開始され、また彼のナレーションによって幕を閉じます。このナレーションは英語であり、いかにも日本人がしゃべっていますという平板な英語であるのは、もしかするとわざとかもしれません。因みに、三橋達也演ずる英語が話せる部隊長以外の日本人は、皆日本語を話しているので、その点で奇妙な印象を与えることはないのでご安心下さい。個人的にも、鉄兜をかぶったナチスの兵士同士が英語で会話しているシーンを見てもそれほど気にならないにも関わらず、日本人同士が英語で会話しているシーンを見ると、どうにも奇妙な印象を受けざるを得ないところがあるので、この点はプラスになります。しかもどうやら「勇者のみ」には日本人の脚本家も参加しているようであり、アメリカ映画でよくありがちな日本語のセリフだけどうにも奇妙に響く摩訶不思議な怪奇現象(恐らくアメリカ人の脚本家が書いた台本を、脚本にはズブの素人である翻訳家が翻訳した結果ではないかと想像されます)は見られません。但し、現在の基準からいえば内容的には頭をポリポリ掻きたくなるような洗練されていないセリフも見受けられますが、それは脚本家のイマジネーションの問題であり、そこで話されている日本語の問題ではありません。さて、「勇者のみ」は、同じく60年代に公開されたジョン・ブアマンの「太平洋の地獄」(1968)と内容的にかなり似たところがあります。というのも、戦略的に何の価値もない南太平洋の孤島に置き去りにされたアメリカ兵と日本兵が、最初は敵対し、やがて島で生き残るために協力しあわざるを得なくなり、最後にはまた敵対関係に戻るというストーリーの骨格がほぼ同じだからです。但し、「太平洋の地獄」の場合には、それがリー・マービンと三船敏郎というたった二人の役者によって演じられていたのに対して、「勇者のみ」の場合には、両軍とも小隊規模の複数の人物が登場します。従って、「勇者のみ」には、アメリカ軍vs日本軍という単純な図式だけではなく、「太平洋の地獄」にはなかった指揮官(クリント・ウォーカー&三橋達也)vsその他の兵士という対立図式も描かれており、たとえば三橋達也が演じている日本軍指揮官は、自分の部下に対してよりも、アメリカ軍の指揮官に対して共感するところが多いような描かれ方がされています。前者が後者に、自分の過去をとくと語って聞かせるシーンは、思わず「少ししゃべりすぎだぞ!」と言いたくなるほどです。「太平洋の地獄」と同様、両軍が協力し合わなければならなくなる最初にして最大の要因は「水と食糧の補給」です。ライフラインが絶たれては戦争といえども成立し得ないのであり、まさに腹が減っては戦さはできないということでしょう。しかしながら、停戦のきっかけとなるのは、脚を負傷した日本兵の治療をアメリカ軍の軍医に依頼せざるを得なくなるからであり、このあたりの指揮官同士の駆け引きと、思わぬ事態に直面したフランク・シナトラ演ずる酔っ払い軍医の振舞いは1つの見所でしょう。因みに、このシーンで脚を負傷した日本兵を演じているのは、若き日の勝呂誉であり、70年代以後のTV番組でしか彼を見たことのない小生には恐ろしく若く見えます。かくして両軍の間に停戦が成立し、しばらくは両軍一致協力しますが、やがてアメリカ軍の無線機の故障が直り本隊との連絡が回復されるや否や、両軍とも戦闘モードに戻り、最後は日本軍が全滅してジエンドになります。両軍一致協力し合うという経過をたどった上で、再び最後の最後にどちらかが全滅するまで戦闘する必要があるのかと思わせるところが当作品の大きなポイントであり、その問いに「Yes」と答える人には、当作品はタイトルが示すようにどちらかが全滅するまで戦った勇者達の物語に見えるであろうし、「No」と答える人には、戦争の無益さを訴える反戦映画に見えるはずです。「勇者のみ」で最も皮肉な点は、最初は好戦的であった部下の兵士の方が最後には戦闘を避けようとし、最初は状況に鑑みて理性的に振舞っていた隊長達の方が最後は自国のためにどちらかが全滅するまで戦わなければならないと考え、実際にそのように行動するところです。いずれにせよ、先の問いに「Yes」と答えるべきか「No」と答えるべきかがわざと曖昧化されているような側面がこの作品には見られ、「グリーンベレー」(1968)のようなタカ派的な作品と反戦的な作品が明確に分かれる以前の作品である印象を受けます。これについては、全体構成が似ている「太平洋の地獄」のラストと比較しても明確になります。「太平洋の地獄」では最後にリー・マービン演ずるアメリカ兵と三船敏郎演ずる日本兵が些細なことで争いを再開しますが、結局どこからともなく砲弾が飛んできて二人ともお陀仏になります。「太平洋の地獄」ではかくして最後に二人とも無益に戦死するのに対して、「勇者のみ」では少なくともアメリカ兵の何人かは生き残り、フランク・シナトラ演ずる軍医が、クリント・ウォーカー演ずる隊長に向かって「今度もあんたの勝ちだ」というようなセリフを吐きます。すなわち、「勇者のみ」には最後の勝者が存在するのです。両軍とも究極的にはどちらが勝つかという一種のゲームをしているのであり、勿論、そのゲームが殺し合いであってみれば、倫理的な問題が生ずるのは当然であるとしても、少なくとも戦争というゲームの埒内では勝者がいることには大きな意味があるはずです。それに対して、勝者が誰もいない「太平洋の地獄」では、戦争というゲームの枠組みそのものが雲散霧消し、そうであってみればそもそも何のために二人は争っていたのかがまるで分からなくなり、そこに戦争の無意味さへのメッセージが明瞭に読み取れるわけです。さらに言えば、「勇者のみ」では、両軍の指揮官が意図して最後まで戦闘を続け、その結果日本軍が全滅するのに対して、「太平洋の地獄」では、偶然落下してきた砲弾によって両者とも戦死します。すなわち、前者には意思的な決定が介在しているのに対し、後者ではそうではありません。ほとんど不条理劇のようなラストを迎える「太平洋の地獄」においては、かくして戦争の持つ不条理性を際立たせている点に反戦メッセージが読み取れます。「勇者のみ」においても、意志決定する指揮官が狂っていたりサディストであったりすれば確かにそこに反戦メッセージが読み取れる可能性は大ですが、いかんせん両軍の指揮官とも、少なくともラストシーンを迎えるまでは、それぞれの軍にあって最も理性的に行動し、人命尊重第一のヒューマンな将校であるかのように描かれているのです。つまり、「勇者のみ」では最後のほとんど無意味であるように見える戦闘を無意味でないように見せる要素が多分に含まれていて、その最も典型的な現れが「勇者のみ」というタイトルに示されているのです。一筋縄で捉えることの難しい作品です。その意味でも、「勇者のみ」は、フランク・シナトラが監督したという単なる好事家的関心においてのみでなく、なかなか興味深いところの見出せる作品であると評価できます。但し、フランク・シナトラの監督作品にしては、殊にアメリカ側のキャストが本人自身を除けばマイナーすぎるのが気になります。最後に付け加えておくと、Wikipediaの「勝呂誉」の項に「日米合作映画『勇者のみ』では監督・主演のフランク・シナトラと共演、一緒に唄うシーンがある」と記述されていますが、少なくとも個人的に所有している海外発売のVHSプロダクトやDVDプロダクトには、一緒にタバコを吸うシーンはあっても歌を歌うシーンはありません。Wikipediaの記述に誤りがなければ、「トラ!トラ!トラ!」(1970)同様、「勇者のみ」にも日本公開用の別バージョンがあったということかもしれません。もう一点付け加えておくと、「勇者のみ」という邦題を持つ作品は、他にも1951年に公開されたグレゴリー・ペック主演の西部劇があります。そちらが既にあったわけですが、さすがに前述した通り本編の冒頭に赤字でデカデカと日本語でタイトルが表示されていては、重複しないように別の邦題に変えることもできなかったということでしょうか。


2009/01/27 by Hiroshi Iruma
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