今でこそ名女優として記憶されている彼女ですが、デビュー当初の50年代にはBクラスの作品に出演するか、あるいはチョイ役で出演するかして、あまり注目されない時期が長くあったようです。派手さがそれほどなく、地味なイメージがあるからでしょうか。因みに、デビュー作は、マリリン・モンローがニューロティックな役を演じていた「ノックは無用」(1952)であり、モンロー人気のおかげもあってか、この作品によって貴重な50年代のアン・バンクロフトの姿を覚えているファンも多いことでしょう。それ以外の50年代の彼女の出演作の中で日本でも知られているものは、「ディミトリアスと闘士」(1954)くらいであることからも分かるように、そのまま一山なんぼの女優さんで終わる可能性も色濃くありました。そのようにスロースターターであった彼女のキャリアを大きく変えたのは、言うまでもなく「奇跡の人」(1962)におけるアニー・サリバン役です。この役によって彼女が見事にアカデミー主演女優賞に輝いたことは、ご存知のところでしょう。因みに、アニー・サリバンを演じた彼女がアカデミー主演女優賞を受賞したのであって、ヘレン・ケラーを演じたパティ・デュークが受賞したのはアカデミー主演女優賞ではなくアカデミー助演女優賞であったことからも分かるように、「奇跡の人」というタイトルが示す奇跡の人とは、三重苦を克服したヘレン・ケラーのことではなく、それを助けたアニー・サリバンのことです。もしかすると邦題をつけた人はそのようなつもりではなかったという可能性はありますが、原題の「The
Miracle Worker」からは、タイトルによって言及されているのがアニー・サリバンである点が明確になるはずです。それから、「卒業」(1967)でダスティン・ホフマンをたぶらかしていたおばさんが彼女であったことは、ご存知のところでしょう。彼女は、コメディを得意とするメル・ブルックスの嫁さんになりますが、60年代まではほぼシリアスな作品にしか出演していません(「ほぼ」と述べたのは、「卒業」はコメディであるとも見なせるからです)。しかしながら、彼女がコメディにも向いていることが明らかになるのは、旦那の監督作品においてよりも、「The Prisoner of Second Avenue」(1975)という日本劇場未公開の素晴らしい作品においてです。ニール・サイモン戯曲の映画化であるこの作品は、ニューヨークにおける都会生活の不健康さ不健全さを面白おかしく描き、主演のジャック・レモンと彼女は、そのような不健康さ不健全さの中で右往左往する夫婦をペーソスたっぷりに演じています。個人的にメル・ブルックスは好きではなく、彼が監督する作品以外のコメディにも、もう少し出演していてもよかったのではないかと思っています。残念ながら2005年に亡くなりますが、80年代を過ぎてもそれなりの話題作にそれなりの役で出演し、大器晩成型の女優さんであったという印象が強く残っています。一時期監督業にも手を染めようとしていたようですが、その方面ではまったく成功していません。 |
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1962
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奇跡の人
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1977
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愛と喝采の日々
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1964
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女が愛情に渇くとき
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1980
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エレファント・マン
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1967
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卒業
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1985
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アグネス
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1972
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戦争と冒険
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1987
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チャーリング・クロス街84番地
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1975
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The Prisoner of Second Avenue
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1988
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トーチソング・トリロジー
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1975
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ヒンデンブルグ
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1995
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キルトに綴る愛
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